異世界戦国のヴォーバン 現代の城郭知識で攻城戦無双
真名千
異世界戦国のヴォーバン 現代の城郭知識で攻城戦無双
蛇骨を井戸に放り込むと城をまもる霧が湧き出る。
そんな伝説のある山城が有名だが、この
山城学園城郭研究会所属の
「先輩、大丈夫ですか~?」
上からは後輩が心配そうに見守っている。
「大丈夫だ。問題ない」
番は先輩らしくカワイイ後輩にいいところを見せようと笑って手を振ってみせた。重心がズレたことで足元が滑った。
「おっと!」
「先輩!!」
後輩の悲鳴を聞きながら番は斜面を転がり落ち、数百年経ってもいまだになみなみと水をたたえる池に突っ込んで行った。
(水際まで草が伸びているから掴めば這い上がれるはず……)
彼が着水する寸前に考えたことはそれだった。
「げほっ!ごっほ!!」
番が池から這い上がると何者かに手を差し伸べられた。
「蘭?」
後輩の名前を呼んでみるが、さっきまでそこにはいなかったはずのガッシリした男の手だった。しかも、何かで腕を覆っている。
「おお!本当に人が出た……!」
助けてくれた人物とは別のところから女性の声がした。これも後輩の声ではない。何度もまばたきをして視界を空気になじませると古風な鎧――鎧は古風なものだが当世具足ではないという意味。城郭研究会は面倒くさいのだ――に身を固めた男女がいることが分かった。
(今日は再現イベントでもある日だったのか?)
ともかく男性に支えられて斜面の上に這い上がる。上の曲輪に設けられた木柵の形状がさっきまでとは一変していた。一部には置き盾が引っ掛けられ遮断性を強化している。
(とても嫌な予感がする……)
「さあ、早く外の
鎧を着てふんぞり返った女性が居丈高に唐突なことを言う。「君は司令官だ」を付け加えれば、まるでゲームブックの冒頭である。
なんともハツラツとした女性――女の子と言ったほうがいい年齢のようだった。なにかの即興劇に巻き込まれたなら言動が役者じみているのもおかしくない。
それにしても距離が近い。なにか油っぽいあまり良くない臭いがした、残念ながら。
「――つかぬことを伺いますが、今は何年ですか?」
鎧の少女は少しがっかりしたように勢いを落とした。
「ああ……何も知らなくても無理はない」今年は
「……やっぱり池に人骨を投げ入れたんですか?」
ズバリ聞きたいことを聞いてみた。さっきまでなかったはずの櫓が上の曲輪に建っており、どうも自分が井戸曲輪にまつわる「伝説」に巻き込まれたことを認めなければならない様子だった。エキストラと呼ぶには多すぎる武装した人物たちが周囲に集まってくる。中には着物の女性もいた。
「いや、まずは猿の骨で試してみたら、お主が来た。やはりまがい物ではいかぬのかのう……」
(勝手に呼び出しておいて期待外れみたいな顔をされるとムカつくな)
「なら、帰らせていただきます」
番は羅生門の下人がごとく身を翻らせて池に飛び込もうとする。
「待てい!」
声とほとんど同時に男の手に掴まれる。
「よし。
「私はただの学生なんで……」
実は未来?異世界?から来た人間は特別に強いのかもしれない。もし、そうだとしても人殺しに関わるなんてまっぴらごめんだった。前に来た人間は自分とは考えが違っていたようだ。あるいは無理矢理戦わされたのか。
城郭研究会の一員として戦国時代の戦闘や生活を多少は知っているだけに番は冗談じゃないと思った。
「では、わらわたちを見捨てると申すのか……」
瞬時に泣き落としに切り替えた。少女の頭の回転は速い。しかし、番も負けてはいられない。
「なら、みなさんで池に飛び込めばいいと思いますよ(その後のことは知らないけど)」
「ううむ……その手があったか。わらわはお家再興のために行けぬが、戦えぬ者だけでも逃すか……?」
「じゃ、そういうことで!」
桃堂の手が緩んだ隙に番は柵を乗り越えて池に転がり落ちた。服が汚れるよりも命が大事だ。
ザッパーン!
ザブンッと水面を四たび通過した番が見たのは、期待した現代人の姿ではなく、ぽかんと口をあけて自分を見つめる時代劇風の人々だった。つまり、さっきまでの面々である。
(くそっ!もう戻れないのか!)
頭を文字通り冷やして考えれば、頻繁に行き来ができるならとっくに事件になっている。池は何かの条件が揃ったときだけ移動できるらしい。それが骨の投入だとすると、向こうの世界で骨が池に放り込まれる可能性は限りなく零に近い。たとえ猿の骨でもいいとしても。
(……どうしよう)
また介助しようとした桃堂を少女が僅かな手の動きで制した。彼女はおざなりな笑顔を浮かべ腕組みをして、ひいひい斜面を登ってくる番を見下ろす。好きに戻れるなら優位だったのに、戻れないなら生殺与奪は完全に相手のものだった。彼の行動はその事実を判明させてしまったのだ。
それでも番は去勢を張ることにした。さっきまでの敬語をあえて引っ込める。
「とりあえず火に当たらせてもらえない?」
元の末泥城では二の曲輪に当たる場所の建物に入る。番は服をごわごわの着物に着替えせられ、火鉢を与えられた。木の幹にしがみつくコアラ状態で、改めて話を聞く。
少女は領主川梅氏の姫、
「それは諱ではないのか?番殿と呼んで良いかな?」
「どうぞどうぞ……あ、でも姫様以外は遠慮してくださいね」
と特別感を出しておく。あまり調子に乗ると消されそうだが、猿の骨も投げたいほど彼らが追い詰められた現状では、番の利用価値に期待して簡単には殺されないだろう。少しでも偉い人物のお近づきになっておくべきだ。
「では、番殿。あらためて我が家への助力をお願いいたす。この末泥城は荒野氏の軍勢五百ばかりに囲まれ風前の灯。明日にも総攻撃が開始されるじゃろう。なんとかしてくだされ!」
「な、なんとかしろと言ったって……」
屈強な五百人相手に何が出来るというのか。こっちは喧嘩の経験すらロクにないのだ。
「前の兵法者は夜間に斬り込んで敵を片っ端から斬り倒したと言われてござる」
桃堂が期待に目を輝かせて初めてまともに喋った。替えの刀を何本も持って、あるいは敵から刀を奪い、ばったばったと快刀乱麻の大活躍。話を信じれば百人以上を斬って無傷で帰還したという。しかも、翌日も夜襲を敢行したらしい。
(に、人間じゃねえ……!)
仮に身体能力が強化されていても自分にはできない芸当だ。おそらく実戦経験者だったのだろう。聞けばそれは百年以上前のことと言う――年号制度のせいで細かいカウントが怪しいが。こっちとあっちで同じ時間が流れているなら、先人は幕末や戦前の人間だったのではないか。
気になってその人物の名前を聞いたら「
「待てよ……兵法者……兵法なら少しは協力できるかもしれない」
躊躇いはあったが逃げようがないので、前向きな提案をしてみた。軍師気取りで作戦に口出しだけして、人殺しには加担しない。ご都合と言われようが、倫理的に妥協できるラインを探らなければならなかった。
「……それは兵たちに剣を教えてくれるということか?」
「いや、剣はあまり得意ではありませんが(本当は体育で竹刀をちょっと振ったことしかない)」
「?」
釉姫が首を傾げる。
そういえば昔の兵法者は剣術家を指すらしいと思い出した。仮に自分が剣道の達人でも一日で兵士を一騎当千の戦士に育て上げることは不可能だ。
「要するに作戦を授けるので、その通りに戦ってみてくれないかと……」
実績もないヨソモノがいきなりこんなことを言い出しても聞いてくれるはずもない。そもそも自分にも自信があるわけじゃない。
だが、溺れる者は藁をも掴む。井戸から出てきた人物の伝説がもつ神通力は未開の社会(失礼)にとって絶大らしい。
「まことか!?」
釉姫は番の言葉に乗り気になってしまった。食いつきに引きそうになるが、頼りなさを見せたらせっかくのチャンスがフイになってしまう。なんとか胸を張って
「まずは城の縄張りを見せてくれ。話はそれからだ」
と取り繕った。
末泥城の縄張りは「激変」していた。元の末泥城は山全体を加工した堂々たる山城だったが、こちらの末泥城は本丸、二の丸、井戸曲輪以外にはそれらをぐるりと取り囲む狭い削平地と物見台があるだけだ。しかも、構造は単純で大手門にあたる二の丸の入り口――虎口は城門を壊せば入り放題の平入りになっていた。
門を破られたらすぐ乱戦になる。一部の生き残りが本丸に避難して、そこも同じように門を破られたらおしまい。そんな展開が目に浮かぶ。そもそも井戸曲輪は二の丸の背後に守られているから本丸だけで長期間耐えることすら難しかった。
「……他の城もこんな感じなの?」
番の聞きたいことのニュアンスは簡単には伝わらなかったが、釉姫の回答は
「緊急時の避難所だからの」
と言ったものだった。山城を日頃から熱心に手入れして防備を強化することはされておらず、生活は平地にあるらしい――むろんその本拠地は陥落済で、散り散りになった姫の家族とは連絡が取れていない。ここまで自分の生存を考える余裕しかなかったが、彼女の立場を想像してみれば気丈な人だ。
この山はむしろ、信仰の場としての意味合いが大きいようだった。本丸には小さな社が建てられていた。姫が手を合わせて池から番が出てきたことを神に感謝している。
「味方は百人ばかりいるんでしたね?」
「おう」
「なんとかなるかもしれない……」
「まことかっ!?」
今度は手を取って聞いてきた。それ口癖なのかなぁと思った。
敵の荒野勢が複雑な城攻めに慣れていないならば、凝った城の防御施設で意表を突けば大打撃を与えて追い払える可能性はある。少なくてもなんとか二の丸を守りつづけて時間を稼げば、他国の援軍が来る当てもあるようだった。
「なにせ荒野は嫌われておるからの!」
「川梅氏が好かれているからじゃないんだ……」
「荒野よりは嫌われておらんぞ」
(自慢することか)
戦国時代の領主なんてそんなものか。一方的に年貢を取り立て荘園を横領して好かれるはずもない。
問題は準備期間が一日しかないことだった。麓には荒野氏の白と山吹色に上下を染め分けた旗が林立している。戦国時代のスケールでいえば、たった五百人に過ぎないと分かっていても、こちらの命を取りに来ていると意識してしまうと、その威圧感は相当なものだった。
気圧される思いで番は立案した工事を急がせた。ところが大半の人間は積極的に協力しようとしなかった。
「われは城を枕に討ち死にをするために来たのだ。土いじりをしに来たのではない!」
(は?マジか?こいつ……)
上位の武士ほど土木作業への忌避感が強く、下位の武士は腹を空かせすぎていた。それに尾根近くの土壌はやせていて硬いのを通り越して半分岩盤である。作業は遅々として進まない。上級武士をなんとかしたいが、ぶっちゃけ逆ギレで殺されそうで怖い。手負いの獣の迫力があるのは結構なのだが、話が通じないのは困った。
どうせならもっと早くに呼んでくれれば良かったのにと、まったく呼ばれたくなかったのに思ってしまう。
「もうよい!」
釉姫が叫ぶと、つかつかと作業現場に歩み寄り、足軽の手からクワを奪い取った。
「普請はわらわがしてやる!いくさばでは女子の力など大して役に立たぬからな。侍女にも手伝わさせる!お主らは明日のために英気を養っておけ」
いきなり肉体労働を振られた侍女たちが困惑して顔を見合わせている。
番は気を取り直して彼女の隣に並んだ。他にもチラホラ前に出てくるものがいる。
「あんた凄いな」
彼が刃先だけに金属の使われた手作り感のあふれるクワを地面に打ち込む。痺れる抵抗を予想していたが、サクッと刃先が地面に入った。
「死んでも恨むなよ」
翌日の早朝、番と釉姫、桃堂は二の丸にある建物の屋根に登って采配を執っていた。最初から本丸の櫓にいないのは、最悪の場合は井戸曲輪に飛び込んで最後のワープを試そうという悪あがきだった。姫の場合は下手に生き残るよりは水死した方がいいと、壮絶な覚悟も固めているようだ。
城郭研究会の活動で城巡りをすると、城主の奥方や娘や侍女たちが落城時に飛び降りた伝説の崖や井戸が割とあったことが思い出される。
(俺は今そういう歴史の中にいるんだな……)
ちびりそうに緊張しているが、心の隅にわずかな感慨も湧いてきた。共にしたのがたった一日でも川梅の人々に同情してしまっていた。さすがに彼らのために人を殺すのは無理だったが、もしかしたらそれすら出来るようになってしまう日が来るのだろうか。
「ここを生き残れば……」
番の独り言に、釉姫が反応した。
「最初に言ったであろう。恩賞は望みのままだ」
「……あんまりそういうことは言わないほうがいいと思うぞ」
いわば定型句なのだろうけど、番は余計なことを考えてしまった。(つか、今のは死亡フラグじゃないよな?)
「来るぞ!」
降伏勧告と拒絶のやりとりは番が来る前に終わっていた。まだ暗い中、木の盾を担いだ武者たちが樹木の伐採された斜面をわらわらと登ってくる。さっそくヒュンヒュンと矢が行き交う。
防衛側は矢を節約しているのに、攻撃側は景気づけにバンバン射てくる。大半は城内に届いていないがお構いなしだ。節約精神が旺盛すぎて柵に刺さった矢を取ろうとした味方が一人射抜かれた。
「ぐわっ!」
即死せず仲間に矢を抜いてもらう彼の悲鳴が番のテンションをドン底にする。隣の姫がじっとしているので、対抗心で何とか立っていた。
味方は腰曲輪から石や丸太を転がして置き盾をふっとばす。しかし、落とす物が弾切れすれば新しく置き直された盾を排除するすべはない。
(使うのが早すぎる!もっと引き付けてから落とせば盾の影に隠れた敵を露出させて弓で狙撃できたのに)
初めて観察する戦場で、そこまで考えた指揮など番に採れるはずもなく、桃堂や上級武士に任せきりである。そんな彼らも熟練の指揮官とは言えないようだ。おそらく、すでに番ができることは終わっていた。
敵は少しずつ高度を稼いでいく。いくら険しくても人が通る道だ。昨日の間にそっちまで加工する時間もなかった。多少の障害物は盾を寝かせて橋にしたり、柄の長い鎌のような道具で引きずり降ろされて乗り越えられる。
味方は腰曲輪から撤退し、ついに二の丸の城門が敵の眼前に晒される。荒野勢はそこでしばらく足を止めて仲間が集まるのを待っていた。
「小便をしたいのだが……」
いましかチャンスはない!実は溜まっていた尿意が限界だったので、小声で桃堂の方に要求した。
「大胆なやつだな……」
何か勘違いされた。桃堂の号令で川梅勢全体がトイレ休憩に入ってしまう。しかも、ほんまもんの大胆なやつは敵に向かって放尿していた。最後まで見ている余裕はなく、番も急いで小用を済ませる。今日死ぬかもしれなくても生理現象は止まらない。
当然、これは挑発と受け取られたらしい。登ったばかりの兵が息を整える暇もなく、いきり立った荒野勢が丸太を抱えて城門に突っ込んできた。角度的に城門直前での攻防は良く見えない。至近距離から矢玉が飛び交い、弓のない兵は手当たり次第に石や山茶碗を投げつけているようだ。
前から気になっていたが長槍を使う兵があまりいない。どうも前の兵法者が剣術で無双したせいで、得物が刀に偏重した影響がいまだに残っているらしい。城の構造にしても同じで、ここは戦国時代のようで番の知っている戦国時代ではなかった。だいたい知っているのも本や映像作品を通しての知識だ。比較の正しさも怪しいものだった。
敵に相当の損害は与えたようだが、門から轟音がして閂が軋みはじめる。武士たちが必死で扉を押さえる。
「ちょっと早いな……」
番は後ろを振り返る。
「負けるでない!それ、押せ!せっ!!」
釉姫がびっくりするくらいの大声で味方を鼓舞する。おかげでこっちに飛んでくる矢が増えた。あわてて盾で彼女をガードする。一矢を防げたのが密かな誇りになった。自分がもつ盾に刺さった矢の振動が減衰していく感覚はトラウマモノだったけど。
ともかく着せられた甲冑の防御力を信じるしかない。
鼓舞に応えて武士たちが気力を振り絞ったのか、城門はしばらく持ちこたえた。その間に背中が温まってきた。
「そろそろ良いかと……」
番のアドバイスを聞いて、姫と桃堂は頷いた。
「退けい!」
銅鑼が鳴らされ、城門に取り付いていた味方が散を乱して、そこから離れる。瞬時と言っていいほどあっさり、これまで耐えていた城門が打ち破られた。
「さて、ここからだ……」
さっきトイレに行ったのにもうトイレに行きたい。番が工事をさせた・したのは城門そのものではない。具体的には城門の裏、二の丸の内側だ。そこには矩形の空間が新しく作られ、正面は土塁で、側面は柵で固められていた。
いわいる桝形虎口の簡易版である。まさに城郭研究会の面目躍如。少なくとも周辺地域では知られていない仕掛けらしいから技術的奇襲と行って良いはずだった。
勢い余って城内に入ってきた敵を柵越しの槍と矢が側面から滅多刺しにする。これぞ横矢掛り!もう抵抗はないと思っていた敵兵がバタバタと倒れて、残りの兵も門から前に押し出せなくなる。
「ちっ。そのまま突っ込んでくれれば良かったのに!」
扉を押さえていた味方は回収済の梯子を使って柵や土塁を乗り越え、戦列に加わっていた。お互いに城門の柱と柵を盾に、至近距離での激しい矢戦になる。
「こしゃくな!」
荒野勢を率いる
しかも、準備不足なのか仲間の避難のためか、壊れた城門越しに見える土塁の高さはそれほどでもない。配下の目算では二尺程度というから柵よりも突破しやすいくらいだった。多勢に無勢で揉み潰してくれる。それが結局は犠牲をもっとも少なくする。
「もう一度、突っ込むぞ!集まれい!!」
とうぜん騎乗はできないが、気分は騎乗しての突撃だ。土塁に向かって一度に投入できるかぎりの人数を突っ込ませるのだ。多少の抵抗は粉砕し、土塁の向こうに確認された釉姫の身柄を押さえる。彼女はたくさんの矢を射掛けられて建物の下に降りていた。今なら本丸に逃げ込む前に捉えられる。
彼女を生かして捕らえれば利用価値は大きい。荒野家の室に入れることで奪った川梅領民の心を納得させられる可能性があった。
これは言うまでもなく大手柄である。
「掛かった!」
一丸となった敵がまっすぐ土塁に向かってくるのを知って番は作戦の成功を確信した。ただし、その殺傷効果には確信がない。最後は味方の働きに期待しなければならなかった。一人では何も出来ないが手を汚さないためには、その方がいいのか。
『うわああああっ』とも『うおおおおおっ!』とも聞こえる雄叫びをあげて荒野勢が突っ込んでくる。横合いからの攻撃で犠牲が出ても手傷を負っても、意に介さず低めの土塁を目指して駆け抜ける。そして、土塁を乗り越えようとしたところで――
「うっ!?」
正面から角度を増してきた日光を浴びて目をくらまされた。後列は気にせず背中を押して土塁を越えようとする。たとえ仲間を踏みつけても手柄を立ててみせるという鬼のような心理状態だ。
そこに落とし穴があった、文字通り。
「うわぁっ!」
土塁を造った分の土が除かれた堀程度なら予想していた敵もいたかもしれない。土塁の前じゃなく後ろに堀をつくるのは、常識にあえて反した仕掛けであるが。
荒野勢の突撃を完全にクラッシュさせたのは
「
番はちょっと得意げになって言い放ってしまう。本物を知る彼の目にはお世辞にもいい出来とは言えなかったが、土塁の後ろに隠された戦国の地雷原は求められた役目を果たした。土が固くて深くは掘れない堀も土塁との落差で高度差を稼げる。本物と違って障子の枠は酷く脆いが一日なら保つ。
堀底には悪意を持って釘や縄を丸く結んだものを木に縛り付けて埋めたりした。足を取られて転倒する敵が続出する。仲間を踏んでも進もうとする武士に矢や番の用意させた長槍が襲いかかる。
血泥に濡れて一段越えても次の穴があるのだ。最後は柵。生き残りも心が萎える。突撃部隊をまとめて呑み込んだ陥穽の存在に荒野勢は衝撃を受けた。いや、土塁の向こうで起こっていることを上手く認識できていなかった。
ただ、仲間の悲鳴は嫌になるほど聞こえていた。
「いまだ!包めえ!!」
「えっ?」
事前の打ち合わせにはなかった行動。再び屋根に登って、壊れた門の向こうで呆然とする荒野文庫守に気づいた釉姫が彼を刀で指し示した。
「応っ!!」
死に場所を求めているとか言っていた武士が柵を乗り越えて逆襲に出ていく。仲間も続々と後を追った。
「な、何をする!?ぐわっ!」
敵には無傷の兵がまだまだいた。しかし、まとまった人数を前進させてしまったことで、今その場で指揮官を守れる兵は不足していた。突撃隊の下級指揮官に至っては既に戦死していた。山地の狭い足場なのである。
それでも荒野勢に平常心があれば逆襲を切り抜けて後退できたであろう。
敵を追い詰めたと前がかりになり、やけくそ以外で起死回生の反撃をされるとは思っていなかった。それが彼らの敗因だった。けっきょく、囚われになったのは荒野文庫守の方だった。頭を失った残りの敵勢は上からの攻撃で追い散らされた。元々が川梅領である。負けたとなれば彼らへの落ち武者狩りは凄惨を極めるはずだった。
川梅勢は勝鬨を挙げる。
「驚いた……勝っちゃったよ」
本当は狙い通りとふんぞり返っているべきだったのだけど、即席軍師は思わず本心を漏らしてしまった。味方で一番戦術眼があるのは姫かもしれない。眼の前の「死体畑」としか言いようがない惨状から目を逸らしたい気持ちも強かった。まごうことなく正視に耐えない。
(ちょくせつ手を下していないとはいえ、これをやったのか……俺が……)
気が狂いそうである。それなのに追撃で稼いだ首を次々ともって来る奴らがいる。おぞましい風習にも釉姫は威厳をたたえて対応していた。
(やっぱり別世界の住民なんだな……)
ちょっと距離を感じてしまう。
「さて……」
家臣の手柄を確認した姫は番の方に向き直った。
「あとは第一の手柄を立てた番殿じゃが……」
「いや……私は作戦を考えただけで、姫や皆さんの力がなければ何もできなかった……」
「謙虚じゃな」
「ただ、できればもう戦には関わらず、帰る機会を待ちたい……」
釉姫はニッコリ笑った。
「まことか?だが、それはならぬ!」
「なんでも叶えるって言ったのに……っ!」
よほど情けない顔をしてしまったのか、彼女は重ねて笑った。番にはその笑顔が彼に正気を与えてくれるようにも、さらなる狂気に引き込むようにも見えた。
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