バケツ猫

花園壜

バケツ猫

 仕事帰り、アパートへの徒歩。

 堤防の向こう側から猫の鳴き声が聞こえた。

 か細いのだけれど、必死の叫び。きっと子猫だ。夕闇に目を凝らすと、いた。

 川では溺れかけの子猫が水しぶきを上げ何かに抵抗していた。

 鯉が集まってきて襲われているのだ。

 私は急いで抱き上げて部屋に向かって走った。

 興奮しているのか、物凄く嫌がったが放ってはおけない。

 と、ニャーニャーという声がどんどん野太くグオオオと変わり、みるみる間に大きな骨格や筋肉が形成されてきた。

 熱い。これは巨人化、いや巨猫化だ。

 柴犬サイズの猫になる頃には人語を喋ってきた。そして頭には手拭いを被っている。

 しまった、化け猫だ。

 錯乱しているのか、それでも私はそいつを抱きかかえたまま走っていた。

「ワイ、水に浸かっとらんと、最終的に溶けるねん。猫は液体、言われる所以や。理由あってワイ、クラゲと同じ属性やねん」

 なによそれ? と思ったけど、うわ! 本当だ。溶けてきた。

「ブクブクブクブク」

 アパートに駆け込み寸胴鍋に突っ込んで水を入れると、身体は煙になって蒸発し中から子猫が出てきた。

 子猫に戻って静かになったけど、頭には手拭いが残っていた。

 まぁ良いか。とりあえず名前を付けよう。

 川でバシャバシャしてたから、

「アライネコ?」

「却下。それ使われとるし」

 ああ、やはり喋るのだ。

「名前は?」と聞くと、

「先に名乗るんが礼儀っちゅうもんやろ」

「私リカよ」

「嘘やろー。そんなお姉さんか?絶対ねねや。メルちゃんの……」

「知ってるよ。え? 髪型? そこまでおぼこい見た目? 私」

「おぼこい、て……お前関西?」

「……違うよ。で君の名前は?」

「・・・・・・・・・・・・・・・・・」

「超A級スナイパーなの? デュークでいいの?」

「……いや、忘れた」

 身の上話を聞くに、犯さず殺さず貧しき者からは奪わずが信条の大盗賊であったが、ある時毒を盛られて意識朦朧、動いている二層式洗濯機に落ちて死んだ。

 死んだのちも水攻めの地獄だったという。

「じゃぁ、洗濯機猫?」

「捻りなさい! それに猫は自分の名前、音にして2から4個やないとよう覚えんのやで」

 うーむ……化け猫で水が要る→現状鍋の水→いやこれはどうにも受け付けない→水が入る容れ物だったら良いじゃん→バケツに交換→化け猫だけに……

「バケツ。決定」

 化け猫改めバケツ猫、愛称・バケツの身の上話は続いていた。

 昨今の異世界物ブームの影響か、ゲート開放の儀式や魔法を真似る者がいるのだという。また、パワースポットなどと、やたら滅多と聖地に踏み入れることも、知らず知らずにゲートを開けてしまう一因となることがあるらしい。

 そして、通じた所は地獄、という事態が発生した。

 地獄のものは現世へ、現世からは地獄へ、一個体に付き1日1回片道のみ有効のゲートだ。

 バケツはそれに飛び込み現世に逃げ出したのだが、すぐパトロール中の鬼に見つかり、ダメ元で「流されてしもうた」と言い訳をする。

 折柄の要員不足か役所の気まぐれか、そのイレギュラーなゲートを塞ぐ手伝いをする事で減刑され、天国へ行けるとする司法取引が成立した。

 ゲートは地獄からの妖術で封印する。それには現世側で一時物理的に塞ぐ必要があった。

 バケツはそれを担った。酸欠で苦しむ鯉の群れに「ええ環境に行けるで」などと嗾け、次々と突入させ穴を塞いだ。ゲートは閉じたわけだが、境界面で身動きが取れなくなっていた鯉は焼き魚となり、行きそびれた鯉は激昂、バケツと喧嘩になった。

 喧嘩にはなったが、もう少し堪えたら蜘蛛の糸が垂れてきてバケツは天国に行ける……

「はずやったのにお前ガー!」

 とキレてきた。

「ほいでなんや、バケツてー!」

 ちゃんと聞いていたようだ。

「じゃあ、あそこに戻すわ。ごめんね」

 川にやってくると鯉の群れは主まで召喚し、バケツが戻るのを待ち構えている様相だった。

 震えるバケツがさすがに可哀想で橋脚の陰に隠れた。

 誰も掴まっていない蜘蛛の糸が巻き上げられ、夜空へと消えた。

 鯉たちの勝鬨が響くなか、バケツは空を見上げたまま涙をこぼした。

「サ……」

 聞き取れなかったのだけど、バケツの言葉にハッとした。

 それはなんだか知ってるような響きだったから。


 大親分バケツ。

 周囲の猫達を束ねて、自らを頂点に一大犯罪組織を形成していた。

 ある日人間の優しいお姉さんが組事務所を訪れ、餌をくれた。

 が、それは毒入りだった。

 組員達が次々と捕らえられるなか脱出するも洗濯機に落ちて……

「盛った話が早くも瓦解してきているかと」

「せや。違うたんや」

 溺れたのではなくそこに開いたゲートに落ちたのだという。

 鬼たちに介抱されてやがて下働きとなる。確かに水攻めの地獄にいたのだが実は攻める側だった。

 優しいお姉さんが地獄に落ちてきた時は組員だった猫たちの霊を引き連れて黒縄地獄にまで出張した。

「へー」

「あ、そういやお前……似とるぞ」

 バケツがハッとした。


 私が居ない間に、バケツはなにかコソコソしているようだ。

 こっそりウェブカメラをしかけ帰りの電車から監視した。

 バケツ本体は映らない。が、水の入った〝バケツ〟がふわっと浮き上がる。やはり単独で移動可能だったのだ。

 本体が映っていたらきっとあのUFOロボや◯ファイターみたいに見えただろう、多分。

 あちこち探ったあとに押入れを開け、アルバムを出してきて捲った。

 それは私が幼かった頃のアルバムだった。

 あおーん、とバケツの泣く声が届いた。

 すべてを察した私も泣いた。周囲が引くのもお構いなしに。


「飯なんなん……てそのクーラーなに?」

 いつもとおなじを装うバケツの出迎えだった。

「ただいま。冷凍もの多く買ったからこれに入れてきた……ハンバーグにするわ」

 私も普通を装った。装ったまんまで、

「明日お出かけしようか」

 と聞いた。

「お、おお」

 バケツは少し戸惑いながら頷いた。


 クーラーボックスはバケツの為のものだった。水は極力減らしたがやはり重い。

 あんまり憶えていない、けど一応故郷と呼べる、ある町へ向かった。

 駅で父と待ち合わせた。長く転勤ばかりしていたが、定年を迎え故郷に帰ってきていた。

「なんでクーラー持ってん?」

 十数年振りだというのに開口一番この言葉。

 そして間髪入れず勝手に開ける。

 ニャーとバケツが普通の猫みたいに鳴いてみせる。

「わ! 化け猫!」

 父の鋭さに私もバケツも青くなった。

「いやいやいや! ただの子猫」

 と私が誤魔化てるってのに、

「せや、ワイや。久しぶりやのう、ヒサシ」

 バケツは直ぐに観念して喋ってしまった。

「そうか! あのミケか! いっつも怒っとった。でも前は喋らへんだよな? 化けたでか? なんや模様薄い。よう見ると透けとるやないか! なんで水に浸かっとるん?」

 さすが私の親、こんなのには耐性があるらしい。

「実はな、毒盛られたあげく、同時多発的にゲートが発生してしまう事故に遭遇して――三、四十年前に◯ックリさんとか流行ったやろ? あれほんまヤバかったんや。今の異世界やパワースポットの比やなかった――このゲートって奴は初期の転送装置と一緒でな。想定外の通信量でエラーが生じて再構成される時に他のゲートから入ったクラゲの要素が混ざってしもたんやわ。なんぼ同じ〝液体〟扱いやいうたかて酷い話や思わへんか? あ! そうや! 地獄のどっかには猫要素組み込まれたクラゲがおるかも……」

 バケツは饒舌に一部始終を父へ話した。

 また話が変わっていたけれど、今度はかなり真実味を帯びてきた気がした。


 やはり、バケツの飼い主は父方のお祖母ちゃんだった。

 私の両親の離婚直後で、父方とは絶縁状態だった頃に亡くなった。

 バケツが空へ投げた「サ……」は「サクラばーば」

 私もお祖母ちゃんをそう呼んでいた気がする。誰かがそう呼ぶのを聞いていたのかも知れない。

 そして優しいお姉さんとは父方の叔母。前にバケツが、私に似てたと言ったのも納得だ。

 そしてここでもバケツの勘違い発覚。

 父によると、

 他の家族がずっと遠方だったのに対し、叔母だけがお祖母さんの死後すぐに同じ県内へ転勤となった。

 叔母は頻繁に、時には泊りがけでこの屋敷を訪れていた。

 それというのも、連れて行こうにも寄ってこず、すぐに逃げてしまうバケツを気にしてのことだった。

 そしてこの空き家に他の猫まで集まることに近所から相談を受け、穏便に保護しようと餌の他、マタタビを置いたのだ。

 他の猫たちが途端にゴロゴロと懐きだすなか、第一目標であったバケツだけが忽然と姿を消してしまったのだという。きっとマタタビに弱かったのだろう。酔っ払って地獄に落ちてしまったのだ。

「どこでどうしてんのやろか……」

 叔母はそれを気にしたまま若くして亡くなったという。

 

 ――バケツの回想。黒縄地獄。

 お姉さんはやってきてすぐにまた連れていかれた。

 その時、やんのかステップしていたのはバケツだけ、手下だった猫たちは皆お姉さんにスリスリして甘えた声を出していた。

 今思えば会いに来てくれたのだ。

 そうやったんか。ワイ一人がひねくれて星を睨んどったんか。ああでも良かった。本当の事分かって良かった。

「会えて良かった、ミケ」

 お姉さんの最後の言葉が聞こえた。数十年の時を超えて――


「もしかしたらお前とも会うとったかも知れへんな」

「そうだね」

 なんだか蘇った記憶のように、そんなシーンが想像できて、お互い笑いあった。

 と、黄昏のような温かい光がバケツを包み始めた。

 いつかネットで読み齧った〝死んだ猫の魂ルール〟をクリアしたのかも。

 バケツの場合は飼い主に先立たれたうえ、実のところちゃんと死んでいない。

・飼い主の所に戻るという義務はここへやってきたことで一応果たした?

・現世でいう寿命はとっくに尽きているので〝死後の魂〟扱いになった?

・そして、天国に行くか、ここに霊となって残る?

「ああ、なんかお呼びやわ。ゲートに行ってくれ」

 いつの間にかバケツはクーラーから出て蓋の上に座っていた。

「水」

「もうええんや」

 屋敷の裏手に放置されたままの洗濯機があった。

 バケツが落ちた頃には既に人が使うことはなくなっていたそれだが、洗濯槽だけは不自然に落ち葉が積もっていなかった。

 ゲートとしては現役で、今尚現世の物質を地獄へと吸い込み続けているのだ。

 父が葉っぱを放り込むと、まるでワームホールのように青白く輝いて姿を現し、葉っぱはスターシップさながらに中心部へ吸い込まれていった。一瞬の煌きのあとゲートは見えなくなり、只の洗濯槽の姿に戻るのだった。

 どうなるの?と聞くと、

「まずは地獄で裁判やな。思い込みも勘違いも口から出任せも、嘘は嘘やでな」

 バケツは話しながら念入りな体操を始めた。

「ヒサシ、娘とはもうちょいマメに会うたほうがええぞ。それからな」

 なにやらこそこそと説明した。

「けじめみたいなもんや。頼んだで」

 今度は手拭いを鉢巻きに結んだ。

「せや、リカ」とバケツが手招きした。

 何?と近付いた私にゴロゴロ言いながらスリスリ、最後にペロッと頬を舐めてきた。

「ほな」

 バケツはヒョイッと渦の中へ飛び込んだ。

 消え去る刹那、親指を立てていた気がした。

 猫の手なのでよくわからなかったが、それは多分父への合図だったのだろう。

「よっしゃ」

 父はいつのまにか用意していた大きなブルーシートを洗濯機に被せた。

 全部吸い込まれてしまうのでは?と思ったが途中でピタリと停まり、ボンッと音がした。

 丸い穴の開いたシートが宙に舞った。

 葉っぱがユラユラと降ってきて、洗濯槽の底まで落ち、留まる。

 もう、そこにゲートはないのだ。

「あーん! 父ちゃーん!」

 何十年振りかで父に抱きついて泣いた。


 帰りの特急でも新幹線でも、何度もぶり返しては涙を流した。

 これで部屋に入ったらもう抑えは利かないだろう。

 ヒクヒクしながら部屋のドアを開けた。

「ううっ」と声が出てきた。

 明かりを点けると、

「ニャー!」

 毎度ー! みたいに、バケツに入った猫がいた。


(了)


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バケツ猫 花園壜 @zashiki-ojisan-k

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