第27話 浄化の代償
「きれいな水……これなら、きっと……っ」
湧き水の出るところへと案内すると、リディアはすぐに駆け寄ってしゃがみ込み、水を両手で掬った。
「それで何をするつもりだ?」
「きれいな水には、強い浄化の力が宿っています。その力を借りれば、少ない魔力でも十分浄化できるはずですっ」
水の話はよく知らないが、リディアは予想通り少年を浄化するために湧き水を探していた。
だが、これを使ったところで、リディアが安全だとは思えない。
「本当にできるのか?」
「はい、これなら……っ」
「おまえには、聞いていない」
少し冷たい対応かもしれないが、仕方がない。
リディアなら、何を言っても、大丈夫、できるとしか言わない気がしたのだ。
ここで、確実な返答を求めるなら、聞く相手はリディアではない。
俺はその答えを求めて、フィーネを見た。
『……瘴気は、たぶん浄化できる』
「その言い方だと、浄化できても、リディアの無事は保証できないように聞こえるが」
「そ、そんなことっ」
『プリンセスは、無事ではすまないと思う』
やっぱりか。
となれば、やはりやらせるわけにはいかない。
「リディア、部屋に戻れ」
「そんな、これならちゃんとできるのに……」
「1度会っただけの少年に、そこまで身体を張る必要がどこにある?」
「ジーク様には、ご迷惑かけないようにしますから……っ」
そういうことではない。
だが、この様子だと、リディアが倒れれば俺が迷惑するから、止めていると思っているのか。
「もし、倒れても、放っておいてかまいません、だから……っ」
「そんなこと、できるわけがないだろうっ!!」
頭にカッと血が昇るような感覚で、俺は冷静さを完全に失った気がした。
リディアが痛がるのも厭わず、力ずくでリディアの腕を引っ張る。
「いいから、戻るぞ」
痛い、と小さく悲鳴があがったが、力を上手く緩めることができない。
「ジーク様っ」
「おとなしくしていろ」
「お願いですからっ」
「駄目だと、何度も言っている」
どうしても言うことを聞かないのだ、力づくでおとなしくさせるしかない。
俺の足は、リディアを引きずるようにしながら、邸の中へと向かう。
「ジーク様だって、このままではお嫌なはずです!」
「そんなことは……」
「できることがないっておっしゃった時、すごく悲しいお顔をしていらしたのにっ!」
つい、歩みを止めてしまった。
リディアには、そう見えていたのか。
確かに何もできない事を残念に思う気持ちがないわけではない、だが、リディアを犠牲にしてまで助けたいわけでもない。
「私なら、確かにすごく疲れるだろうけど、それだけです」
数日寝込むことを、それだけなどと思えるはずがない。
「休めば治ります、だからお医者様だって、必要ありませんからっ」
医者を呼ぶことが、面倒だと思っているわけではない。
むしろ多少なりとも回復が早い可能性があるなら、いくらでも呼んでやる。
「とくかく駄目だとっ」
「お願いしますっ!」
リディアが俺の腕にぎゅっとしがみついた。
そこから伝わる力が、まるでリディアの必死さを訴えているようだ。
「できるかもしれないのに、あの子を助けられるかもしれないのに、やらなかったらきっと、一生後悔します」
「だが……っ」
「私は疲れるだけです。でも、あの子はこのままだったら……っ」
まあ、あの状態から、自力でどうにかするのは不可能に近い。
あれだけ弱っていれば、おそらく数日のうちには……
リディアの傍でふよふよと浮いてるフィーネを見ると、俺と同じことを考えているのか、どこか冴えない表情で目を閉じている。
『…………プリンセスが、どうしてもやりたいのなら……』
先に折れたのは、まさかのフィーネだった。
リディア以外の人間はどうでもよさそうに見えたのに、意外だった。
いや、だからこそ、リディアの気持ちを何よりも考えた結果なのかもしれない。
しかし、それでも、本当はやらせたくないのだろう、苦虫をいくつも噛み潰したかのような顔をしている。
フィーネの決断を受けて、俺はまた深いため息をつく。
「どうやって浄化するんだ?」
そう聞けば、リディアの表情がパッと明るくなる。
まだ許可する、とは言ってないんだが、リディアは許可が出たと確信しているようだ。
「このお水を、あの子にたくさんかけて、浄化を手伝ってもらいます」
「なら、あいつをここに連れてきた方が早いな」
水を必要な量運ぶより、手っ取り早いだろう。
「ここにいろ、連れてくる」
「っ!?ありがとうございますっ!!」
嬉しそうなリディアを見て、また深いため息が出た。
少年を湧き水の傍に連れていこうとすれば、母親は当然ながら自分も行くとついてきた。
それから、何かあるかもしれないから、ルイスに同行を頼めば、リディアが心配だからとミアもついてきた。
人手があって困ることはないだろう、と特に拒否することもなく、湧き水の近くへと戻って来た。
するとリディアが、少年を湧き水の近くに寝かせるように指示をする。
「ちょっと冷たいかもしれないけど、ごめんね」
少年にそう声をかけると、リディアが湧き水に近づく。
おそらく大量の水を少年にかけるために魔法を使うのだろう、そう思って俺はその手を掴む。
「それくらいは俺がやる、少しでも魔力は温存しておけ」
「あ……はい、ありがとうございます」
「これを、あの少年にかえればいいんだな?」
「はい瘴気のまわりを覆うように、できるだけたくさん……」
「わかった」
俺は魔力で湧き水を持ち上げ、それを少年に纏わりついている瘴気めがけてぶつける。
それを数回繰り返すと、リディアがもう大丈夫だ、と止めに入った。
「もう少し、我慢しててね」
少年からの返事はない。
言葉が届いているかもわからない。
それでも、リディアは逐一少年に声をかけている。
リディアは少年の傍にしゃがみ込み、瘴気にそっと手をかざす。
そして目を閉じると同時に、リディアの手から真っ白な光が溢れだした。
あの日、魔獣を一掃してみせた時と、同じ光だ。
同様の光が、少年にかけられた水からも、わずかに出ているような気がする。
リディアの言う通り、水が浄化を手伝ってくれているようだ。
「……っ」
少しずつ瘴気が浄化されていくのがわかる。
同時に、リディアの表情はどんどんと苦しそうになり、顔色も真っ青だ。
今すぐ止めさせたい衝動を、必死に抑え込む。
「あと、少し……っ」
リディアが絞り出すようにそう言った。
同時に、手からさらに多くの光が溢れだす。
大丈夫なのだろうか、と思った時、少年から瘴気が消え去り、少年がパチッと目を開けた。
ああ、終わったのだ、とこの場にいた誰もが思っただろう。
少年が起き上がり、リディアにお礼を言おうとした瞬間、リディアの身体が傾いた。
「リディアっ!」
「う……っ、げほっ、ごほっ」
慌てて駆け寄って、リディアの身体を支えると、リディアはそのまま苦しそうに身体を丸め、咳き込みはじめた。
少しでも楽になれば、と気休め程度に背中をさすってみたが、苦し気な咳が止むことはない。
早く部屋へ連れて行って休ませてやろう、そう思った時だった。
「ごほっ」
ひと際大きく咳き込んだかと思うと、口元を覆っていたリディアの手が、赤く染まった。
「なっ!?」
吐血したのだ、そう気づくまでに少し時間がかかった。
ルイスもミアも同じだろう、ただ目を丸くして、呆然としている。
「ごめ……な、さ……うっ、ぐっ、げほ……っ」
リディアは俺が驚いた声を出したからか、必死に謝ろうとした。
だが、その言葉を遮るように、さらにリディアの口元から赤い血が吐き出されていく。
「無理して喋るな」
「うぐ……っ、ごほっ」
苦しいのか、リディアはさらに身体を折り曲げる。
「少しだけ、我慢しろ」
俺はそう言うと、リディアを抱えて立ち上がった。
「ルイス、ここは任せる」
「は、はいっ、かしこまりました」
「ミア、医者の手配をしろ、着いたらすぐにリディアの部屋に連れて来い!」
「はいっ、すぐに!」
ルイスとミアは、俺の声で我に返ったようだ。
ミアはただちに駆け出し、ルイスは親子の方へと対応をはじめている。
俺は未だに腕の中で苦しそうに咳き込むリディアを気遣いつつ、リディアの部屋へと向かった。
やはり、やらせるべきではなかったかもしれない。
真っ青な顔で、ベッドに横たわるリディアを見ながら、俺はそう思わずにはいられなかった。
リディアはあの後、数回ほど吐血を繰り返し、俺の服を汚してしまったとくだらない心配をしながら、力尽きるように意識を失ってしまった。
その後到着した医者の話では、これほど吐血をしていても、命に別状はないらしい。
簡単に言うと、内臓も含め、身体全体がものすごく疲労している状態らしい。
しばらく安静にしていれば問題ないらしいが、青白い顔と冷たい手からはどうもそう思えない。
『大丈夫、本当に、ものすごく疲れているだけ。魔法の使いすぎだから、病気じゃない』
フィーネが、珍しく俺を気遣ってくれているらしい。
だが、それだけ言うと、リディアのペンダントへと消えていった。
リディアはその日のうちに目を覚ますことはなく、目を覚ましたのは翌日の昼を迎える少し前のことだった。
未だぼんやりとしていてどこか焦点があっていない様子のリディアに、それでも少し何か食事をさせた方がいいだろうと、消化によいものを準備するよう指示をした。
すぐに用意され、運ばれて来たのはリディアが好んでよく飲むスープだった。
「何か少し腹に入れておいた方がいい、起き上がれるか?」
そう問えばリディアはゆるやかな動きではあるものの、頷いた。
しかしながら、身体を起こそうとするものの、上手く力が入らないようで失敗している。
「無理はしなくていい」
俺はベッドに腰かけ、リディアが起き上がれるよう手伝う。
そして、自分で身体を支えることもできなさそうだったため、俺の方に凭れ掛かるようにして支えてやった。
「食べられそうか?」
スープを置いたテーブルを、食べやすいように近づける。
するとリディアは非常に緩慢な動きで、スプーンに手を伸ばした。
だが、スプーンを上手く持ち上げる力もないようで、わずかに浮いただけのスプーンがカランと音を立てて元の位置に戻る。
「あ……ごめん、なさい……」
「気にしなくていい、謝ることではない」
リディアは再度チャレンジしようと手を伸ばしたが、俺はその手を下へと降ろさせる。
それから、リディアがバランスを崩さないよう支え直し、リディアの代わりにスプーンを手に取った。
「ほらっ」
スープを人掬いし、リディアの口元へと運ぶ。
リディアは何が起きたかわからないかのように、しばし俺をぼんやりと見つめていた。
だが、徐々に覚醒してきたようである、だんだんとその顔が赤く染まっていく。
「あ、の、じぶん、で……」
「できないから、こうしているんだろう、ほら」
具合が悪くとも、恥ずかしいという気持ちははっきりとあるらしい。
リディアは俯いて、なかなか口を開こうとはしない。
「あたたかい方が、おいしいんだろ?冷めるぞ」
そう言うと、リディアは観念したかのように、ようやく口を開いた。
そこにスプーンを入れると、こくんと飲み込むのがわかる。
小動物に餌付けをしている気分だな、と思いつつ、俺は何度かそれを繰り返した。
「もう、いいのか?」
スープが半分ほど減ったところで、リディアがゆるく首をふった。
もっと食べた方がいい、とは思うが無理をさせるのもよくはないだろう。
俺は、スプーンを置き、食べさせるのを止めた。
「なら、次は薬だな」
そう言えば、リディアはあからさまに嫌な顔をする。
好き嫌いをあまり訴えないリディアも、苦い薬は本当に苦手らしい。
無茶さえしなければ、飲まずにすむというのに。
「ちゃんとチョコレートも用意してある。だから薬飲んでもう一度寝ろ」
そう言えば、リディアは渋々薬を口にした。
苦味に表情を歪めるリディアに、チョコレートを一粒放り込む。
すると、苦味が和らいだのか、ふわりと笑った。
「これを、私に……?」
翌朝、前日より顔色のよくなったリディアの元に、ルイスが一輪の花を持って訪ねてきた。
決して美しいと言える花ではなく、どこか萎れかけているような花だ。
よほど珍しい花かと思えばそうでもない、道端にでも咲いていそうな小さな花でしかなかった。
そんなものを渡さなくても、庭師に新しい花を用意させればいいものを、俺はそう思っていたのだが。
「はい、一昨日の少年が持ってきました。お礼だそうです」
ルイスがそう言えば、リディアは花を見つめて顔を綻ばせた。
「元気に、なったんですね」
「はい、どうしてもお礼を伝えたいので、こちらのお花を渡してほしいと」
「嬉しいです。私、魔法を使ったお礼にってお花もらったの、はじめてです!!」
小さな子どもが握りしめていたのだろう、茎も少しよれよれなのに、リディアは幸せそうに言う。
花くらい、言えば、いくらでも用意してやるのに。
そんなことを思ったけれど、リディアが喜んでいるのは、ただ花を貰ったからではないのはわかっている。
お礼にと、少年がわざわざ自分のために、花を摘んで持って来てくれた、その気持ちがリディアを喜ばせているのだ。
たった一輪の小さな花で、リディアにこんな表情をさせられる少年が、ただ羨ましい。
「そういえば……」
ふと、リディアが考え込む。
「どうして、あの男の子、あんなに瘴気が纏わりついていたのでしょうか……?」
リディアが首を傾げながら俺を見た。
確かに、普通に生活していれば、あれほどの瘴気を浴びる事などない。
ふと、大量に魔獣が発生した時のことを思い出す。
あれも、かなり異常な数だった。
リディアも同じことを考えているのかもしれない。
どこかで瘴気が大量に発生するような、何かがあったのではないか、と。
そういえば、最近、魔獣の発生報告が、あちこちから上がっていた気がする。
魔獣の発生が、ここのところ、多すぎるかもしれない。
「騎士団の方で少し調べておく。おまえは気にせず、しっかり身体を休めろ」
「はい、よろしくお願いします」
自分も調べたい、などとは言い出さなかったことにほっとする。
「こちらのお花、よろしければ、生けておきましょうか?」
「お願いします!」
空気を変えるようなルイスの言葉に、リディアはまた嬉しそうに笑った。
ルイスによってたった一輪、小さなよれよれの花が挿されただけの花瓶を、リディアはずっと幸せそうに眺めていた。
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