第3話 暴れ馬③

 レイクはエレニカに紅茶のお代わりを頼み、一度喉を潤した。


「君も知っていると思うけど俺はあちこちを遊び歩いて回るのが趣味でね。そのお陰で様々な職業の人間と顔見知りになることができて、帝都の気になる噂話が聞けるんだ」

「例えば“暴れ馬”わたしの噂など?」

「そうそう」


 レイクはリンが何か事を起こす度に“暴れ馬”の話題が皆の興味を搔っ攫っていったことを思い出し、くつくつと笑った。


「三ヶ月ぐらい前かな、ちょっと奇妙な話が出回ってね。賭場に出入りしていた宝石商が殺される事件があったんだ。トライド区に店を出していて貴族や平民の実業家に多く顧客を持っているやり手の経営者として知られていたらしい。ただ、商売上のトラブルをいくつか抱えていたから、警察はその線で捜査を開始したらしい」

「解決したんですか?」

「いいや、残念ながら未だ犯人に至る手掛かりは掴めていない。事件から一ヶ月後、俺は知人経由で被害者の奥さんと会って事件の調査を依頼された」

依頼・・?」


 レイクはにやりと笑った。


「俺は表向きには遊び人だけど裏では探偵として活動していてる。帝都では毎日のように事件が起きていて、その中には警察の目の届かない場所で起きた事件や秘密裏に解決してほしい事件が沢山ある。そのような事件が俺の元に持ち込まれるんだ」


 リンはマオが話してくれたレイクの噂を思い出した。


「あの、レイクさんがいかがわしい連中から怪しい品を買った話や、ごろつきに追い回された話はひょっとして――」

「ああ、俺が関わった事件の話だな。どこかから真偽不明の噂として漏れたんだろ」


 そんなこともあったな、と呟きながら思い出に浸るようなレイクの様子にリンは呆れた顔をしたが、同時に親近感も覚えた。面倒事に首を突っ込むのはリンも同じだ。彼女の方はいささか暴力に頼るきらいがあるが、似たような行いをする人間が他にもいたことは彼女にとって意外だった。


「そういうわけで事件の調査を開始した。知り合いに頼んで被害者の周辺を調べたり現場付近で聞き込みをしたり……そうしたら一つ気になる証言を得られた。被害者と商売で対立していたある商会の会頭が事件が起きる数週間前に多額の金を銀行から引き出していたと、その会頭の使用人が話していたんだ。さらに詳しく調査してみると会頭は現金を詰めたケースを持ってどこかへ出かけ帰った時にはケースを持っていなかったという。で、会頭がその日どこかに行っていたか探ってみるとトライド区の高級料理店だった。そこで同じトライド区でバーを経営しているケレス・グレイズという男と会っていたことが分かったたよ」

「そのグレイズという男に金を渡したと?」


 レイクは頷いた。


「恐らくね。グレイズは《鳩の巣》ってバーをロイド・プライムという男と共同で経営している。元々はプライムが一人で立ち上げた店だったけど、後からグレイズが経営に参加するようになったらしい。俺は次にグレイズについて調査させてみたんだけど、またも妙なことが分かった。グレイズは過去にも同じように格式の高い店で誰かと会うことが何度もあったんだ。しかも店の従業員がグレイズと会っていた相手を何人か知っていた。いずれも実業家や貴族の係累だったんだけど……」

「話が読めてきました。その人たちの周辺でも殺人が起きていた。そして、彼らはその事件で何らかの得をしている。違いますか?」


 レイクのにやりとした笑みが、リンの推理が正解であることを裏付けていた。


「そう、過去の未解決事件の関係者ばかりだったんだ。偶然の一致というには出来過ぎている」

「つまり、レイクさんはこう言いたいんですね。グレイズ、あるいは《鳩の巣》そのものが殺人を請け負う組織であると」

「それを確かめるべくグレイズの周辺を重点的に調べることにした。奴の行動範囲、交友関係を徹底的に洗い出したんだ。その中にいたんだよ。首元に植物の刺青を入れた男が」


 レイクが自分の右の首元を指さしてみせた。そこは遺体の刺青が彫られていた箇所と同じだった。


「名前はクリフ・ダール。小さな青果店を営んでいる男だ。寡黙で人付き合いはあまりないが近所からの評判は悪くない。グレイズはダールの店に時折買い物に来ていた。自宅からもバーからも遠い商店街へ何故かね」

「……レイクさん、ダールの店に確認は?」

「今朝急ぎでダールの店へ人を行かせてみたけど、開いているはずの店が閉まっていた。店舗裏の住居を訪ねても誰一人でない。呪毒で顔は潰れていて確認できないけど、年恰好からしてあの暗殺者がダールで間違いないと思う」


 リンは新たに場に出た事実をこれまで知った事実と頭の中で繋ぎ合わせた。

 殺人の被害者との間に問題を抱えていた人物がケレス・グレイズと密会していた。

 グレイズは他にも未解決事件の関係者と接触していて、いずれの関係者も事件が起きて何らかの利益を得ている。

 昨日リンを襲った暗殺者と思わしき人物はグレイズと面識のある人物だった。


(誰かが私の殺害をグレイズか《鳩の巣》に依頼した。まさかここまで核心に迫るような情報を持っていたなんて)


 リンは内心で舌を巻いた。レイクの調査が正しいなら敵の正体は掴めたも同然だ。相手の動きを知ることができれば囮作戦の成功率も上がる。相手の動き次第では早期に解決することも可能だと期待した。


「今はさっき言った知り合いに《鳩の巣》を見張らせている。事件と関わりがあるなら何か動きがあるかもしれない。それまではゆっくりしても大丈夫だろう」

「ありがとうございます」


 そこでレイクはふと気づいたように口を開いた。


「ところで、俺と一緒に行動するつもりだと言っていたけど夜はどうする気だったわけ? 俺が君の家にお邪魔するのも悪いだろう?」

「……そこはどうにか父を説き伏せてみようと思います。事件解決のための協力者といえば納得させられるでしょう」


 リンの回答にレイクは首を振った。この様子では寝泊まりに関して何も考えていなかったなと推測した。それは正しかった。


「万が一にも君の家族や使用人に被害が及ぶような可能性は排除した方がいい。相手が手練れを送り込んでくると予想しているなら尚更だ。ここの二階の客間を使っていいよ」

「この家に泊まっていいんですか?」

「ここは小さいけど賊相手の守りは用意できているし、女性の世話ならエレニカができる。勿論君が男の家に泊まるのが嫌じゃなければの話だけど」


 レイクが壁際に控えていたエレニカに視線を向けると、彼女はリンへ軽く頭を下げた。

 リンは子供のように目を輝かせた。


「是非お願いします。私も貴方のことをもっと知りたいですから、泊めてもらえるなら喜んで甘えさせて頂きます」

「それは聞く人によっては誤解を招きかねないから注意しよう」


 レイクは迂闊な発言をする女傑を窘めた。




 翌朝もリンはマオに電話をかけると簡単に事情を説明し、少しの間大学に行かないことを伝えた。事件の解決を優先したいのが一番の理由だったが、レイクの日常を間近で観察したいという個人的な理由も多分に含まれていた。

 自宅には夜の間に電話し、ギルトレットへ知人の家に泊まる旨を伝えた。ただし、その知人が男性であることは敢えて告げなかった。


(レイクさんはどこで剣を学んだのでしょう? 私も師匠やソル殿下と共にいろいろな流派と稽古しましたが、レイクさんを見たことはありません)


 リンにとってレイキシリス・ブラウエルという人間は興味の対象であった。一人の武人として、一人の人間として彼への疑問は尽きない。身の回りの世話をするエレニカに訊ねても悪戯っぽく微笑みはぐらかされるだけだった。

 その上でエレニカはリンにこう告げた。


「明日レイク様はお出かけになる予定です。リン様もご同行なさるでしょう?」

「ええ、襲撃に備えて一緒に行動しますから」

「それならばその時にレイク様の人となりが分かるでしょう。私の口からご説明するより有意義な回答が得られるはずです」


 リンは主への忠誠心の高いメイドの助言に素直に従うことにした。彼女の言には確信に近い響きがあり、不思議な説得力を帯びていた。


 そうしてリンは期待に胸を弾ませるのを隠して平静を装い、外出の時を迎えた。


「今日はどちらへ行かれるのですか?」

「知り合いが経営する古書店へ行くんだよ。昨日言った依頼に関してね」

「《鳩の巣》やダールのことですか?」

「いや、それとは別件。他にも抱えている案件があってね」


 レイクはそれ以上を説明しようとしなかった。リンは無関係な事柄まで語らないのは当然だと思い気にしなかった。


 二人が閑静な住宅街から視界の開けた場所に出ようとする時だった。前方左の歩道を一人の男が歩いてきた。四十代くらいの体格のいい帽子を被った男だ。苛立たし気に額に皺を寄せており下を見ながら歩いているため、二人には気づかない様子だった。


 リンが男の顔を見て声を上げた。


「フォルナット子爵ではありませんか」

「ああ、うちの近くに邸があるんだよ。知り合い?」

「ソル殿下――第三皇子派閥に属している方で何度か面識があります」


 パイネス・フォルナット子爵は第三皇子派に属する新興貴族だ。

 三十年近く前に当時傭兵団を率いていた父親が南方で二級魔獣討伐の功績を上げたことで貴族の位を賜ったのがフォルナット男爵家の誕生だった。父親は七年後に再び二級魔獣を討伐し子爵へと陞爵した。その十年後に家督を継いだのが長男のパイネスだった。


 フォルナット子爵は現在警備会社を経営し、要人護衛を手掛けている。従業員の多くは父親の傭兵時代の人脈を頼りに集めた元傭兵だ。

 また、幼少期より剣術を学んでおり、それが縁となって第三皇子派閥の一員となった。新たに築いた派閥の人脈も駆使して事業の拡大にも成功している。


 パイネス・フォルナットという男は平民から目覚ましい出世を遂げたとして羨望の的であった。


「こんにちはフォルナット子爵」


 レイクが声をかけるとフォルナットはようやく二人の存在に気づき、びくりと身体を震わせた。


「あ、ああ、レイキシリスくんか。こんにちは」


 フォルナットの眼は左右に揺らいでいる。挨拶こそ返したものの会話をしたくないというような態度を隠しきれていなかった。


「フォルナット子爵、お久しぶりです」

「……リンさん、久しぶりだね」


 リンが声をかけると、フォルナットは唇の端を引き攣らせながら愛想笑いを浮かべた。


「なんだか具合が悪そうに見えますけど大丈夫ですか?」

「心配はいらないよ。立て込んでいた仕事がようやく片付いたところなんだ。根を詰めていたから休みをとっていなかったんだよ」


 様子のおかしいフォルナットに不審を抱いたレイクが訊ねると、目を逸らしながらフォルナットはそう答えた。言葉を途切れさせることなく最後まで一気にまくし立てたことが余計に奇妙な印象を与えていたが、フォルナットにはその自覚がなかった。それを見てレイクはまるで言い訳を述べているようだと思った。


「お身体を大事になさってください。最近はあまり体調が優れなくて稽古に参加していないとソル殿下が心配していましたから」

「……分かっている。気をつけるから心配はいらないよ。それじゃあ」


 リンが心配そうな顔で労わるとフォルナットの顔に赤みが差した。

 フォルナットは別れの言葉を告げると足早に去っていった。


「大丈夫でしょうか、心配ですね」


 リンはフォルナットの後ろ姿を眺めて眉を下げた。


「あのさ、フォルナット子爵が病気療養していたってどういうこと?」


 レイクは目を細めて同じようにフォルナットの後ろ姿を見つめていたが、唐突に質問を投げかけた。


「え? ああ、ソル殿下の派閥では騎士団の訓練場を借りて定期的に剣術の稽古や模擬戦を実施しているんです。フォルナット子爵も参加されていたんですが、ここ最近は体調が優れずずっと休んでいるんです。もしかしたら何か大きな病気を抱えているのではないかと憶測が広まっています」


 フォルナットは神経質でいつも何かに苛立っているような性格で知られている。昔からソルの元に出入りしているリンも小言を言われた経験が何度もあった。派閥の中ではストレスを抱えすぎて身体を壊したのだと専らの噂だった。


「体調が優れない、ね」


 レイクは納得がいかないと言いたげな表情をしていた。




 フォルナットは邸へ帰った後、書斎へ一直線に進むと部屋に入るなり帽子を床に叩きつけた。


「あの小娘! 何が大事になさってくださいだ! 誰のせいだと思っている!」


 フォルナットは唾を吐く勢いで怒鳴った。彼の後ろからついてきていた執事は主の癇癪にすっかり慣れているのか表情を崩さなかった。


「旦那様、どうか落ち着きください」

「落ち着いていられるか! 本当ならとうにあの小娘は死んでいたものを! それがどうだ? 殺し屋は返り討ちに遭ったというじゃないか!」

「仕方がありません。リン・クレファーは腕が立つと評判ですから……」

「だから奴を殺せるだけの実力者を送る手筈だったろう! そのために高い金を支払ったんだ!」


 リンが公園で襲われ襲撃者が死んだ話は瞬く間に広まった。“暴れ馬”がまたも事件に巻き込まれた噂は話の種に丁度よく、フォルナットの耳にもすぐに入った。

 フォルナットは襲撃者の正体が自分が依頼した暗殺組織の刺客であると分かっていた。噂を耳にした後で窓口役の男に急遽連絡して確かめたからだ。そして、相手から暗殺に失敗したという報告を聞いた時も今と同じように怒鳴った。


「……ああ、くそ。興奮すると傷が疼く」


 フォルナットは急に大人しくなると左腕を抑えた。額に脂汗が流れ苦痛と屈辱が入り混じった表情を浮かべる。

 執事が


「旦那様、やはり病院へ行き専門の医師に治療させた方がよろしいのでは?」

「そんなことをすれば傷の原因を訊かれるだろう。あの小娘を闇討ちしようとして失敗したと告白しろと言うのか?」


 半年前の夜、フォルナットは手勢を集めてリンを襲撃し失敗した。彼を含む八人の内三人が死に、彼自身も左腕に傷を負った。

 邸へほうほうの体で逃げ帰った後すぐに会社で雇っている魔術師に診させたところ、傷口に強い魔力が纏わりついており通常の治癒魔術では治せないことが判明した。フォルナットが後から聞いた話によると魔導剣術で斬られたことにより魔術の効果が傷口にかかっているのが原因だった。単なる魔術であれば解除魔術で効果を打ち消すことができるが、基本四属性を極めたリンの魔術の練度に対抗するには彼女と同程度の練度の使い手を探す必要があった。

 だが、そのような魔術師の多くは病院に勤める高度な医療魔術師だ。それ以外は研究者や貴族お抱えくらいのもので、彼らを頼れば傷を負った原因を追究される恐れがあった。フォルナットにとって他者に弱みを晒すのは耐え難く、彼は傷を治すのを保留した。

 フォルナットにとってリンの襲撃を暴かれることだけは何としても避けねばならなかった。知られてしまえばソルは絶対に彼を赦さないだろう。


「しかし、傷に障るようなことがあれば本当に命に関わるかもしれません」

「分かっている。どうしようもなくなったらその時は医者を頼るさ」


 腕の傷は日常生活を送る上で大きな支障にはならなかった。

 だが、剣を握ることができなくなったのは剣術家として非常に不味かった。フォルナットは稽古や模擬戦に参加することができなくなりソルや派閥の人間から不審を抱かれている。今は身体の不調と言って切り抜けているが、このままでは戦える身ではなくなったと見限られるかもしれなかった。


「とにかく、《鳩の巣》にはあの小娘を一秒でも早く殺すように催促せねばな」


 そう言うとフォルナットは床に叩きつけた帽子をよろよろと拾った。




 レイクはリンを連れてオーリン区からマルタ区へと向かった。

 移動手段は魔導列車だ。魔導機関時代到来と共に普及した交通手段は今では帝都民に欠かせない足となった。

 車外の風景が商業地区の建物の集まりから小さな住居や工房が連なるものへと変化していく。マルタ区は職人の町として有名で、帝都の再開発に未だ呑まれず昔ながらの町並みを保っていた。


 列車を降りた二人は表通りを抜け職人通りと呼ばれる道へと入っていった。狭い道の両端に工房や職人向けの店がずらりと並んでいる。

 レイクは職人通りの途中で曲がり、さらに奥へと進んでいく。

 そして、一軒の店の前で足を止めると後ろからついてきていたリンを振り返り、ここが目的地であることを手で示した。

 リンが店の看板を見上げると《揺蕩い》と書かれている。

 レイクは古ぼけた木製の扉を開き中へと入る。扉に取り付けられたベルが鳴った。


 リンは店内を見渡した。年季の入った本棚とそこに並べられた本。昼間なのにカーテンが閉まっており、隙間から光が差し込むだけの薄暗い部屋。その光がカウンターの前で椅子に深々と沈んでいる女の姿を露わにしていた。


「アマリ、起きてるー?」


 レイクが店主のアマリ・デイビアスに声をかけると、彼女は不機嫌そうな呻き声を挙げて身体を起こした。凝り固まった身体をほぐすように腕を伸ばしたり回したりするのをレイクは親しみある眼差しで見つめていた。

 彼女の特徴として真っ先に挙げられるのは小柄な体躯と浅黒い肌である。帝国本土ではあまり見ないその特徴は彼女が帝国南方の諸島出身であることを明らかにしていた。アマリはくりっとした目でレイクを睨む。整えられていない黒髪には所々に寝癖がついていた。


「おいおい、ここはデートスポットじゃないよ。道楽者ならもっと良い所に女を案内するべきじゃない?」

「そう? ここもなかなか趣があって良い場所だと思うけど」


 レイクが茶化しつつリンの反応を窺おうと振り返った。

 リンはレイクの傍から消えていた。彼女の姿は入口から真っすぐ進んだ場所に立つ本棚の前に移動していた。リンはレイクの言葉も聞こえていない様子で一冊の本を手に取り驚愕の表情を浮かべていた。


 アマリはリンを品定めするように観察した。身なりからして十分金を持っているだろうと判断する。


「本を読むのは好きかい? ここは帝都全土から本が集まるの自慢の店でね。気に入ったやつがあれば是非買っといてくれ」


 リンは手に持っている本の表紙をレイクたちに見えるように掲げた。緑色のカバーに海と舟をモチーフにしたと思われる紋章が描かれていた。


「……これ、先帝時代の魔術師ヘラ・エイデスが執筆した研究書ではないですか? 国立図書館にもない稀覯本ですよ?」

「お目が高い。何、魔術マニア?」

「リン・クレファーの名前くらい知ってるだろ。帝国始まって以来の才媛と名高い御令嬢だ」


 新規客の正体を知ったアマリは素っ頓狂な声を上げた。


「はええ、随分な金持ちに見えたけどまさかクレファー侯爵家かい! 上客になってくれるなら大歓迎だよ!」


 アマリがにやけ面で両手を合わせ営業用の笑みを作った。だが、リンには店主の言葉に反応する余裕はなかった。

 本棚に無造作に収納された稀覯本や奇書の数々。どれも有名な魔術師や武闘家などが執筆した本で市場に出回っていないものばかりだ。世の好事家たちが挙って求める品が何故大量にあるのかリンの理解は追いつかなかった。


「おっと、自己紹介がまだだったね。アマリ・デイビアス、この古書店揺蕩いの店主だよ。よろしくね」


 アマリは椅子にふんぞり返り、小さな身体に精一杯の威厳を醸し出した。


「それで? この前依頼された“奇書”なら取り寄せてるけど……」


 アマリがリンを見やった。その目は彼女に聞かせていい話なのかと問うていた。

 事前に自分の問題とは無関係な話と聞いていたリンは、レイクの邪魔をしないよう気を利かせた。


「時間がかかりそうなら私は他にも面白そうな本がないか探してきますね」


 リンは本棚の迷路へと消えていく。

 ぱたぱたと走り去る音が遠くへ消えていくのをレイクとアマリは感心した様子で聞いていた。


「察しのいい子だね。美人だけじゃなくて頭も良い」

「だろう? 俺もああいう子は初めて会った」


 アマリは後ろの棚からファイルを一冊取り出すと、それをカウンターの上で広げレイクへと差し出した。


「パイネス・フォルナット子爵。年齢は四十五歳。《アナグマ警備》の経営者。社名は父親が率いていた傭兵団のシンボルがアナグマだったことに由来する。そして、第三皇子ソル・レヴィノスの派閥に所属している。こいつの話本当にろくなもんがないよ。父親の方は人格者だったらしいけど息子の方はてんで駄目だって専らの評判だ。どこぞの道楽息子の方がよっぽどマシだよ」

「あっそう。そりゃ良かった」


 レイクは軽い口調とは裏腹に真剣な表情でファイルに目を落としていた。


「性格は短気で異様なほど自尊心が大きい。自分が批判されたり面子を潰されたりするのが大嫌い。ただし、相手が強い立場の人間だった場合は大人しい。学生時代の評判はそんなのばっかりだよ。腕っぷしは強く頭も悪くない。でも一流かと言われるとそうでもなく、二級魔獣を討伐した父親と比べると見劣りするそうだよ。知人にそれを指摘されて激しい口論になったことがあって、その際に暴行を働いているけど不起訴になってる」


 レイクは今朝フォルナットと出会った時のことを思い出した。あの時のフォルナットは感情を抑え込んでいるような様子だった。恐らく何か気に入らない出来事があり癇癪を爆発させそうになったのを我慢していたのだとレイクは考えた。


「フォルナット子爵が暴力沙汰を起こしたのは何件もあるけど、一度として起訴されずに済んでいる。調べてみると繁華街の顔役に知己がいて、そいつが代わりに揉み消してくれてるらしい」

「多分その顔役に護衛として雇われていた顔馴染みの傭兵がいて、そいつに紹介してもらったとかそんなとこだろう?」

「当たり。フォルナット子爵はその顔役の後ろ盾になったことで高級店で融通を利かせてもらえるようになったそうだ。持ちつ持たれつってやつだね。最近は高級料理店に出入りしてる姿も目撃されてるよ」


 レイクの目がある報告書に止まった。それはフォルナットの行動を調査したもので一枚の写真が添付されていた。


「ああ、その写真がそうだよ。一ヶ月くらい前にその料理店に訪れたところを撮ったやつだ」


 レイクは写真を手に取り、低い声で質問した。


「この一緒に写っている男、《鳩の巣》のケレス・グレイズか?」

「なんだ、お前さんの知ってる奴かい?」


 レイクはアマリの問いには答えず写真を睨みつけていた。

 写真の中でフォルナットとグレイズは連れ立って店から出ていた。




 レイクとリンは午後一時過ぎに《揺蕩い》を後にした。


「そろそろ腹も空いてきたことだしお昼にしようか。お薦めの店があるから紹介するよ」


 リンはその提案に従った。二人は再び職人通りへと戻り、そこから通りを来た方向とは反対に真っ直ぐ歩く。リンはマルタ区の地理にはあまり詳しくなく職人通りへ来たのは初めてだった。それを知ったレイクは道すがら職人通りについて解説をすると言い出した。彼曰くここには昔から出入りしているため顔馴染みの者が多いという。


 職人通りの工房で作られる製品は皿、コップ、グラスなど日用品から武器や防具まで一通り揃っている。レイクは家に使っている品もここで購入した物がいくつかあると説明した。

 工房を通り過ぎる度にレイクの姿を見つけた主から声をかけられた。客を紹介してもらって良い稼ぎになったという感謝から最近はうちに来ないといった愚痴まで、レイクは煩わしさを感じることもなく最後まで耳を傾けていた。その在り様はレイキシリス・ブラウエルという人間が単なる道楽者ではなく市井の住民と確かな信頼関係を築いていると知らしめるには十分だった。


 《揺蕩い》から歩き出して三十分ほど経った頃、レイクは目的の店へと辿り着いた。今度は《揺蕩い》と異なり近代様式のカフェであり、白や桃など明るい色で装飾された店内が映えていた。

 店の名は《甘美荘》といった。


 店内へ足を踏み入れると奥にいた黒髪の女性がレイクの顔を見るなり小走りで駆け寄ってきた。

 《甘美荘》の店長であるホタル・ミスミだ。


「レイクさんいらっしゃい! 今日はお連れ様がいるんですね」

「ホタル、いつもの席空いてる?」

「ええ、はい、大丈夫ですよ」


 ホタルは窓際一番奥の席を横目で見ると、レイクに向かって小さく頷いた。


 レイクとリンは席へ案内されメニュー表を開くと料理の注文をした。二人が注文したは共に魚と野菜を挟んだパンと甘い葡萄のジュース、それにデザートの果物の盛り合わせだ。それから二人は運ばれてきた料理を味わった。

 魚は南部で獲れた魚の身を薄く塩で味付けしたものだ。野菜は西部の農業地帯で栽培されたもので、瑞々しい歯ごたえが収穫されて間もないことを表している。

 

「こうして遠方の新鮮な魚や野菜を楽しめるのも魔導機関のお陰だ」


 食後の果物を堪能しているリンを優しく見つめながら、レイクが口にした。


「魔導機関は列車、船、飛行船を急速に発展させ、帝国の西端で獲れた食材が一日もあれば帝都へ辿り着くようになった。それだけでなく冷蔵技術の普及をも促し今ではどこの料理店にも冷蔵庫が見られる。クレファー伯爵家が魔導結晶の発見と採掘手法の確立に成功していなければ今の時代はなかった」


 レイクの言葉には惜しみない尊敬と称賛の意が含まれていた。それは偉大な父を持つリンからすれば喜ばしいことであった。


 しかし、リンは残念そうに首を振った。


「そうですね、父の功績は娘の私からして誇れるものです。私も父のようになりたいと願っていましたが――」

「君は御父君とは違う形で功績を残していると思うけど?」

「父の成し得たことは帝国全土に富と幸福をもたらしました。それは父が強く願い、志を秘めた上で成し遂げたことです。私は違います。私はただ思うがままに力を振るっているだけの人間です。父のように目標を持ってはいないんです」


 父親の忠告を聞いて以来、リンは自分という存在が必ずしも受け入れられているわけではないと考えるようになった。そして、マオの推測を踏まえて己を客観的に評価しようやく答えが固まりつつあった。


 リン・クレファーは確かに偉業を成した。帝国を襲うとする魔獣の脅威から国と民を守った。それは称えられるべき行いである。

 だが、リンにとってそれは誰にも強制されず、それでいながら彼女の中には義務として存在していた在り方だった。

 貴族として生まれたリンは帝国貴族として国に持てる力の全てを捧げることを当然としていた。不満はなかった。貴族として人の上に立ち、国と民を生かすのは彼女の価値観からして善きことだった。そこに彼女自身の理念はない。あるのは“そう在るべき”という規範のみだ。

 その規範に従ってリンは行動する。理想の体現者として彼女は次々に事を成した。だが、誰かに望まれたわけではなくリン・クレファーの意思は見当たらない。


 存在しない理念に寄り添う人間が現れるはずもなく、リンは出口のない迷路をひたすら彷徨い歩いていた。不満を抱いたところで解決する目途はない。

 リン・クレファーは才能しか持たない・・・・・・・・人間なのだ。その才能すら持て余し、英雄という誰でも簡単に識別できる仮面を被っているのが現状だった。


(ですが、レイクさんは違う)


 堕落しているように思える青年は、確かな目的と意思を持ち行動する人間だった。エレニカもアマリもマルタ区の職人たちも彼に信頼と好意を寄せていた。それはリンが寄せられた英雄への信奉ではなく同じ現実を生きる人間に対する感情だった。リンにそのような感情を向けられた記憶はない。

 一体レイクと自分の差は何なのかとリンは疑問に思った。彼はどんな理念を掲げているのだろうか。そんな思考がリンの脳内をぐるぐると駆け巡った。


「リン、聴いてる?」


 リンは思考の海から這い上がった。いつの間にかレイクが怪訝そうな顔をしていた。

 恥ずかしそうに顔を赤らめてリンは咳払いした。


「す、すみません。少し考え事をしていました。それで何でしょうか?」

「あのさ、半年前に君が夜道で複数の人間に襲われた事件があったよね。あれについて訊きたいんだけど」

「……ええ、構いませんよ。丁度一昨日の夜もマオとその話をしたばかりです」


 レイクの表情から興味本位の質問でないと察したリンは居住まいを正した。


「凡そのことは新聞にも掲載されていたと思いますが、ある夜邸へ帰る途中に武装した集団に襲われたんです。顔を隠していましたが恐らく全員男だったと思います。私は魔導剣術で対抗し三人を斬りました。残りは逃走してしまい今も行方は分かっていません」

「連中の正体を知る手掛かりはないの?」

「顔を隠していたせいで声もくぐもっていましたから知っている人物かどうかも……ああ、でも逃げた連中の一人は左腕を怪我しています」

「左腕……」


 レイクの指が何らかの閃きを意味するようにテーブルを叩いた。


「もう一つ質問させてほしい。君とソル殿下の派閥との関係はどうなの?」

「ソル殿下の派閥ですか……私は殿下と昔から一緒に剣を学んできた間柄で良好な関係を築いていますが、派閥に所属する皆様との関係はまちまちですね。殿下に匹敵する私の武芸を認めてくれる方もいればあまり快く思っていない方もいます。どちらかといえば良く思ってくれる方が多いですね。それも師匠の口添えがあったからでしょう」

「君を嫌っている人間がいるのは何故? 何か派閥の中で揉めたのかい?」

「ご存じかと思いますがソル殿下の派閥は武人の集まりです。ですから武芸には自信のある方ばかりなのですが……」

「ああ、君がこてんぱんにしてしまったわけか」


 レイクの頭に一つの光景が浮かんだ。大勢の腕に覚えのある大人たちが地に伏す中でリンが一人佇んでいる。実際にそうであったのかもしれないとレイクは苦笑した。


「それにガレリス殿下に比較的近いクレファー伯爵家の人間がソル殿下に近づくのも良く思われない原因だそうです」

「ああ、そうか。クレファー伯爵家はあの陰険……第一皇子と交流があるんだっけ」


 リンはレイクが何か言いかけたような気がしたが話に集中することにした。


 ソルは武人としての資質がカリスマの源泉である。そんな彼をリンが力で上回るとあれば軽視される原因となりかねない。彼の派閥はそれを恐れていた。リンは自分の悪い噂が御前試合の後から強まったと父親が話していたのを思い出した。恐らく噂の出所は第三皇子派だろう。そう考えると気が滅入った。


「で、そうやって君を嫌う連中の中にパイネス・フォルナット子爵もいる」


 リンはレイクの表情を目にしてはっとした。彼の顔は静かな怒り、あるいは嫌悪感を湛えていた。


「プライドが高く嫉妬心が強くその上怒りやすい。そのせいで同じ派閥のメンバーからも嫌われている。過去に癇癪を起して暴行事件や傷害事件を起こしその度に揉み消している。これはアマリに調べてもらったことだ」

「……レイクさんはフォルナット子爵を探っていたんですか?」

「朝も言ったけどそっちは別件だったんだ。アマリの調査待ちで今日その結果を受け取りに店に行ったわけだけど……これが思ってもいない形で繋がった」

「繋がった……?」

「フォルナット子爵は一ヶ月前に《鳩の巣》へ行っている」


 リンがその言葉の意味を理解するのに少しの時間を要した。情報の整理は簡単にできたが、予想していない方向から飛び出してきた事実に困惑したからだ。


「《鳩の巣》へ……フォルナット子爵が?」

「その《鳩の巣》が抱えている暗殺者と思われるダールが君の元へ現れた。これが何を意味するのか分かるだろう? 君の殺害を依頼したのはフォルナット子爵だ」


 レイクは力強く断言した。

 リンは無意識に唾を飲み込んでいた。


「ですが……変ではありませんか? フォルナット子爵は癇癪持ちで度々暴力沙汰を起こしているのでしょう? ならば暗殺者を雇わずも自らの手で何とかしようと考えるのでは……」

「半年前の事件で逃げ延びた連中の一人が左腕に傷を負ったんだろう? フォルナット子爵は最近稽古に参加しなくなったと言っていたね。体調を崩したと言っていたらしいけどそうじゃなかったとしたら? 魔導剣術は剣に魔術の効果を上乗せする性質上、通常の治癒魔術では治りにくい。完治させるなら専門の医療魔術師に診てもらうべきだけど後ろ暗い奴は頼りにくいだろう?」

「まさか……フォルナット子爵があの一味の中にいたというんですか?」

「そうだ。君を殺すことを計画して半年前に実行に移したが失敗。しかも腕に傷を負って治療することもできない。そこで今度は《鳩の巣》に依頼した」


 レイクは住宅街で出会った時のフォルナットの様子を思い出した。怒りを堪えるような表情。あれは他でもない怒りの根本が目の前に立っていて、あまつさえ自分を労わるような言動をしてみせたからだ。プライドの高いフォルナットはこれ以上ないほど侮辱と受け止めたに違いない。


「偶然とは恐ろしいものだ。まさか追っていた二つの案件が繋がっていたとはね。おまけに君が襲われた現場にも出くわした。これは幸運と解釈するべきかな?」


 レイクは懐から手帳とペンを取り出しさらさらと何かを書き込むと、ホタルを呼んだ。


「何でしょうか?」

「これ頼める? 急ぎなんだけど」


 ホタルはレイクからメモを受け取ると目を通した。


「大丈夫ですよ。今から向かいましょう」

「じゃあお願い。俺たちは店を出るから」


 そう言ってレイクは意味深な笑みを見せた。

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