雪の白さ

@heynetsu

第1話

 駅前に不機嫌そうな顔をした人々が棒立ちになって、電話をかけたり携帯電話の画面に向かってメールを打ち込んでいるのを見た時、すでに予感はあったのだ。

 融けた雪で濡れる階段を転ばないよう気をつけて昇り、改札口にたどり着いたところで予感は確信に変わった。平日の午後二時半であるのにも関わらず、何十人もの人間が改札の前で立ち往生していたからだ。改札を挟んだ向かい側にも多くの人がたむろしているのが見えた。

 殺到する客を捌きながら駅員が必死の形相を作ってスピーカーでがなり立てていたが、喧騒にかき消されてしまい何を伝えようとしているのかは分からない。駅の天井から吊り下がった電光掲示板に流れる文章もセンテンスの途中からでは詳細はつかめなかった。けれど「見合わせております」の部分だけで肝心なことは把握できた。つまり。

「電車止まってるのか」

 帰る足である鉄道が止まっていたのだ。この人の数は、乗れなかった者と停車した列車からやむをえず降りた人間なのだろう。

 原因は大雪の影響なのか、はたまたまったく関係ないトラブルによるものなのか。掲示板をにらんでいればいずれ分かることだけれど、この雪が関係していないとは考えづらかった。年に数えるほどしか雪は降らず、降ったところで大抵は積もらず消えてしまう温暖なこの地方では記録的な大雪なのだ。

 それでも雪の勢いに比べて積雪はさほどでもなく、自動車ものろのろ運転ながら走っていたから、鉄道もまだ無事であることに賭け雪に吹かれながら急いで駅に向かったのだが遅かった。

 さてどうするか。俺は次善策を考えてみた。

 選択肢はいくつかある。一つはこの場に留まり列車の運行再開を待つことだ。しかしこれはあまり現実的な案とは言えない。雪にやむ気配はなく、それどころかなお激しくなっているのだ。駅員は代替輸送がないことをしきりに叫んでいるし、渋滞でどれだけダイヤが乱れようとも走り続ける路線バスにしたところで俺の住む町へ向かう路線はない。交通の拠点としての駅は、少なくとも俺の立場からすれば機能不全に陥っていた。

 いや待てよ。バスが駄目でもタクシーがあるではないか。昇ってきた方とは反対側、北口のロータリーには昼間でも客待ちのタクシーが待機していたはずだ。小銭にしか持たない高校生には縁のない交通手段に気がついて、今度は転びそうになりながら階段を駆け足で下る。だが俺は浅はかだった。ロータリーのタクシー乗り場にはすでに長蛇の列ができあがっており、順番待ちのタクシーはすべて出払っている有様だったのだ。何時間か待てばいずれは乗れるのだろうが一体いつになることか。それに俺は寒いのは苦手だ。この大雪の中、一縷の望みを繋いで行列に並ぶ人々に尊敬の念を抱く程度には。帰れるものならそうしたいが凍えたくはない。

 これで駅に留まる案は廃案になった。ロータリーを後にし、駅ビルというにはちょっと寂しい三階建てのテナントの一階部分に入った。店の前でビニール傘についた雪を払い落として備え付けの傘袋にしまった。自動ドアのガラスに節電を標榜して暖房は弱く設定してあるという旨の張り紙が貼られていたが、歯の根が合わない寒さの外に比べたら極楽のようだった。

 店の隅に設置された金属製のベンチには三人の老婆が背を丸めて座っていた。手押し車を側に置きこんなことは久々だと大雪について話しているのが耳に届いた。ベンチ自体は四人掛けだったが割り入って座る気にはなれず、あてもなくフロアをぶらつく。

 二つ目の案は徒歩で帰宅を強行するというものだが、やはりこれも却下。今言ったとおりに寒いのは駄目だし、そもそも鉄道で十分かかる距離を、視界も足場も悪い雪の日に徒歩でというのはリスクが大きすぎる。冗談ではなく遭難しかねない。

 ならば三つ目だ。そもそも先の二つは有力案の三つ目を補強するため引き合いに出したようなものだ。つまり、帰宅の手段については一旦棚上げし、どこか寒さを凌げるところに入り時機を待つ。これが一番まともな考えだろう。

 ではどこへ行こう。しもやけでかゆい手をさすりながら考えた。駅ビルの中は空調が効いているとは言え、買い物もせず何時間もうろうろしていては、万引きを企てる不審者に映ってしまっても文句は言えない。飲食店は俺と同じように運行再開を待つ客が押し寄せているのかどの店もいつもより混んでいるように見えるし、喫茶店のコーヒー代の八割は場所代だと言ってもこの混雑でコーヒー一杯ではいくらも粘れまい。マンガ喫茶でもあればよかったのだが、急行列車も止まらない田舎町の駅前に二十一世紀向けのサービスが進出するのは当分先のようだった。

 俺は溜息をついた。本当のことを言えば最初から本命は思いついていたのだ。

「学校戻るしかないよな」

 暖房完備で何時間留まろうが文句を言われず、百円玉があれば自動販売機であたたかい飲み物も購入できる。他に行き場のない以上、それしかないだろう。

 だが、できることなら学校へ戻りたくはなかった。机上の空論を並べてみたのはささやかな抵抗だ。

 俺の通う私立高校は駅から歩いて徒歩十五分。雪の中歩くのは容易でない距離なのだ。

 

   駅構内のキオスクで買った使い捨てカイロとホット緑茶で暖を取りつつ、コンクリートで護岸されていない土を盛っただけの川沿いの道を一歩一歩踏みしめて歩く。

 雪に足を取られるので必然的にゆっくりとした歩みになってしまう。歩調を緩めるのに加えて歩幅も意識して小さくする。普段通りに歩いていたのではいつ雪に足を取られて転倒してもおかしくない。靴はおろかスラックスの裾まで雪に濡れて、ひどく冷たい。

 数分前に来た道なのに雪は俺の足跡をすでに埋め始めていた。自動車がすれ違うのがやっとの広さの道路だ。なるべく足場のいいところを歩こうと車両が通って雪が薄いところを選んで歩いた。しかし車が来た時まで往来の真ん中を歩いていたのでは、短気なドライバーにクラクションを鳴らされてしまう。だから車を避けて道端に寄った時に白い雪にくっきりと足跡をつけた。降り続ける雪はそれを覆っていく。

 このまま雪が降れば、明日の朝この道には誰の足跡も残ってはいないだろう。

 傘を持つ手を左手から右手に、少ししたら、まだ左手に。いかにも儚げに散る雪だけれど、傘に重なったそれは存外重いものだ。時々雪を下ろしてやらないと安物の傘の骨はたちまち折れてしまうような気がする。

 特段水嵩が増したようには見えない川には数羽のカモがぷかぷかと漂っていた。寒くないのだろうか。いや、寒いところから帰ってきて手を洗うため蛇口をひねって出した水道水が温度差で一瞬あたたかいと感じるように、流れる水の上の方が彼らにとってはまだましな環境なのかも知れない。俺が「川の中の方があたたかいと思って」と言って飛び込んだとしたら錯乱した投身自殺者と思われてしまうだろうけれど。

 雪が降る中も変わらず流れる川は風情があるが、この光景も来年には見られなくなるらしい。川と道とをへだてる緑色の金網フェンスには護岸工事の作業工程表が針金で結わいつけてあった。

 夏には背の高い青草が生い茂る土手部分の護岸だけで川そのものには手をつけないらしいが、出所も定かではない噂だ。蓋を開けてみてどうなるかは分からない。俺の知っていることなんて大抵は表層的なものだ。

 撥水性のある生地でできたコートのポケットにお茶のペットボトルをねじ込んで、反対のポケットから携帯電話を取り出した。型落ちもいいところのストレートタイプの端末だ。緑色のキャンディみたいな外装はあちこちが剥げている。最近は猫も杓子もスマートフォンといった様相を呈していて、こいつもいい加減替え時なのかなとも思うのだけれど、俺は電話とメール以外の機能をまったくといっていいくらい使わないから、今の機種でも特段不便を感じないのだ。それにスマートフォンは一般に出回りはじめたころのパソコンのように水物といった印象がある。理由は探せばいくつもある。今は買うには時期が悪いのだ。

 手袋をはめたままでは操作できない。覚悟を決めて外した途端に冷えた空気が指に凍みた。さっさと済ませてしまおうと、アドレス帳を呼び出して十字キーの下ボタンを長押しする。<箱崎 携帯電話>。高校の一つ下の後輩で俺と同じ美術部員の女の子だ。放課後はほとんど毎日美術準備室で絵を描いている。

 今日もきっとまだ学校に残っているだろう。それならば、おでんでもにくまんでも、あたたかい食べ物でも差し入れしてやろうと思いついたのだ。

 数行とない短いメールを打つだけなのに、かじかむ手を何度かポケットの中につっこみ、カイロを揉んであたためなければならなかった。

『まだ学校にいる?

 もしいるならコンビニ寄って何か買っていく。

 リクエストがあれば』

 送信終了を確認して、携帯を握った手をそのままポケットに引っ込めた。手袋をはめなおすのすら億劫だ。

 今時の女子高生にメールをしたわけだが、すぐに返事が返ってくるなんてことは最初から期待していなかった。

 これは自分自身もそうだからよく分かるのだが、箱崎は携帯を身につけていてもメールが届いたことに気づかず何時間も放置するタイプだ。いつだったか部室で、メールは便利ですけど本当は好きじゃないんですと話しているのを耳にした時は、君もそうかいと内心で共感を抱いたものだった。

 ふと、昔の俺、けなげにも女性の関心を引こうと躍起になっていた俺なら、時候の挨拶代わりにこの雪のことをメールに書くのだろうと思った。天気の話は、話した後にはいかにも雲散霧消して忘れてしまうような、どうでもいい話題の筆頭だからだ。とりたてて気はひけないだろうが、大きく気分を損ねるなんてこともない。ローリスクローリターン、他愛のない話ができるだろう、と。

 箱崎とした天気の話を俺は今でも覚えている。

 一昨年の梅雨時のことだ。雨、雨、雨。梅雨は雨が降るのが当たり前。それは分かっているけれど、連日こうも天気が悪いのにはかなわないよな、と俺は愚痴をこぼした。

 その時の箱崎はキャンバスに向かっていた。今では滅多に見られないが、当時としては見慣れた光景だ。絵筆をいくつか左手に握って三脚型のイーゼルに載せたまっさらなキャンバスをしかめっ面でじっと睨みながら彼女はこう言ったものだった。

「悪い天気なんてものはないですよ、坂上さん」

 雨やくもりは悪天候で、晴れはお天気いい天気と人は言う。けれど、晴れがいい天気で雨が悪い天気だなんて一体誰が決めたのか。

 たとえば雨。そりゃあ毎日雨では洗濯物も干せないけれど、永遠に続くわけじゃない。むしろなければ困るものだ。恵みの雨や雨乞いという言葉があるじゃないか。ない時はねだり、余る時は拒む、そんなのは雨に対する冒涜だ。

 晴れはただ日が差しているだけ、雨は雨が降っているだけ、そこに感情的な価値判断が入りこむのはいかがなものか。晴耕雨読の精神を忘れてしまったのか、と。

 箱崎はそんなようなことを、一度もこちらを向かずに滔々と話し続けた。つっこみを入れたくなるような部分はいくつもあったけれど、それ以上に箱崎の解釈が素直に面白く、俺は無粋だと思って何も言わずに聞いていた。

 だから俺は、悪い天気という言葉を使わないようになったし、天気の話をする時はそれなりの覚悟を決めてからするようになった。

 そして何より、箱崎という一つ年下の女の子に興味を抱くようになった。

 俺は美術部に籍こそ置いてあるものの、絵なんてものはマンガ絵の落書きと美術の授業の課題制作でしか描いたことがないといった素人だった。入部した理由も絵が描けるようになりたいと思ったからではなかった。先に美術部に入部していた友人を冷やかすつもりで足を運んだ美術準備室の居心地が予想外によかったのだ。

 俺の想像では、狭い部屋にキャンバスや画材が積み上がりその中で画家の卵が一心不乱に手を動かす、そういうところだった。その想像は半分は当たっていた。美術準備室は狭いし物に溢れている。けれど、その物というのがソファだったり冷蔵庫だったりコーヒーメーカーだったりしたのだ。部員は作品を作る手よりもおしゃべりをする口の方がよく動いていた。

 俺はそこに、大仰な言い方をすれば中世のサロンのような冗長性を感じて、それに惹かれて入部したのだった。

 コーヒーを飲み四方山話に花を咲かせながら一年が過ぎ、やる気のない美術部にそうとは知らず入部届けを出したのが新入生だった箱崎だった。

 入学したばかりで丈の余ったブレザーに身を包んだ彼女は、言ってしまえばエリートに分類される人間だった。

 東京都下、名だたる美術館や博物館が集まる地区に住む箱崎は両親の教育方針もあり、幼い頃から傑作をとっかえひっかえ眺めて育ったそうだ。

 当たり前のように筆を持ちアトリエまで与えられた彼女は、片田舎の私立高校に入学した時点で技術的にも資質的にも比肩しうる者なしという評価であり(美術部の名ばかり顧問である美術教諭がそう言ったのだ。教員としてはともかく絵描きとしてはそれなりの知名度があるらしかった)、そんな怪物が入部してきたものだから技術も資質もない諸先輩方は金の卵を逃がすまいと慌てていた。

 あの手この手で行われた懐柔工作が実ったのか、それとも他の部員なんて相手にしていなかったのか、箱崎は仮入部の期間が過ぎても美術準備室に残った。

 最初のうち、俺は邪魔になってはいけないと部室に二人きりでも黙って本ばかり読んでいた。

 そのうち箱崎が「どうしてわたしとは口をきかないんですか」と言ったので、邪魔したら悪いからと率直に言ったら、彼女は鼻で笑ったものだった。

「笑っちゃいますね、坂上さん。坂上さんとのおしゃべりくらいでわたしの絵がつぶれるわけないじゃないですか」 

 俺の名を先輩ではなくさん付けで呼んだ彼女は、いかにも天才らしい生意気な物言いをした。今になって思う。あれは才能なんて関係ない歳相応のそれだった。

「そんなの気にしなくていいですから、作業音楽代わりに何かお話をして下さい」

 その時以来、部室で一緒になった日、つまり登校日のほぼ毎日、俺達は話をするようになった。

 恋愛経験のない男であった俺にとって、女の子とは男とは違うものを見て触れて感じている未知の存在だった。クラスメイトの女子と接する機会があれば、何食わぬ顔を取りつくろって一所懸命に雑談を途切れさすまいと必死になっていた。

 箱崎に対してそういう照れは感じなかった。先輩に対してでも気さくにはなしかける彼女の社交性もそうだが、話をしてくださいという彼女の言葉に、何か免状のようなものをもらった気になったというのが本当であるように思う。

 俺が話して、彼女が描き、できた絵を観る。俺の絵画についての教養はそれこそ印象派の有名の作家は誰と誰、その程度でしかないから良し悪しはこれっぽっちも分からなかったが、それでも好きだと感じる絵ばかりだった。

 次第に箱崎がキャンバスに向かう姿は見なくなっていったが、その代わりにパソコンで落書きをすることが増えた。いろいろ模索しているのだろう。

 箱崎も俺の話を、文句を言うことはあれおおむね笑って聞いていてくれたから、それは好評だったのだと信じたいところだ。

 この絵が好きだ、この色が好きだと語っているうちに、俺は箱崎本人にもすっかり惚れ込んでいた。もてない男というものは、相手にしてもらえただけでもその女性をいいなと思ってしまうものだ。箱崎とは接する機会がとりわけ多かったのも理由の一つで間違いない。けれどそれ以上に、俺の持ち得ない才能にあふれる可憐な少女にどうしようもなく惹かれてしまったのだ。

 白状してしまおう。俺は一度だけ、箱崎に好きだと告白したことがある。

 去年の九月、文化祭の片付けを終えた帰り道に思い切って気持ちを伝えた。美術部の三年生は文化祭を持って形式上は引退するというのが慣わしだったので、これを逃したらだんだんと縁が薄くなっていくような気がしたのだ。

 冬の今では恋しいくらいの暑さに汗まみれになって答えを待った。箱崎の顔をまともに見ることはできなかったが、彼女はなんだか、平気な顔をしていたような覚えがある。

「わたしも坂上さんのことは好きです。が、付き合いはしません」

 その言葉に、ああ、ふられたのか、と落胆した。しかし箱崎は慌てず急かさず付け足した。

「好きというのは、人間として好きということですし、恋愛対象としての好きでもあります」

「え、じゃあ、なんで」

「なんちゅうかですね、わたし、恋人という関係性に魅力を感じないんですよ。だから、お付き合いは強いてしたいとは思わないんですよね」

 平然とした態度はやはり虚勢なのか、その場で小さく踊るように足を動かしている箱崎に俺は訊いた。

「じゃあ、いずれそういう関係性に発展することは」

「やぶさかではないですね」

 文語を声に出すと言った後こっ恥ずかしいですね、とようやく顔を赤くした箱崎を見て、俺はぽかんとしていた。

 話を総合すると、お互いに好き合っているけれど、今のところ恋人にはならない、そういう話らしかった。

 なんとなく話がまとまった空気になり、駅へと続く道、今俺が歩いている川沿いの道だ、それを再び歩きはじめて、美術部の展示方法についての反省を言い合いながら、俺の頭の中はぐるぐるとせわしなく回り続けていた。

 俺は恋を取り扱ったことがない。けれど、こういう時の言葉は特に額面通り受け取ってはならない、という話は聞いたことがあった。だから駆け引きだとか裏があるだとか、その手の勘繰りをしなかったわけではない。しかし、俺が感じていたのは幸福だった。恋人同士でなければできないことというのはそうあるわけではない。俺は箱崎に好きと言われたことにこの上なく舞い上がっていた。それだけで充分だと本気で思っていたのだ。

 俺は結局、箱崎にただ気持ちを伝えただけで、表面上の関係は変わることなく高校三年の冬を迎えたのだった。気付けば二月も終わりに近づき、卒業まで一ヶ月を切っていた。

「会いたいな」

 医者に聞かせたら百人が恋患いだと診断するような台詞を素面のまま呟いた。どうせ誰も聞いてはいない。

 箱崎はいい女だ。

 一緒にいてやかましくと感じたことはなく、さりとて打てば響くように話は弾む。雄弁も沈黙も等価であるかのように気安い雰囲気を持っている。

 育ちのよさなのだろう、品もある。俺は庶民の出だからほぼ平均的な感性しか持っていないけれど、誰かを無意味に不愉快にさせるようなことを彼女は言わない。諧謔がいきすぎるきらいのある俺も少しは影響されてブラックユーモアは控えるようになった。それでもたまにこぼれ出る笑えないジョークに、箱崎は怒った顔を作り、それでいて目は笑っているのだが。

 無性に身体を動かしたくなって、雪をえぐるように蹴り飛ばした。

 箱崎は俺にはもったいないくらいだ。釣り合いが取れる気がしないのだ。唾をつけてしまって本当によかったのかと、時々不安になる。純白の雪に泥だらけの足跡をつけてしまうような征服欲と罪悪感。

 いつかもっと深い関係になれるのだろうか。分からなかった。女性は途方もない海のようなもの。波打ち際で遊んでいるうちに、底知れぬ海に潜ってみようという勇気が削がれてしまったのだろうか。

 恋愛は、もっと面倒で、しんどくて、厄介なものだと思っていた。

 そんなにいいものではないよ、と人は言う。障害を乗り越えてこそ燃え上がる愛がある、と人は言う。

 箱崎との関係を俺は苦痛に感じたことがなかった。ちょっとした口喧嘩はするかも知れないが、どうしても譲れない意見をぶつけあうなんてことはした覚えがないし、箱崎の行動や言動をわずらわしいと思ったこともないのだ。

 波風が立たない円満な関係には何の不都合もない。生活の延長線上にある幸福な時間だ。それに越したことはなくそれゆえ深く考えたこともなかった。

 しかし、幸せであるはずなのにどこか引っかかりを感じるのは何故なのだろう? 美術準備室の居心地を俺はどこかで悪いと感じているのだろうか?

 老朽化で通行止めになったまま放置された石造りの橋の前で携帯電話が震動した。緑色の着信ランプが点灯している。メールだ。

 受信ボックスを確認すると、箱崎からの返信だった。珍しい。メールを億劫がって電話をかけてくるのが常で、今日もそれをかすかに期待していたのだけれど。

『ファミマでなくていいのでチキンが食べたい気分です

 鳥肌立てて買ってくれると嬉しく思います』

 二行目は読まなかったことにする。たまに返ってくるメールには唐突な文章が挿入されていることが何度かあった。流すのが吉だ。

 携帯電話をしまおうとして、ポケットの縁にひっかけて落としてしまった。雪の上に落ちたそれを拾い上げながら、なんとなく来た道を振り返った。俺の足跡は靴底についたぬかるんだ泥で少し汚れていた。降り続く雪はやはり、それを覆い隠さんばかりの勢いだった。

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