伝えられれば

山田維澄

高校生編 第2章抜粋

「その作品、好きなの?」

 屈んで本の整頓をしていたところに声をかけられた。図書室内だというのに周りを気にかけていそうもない声量だった。私は整頓していた数年前にアニメ化した小説から手を離した。立ち上がりながら、念のためさっと周囲を見回した。どうやら私しかいないようだった。

「それ、私に聞いてます?」

 質問に質問で返すのは恐縮だったが、見ず知らずの男子生徒にいきなり声をかけられれば誰だって同じ反応を示すだろう。

 私の問いに男子生徒は気にした風もなく、

「俺は幽霊に話かける趣味はないよ。キミに聞いたんだ、後輩」

と冗談なのかよくわからないことを言った。言われて私は男子生徒の足元を見た。彼の冗談を受けて彼が幽霊なのかを確認したわけではない。多少その可能性はあるかもしれないと思ってはいたが、上履きの色を確認したかっただけだ。足がないとされている幽霊には履けない上履きの色を。

 果たして、彼の学年は3年。私の一つ上だった。

 ちなみにその後に聞いた話によると、彼は幽霊を信じてはいないらしい。


 その日から、私と先輩は図書室で話をするようになった。先輩はアニメが好きだそうで、いろいろな作品の話をした。もちろん周りに気を遣った声量で。めったにないが、人が多ければただ一緒に本を読むだけのこともあった。お互いにオススメのアニメを紹介して感想会をした。たまにこっそり漫画やラノベの貸し借りもした。

 お互いに名前を聞かないから、いつまで経っても先輩後輩呼びだった。当然クラスも知らない。どちらかが来ないようになればすぐに会えなくなってしまっただろう。だからというわけではないけれど、私はほぼ毎日図書室に足を運んだ。無粋な事を言うと、私はもともとほぼ毎日のように図書室に来ていた。ただその目的が、先輩と知り合ってからなんとなく変わった気がした。

 先輩もほぼ毎日図書室にいた。

 先輩はいつも楽しそうにしていた。

 しばらくするとお互いの好みがなんとなくわかってきた。私は恋愛ものや少女漫画をよく好み、先輩はバトルものや少年漫画を好む。だから、先輩から恋愛ものをオススメされて、珍しいと感じた。てっきり、先輩はバトルものしか見ないのかと思っていた。私の趣味に合わせてくれたのか。なんてそんな話をしていたら、そのアニメの告白のセリフを言われた。一瞬理解が遅れたが、つまりはそういうことらしい。先輩らしくて、私たちらしくて笑ってしまった。

 私はその日、やっと先輩の名前を知ることができた。


 それからも、変わらず毎日図書室で話をした。たまに放課後に寄り道をしたり、休日に遊びに出かけたりするようになった。髪を伸ばした。言葉遣いに気を付けるようになった。少年漫画が好きになった。

 私たちはアニメで繋がっていた。

 私たちはアニメで繋げられていた。

 だから、ダメだった。


 先輩が本格的に受験勉強に入ってからは図書室に来る回数が減った。忙しいのか、アニメの話をする回数も減った。あんなにいつも楽しそうにしていたのに、浮かない顔をすることが増えた。

 連絡先は知っているから、話したければいつでも話せる。クラスも家も知っているから、会いたければいつでも会いに行ける。でも、私にはそれができなかった。

 先輩が図書室に来ても何を話せばいいのかわからなかった。気の利いたことも言うことができなかった。精一杯考えて「無理して来なくてもいいですよ」とそれだけを伝えた。

「そっか」

 先輩は困ったように笑った。たったそれだけのことなのに。

 そこから、崩れていった。

 今思えば、それさえ言わなければ今でも先輩の隣にいられたかもしれない。

 次の日から先輩は図書室に来なくなった。来ないだろうとわかっていても私は変わらず図書室に通った。本当はたまにでも来てくれるのではないかと期待していたのかもしれない。あんな言い方しかできなかったことにほんの少しの後悔を抱きながら、私は開かれることのないドアを気にかけていた。


 受験がひと段落してからは先輩はもとのように図書室に来てくれるようになった。ただ、困ったように笑うことが増えた気がした。受験はどうだったのか、今後はどうするのか、なんてことは一度も話題に上らなかった。何かをごまかすように私たちは日々を過ごしていた。

 そして、何もないまま卒業式を迎えた。いつか来ると思っていた日が、その日にやってきた。

「ごめん、俺たち別れよう」

 卒業式が終わってから先輩に呼び出され、そう告げられた。呼び出された時点でなんとなくわかってはいた。自然消滅という形で終わらせようとしないのが先輩なりの誠実さだということもわかった。

「俺、遠距離とか自信ないんだ。勝手でごめん」

 先輩が家を出るということすら、私はそこで初めて知った。「自信がない」と言いつつも先輩が遠距離恋愛に憧れると言っていたのを私は覚えていた。

言いたいことはたくさんあった。なのに

がそれでいいなら、私もそれでいいですよ」

なんて、そんな可愛くないことしか言えなかった。きっと困った顔をさせてしまったから、私は先輩の顔を見ることができなかった。

「つき合わせちゃってごめんな、

 今までで一番優しい声で先輩はそう言った。そのせいで、私はまた言葉を飲み込んだ。

「いえ、卒業おめでとうございます。先輩」

 なんとか言えたのはたったそれだけだった。


 先輩との話が終わってもなんとなく帰る気になれず、私は座って空を眺めていた。雲一つないくせにぼやけた空を、睨むように眺めた。

 私は先輩に好きだと伝えたことがあっただろうか。ふと思い、メールを一から見返してみた。量はそれほど多くなく、ものの数分で見返せてしまった。直接会って話をすることの方が多かったから仕方がないのかもしれない。

 結局、先輩に向けた「好き」の言葉を見つけることはできなかった。アニメやキャラには好きと言っていたのに。

 そういえば、いつかに先輩が言っていた。私はアニメのことだと素直だと。好きも楽しいも面白いも、アニメのことなら素直に口にする。それは裏を返せばアニメ以外のことには素直ではないということだ。

 たしかにそうだったかもしれない。

 先輩の好きなキャラはいつも大人っぽいキャラだったから、髪を伸ばした。言葉遣いにも、笑い方にも気を遣った。少しでも先輩の好みに合うように。先輩が少年漫画が好きだったから、私も少年漫画を好きになった。少しでも先輩と話したくて。先輩と話すのが好きだった。先輩の話を聞くのが好きだった。

 でも、それを先輩に伝えたことはなかった。それを言えていたなら、少しは違っていたのだろうか。

 さっきも本当は「つき合わせただなんてとんでもない」や「私は先輩と一緒にいられて楽しかった」なんて言いたかった。口にしたら薄っぺらく感じそうで、嘘のように感じてしまいそうだったから、私はいつも言葉を飲み込んでいた。いつも伝えられずにいた。

 私は風になびく髪を押さえつけた。

「好き、でしたよ。先輩」

 どうせ終わらせるなら、最後もアニメのセリフで終わらせてくれればよかったのに。


 先輩と別れてから、私は自分の感情を伝えるようにした。嬉しいも楽しいも、疲れたなんかも。素直に口にしているのに、冗談ととらえられることもあるけれど。

 年度が変わり3年生になってからも、私は変わらず図書室に通っている。もう先輩が来ることのなくなったこの場所で、私は今も日々を過ごしている。感傷に浸っているわけではない。先輩との思い出が詰まったこの場所でも、先輩のことはたまにしか思い出さない。

 薄情なやつだと自分でも思う。

 自嘲気味に笑いながら、静かな図書室で私は新しい本のページをめくった。

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