6. 外套の男

 あの夜から日は経ち、私たちは森の中を進んでいた。


 夜が明ければ日の出に向かって歩き出し、道すがらミールが見つけた木苺や木の実、木のウロにまった雨水などを口にしながらえをしのぐ。そして、日がしずめばクシダキの下や大木の樹洞じゅどうの中に潜り込み、眠りにつく。


 小屋での生活に比べればはるかに健康的かもしれないが、それでも栄養不足には変わりない。日々の疲れは休んでも取ることはなく、心身をそれこそ健全に回復出来るような生活では無いことは、間違いなかった。


 そんな日々を続けて四度目の朝。希望の見えてこない逃避行とうひこうに、私もミールもいよいよ心身しんしん共に限界が近づいていた。


 それでも、支え合うように時折ときおり言葉をかわし、根拠こんきょのない期待を胸になんとかいだきつつ、私たちはただ前へと進むしかなかった。




                  ◇




 日も高くなってきた頃、私たちは足を休めるために木陰こかげで一息をついていた。少し汗をかく程度には気温も温かくなってきたようだが、時折ときおり森を抜けてゆく風はまだどこか寒い。


 そんなおり、ふとミールが顔を上げる。なにかに気を取られているような仕草しぐざをしたあと、こちらを見ることなく一言、確かめるようにたずねねてきた。


「……アズサ、なにか聞こえない?」


唐突なミールの言葉に対して、私も返事を返す。


「いや、なんにも聞こえないけど……?」


 ごめんなさい、マ―――――――ジで何も聞こえなかったです。正直なことを言えば、私には吹く風と木々のざわめき、あとは野鳥やちょうの鳴き声ぐらいしか聞こえていないです。


 だが、そんな私の返事をミールは特段とくだん気にすることはなく、むしろ確信かくしんがあるような仕草で耳をまし始めた。


「……うん。やっぱりあっちから、なんか聞こえるって」


 そう言いながら、ミールはある方向を指差した。その先には、相も変わらず広がる深い森の鬱蒼うっそうとしたしげみしか見えない。とりあえず気持ちだけでもと耳に手を当て、目をつむり、その方向へと意識を向ける。


 風が吹き抜け、葉が擦れる。鳥がさえずり、それよりも遠くでけものが鳴く。

 枝のきしむ音。突風とっぷうがまた吹き抜ける。


 ――チリリン、チリン


「……っ!」


 かすかにだが、確かに何かが聞こえた。思わず軽く息をむ。

 その存在を確かめようと私は即座にまぶたを開け、音が聞こえた方へと視線を向けた。だが、見える限りではやはり、鬱蒼とした森があいも変わらず広がっているだけだった。


「聞こえた?」

「……うん、聞こえた」


 隣のミールに返事をする。疑ってごめん。というか、逆によくあの些細ささいな音に気づけたね……?


 見えはしないが耳がとらえた、なにかの存在。この森の中では聞いたことのない音。初めて聞いた音が、確かに遠くで鳴っている。そしてその音は、私の勘違いでなければ……すずの音に似た、硬い金属音だった。


「ねぇアズサ、追手おって……とかじゃないよね?」


 ミールが小さな声で不安をらす。だが、その懸念けねんは何もおかしくはない。


 あの小屋から逃げて四日。私たちはかなりの距離を歩いてはきたが、それでも所詮しょせんは栄養不足の子どもが、生い茂る草木をかき分けなんとか歩いた距離に過ぎない。

 もし、あの男らが舗装ほそうされた道を馬に乗り探し回れば、おそらく一日から二日でたどり着くことは十分考えられる。だけど――


「……わからない。けど、可能性は低いと思う」


 ――だけど、同時にそこまでの労力と時間をかけ、奴隷を探すのかという疑問も私の中にはあった。


 全焼した小屋や燃えていた母屋おもや、それらの修繕しゅうぜん費を考えれば、せこけたガキ二人に人手をいて探すより、奴隷商の手元にある逃げられなかった奴隷十人を安値やすねで売り払った方が、まだ痛みは少ないかもしれない。


 それこそ、もし荷馬車などの移動手段にも被害が出ているようなら、諸々もろもろの対応に追われ、追手に人手を割く可能性はより低くなるだろう。


 それに、私たちの体があと何日、この森での生活に耐えられるかも分からない。よくよく考えれば、くまいのししといった野生動物に遭遇そうぐうする可能性だってある。……むしろ、今日まで一切遭遇しなかったことのほうが奇跡なのか?


「……とりあえず、近くまで行ってみよう」

「うん、わかった」


 考えられるリスクとポジティブな可能性を踏まえたうえで、私は後者にけることにした。――すなわち、の可能性だ。私たちの現状もそうだし、食料を分けてもらえるかもしれない。それが無理だとしても、街までの道ぐらいは聞き出せるだろう。


 少し楽観らっかん的かもしれない予想を元に、私たちは木陰こかげから立ち上がり、音のする方へと向かい出した。




                  ◇




 どこまでもはびこる草木をかき分け、たまに足を止めて音を確かめる。耳を澄ますたびに鮮明せんめいになりつつある鈴の音。その音を追うように、また草木をかき分けて前へと進んでゆく。


 次第に、どこまでも青々と続いていたはずの森の奥は白く、明るく光り始めた。その眩しさに少し目を細めながら、ある程度近づいたところで、聞こえていた鈴の音が止んだ。


 私たちは足を止め、その場にしゃがみつつ目を慣れさせる。すると、視界にはこの森を右から左へとまっすぐに横切るような一本の土の道が見えた。だが、鈴の音を鳴らすような人はおろか、人影ひとつすらどこにも見当たらなかった。


「……道、だけだね。」

「そうだね……アズサ、誰もいないけどどうする?」


 私の右隣で肩をそろえてしゃがむミール。たずねるその声はどこか残念そうに、少しトーンを落としたように聞こえた。私も、同じ気持ちだった。


 だが、居ないなら居ないでやることは決まっている。進むしかない。

 幸い目前の道を見れば木々が影を落とさない程度に開けており、乾いた土が日に照らされ露出ろしゅつしている。目を凝らせば多少大きめの石が地面から隆起りゅうきしているぐらいで、雑草は道の脇にしか生えていないように見える。


 この様子なら、頻度や期間こそ分からないが、少なくとも人の往来に定期的に使われ、踏み固められている道だと考えていいだろう。そうであれば、この道を左右どちらに進むにしても、民家みんかや町などに繋がっている可能性は高い。そう考え、私はミールへ提案した。


「……道に出て、誰も居ないならどっちかに進もう。森の中よりは歩きやすいし、村とかには繋がってる、と思う……」

「……」

「……ミール?」


 だが、隣にいるはずのミールからは返事がなかった。ふと、何かが右肩に触れる。一瞥いちべつすると、そこにはミールの手があった。その手はかすかに震えており、少しだけ力んでいるように私の肩を掴んでいる。


 当の本人へと目をやれば、道から視線を外してこそいないが、じっと押し黙ったまままゆはしを下げ、下唇を軽くんでいる。不安なんだな、そう思った私は肩に乗ったミールの手に触れながら、はげますように一言を言った。


「……大丈夫。一緒にいるから」


 熊とか化け物とかから彼女を守れる力は正直ないけれど、この思いだけは嘘じゃない。だからキザな言葉をわざと言ったわけじゃない。違うからね?

 しかし、ミールから帰ってきた返事は、想像していない内容だった。


「……違う。なにか近くに……」 


 その言葉を前に、ゆるみかけた私のほほが固まった。

ミールが不安に感じていたのは一歩を踏み出すことではない。彼女だけが感じた、唐突とうとつな何者かの気配に対してだった。


 心臓が早鐘はやがねを打ちだし、気が張り詰める。息が早く、浅くなりだす。今まで聞こえていた周囲の音がやけに騒がしく感じてしまう。――まさか、本当に追手?どうやって気配を?逆になぜミールだけが?分からない。謎しかない。逃げなきゃ、どこに?いやミールは?守らなきゃ。どうやって?


 不安と疑問が一斉いっせいに意識の中をけ抜けてはさわぎ出し、まとまらない思考がより混乱を加速させる。どうしよう、どうしようどうしようどうしよう……!その五文字が頭の中を埋め尽くそうとした、ちょうどその時――


チリン、チリリン。


「――成程なるほど先程さきほどから僕に向かって来ていたのは君たちでしたか」


――背後から知らない男の声が、あの鈴の音と共に語りかけてきた。


 私とミールはほぼ同時に、ねるように振り返った。そこには確かに男が一人、私たちからおよそ二メートルほど離れた木の下で、みきに体を預けながら立っていた。


 背丈せたけ目算もくさんでも百八十センチはありそうだった。長い黒髪は後ろで一つにたばねており、耳は私と同じように少しだけとがっている。その身には深いあおに白で文様もんようが描かれた外套がいとう羽織はおっている。そして、れ目がちな目とやや黄色がかった瞳でこちらを見つめながら、軽く微笑ほほえんでいた。


 少なくとも、旅路たびじいそぐような雰囲気は感じられなかった。


 ……迂闊うかつだった。気づかれていた。鈴の音が聞こえるんだ、こちらが思う以上に茂みをかき分ける音は響いていたのかもしれない。だが、反省と同時にいくつかの疑問も浮かんだ。


 ――気づいていたのなら、なぜ逃げなかった?そして、もし奴隷商の仲間なら、なぜすぐに捕まえないんだ?


 目前の彼は特段とくだん息が上がった様子もなく、むしろリラックスしているようにも見える。汗もかいておらず、外套がいとうにも小枝や草が付いた痕跡こんせきがない。それこそ、まるで私たちがここに来ることを知った上で、いつ気づくのかをしばらくく待っていたかのような、そんな様子だった。


 それに、身なりだけでなく立ち振る舞い自体も、あの粗暴そぼうな奴隷商とは明らかに違う。具体的には言えないけど、どこか品の良さを感じさせる。それが彼の育ちからなのか、精神的な余裕からなのかは分からない。


 だからこそ、目前の男が何者でなぜ私たちを待っていたのか、その意図が全くわからなかった。


 そんな相手への不審ふしんさ故に、私もミールも出方が分からず、見合ったまま時間が立ってゆく。その静けさを崩すように切り出したのは彼の方からだった。



「……ん?あれ?えっ……違いました?」



 その声色こわいろは意外にも、すこしあわてたような気の抜けるようなものだった。というか……よく見れば、なんか頬も少し紅潮こうちょうしてないかこの人。


 さっきまでの緊張感が途端にふにゃりとゆるみ始める。私もミールも、逆にどうすればいいか分からず、おたがいがおたがいに助けを求めるように顔を見合わせていた。


「いや、そうじゃないか。あー、えっと……うん、そうだね。まずは自己紹介からか」


 そして、当の本人は自問じもん自答じとう勝手かってに解決していた。

 気持ちを切り替えるように彼は軽く息を吐き、ゆっくりと彼はこちらへと歩き出す。そしてこちらまでおよそ一メートルあたりの場所で、こちらを気にしながらゆっくりと足を止めた。

 そして、目線を合わせるようにしゃがみつつ、こちらへと話しかけてきた。


「僕の名前は香練こうれん。とりあえず……多分、君らの敵ではありません」




                  ◇




 目前の彼、コウレンと名乗る男はそのままこちらへ優しく微笑ほほえみかけている。


 だが、私は知っている。創作そうさくでもノンフィクションでも、大抵たいてい詐欺師さぎしや悪人は初対面しょたいめんだけは無害で優しそうな雰囲気を出してくる。つまりは、普通のまともな人を装う。手垢てあかのついた手法だ。


 ……現実と物語を区別できていないだって?うっせぇ、こちとら現在進行系で御伽話おとぎばなしみたいな状態なんだよ。


 しかし、疑い続けてこのままだまりこくっているわけにもいかない。隣のミールも、私も長々と気を張っていられるほど体力があるわけじゃない。そう思いながら私は目前の男を見つめつつ、隣のミールに話しかけた。


「ミール、ちょっと相談。耳貸して」

「……うん、わかった」

「ミールはそのまま相手見続けててね」


 そう言いながら私はミールの右耳を軽く手で隠し、顔を近づけながら続けて囁いた。


「……あの男の素性すじょう、私が質問で探り入れようと思う」

「うん、私は何すればいい?」

「変な動きしたら声出して。出来る?」

「うん、任せて」


 現状の判断は多分、これが正しい、と思う。火事の時も彼の鈴の音も、いずれも先にミールが気づいていた。相手を警戒する役割は感覚が鋭いミールのほうが適任てきにんだろう。

 なら、私は多少マシなこの脳みそで相手を探るしかない。一応中身は現代社会で十八年生きてきた女子高生だ。多分、ミールよりはボロを出さずに済む……かもしれない、きっと、そう、うん、多分。


「あと、もしなにか攻撃してくるなら……構わず逃げて」


 その後も続けてミールに指示を出す。これは最悪のケース。それでもとにかく生き残るための指示。これも警戒に集中しているミールのほうが、私よりも先に動けるはず。ならば、私はおとりになって彼女だけでも逃げるほうが確実だろう。


「嫌だ。かついで逃げる」


 だが、その指示はあっさりと否定された。ミールの声色は固く、一瞥いちべつした彼女の表情は重い。その決意の固さがうかがい知れた。……ミールって、こんなに頑固がんこだったっけ。


「……分かった。私もちゃんと逃げる。無理はしないで」

「うん、アズサもね」


 今は無理に否定する時間もない。軽く念押しをしつつ、私はまたあの男、コウレンの方へ向き直った。


 ここからは私の番だ。ミールの、私たちのためにも、ヘマはできない。

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