神様のサイコロ
円 一
神様のサイコロ
――神はサイコロを振らない。
と、かのアインシュタインは言った。
量子力学の不確定性原理に対する有名な反論である。
しかし、20世紀最大の物理学者であるアインシュタインも、こればかりは誤りであったことが、後の量子力学の発展によって証明された。
神はサイコロを振る。
「量子」と呼ばれる物質を構成する最小単位の粒子は――我々の常識に反することながら――確率的にしか存在することができない。
観測されるまで、その状態は「重ね合わせた状態」にあるのだ。
私が神様のサイコロを手に入れたのは、あるいは人知を超える存在がふと起こした気まぐれの賜物だったのだろうか。
ともかく不幸な人生続きだった私の前に神は現われ、私に掌サイズの正立方体の箱をお与えになられた。
それは不思議な箱で、どの面も真白く、図柄の区別はない。持つとずっしりと重く、手の中で転がすとカラカラと音が鳴った。
神は言った。
「それは神のサイコロである」
と。
この世界はあらゆる平行世界が重ね合わされた状態で存在している。神は都度サイコロを振ることによって、我々の生きる世界線を決定することができるのだという。
つまり、神様のサイコロを手中にすることは、あらゆる平行世界から望ましい世界線を選択することができるようになることを意味する。
それからの私の人生は、幸運が鈴なりになって押し寄せるようになった。
それも当然だ。もしも失敗や不幸があれば、神様のサイコロを振れば、そんな不慮の事態が生起しなかったもう一つの世界線でやり直すことができる。
その不思議なサイコロは、不幸だった私の人生に舞い降りた、まさしく神の恩寵だったのだ。
ところが成功が約束されると、人間とは贅沢なもので、どこか人生の張り合いがなくなってくる。
そんな時、私の中にふとひとつの疑問が生じた。
神様のサイコロは、どうやってできているのだろうか――?
振ると音が鳴るということは、中は空洞になっていて中身が入っているに違いない。もし、その正体を暴き、原理を突き止めることができたなら、私は神にも等しい存在にもなれるのではないだろうか。
人は、それを不遜な考えと呼ぶだろう。
しかし、ひとたび動き始めた好奇心は、誰にも止めることなどできはしない。
私は箱の上面を指でつまむと力を入れ、蓋を外すようにして無理やり剥がすと、中をのぞきこんだ。
その瞬間、私は私と目が合った。
箱の中に入っていたのは、なんと私だった。
箱の中の私は、驚いた顔で私を見上げている。その視線につられて、私も思わず空を見上げる
すると、そこには箱の中をのぞく私がいて、その私も同じように驚きの表情で空を仰ぎ、そこにもやはり私がいて、その私もまた――……
〇
今、私は真暗な部屋にいる。
時々、部屋全体が大きく揺れ、天地が激しく反転するのは、きっと外の私がサイコロを転がすからだろう。
やはり、あれは恩寵ではなく、哀れな人間をからかう神のきまぐれだった。
神のサイコロは、同時に神の箱庭でもあったのだ。
私は暗闇の牢獄に幽閉され、もはや自分が生きているのか死んでいるのかも定かではない。
そんな時、ふと量子論における、とある有名な思考実験を思い出す。
もしも私の今の状態が、あの思考実験の猫のように重ね合わされた状態にあるのだとしたら――
いつか観測者として外の私が、この部屋の天井を開いた時、私の状態は確定されることとなる。
私が箱を開いた時は、確かに私が生きているのを、私は観測することができた。だが次に箱が開いた時はどうなるかは、きっと神にもわからないことだろう。
永遠の繰り返しか、それとも死か。
私に下された罰として、より怖ろしいのはどちらだろう。
どうやらそれは、実際にその瞬間が訪れるまで、今の私には確定できそうもない問題である。
神様のサイコロ 円 一 @madokaichi
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