第22話 最後に感じた母親の温もり…………。

 こうして、陽向ひなた日葵ひまりは海水浴に行く約束を交わしていた。といっても、二人は気心のしれた単なる幼馴染。恋人同士ではないため、デートと呼ぶには意味合いが違うのかも知れない。しかしながら、諦めるには、まだ早い。一緒に出掛けるということは、距離が縮まる可能性もある。


 よって、これを聞いていた陽日はるひは、ニヤリとしながら言葉を漏らす……。



「ちゅぅ、さすが母さん。そこで僕が父さんの背中を押せば、万事解決じゃないか。そうしたら…………ふふっ、ふふふっ」


 会話を盗み聞きしていた陽日はるひは、二人の接近を大いに喜んでいた。あとは切っ掛けさえあれば、一歩前進できるはず。このように妄想を膨らませ、思わず笑い声を発してしまう。


「んっ? いま、気持ち悪い声がしなかったか?」

「そうねぇ、陽向ひなたの足元から聞こえたように思えたけど」


「俺の足元?」

「ええ」


(ちゅぅ、しまった! つい嬉しくて、声がでちゃったよ)


 不思議そうに首を傾げる陽向ひなたは、注意深く足元を覗き込む。すると、日葵ひまりも同じように視線を落とし、二人は顔を見合わせた。


(ちゅぅ……まずいな)


 そんな状況に驚く陽日はるひは、急いでズボンの裾に身を隠そうとする。ところが、慌てているせいもあり、うまく忍び込むことが出来ない。これにより、何度も左右に体を揺さぶるも、プリッと下半身だけが飛び出た状態。ことわざの定義ではないものの、その姿は頭隠して尻隠さず。


 なんとも可愛らしい光景であった……。


「なんだよ、姿を消したと思ったら、こんなとこに居たのか」

「わあぁー、なによこれ! 超可愛いじゃん」


 ズボンの裾から飛び出したネズミを、両手で優しく包み込む日葵ひまり。顔を少しばかり近づけると、彼女は瞳を輝かせながら嬉しそうに見つめた。


「ふふっ、可愛い」

「ちゅぅ…………」


 本来ならば、嬉しいはずであろう母親の柔らかな温もり。けれど、陽日はるひが最後に触れたのは、葬儀場で一輪の花を手向けた時。別れの挨拶で握りしめた掌は、かたく冷たい感触であった。


 ゆえに、未来で起きた出来事を思い出す陽日はるひにとっては、胸が締め付けられるような悲しい記憶。だからなのか、嬉しくもあり切なくもある。こうした複雑な心境に、ぼんやり瞳を潤ませていると……。


 またしても、陽向ひなたが余計なことを口走る。


「そうそう、こいつがさっき言ってた、例の話していたネズミ」

「この子が? なるほど…………ね」


 愛おしく見つめる眼差し。優しく語りかける声。日葵ひまりの言葉は、まるで息子と話しているかのような素振り。


「ちゅぅぅぅぅぅ」


 これにより、突然にも高鳴る胸の鼓動。息子であると告白したいが、今は溢れ出る想いを抑えるべき。こう考えた陽日はるひは、伝えたい気持ちを押し殺しグッと耐え忍ぶ。


「んっ、どうした? ウンチでも出るのか?」

「なに言ってんのよ。陽向ひなたって、相変わらず下品よね」


「違うのか?」

「当たり前でしょ。この子はね、撫でられて喜んでいるのよ」


 種類によっても異なるが、ネズミとは一般的に撫でられるのが好きな動物。嬉しい時は、体を震わせて感情を表現するという。


「ネズミが喜ぶ? 本当は日葵ひまりに睨まれて、怯えてるの間違いじゃないのか?」

「はあ? 今度いったら、ぶっ飛ばすわよ。っていうか、この子、ネズミじゃなくてハムスターよ」


「ハムスター?」

「ええ。顔が丸くて、頬袋があるでしょ。けど、なんでこんなとこに居るのかしら? 日本に野生のハムスターなんて、生息していないはずだけど……」


 野生のハムスターとは、ユーラシア大陸のみに存在する動物。よって、環境的に日本で生きていくには困難。このように、日葵ひまりは詳しく陽向ひなたに説明してみせる。


「それだったら、直接こいつに聞いてみたらいいんじゃないのか」

「直接? …………それもそうね」


 陽向ひなたの言葉を受けた日葵ひまりは、ネズミの姿をした陽日はるひを凝視して見つめた。


(ちゅぅ……この世界に来たばかりだというのに、僕の目的もこれまでなのか…………)


 万事休すとばかりに、緊張した面持ちで覚悟を決める陽日はるひ智哉ともやとの約束を果たせないまま、これで終わってしまうのだろうか…………。

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