先輩は天使になりました。

茜あゆむ

第1話

ちっぽけな世界なのに

どうして 期待に胸が膨らむの?

はてしない世界なのに

どうして 何にも期待が持てないの?


『もどかしい世界の上で』より引用――


+++


 私から見ても、先輩と××君はお似合いだったと思います。よく先輩が××君をからかっていましたけど、それもじゃれ合っているというか……先輩なりの甘え方だったのかなって、今なら思います。

 先輩ですか? 私からの印象だと、いつも飄々としていて、感じが掴みづらい人でした。笑い上戸、っていうですか? 些細なことでもよく笑う人だったんですけど……思い返してみると、本当には笑っていなかったんじゃないかな。

 えっと、説明しづらいんですけど、どこか笑い方が作り物めいているというか、楽しそうなんだけど、その裏に別の感情が見えるときがある、みたいな? とにかく近寄りがたい雰囲気のある人でした。学内でも美人で有名だったし、人当たりもいいんですけど、周囲にいる人はいつも入れ替わってましたね。

 そうです、××君だけ。いつも一緒にいる訳じゃないんですけど、気付けば、楽しそうに話しているというか、先輩の方からふらふらと××君に近寄っていってるイメージですね。

 あっ、そっか。そうですね、先輩から話しかけに行くのって、××君だけだったかもしれないです。××君は迷惑そうにしてましたけど。

 私なんかもそうなんですけど、先輩が輪に加わってくると何だか気後れしちゃって、××君にたいして、どことなくよそよそしくなっちゃうんですよね。××君の友達も先輩に遠慮する感じがありました。それが、××君には悩みだったんじゃないかなあ。

 いや、それで二人の仲が険悪になるとかはなくて。遠くから見ている分には、二人は本当に仲が良さそうでしたよ。

 ああ、それで思い出しました。私も一度だけ、先輩に話しかけられたことがあったんです。たしか、××君に講義のノートを借りたときだったかな。やり取りしてるところを先輩に見られてたみたいで、××君からノートを借りたすぐ後に、

「私の××がお世話になってるみたいだね。迷惑をかけていないかな」

 って。あ、これ勘違いされてるな、と思ったんで、私もノート借りただけです、なんて答えたんですけど、

「いやいや、彼があなたみたいな綺麗な人に頼りにされて、のぼせてないといいけど」

 とか、

「あなたも勘違いさせるようなことはよくないよ? 彼、すぐにその気になってしまうから」

 ということをまくしたてていて、思えば、前兆はちゃんとあったんですね。


+++


 あー、はい。たしかに××とは付き合ってました。ていっても、三か月くらい? もっと短いかも……。そうです、××の先輩。あの人が原因で別れました。理由ははっきり聞かなかったけど、多分そうだと思います。つきまとい? まあ、あったんじゃないですか?

 私はあの人のこと、嫌いでした。だって、彼女持ちの男の子にちょっかい出してる人がまともなわけないでしょ。付き合ってるときでも、普通に××の部屋に泊まるとかあったみたいですよ。いや、直接見たわけじゃなくて、そういう雰囲気が××の部屋からする、とかそういう話。

 でも、××の服のセンスとか、良くなった時期があったんだよなぁ……。

 付き合いたての時期って、そういうものだと思うんですけど、プレゼントとか、こまめなやり取りとかあるじゃないですか。で、知り合ってすぐだから、お互いの好きなものとかセンスが噛み合わないってことも、あるあるなんですけど……。

 ××のくれるもの、外れなかったんです。いや、分かってます。あの人が手助けしてたんだって。でも、あの頃はそうじゃなくて、××が自分で選んでくれたものだと思ってたから。はあ……さいあく。

 何度か、顔も合わせてるんです。覚えてますよ、一番はじめにかけられた言葉。

「わぁ、あなたが××の恋人!? もったいないくらいの美人じゃないか。いや、本当に××にはもったいない。ねえ、もし××に飽きたら、私のところに来てよ。私の恋人にしてあげるから」

 嫌味にしか聞こえなかったですね。あの人、私に対して遠慮もなかったし。

 二人で夜中に海に行ったって、あの人から聞かされました。あの人の運転する、あの人の車で。楽しかったでしょうね、人の彼氏を奪ってやったって、その彼女に話すのは。

 けど、××も断らなかった。彼のそういうところに、うんざりしてたのかもしんないですね。だから、別れようって言われて、正直ほっとしました。あっ、そっちからフッてくれるんだ、って。秒でOKしました。

 でも、そのすぐ後でしたね。あの日の前日に、メールが来てました。いや、迷惑メールに入れてすぐ消しちゃったから、内容は見てないですけど。

 助けて、って内容だったら、悪いことしちゃったな……。


+++


 先輩? あー、あの子、そんな風に呼ばせてたんだ。まあ、先輩なのは間違いないか。あの子、留年してるんですよ。だから、その……そう、××さん?、とは同学年じゃないかな。

 うん、話はよく聞いてました。あの子が一方的に話すだけで、私は聞き流してるんで。内容は覚えてないですけど。そういえば、一回だけ、盗聴器の仕掛け方聞かれました。私が知ってるわけないのに!

 あはははは…………はあ、あー、ごめんなさい。何の話でしたっけ?

 ――はいはい、あの事件ね。私は部外者なんで、二人が幸せならそれでいいんじゃないですか? というか、ほかに言いようがないでしょ。ま、あの子の幸せそうな顔が目に浮かぶようで、相手の子は災難だったな、とは思います。

 昔からですよ。あの子が、他人に何かをやらせるのが上手いのは。何せ、あの顔でしょ。断れる男なんて皆無。いや、男に限らないか。女の子も、あの子に騙されて、あの子の味方をやってましたよ。正義の味方。

 私は違うのかって? そりゃあの子が嫌いだったからね。大丈夫。決まってるでしょ。あの子のこと、好きになった人たち、あの子にもっといい子になってもらいたいって、無駄な空回りして、自滅していきましたよ。

 ××さんは違ったの? 私、事件の結末を聞いてないんだよね。

 それでさ、結局どっちが死んだの?


+++


 この世界が箱庭なら、私が勝手にいじってもいいと思わない?

 病院から抜け出してきた彼女は、正気としか言いようのない瞳をしていた。

 私たち二人で、世界を変えちゃおうか。

 右手に持ったナイフ一本で、彼女は世界を変えられる。

 ほら、握って。

 彼女の生温かい手と、彼女の熱の移ったナイフの柄が、同時に手のひらの中におさまってしまう。

 私のこと、好きかな?

 頷いても、好きだよと言葉にしても、彼女は驚かない。

 知ってる。

 だったら、何を確かめたというのだろう。

 私は全部知っているんだ。

 全部知っているということを確かめたなら、次は……。

 私には何だって出来るんだよ?


+++


 ××君は、元気にしているの?

 はは……、私からの手紙は届いているのかも分からなくてね。今でも、ときどきあの日のことを思い出すんだ。……夢に見る、とても幸せで、眠りから目覚めるといつも涙が流れる夢。ね、あなたから彼に伝えてよ。

 私は君がとっても恋しいよ、って。

 君の手の感触も、髪の匂いも。

 ああ、でもこれじゃあ、私だって分からないかもしれないな。私だけが知っている彼のこと、か……。

 あの日の君の泣き叫ぶ声。ごめんなさい、とか。ゆるしてください、とか。それから、すきです、すきです、って何度も繰り返し、私に愛を伝えてくれたこと。今も、頭の中に響いてる。やめてください、と君が言っても、私はやめなかったね。君はとってもかわいかった。私の手のひらの中に君の小さな頭がすっぽりとおさまって、夢中でキスをしたときの、君の息遣いは、愛の囁きみたいに聞こえたんだ。

 それと……ん? ああ、ごめんね、すっかり夢中になってしまって。

 あのときの罪の傷跡は、しっかり私の身体に刻まれているよ。もうじきに産まれてくる。

 だから、どうしても彼に伝えてほしいんだ。

 を迎えに来て、

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先輩は天使になりました。 茜あゆむ @madderred

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