平凡な男の非凡な体験

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平凡な男の非凡な体験

私は目を覚ます。しかし周りの景色を認識する事は叶わなかった。いや、認識する為の器官が欠落しているとでも言うべきだろうか。目の前には仄暗い闇が広がっている。


私は『大量の何か』に埋もれているような心地がした。その『大量の何か』が私に当たると痛覚を感じるが、それは些細なものである。


私は現実と夢の狭間にいるような感覚だった。体は思うように動かず、依然目の前に広がるのは仄暗い闇だ。しかし、思考だけが正常に働いている。


私は自らの記憶を辿っていた。何故このような状況に陥っているのか整理する為だった。



 


「お前は勘当だ。この家の敷居を跨ぐ事を許さん」


私の父は酷く冷淡な声でそう言った。これは昨日の夕食後の父との会話だった。


私には兄が二人と弟が一人おり、彼らは恐ろしく優秀だった。長男は若くして官僚となり、次男は個人病院を開業した。


弟である四男は私と同じ私立中高一貫校に所属しているのだが、まだ中等部なのにも関わらず東大模試でA判定を叩き出した神童だ。


私はそんな兄弟に囲まれていながら他より秀でた才能も無く、なんとか追い付く為に努力を重ねてきたが所詮は凡人の努力、兄弟達に追い付くどころかその差は広がっていく一方だった。


そんな私を父は邪険に扱っていた。母は私を憐れんで優しくしてくれたが、三年前病気で他界した。


母の死が父の抑制していた、私をこの家から排斥せんとする気持ちに拍車がかかったのだろう。


そして母が私によく構っていた事も相まって、父が私に向ける嫉妬心や恨みは、自分の息子に向けるものとは思えない程苛烈で執念深いものだった。


だから勘当など時間の問題だった。私は父の勘当宣言を食い下がる事無く了承し、素早く荷物をまとめ、父と弟の罵声を浴びながら家を出た。


生活能力の無い学生がこれからどう生きていけば良いか頭を悩ませたが、兄弟達と違って平凡な私の脳味噌では一つの打開策も思い浮かばない。


兄弟達に追いつこう、父に見放されないようにと必死に勉強してきた私には友人の一人も居なかった。そのため文字通り一人で生きていく他無かった。


これからの生活を案じて、出てきそうなため息を飲み込み、私は瞼を閉じた――――――




 

昨日はどこで一夜を明かしたかさえ覚えていない。もしかしたらあれからかなりの月日が経っているかもしれない。


そう考えていると仄暗い闇に光が差し込んだような気がした。その光に私は歓喜したのも束の間、『巨大な何か』によってその光は遮られ、また仄暗い闇に包み込まれる。


そしてその『巨大な何か』は私の方に近づいて来たかと思えば、私と私を取り囲む『大量の何か』をかき混ぜるように旋回し始めた。


やがてその旋回が終わると、『巨大な何か』によって『大量の何か』から一つが選び取られ、上空へと連れ去られた。


私もいつかあの『巨大な何か』によって、連れ去られてしまうのではないかという恐怖に駆られたが次の瞬間―――


カランカランカランッ


軽快な鐘の音が響き渡った。それと同時に騒々しい祝福の声や歓喜の声が聞こえてきた。


それを聞いた私は『巨大な何か』に連れ去られる事を強く望んだ。連れ去れさられた先に、明るい未来が確約されている事に歓喜したからだ。


私は今か今かとあの『巨大な何か』の到来を待ち望んでいた。私の中であの得体もしれない恐怖の対象であった『巨大な何か』が、明るい未来への渇望によって一縷の望みへと変貌した。


それはひとえに兄弟への劣等感、父への恐怖、母への罪悪感に押し潰され、抜け出す事の出来ない絶望に溺れる生活を経験していたからだ。明るい未来への渇望は並一通りではない。


私は暖かな温もりをこの身に感じ、誰かに怯える事も無く、多大なる幸福が絶え間無く降り注ぐような明るい未来を想像していた。


すると刹那光が差し込んだかと思えば、すぐに闇に覆われる。あの『巨大な何か』がやって来たようだ。


幸甚。この時を待ち望んでいた。さぁ私を新たな世界へ連れ出しておくれ。


『巨大な何か』はやはり私と『大量の何か』をかき混ぜるように旋回し始めた。そしてその動きはピタリと止まり、どれを選び取ろうかと吟味している。


私の元へ。私の元へ来い。私は『巨大な何か』がこちらに来るのを強く望んでいた。そして私以外が『巨大な何か』に連れ去られでもしたら嫉妬心で胸が張り裂けそうだ。


『巨大な何か』はおもむろに私の元へ近づいてきた。


この上ない幸せ。『巨大な何か』と非力で矮小な私。傍から見たら捕食者と被食者の関係だが、私は『巨大な何か』が釣竿にかかった獲物にしか思えない。


一直線にこちらに向かってくる様は運命すら感じた。


私は『巨大な何か』に掴まれた。それに身を任せ、連れ去られるのを今か今かと待ち望んでいた。


もうすぐで私に幸せが訪れる。そう安堵していると、私以外もいくつか『巨大な何か』に掴まれているに気づいた。そしてそれが一つまた一つと落とされ、『大量の何か』の中に埋もれていく。


私は次は自分の番ではないかと戦慄した。さらに運命とは私に向けられたものではなく、私以外に向けられたものではないかという不安にも襲われた。


しかしその不安はすぐに晴れる。私以外の奴が全て『巨大な何か』に落とされた。


やった!私はやはり選ばれし者だ。落とされた奴は所詮私には劣る存在なのだ。


運命は私に味方し、他の者になんか見向きもしないのだ。私こそ幸せを享受する権利があるのだ。いや義務だ。私は幸せにならなければいけない。私を差し置いて他の者が幸せになる事はあってはならない。


優越感に浸りながら『巨大な何か』に身を任せていると眩い光を感じた。


さぁ来い。軽快な鐘の音と騒々しい程の祝福と歓喜の声よ!




 

「残念でした〜ハズレです。こちらポケットティッシュです」

 

「えー〜」

 

「ほらやっぱりこんなの当たる訳ないだろ」

 

「だってさっきの人当たってたから!」


私が聞こえて来たのは店員と親子の会話だった。そこに歓喜の色は無く、申し訳なさそうな店員と残念がる親子の様子だけが広がっていた。


「これどうする?」


だろ?捨てるよ」


先程まで私の唯一の希望だった『巨大な何か』―――改め『人間の手』は、私をぐしゃりと潰しゴミ箱の中に捨てた。






 

――――男は悟った。自分は所詮ハズレくじだったと。ポケットティッシュと交換される平凡、いや平凡未満の人間だったのだと。


男は家の中では父親、兄弟に罵られ、勘当され家の外に出ても行くあては無い。


家という箱は彼を囲み、護るものでは無く、ただの仕切りでしか無かった。だから彼は新たな箱を欲した。


そしてその願いは叶えられた。


新たな箱―――抽選箱の中は快適という程ではなかったが、男に対してとやかく言う者はいない、いや『大量の何か』―――改め『大量のくじ』は、構造的に言う事は出来ないのだが。


しかしそれは仮初の平穏でしか無かった。外の世界に怯える生活を余儀なくされたからだ。何故怯えるのか?


それは彼がハズレくじだから。


持って生まれたものは変えられない。自分を取り囲む箱にこもったとしても、自分が変わる訳ではない。運命には抗えない。


でも安心して欲しい。世の中のほとんどがハズレくじで、当たりくじは稀有な存在なのだ。


男の居た箱はたまたま当たりくじが多かっただけの事。


ポケットティッシュだって状況によって重宝されるものだ。


箱に惑わされず自分だけの道を行って欲しい。ハズレくじとして捨てられた男もそう願っている事だろう。

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