憂慮する私と彼女

@zawa-ryu

第1話

 箱の裏を見た私、中井春奈は愕然とした。


 ―愕然― 難しい言葉だ。

 自慢じゃないが、我が校における最多赤点記録保持者の私がなぜそんな小難しい言葉を知っているかというと、それは最近出来た友人のおかげに他ならない。

 読書家であり、自ら執筆活動も行っている彼女、西山真由が勧めてくれる小説を読むようになって、今まで小説はおろか「本」というモノを殆ど読んでこなかった私の脳みそに、難しい語句が次々とインプットされるようになった。

 読み方も意味も、分からなければ真由が「それはね…」と教えてくれる。

 じゃあ書いてみろと言われたら、そのレベルまではまだ達していないが、今まで「脳筋」だの、「ステータスを体力に全振りした女」等々、散々言われてきた私が、このままいけば「インテリアスリート」と呼ばれる日もそう遠くはない。

…と思う。


 あれ、なんの話だっけ?違う違うっ。そんなこと考えてる場合じゃない。

 私の目の前にある白い小さな正方形の紙箱。

 中身は今しがた私が美味しく頂いた手作りのカップケーキ。

 そう、これは後輩からのプレゼント。


 自分が人気者だなんて思ったことは今まで一度も無い。

 神に誓って一度も。

 だけど、私はたびたび後輩からプレゼントをもらうことがあった。

 部活を終わるのを待ってくれていたり、今日みたいに私の机にそっと紙袋を置いてくれている子。熱烈な後輩なんかは、私へのアツい想いを手紙にしたためてくれることもあった。


 それがまさかこんな事になるなんて、私は自分でも気づかないうちに調子に乗っていたんだろうな。


 今からほんの15分前、私は部活を終えるといつも通り鞄を取りに教室に向かった。

 17時過ぎのガランとした誰もいない廊下。西日だけが私の鼻歌を聞いていた。


 ガラガラガラッ

 何の気なしに教室の扉を開けた。そう、いつも通りに。

 その時、誰かが前の扉から駆け出して行った。

 「?」

 その時私は一瞬何事かとは思ったが、特に気にもしていなかった。

 そして自分の席に置かれた、可愛い手提げ袋に入れられた小さな白い箱を見つけた。

 あら、誰かがまた。プレゼントを置いてくれてる。

 ありがとう!遠慮なくいただきます!

 そう、私はてっきり誰かが私にくれたプレゼントなんだと思い込んでしまった。


 控えめに言ってカップケーキはむちゃくちゃ美味しかった。

 手作りであれだけ美味しく作れたら大したもんだ。

 むちゃくちゃ美味しかったがゆえに、私はぺろりと二口で平らげてしまった。

 平らげたあと、カップケーキが入っていた箱の裏に、二つ折にされたメモ用紙がセロハンテープで張り付けられているのに気がついた。


 そして、そのメモ用紙には、

 真由ちゃん先輩へ♡と書かれていた…。


 ガッター-ン

「痛ったあい!」

 私は、そのまま椅子ごと後ろに倒れこんだ。


「どうしよ、どうしよ、どうしよ!」

 ああっ!何度も言うけど、私は自分がモテるなんて思っていない。

 それだけは信じて!

 だけど、真由宛のプレゼントをてっきり自分宛だと思って食べてしまったことについては、申し開きもできない。

 いや、ここが法廷で裁判長が被告人である私に、何か反論は?と言い訳の機会を与えてもらえるんだったら、私はこう答える。


「だって私の机に置いてあったんだもん!」


 だけど、私が真由宛のプレゼントを勝手に食べてしまったことに変わりはない。

何がインテリよ、あーっ私のバカ!バカバカバカ!やっぱり私は底なしのバカだ。


 どうしよう?

 誰だか知らない後輩ちゃんは、せっかく真由のために心を込めてカップケーキを作って、きっと喜んでもらえると思っていただろうに。

 私は何てことをしてしまったんだろう。


 しばらくの間、私はその箱を見てじっと固まっていた。

 3月になって、日が落ちるのが遅くなっていたのはせめてもの救いだった。

 もし、暖かい夕焼けが夜に飲み込まれていたら、私もそのまま自分の罪の重さと一緒に夜の闇に沈んでいっただろう。


「謝ろう」

 それしかない、うん。それしかないよね。

 誰かはわからない後輩、それと真由にも。

 どこの誰かも知らない後輩ちゃん。私は見つけ出してみせる。

 どうやって?

 ひとりひとり1年生のクラスを回って聞く?

 わからない。

 方法なんてわからないけど、自分が間違えたんなら、謝ろう。


 許してなんてもらえないし、きっと彼女は傷つくだろう。

 でも、それは私の責任だ。


「あなたに傷をつけたのは私です。だから、もし、あなたの傷が痛んだとしても、傷が痛むのは私のせい。あなたは少しも悪くない」


 そう伝えないと、私が私じゃなくなる。

 私は鞄を掴んで走り出した。


「春奈は走った。なに、まだ日は沈まぬ」

 なんて、馬鹿なことでも考えながら走らないと、自分を保っておけない。

 とりあえず校門をダッシュで駆け抜けた私は、夕日に向かって走る。

 だって、どこに向かって走っていいのかすら分かってないんだもん。


 しばらく無心で走っているうちに、いつの間にか真由ん家の近所まで来た。

 少しペースを落として、弾んだ呼吸を整える。

 さあ、どうしよう?

 とりあえず真由に会ってみる?

 いや、今真由に会ったって余計ややこしくなるだけか。

 あーっもうどうしたらいい?

 私バカだからわかんないよ。


 しかし、神はそんな私を見捨てはしなかった。

「おおっとぅ」

 夕闇迫る公園にいるのは、真由じゃないかっ!

 そして、真由の横に、立ったまま涙を拭う、一人の女子生徒の姿が見えた。


 その光景を見て、私は全てを悟った。

 いくら私が脳筋だろうと、そこまで野暮じゃない。

 きっと、今、真由のそばにいる彼女。

 彼女こそが、プレゼントの渡し主なのだろう。


 彼女は、人知れず夕暮れの教室に勇気を振り絞って、真由の席にプレゼントを置きに来たのだ。

 しかしそこに予期せぬ闖入者が現れた。

 そう、私だ。


 彼女は驚きのあまり教卓前の扉の席、つまり私の席にプレゼントを置いて逃げるように去っていってしまった。

 ああ、可愛そうに。

 私さえ入ってこなければ…。

 

 彼女は届かないプレゼントを憂いて、堪りかねて真由の家にたどり着いた。

そして、自分の思いを今、真由に告白したのだ。


 ああ、そんな場面に出てくる私ッ!

 まさに野暮天!

 何から何まで私ってヤツはっ!


「春奈…」

 真由の憂いを帯びた目が私を見つめる。

 後輩の彼女は俯いたまま、黙って目を伏せている。

 わかってる。みなまで言うな。

 私は彼女たちの方に歩み寄ると、すっと膝をつき、まっすぐ二人を見つめた。


「誠に、誠に申し訳ございませんでしたぁっ!」


 私は腹の底から声を出した。

 たぁったぁったぁっ…

 夕暮れの住宅街に私の声がエコーとなって響きわたる。


「春奈、何を…」

「真由、ゴメン!そして、隣の彼女!ごめんなさい!

「いや、春菜…。突然現れて、何言ってるの…?」

「真由、これはケジメなんだ。わかってもらえないかも知れないけど」

「うん、ごめん…。本当にわかんない…、あのね、この子は…」


 その時、黙って俯いていた彼女が真由の言葉を遮った。

「中井先輩!私、あの、先輩のことが、先輩が、好きですっ!」


 ですっですっですっ…

 住宅街に響く彼女の声。

 えっ?はっ?私?はあっ?

 何だって?何がどうなってるの?


「あのね、この子、私の近所に住んでる友香ちゃん…」

「はっ?はあ、初めまして。いや、えっ?」

 私は混乱していた。

 みんな何を言っているんだ?

 えっと、この子は真由の近所の子で、私に好意を寄せてくれている。

 うん、ここまでは理解した。


「友香ちゃんね、春奈に今日プレゼントを渡すつもりだったんだけど…。勇気が出なくて、私から渡してもらおうと思ったみたいなの…」

「だけど私…今日用事があって、すぐに帰っちゃったから…。散々校内探してくれたみたいだけど、さっきまでどうしようか、ずっと学校で悩んでたんだって…」

 私は全神経を脳みそに集めた。

 よし、今のところは話についていけてるぞ、続けて。


「で、時間がどんどん過ぎちゃうし…結局プレゼントを春奈の席に置いたまではいいけど、教室に誰かが入ってきて慌てちゃって…」

「私へのメモ紙を剥がし忘れてた気がする、どうしようって…。今聞いてたところなの…」

 

 な、なんですと…。


 話しの内容は理解できた。

 理解できたが故に、私はポカンと口を開けたまま立ち尽くしていた。

 それじゃ、あのプレゼントは…。


「中井先輩、あの、私先輩が走ってる姿を見て、その、あの、かっこいいなって、ずっと、思ってて」

 彼女はそこまで言うと、下を向いてぎゅっと目をつぶった。

 真由が心配そうに彼女を見つめている。


「私、あの、お菓子作りが趣味なんです。先輩、今日さっき先輩の机に私が作ったカップケーキを置かせてもらいました、あの、もしご迷惑じゃなかったら、食べていただけませんか」

 真由は今度は私の方を見た。彼女もじっと私を見てる。

 二人の熱い視線。

 私が、私がまず言うべきことは、、、。


「あのーっゴメン!」

「えっ…」

 途端に二人の表情が硬くなる。

 いや、ちがうちがう、えーっとなんて言えばいいんだ?

「うーんと、私バカだからなんて説明したらいいかわかんなくて。えっとさ、友香ちゃん。カップケーキ、すっごく美味しかったよっ」

「えっ!」

 また二人して今度は驚いた顔で私を見る。なんだか双子の姉妹みたいだ。

 私はだんだん可笑しくなってきて、吹き出しそうになった。


「実はさっき部活帰りに見つけて食べちゃったんだよね。でも、ホント美味しかったよ。あと、かっこいいって言われるとなんか照れちゃうけど、応援してくれてありがとう。すごく嬉しいよ」


 真由と友香ちゃんの顔がパッと明るくなる。

「先輩、じゃあ、私、また作ってきてもいいですか?また食べていただけますか?」

「もっちろん!いつでも大歓迎だよっ!」

「先輩っ!」

 友香ちゃんが私の胸に飛び込んできた。

「友香ちゃん…良かったね…」

 真由も涙ぐんでいる


 うん、良かった。本当に良かった。

 私に抱き着く友香ちゃんの頭を撫でながら、私は真由に尋ねた。


「真由、こんな時ってなんて言えばいいのかな」


「んーと…ね」

 真由は少し首をひねって、可愛らしい笑顔で教えてくれた。


「きっと…終わり良ければ総て良し…かな」

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