クロエとアリオン~出会い~

クロエは、貴族社会の中でも最も富と権力を持つブライトン家の長女として産まれた。


光を浴びるとキラキラと輝く薄紫の髪と、長い睫に縁取られた大きな目は、誰が見ても見惚れてしまうような、特別に美しい容姿をしていた。


クロエの父カイルと、母サリーは、愛娘を蝶よ花よと育て溺愛していた。



そんなクロエは、賢く勉学もできる娘であったが、貴族に必要な社交性を持ち合わせていなかった。


富と権力を持つブライトン家には、大人も子どもも、どうにかして気に入られようと声をかけてくる者が後を絶たない。


クロエにも、同年代の令嬢から


「クロエ様、今お召しのドレスとても素敵ですわ。どちらで手に入れましたの?」


などとよく話しかけられたが、クロエは、


「そんなことあなたに言う必要ある?」

「話しかけないでくださる?」


と、愛嬌のかけらもない返答を繰り返していた。その為、いつしかクロエは周囲から、

【お高く留まっているわがまま令嬢】と認識されるようになり、次第に疎ましがられるようになった。同年代の友人も一人もいなかった。


ちょうど、そんな時、クロエの母サリーと長年の親友、カーラ・ベルファストが、首都にあるクロエの邸宅近くの屋敷に越してくるという便りが入った。


ベルファスト家には息子がおり、クロエと同じ7歳。性格はとても内気で、クロエと同じく同年代の友人がいないらしい。


それがアリオンだった。


クロエとアリオンは、互いに息子と娘に同年代の友人を作らせたいという母親の思惑から、引き合わされることになった。





その日、クロエの邸宅に遊びに来るという男の子の話を、母のサリーから何度も言い聞かされていた。


「クロエいいこと?お母様の大事なご友人の息子さんなの。絶対に失礼な態度を取ってはダメよ。繊細な子なの。いいお友達になってあげてね。」


「はい、お母様」


母が納得するよう返事をしたクロエは、内心、同い年の男の子の面倒を見るなどごめんだと考えていた。


お母様の手前、あからさまに相手をしないのも憚られるし、適当に本を読もうなどと誘って放置しておくつもりだった。


男の子はうるさいし、汚いし、大嫌いだった。



カーラ・ベルファストと息子のアリオン・ベルファストがクロエの邸宅に到着し、庭園で待っていると侍女から教えられた。


この日のために新調された、白いドレスをきて、クロエは庭園に向かった。



庭園につくと、サリーとカーラが久しぶりだとにこやかに談笑しており、その少し後ろに、心許なげに立ち、池を眺めている男の子が見えた。


クロエが近付いていくと、ビクっと小動物のような動きをした。


髪は光に透けて透き通ってしまいそうな緩くウェーブした金髪、遠い海を写したような、コバルトブルーの瞳をしていた。肌は白く、形のいい唇をしている。


天使がいるならこのような容姿をしているだろうとクロエは思った。


カーラへ挨拶をした後、アリオンに話しかけた。


「初めまして。クロエ・ブライトンです。良かったらあっちで一緒に遊ばない?」


クロエ本人でも驚くような優しい声が出た。


天使を目の当たりにし、クロエですら緊張していたのかもしれない。


アリオンはクロエをちらっと一瞥すると、焦ったように顔を赤くし、すぐに下を向いてしまった。


遊ぼうかという問いかけには答えてくれなかった為、クロエは仕方なく、アリオンの手を引いて連れ出した。


アリオンは嫌がる素振りはしなかったが、落ち着きのない様子で足元ばかり見ていた。


庭園から少しはなれたベンチのある木陰まできて、座ろうと促す。


まだ彼の声を聞いていなかった。どのような声をしているのか、クロエは無性に聞きたくなり、


「お菓子は好き?」

「新しいお家はどう?」


といくつか質問したが、アリオンは一向に答えない。反応はあるので無視したいわけではないようだが、緊張すると声が出なくなるのだろうか?


質問するのを止め、木陰で本を読むことにした。


「天気がいいから、ここで本を読んだりお菓子食べたりしてましょう。私のことは気にしなくていいわよ。」


そういって、クロエは寝転がって本を読み始めた。アリオンは最初はじっとしていたが、1冊本を手に取り、クロエの横に座って本を読み始めた。


カーラとアリオンは、その後も度々、クロエ宅を訪れた。その度に、クロエとアリオンは庭園で一緒に読書をするという過ごし方をしていた。


特に会話が弾むことはなかったが、クロエはこの時間が好きだった。読書の合間に、時折アリオンを盗み見ると、春の日差しがアリオンの金髪と、金の睫に反射しキラキラとしていた。とてもキレイだと思った。


初めてアリオンに話しかけられたのは、

このように過ごすようになって五回目のことだった。


「・・・君は、僕と一緒にいてつまらなくないの?」


クロエは一瞬、アリオンの声を初めて聞いたことにビックリし、聞き返してしまった。


「・・・えっ?何とおっしゃいましたの?」


「僕、こんなだし大体みんなから嫌われちゃうんだ。」


アリオンはどこか悲しそうに言った。


「母さんに、僕と仲良くするようお願いされたのかなって。。。」


母から言われたから遊び始めたのは事実だったが、クロエは産まれて初めて、この物静かで美しい少年と仲良くなりたいと感じ始めていた。


周りに溶け込めない不器用な自分と重ね、彼が自分と似ていると感じた。


「あら、あなたみんなの嫌われ者ですの?」


「・・・・」


「それなら私と一緒ね。私も、高慢でわがままな令嬢だと皆からのつまはじき者よ。」


「・・・君が?」


「だけど、私はそういう人達と仲良くしたいと思わないわ。あなたといるのは、あなたと一緒にいる時間を私が気に入っているからよ。あなたはどう?嫌われている人達と仲良くしたい?」


「・・・ううん、僕は君がいればいい。」


突然、アリオンがクロエの目を見て、告白のような言い方をしたので、クロエは面食らってしまった。


胸がドキドキし、顔が紅潮していたかもしれない。


「・・・あ、あらそう!それなら話が早いわ。」


「私たち、もっと仲良くなりましょう。もっとお話をして、色んな場所に遊びに行きましょう。」


クロエが鼓動が早くなったのをごまかすように早口に言うと、アリオンははにかむように笑った。


その笑顔が眩しすぎて、クロエはアリオンの目を見られなくなった。


それから、2人が距離を縮めるのは早かった。お互いを名前で呼び、読書以外にもかくれんぼをしたり、絵を描いたりして遊んだ。


ある日、お互いの似顔絵を描くという遊びをしていた。クロエの絵の実力はというと、お世辞にも上手いとはいえず、美しいアリオンの顔がヘニョヘニョの誰だか分からない男の顔になってしまった。


クロエは絶対に見られたくなかったので断固拒否したが、絵をアリオンに奪い取られてしまった。アリオンは絵をばかにすることはなかったが、薄く笑って


「僕はこういう風に見えてるんだね。上手だよ。」


と言った。クロエは恥ずかしくなり、言い返した。


「それなら、アリオンの私を描いた絵を見せてよ!!」


すると、アリオンは恥ずかしそうに絵を渡してきた。見てみると、実物の3倍は美しく、儚げな少女の絵があった。繊細なタッチで描かれており、こんなに上手い似顔絵をみるのはクロエは初めてであった。


「・・・まぁ、アリオンは絵がすごくお上手なのね。でも、私こんなにきれいじゃないわ」


笑いながら答えると、アリオンははっきりとした声で


「実物はもっときれいだよ。」


と言った。


アリオンにはこういう、時折人をドキっとさせるような物言いや仕草をすることがあった。アリオンの人見知りがひどかったおかげで、こういった一面が見られるのは自分の特権のような気がして嬉しくなる。


「その絵、まだ完成してないんだ。完成したら、クロエにもらって欲しい。」


「私その絵をいただけるの?すごく楽しみだわ・・・」


後日、美しく彩られたクロエの似顔絵をアリオンからもらった時、クロエは人生でもらったどの贈り物よりも嬉しかった。


「本当にありがとうアリオン、ずっと大切にするわ。」


うっすらと涙を浮かべたクロエを見て、アリオンもひどく満たされた気持ちになり、誰かへの贈り物をすることがこの時から好きになった。


こうして次第に二人は成長し、13歳には同じ学園の中等部に入学することとなった。


クロエは相変わらず、アリオン以外の他人と関わることをしなかった為、プライドの高いわがままな令嬢としてつまはじき者であった。


一方、アリオンは成長とともに社交性を身に付け、男女ともに彼に話しかけようとする者が増えた。


家柄がいいにも関わらず、奢ったことを言わず、誰にでも優しく穏やかで、王子様のような容姿のアリオンは人気者であった。


1つ難点を挙げるとすれば、常に彼の隣にはクロエ・ブライトンがおり、アリオンに近付こうとする者に目を光らせ牽制していた。


クロエは学校一の権力と財力がある家柄だけに、目をつけられたら叶わないと、面だってアリオンに近付く女子生徒はいなかった。


アリオンは、そんなクロエを邪険にするでも諫めるわけでもなく、今までと変わらず親密に接していた。



クロエのアリオンに対する様子を近くで見ていた母のサリーは、娘がアリオンに疎ましがられるのではないかと心配していた。


「クロエ、ここだけの話だけど、ベルファスト家から打診があって、アリオンとクロエは婚約したらどうかと話してるのよ。2人はとても気が合うみたいだし、この結婚はお互いの家にとっても利益が大きいしね。」


「だけどね、いくら好きな人でも、すべての人との関係を絶ち切らせるのはその人のためにならないの。好きなら、自由にさせて、自信を持ってその人を待つのよ。」


クロエは母の言葉を聞きながら、それは自分にとっては難しいことだと思った。


クロエは自分の容姿や家柄には自信があったが、なにせ人に好意を寄せられたことがない。人間的魅力が乏しいことを自覚していた。


しかしながら、母の言葉は刺さるものがあり、アリオンに嫌われないよう、クロエ自身の行動を自重しようと思った。


三年目のクラス替えでは、実家の力を使わなかった為、クロエとアリオンは別々のクラスになった。


それでも時折、どちらかの家に行って勉強したり、話すことは多かったが、必然的に、学校では離れている時間が増えた。


そして1ヶ月も絶たないうちに、アリオンは複数人の特定の生徒と仲良くなり、学園でも一緒にいる姿を見かけることが多くなった。


赤髪で背が高く、がっしりとした体型の生徒はルイといい、武道や剣術に優れた人物だ。


アリオンも気を許しているようで、2人で肩を組んで笑いあっている様子を何度か見かけたことがある。


クロエが遠くの物陰からアリオン達の様子を伺い見ていたのを、ルイに気づかれてしまったことがある。


「おっアリオンの婚約者様がきたぜ。今日も元気にストーカーしていらっしゃるぞ」


とからかい口調に話しているのが見えた。

ひどく恥ずかしかったのだが、その際、アリオンは肯定も否定もしない様子で、周囲をいなすように笑ったのが見え、その様子にもクロエは傷付いてしまった。


ルイよりも苦手なのは、女生徒のセリーナだ。


セリーナは元々平民出身だが、この国では珍しい治癒能力が使えた為、貴族ばかりが通う学園に編入してきた。


黒髪で深い黒の瞳、色白で小柄で童顔な彼女は、男ならみんな守ってあげたくなるような庇護欲をそそる容姿をしていた。


また、性格も明るく天真爛漫で、他人とは関わらないクロエとは正反対の、いわゆる「人たらし」であった。


ボディタッチが多く、アリオンやルイの腕に手を回しているのを何度も見かけたことがある。


周りからみていても、ルイは明らかにセリーナを好いているような見えるが、セリーナはその状況すらも楽しんでいるように見えた。


アリオンもセリーナが気になっていたらどうしようかと気が気でなくなった。


セリーナがたまたま1人でいるのを見かけたので、日頃の態度を改めてもらおうと思い声をかけたことがある。


「セリーナ様、初めまして。私はクロエ・ブライトンと申します。」


「こんにちは!わぁアリオンの幼馴染みのクロエ様ね!お話してみたいと思ってました!」


学園では、婚約者と噂する人がほとんどであるのに、あえて幼馴染みと表現するセリーナにクロエは違和感を覚えた。


「ええ、そう幼馴染みなんだけど、婚約者でもあるの。私としては、セリーナ様が日頃、アリオンに対して距離が近すぎる気がして。。。お友達としての節度を守っていただけないかしら?」


「ええ!?婚約者なんですか?アリオンは、正式に婚約はしてなくて、親の口約束みたいなものだと言っていたけど。。。」


アリオンがそのようにセリーナに伝えていたことがショックだった。


確かに正式な婚約者ではまだないが、距離の近さや親密さから考えても、婚約者はクロエで間違いないとたかをくくっていた。


上手く言葉が出ないクロエに対して、セリーナがとどめの一撃を食らわせた。


「それに、親密にしすぎてるなんて大げさですよ。アリオンは一度も嫌がったこともないですし。本当に婚約者を大事にしてるなら、正式にプロポーズするんじゃないですか?まだないってことは、クロエ様が婚約者でいいのか迷ってるんですよきっと!」


面と向かってそう言われ、セリーナの表情が勝ち誇っているように見えた。


カッとしたクロエは、思わずセリーナの頬を叩いてしまった。


呆然とするセリーナに、たまたま側を通りかかったセリーナのクラスメイト数人が駆け寄ってきた。


「クロエ様!何するんですか!?暴力を振るうなんてあんまりです!!」


周囲からそう言われ、ああ、やってしまったとクロエは思った。


セリーナは治療を受けるため、クラスメートに付き添われて医務室へ行った。





次の日、クロエが学園に登園してみると、クロエは、


【婚約者の友達に嫉妬し、頬を叩いた性悪令嬢】

【正式な婚約者でもないのに婚約者だと言いふらしていた勘違い令嬢】


ということになっていた。


元々良い噂はなかった為、周囲にどう思われようと平気だったが、間違いなくセリーナはアリオンに泣きついたに違いない。


アリオンが自分のことをどう思うか、それだけが気がかりだった。


放課後、さすがにアリオンとセリーナのいる教室へは行く気になれず、帰ろうとしていたところ、アリオンに引き止められた。


「クロエ、ちょっといい?」


クロエは処刑台にでも連れていかれる心境になっていた。。。


「昨日、セリーナとのこと聞いたんだ。僕の知ってるクロエらしくないなって思って。」


アリオンが自分に対し失望しているように聞こえ、クロエは苦し紛れに言い返してしまった。


「あら、私らしくないって?私だって同じ気持ちよ。私の知ってるアリオンは、私のこと宙ぶらりんにしたまま不安にさせないわ。あの平民の肩持つの?」


「平民って。。。身分なんて関係ないよ。セリーナは皆の為になる特別な力があるから入学してるんだ。」


もっともな言葉に、身分で相手を蔑もうとしたた自分の発言が恥ずかしくなり顔が赤くなった。


「婚約者だって、周りに言うのも止めて欲しかった。まだ僕は正式に公表するのは早いと思ってたから。自分の中でやりたいこともあったし、クロエなら待ってくれると思ってた。」


クロエは、初めてアリオンの本音を聞いた。


正式に婚約する前にやりたいこととは何だろうか?それは自分よりも大事なことなんだろうか?


どちらにせよ、クロエが1人で先走ってしまったのは間違いないのだろう。


「アリオンを困らせるつもりはなかったのよ、ごめんなさい。これからは幼馴染みとしてではなく、きちんと淑女として節度を守るわ。名前を呼び捨てにするのも辞めます。」


アリオンは一瞬固まり、苦しそうな表情をした。


「ですから、私を嫌いにならないで。アリオン様。」


涙声になったかもしれない。クロエは泣き落としではなく、本心からそう言った。


「僕がクロエを嫌いになるなんて・・・ありえないよ。悲しませるつもりはなかったんだ。ごめんね」


クロエが冷静さを失ったばっかりに、アリオンを謝らせてしまった。自分の行いがひどく幼稚なことに感じて、さらに後悔の念が押し寄せた。





それからは、クロエはアリオンとの距離感に気をつけ始めた。


今までのように、突然教室に押し掛けたりしないし、学園内で会っても軽く手を挙げる程度にし、会話する機会を減らした。


アリオンとの時間が減り、より一層セリーナとの距離が近づいていくのを見て焦燥感が募ったが、最終的には自分に戻ってきてくれるはずという自信がクロエにはあった。


元々18歳に結婚するという話が親同士の間で出ていたこともあり、17歳の誕生日にはきっと正式にプロポーズしてくれるだろうと思っていたのだ。


そして訪れたクロエの17歳の誕生日、

アリオンとよく過ごした、小高い丘の、草花が広がる草原に連れてこられた。


クロエは心臓のドキドキと、期待に満ちた表情でアリオンが口を開くのを待っていた。


(私はこの時をずっと待ち望んでいたのよ、アリオン)


しかし、アリオンの口からは思いもよらぬ言葉が飛び出し、クロエを絶望の底に叩き落とした。

 


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