第4話 伯父の休日
小学校3年生の時から母方の伯父夫婦の元で暮らすようになった。父親が他の女性と逃げ、そのせいで母も気が狂ったようになり、失踪したからだ。
ヒステリーな母に耐えきれず父は度々暴力を奮い、それにより母は一層、ヒステリーになるという悪循環を見てきたので、自分としてはその家を離れられて安心した記憶がある。
伯父夫婦は自分のことを温かく迎えてくれた。
伯母さんは子供が出来なかったから嬉しいと言ってくれ、伯父は本当の父親のように接してくれた。挨拶や言葉遣いなど礼儀に厳しい面もあったが、基本的には優しく世話好きだった。伯父にはなりたい父親像というのがハッキリとしていたと思う。一言でいえば、頼もしく人生の指針になるような父親だ。
ただ、働いてなかった。
高校受験の時である。イジメから逃れるため、中学時代の同級生が行かないであろう遠方の私立校に行きたかった自分は、伯父を説得する必要があった。
家庭に金銭的な余裕がないことは子供心に気付いていたので、学費の高い私立に行くのは反対されるだろうと思った。ただ、伯父の性格上、お金がかかるからダメだとは絶対に言わないだろうとも感じていた。
ある晩、伯父に志望校を伝えると、
「なんでその学校に行きたいんや」
と、しつこく聞いてきた。
「イジメから逃げるため」という理由では伯父に通用しないと思い、もっともらしいことを言いたかったが「校舎が綺麗」「部活動が活発」など学校案内の最初のページに書いてありそうなことしか言えなかった。
すると伯父も真っ当な理由がないと感じたのだろう、「そんな理由じゃ認められへん」と言い、
「高校生活で何を学ぶかは人生を左右すんねん。将来を見据えた人生設計がないんやったら、応援することはできへんなあ」
と、さも教育熱心であるかのように語り出した。
それではと、翌日、国際コースがあるようなエリート校を提案してみた。勿論、自分が合格できるような学力の学校ではなかったが、これならどう答えるのかを見てみたくなったのだ。
ゆくゆくはグローバルな仕事をしたいなど、虚偽の動機を伝えると、伯父はしばらく考え込んだ後、
「成長したな」
とだけ言って自室へ消えた。
どういうことなのか分からなかったが、翌日、伯父が自分を呼びつけて、見せてきたのは、自転車整備工場の会社案内だった。
「中学を卒業したら働きに出たらどうだ?」
と言い出した。
単純に、代わりに働いてほしいだけなのだ。先日の講釈じみた人生設計の話はどこへ行ったのか。伯父の提案は断固として拒否した。
進路が決まらないまま、中3の秋を迎えようとしていた。
ある日、伯母がタンス預金の5万円がなくなっていると言い出した。伯父の仕業だと直感した自分は、立証できれば、これをダシに伯父を脅すことが出来ると考えた。
伯父は、伯母からパチンコや競馬、競輪の類いを禁じられていたが、今までの伯父を見ていると、密かにやっているのでは? と感じることがあった。
タンス預金はそれらに消えていると踏んだ自分は、証拠を押さえるため、即席カメラを持って、ある休日、伯父をつけてみることにした。
伯父は自称、小説家。昼間は資料を調べに図書館に行っていることになっていた。しかし、伯父が颯爽と家を出て向かったのは駅だった。そして、大阪方面の電車に乗ったのだ。
乗り換え2回、計1時間ほどかかり、着いたのは梅田の商業施設・HEP FIVE(ヘップファイブ)だった。
近くの場外馬券場へ行くかと思っていた自分は、意外な場所に戸惑った。
HEP FIVEは大阪駅のすぐ近くにあり、ビルの上に赤い観覧車がついた特異な外観をしているので、待ち合わせスポットとしても有名だった。
伯父は着くと真っ先に高校生ぐらいの歳の女の子に手を振って近づいた。
知り合いの娘さんと偶然鉢合わせたのかと思ったが、二人はそのままスイーツ店に入ったり、ゲーセンへ行ったりと、しっかりデートを楽しんでいるようだった。
最終的にラブホテルに行くのかと思ったが、そんなそぶりはなかった。当時は2005年くらいか、あれはパパ活の走りだったと思う。
自分は身内がパパ活じみたことをしていることが許せなかった。ショッピングモールを巡る二人をつけ、女の子がトイレへ行った隙に伯父に声をかけた。
伯父は明らかに狼狽した様子で、急いで自分を近くのスタバに連れて行き、何の説明もせず、ただ適当な席で待っているよう手短に言った。どう言い訳するのか、それにどう反応したらいいのか、自分はそんなことを考えていた。あまりの気まずさに声をかけなければ良かったと後悔するぐらいだった。
しばらく待っていると伯父はフラペチーノを二つ持って戻ってきた。伯父が笑っているのに面食らった。
「今日、2杯目」
それは、先ほどの女子と1杯目を飲んでいることを前提としたギャグだった。伯父は開き直りの態勢に入っていたのだ。
悲しみすら感じた。すると、伯父はテンションを間違えた、という風に仕切り直しを図ろうとした。
伯父はそっと窓から駅前の交差点を眺め、感慨深そうに言った、
「梅田ってのは、多くの人生が交差すんねん」
その頃の伯父の話は、大抵が「人生の目的」というテーマに落ち着くのが定番だった。ここでも伯父は同じように語り出した。
「見知らぬ人との交流は、誰かの人生物語の登場人物になることやねん。俺はその物語の分岐点になりたいねん」
「お前にもそういう風に生きて欲しい。他人の人生を自分のことのように深く考えれる人に」
黙って聞いていると、どうやら人生に結び付けて話せば正当化できると思っているらしく、ついでに自分に対して説教すらしようとしているようだった。
「お前の面倒を引き受けたんもな、俺が人生の分岐点になれればええなと思ったからやねん」
ついには自分の境遇まで引き合いに出され、キレそうになった。
と、窓外に先ほどの女の子が立っているのが見えた。女の子は伯父を見つめ、不機嫌そうにしていた。支払い前に逃げられたと思ったのだろうか。
伯父は、悪い悪い、と手で小さく謝った。
自分は見ていられなくなり、トイレに立った。伯父がこれ以上、若い子の機嫌を伺っているところは見たくなかった。
トイレから戻ると、伯父は、
「悪いけど先に帰っておいてくれへんか」と言った。
女の子がまだ相談したいことがあるらしく、もう少し一緒にいたいのだという。自分は呆れて、
「勝手にせえや」
としか言えなかった。伯父はこちらの気も知らずに、
「あれ乗ってくるわ」
と、HEP FIVEの赤い観覧車を指差した。
一人、スタバを出た。今晩にでも私立校のことをもう一度相談しようと思った。今日なら、自分の言い分は通るかもしれない。
念のため証拠にと、帰り道、HEP FIVEの観覧車の写真を撮った。
下から見上げた観覧車に、誰が乗っているのかなど勿論分かりようもなかった。だが、伯父がこちらに手を振っているような気がして、結局、現像に出すこともなかった。
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