死ぬまでに消したい10のこと
野中淳
第1話 眼鏡デビュー
小4の1学期、クラスで干され気味だった。
体育の時間に過って放屁をした際に、前列の女子生徒がしたと言い張って、泣かせたのが原因だった。次のクラス替えまでの一年間を机に突っ伏して過ごす覚悟を決めた。
その頃、隣席にいたのが、鈴木であった。(実際は名前は忘れたので、「鈴木」は仮である)鈴木は先生に当てられた時以外では声も出さない影の薄い生徒で、休み時間はひたすら『学校の怪談』の文庫本を読んでいる「変わった奴」だった。
そんな鈴木の、誰ともつるまないところに共感を覚え、人目につかないようにちょっかいを出したりして、独りよがりな交流を始めた。
ある日、図書室にオカルト誌の『ムー』が入荷された。これは鈴木の趣味だろうと、意気揚々と知らせると、
「そういうのはあんまり好きちゃう」
と一蹴された。絶対に気に入る自信があった自分は、ムーを借りてきて、見せつけるように隣で読んでアピールしたが、興味を示さない。
しかし数日後に図書室を覗いたところ、棚の影に隠れてムーを貪り読む鈴木を見つけた。
その時、声をかければ、今でも本当の名前を忘れないくらいは交流を深められた気もする。だが、あの時は鈴木のプライドを傷つける気がして、そっとその場を立ち去った。
鈴木にはきっと自分だけの世界があって、それを大事にしていたのだと思う。同級生から勧められたものなどそう容易く認めない。そんな気持ちがあったのかもしれない。
そういった報われない鈴木へのアピールを繰り返していた時である。鈴木が眼鏡をかけてきたのは。
自分は触れた方が自然だと思い、何気なく「眼鏡買ったん?」と言った。
鈴木はそれには返答せず、恥ずかしそうに何度もレンズを拭いていた。
と、そこに一人の女子生徒が声をかけてきた。
「鈴木君、眼鏡にしたんだ」
普段は表情のない鈴木が恥ずかしそうにしているのが女心をくすぐるのか、途端に女子生徒の群れが出来た。
総じて評価は「可愛い」「似合ってる」というものだった。
鈴木の眼鏡は主張の強い黒のセルフレームで、大人用なのかサイズが大きく、頻繁に眼鏡を鼻に押し上げる必要があり、その動作が周囲に大ウケだった。
鈴木は慣れない称賛に戸惑ったのか、席を立ち、トイレに駆けていった。
体育の時間、ポートボールのチーム分けで、いつもなら鈴木と自分は最後の方まで残っているのだが、その日、鈴木は真っ先に仲間にされていた。
そして、競技中。ポートボールの激しい動きに眼鏡が着いてこられず、落としたのだ。
いっそ踏んでやろうかと思った。
嫉妬という気持ちはこの時、初めて感じたと思う。
鈴木は「眼鏡、眼鏡……」とあたりを探しており、そのコミカルな姿が、今度は男子生徒の心を掴んだようだった。
自分も眼鏡を買うことにした。
嫉妬に駆られての行動ではあったものの、眼鏡を買ったときの気持ちは、これがあれば自分も人気者になれる、と純粋にワクワクしていた。
ただ、視力は両眼2,0とすこぶる良かったため、伊達眼鏡である。
翌日、弾む気持ちで学校へ向かったが、クラスメイトから総スカンをくらったのは言うまでもない。
教室に入った瞬間に自分の認識の甘さに気付き、自席に着くまでの周囲の視線が痛かった。鈴木への挨拶も心なしか小さかったと思う。
クラスメイトの誰からも眼鏡に触れられることなくホームルームを迎えたが、担任は真っ先に指摘してきた。
「鈴木とお揃いやん、仲ええな」
失笑が聞こえた。横にいる鈴木を見ると、気まずそうに眼鏡を押し上げていた。
この日は異様に長かった。
このまま眼鏡をしていることも、外すことも恥ずかしく、八方塞がりだった。
そして、昼休み。ある女子生徒が鈴木の席に駆け寄ってきた。差し出したのは
『ムー』だった。
「鈴木君、図書室でいつもこれ読んでるよね? 私も好きなの」
自分はその女子に「余計なことを言うな」と言いたかった。先日、自分が『ムー』を勧めたとき、鈴木は拒否したのだ。そのくせ、図書室でかじり読んでいた。鈴木にとって『ムー』を認めるということは、他人を認めるということなのだ。
自分は鈴木が何というのか、どういう表情をするのか、目が離せなかった。と、鈴木がこちらをちらと見た。
その鈴木のどこか申し訳なさそうな、居心地が悪そうな顔を見て、自分は気まずい思いをさせてはいけないと思い、席を立つと昼休みの間、戻らなかった。
翌日は眼鏡をせずに登校した。外したことで周囲からまた失笑を買ったが、気にしないよう努めた。子供でもこういうからかいは翌週にはなくなるだろうということは分かっていた。
と、教室に入って来る鈴木を見て驚いた。鈴木も眼鏡をやめていたのだ。
鈴木は、自分に小さく会釈した。
自分もなんとも気まずく、小さく返した。
鈴木は早速、ランドセルから『学校の怪談』を取り出し、読みだした。
全てが最初の光景に戻った。自分はその時初めて他人からの気遣いなるものを感じた。
ベルが鳴り、入ってきた担任は、自分たちを見て、
「2人とも眼鏡やめたのか、仲良いな」と言った。
仲が良かったのかもしれない。名前は思い出せないけど。
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