第20話 新しい家族


「話はまとまったよ」


 おじ様は、応接室に戻るや否やそう告げられた。

 侯爵様もブリジット様もパトリック様も、非常に驚いた顔をなさっている。


「父上、それはいったい……」

「どういことですの、お兄様!まさか抜け駆けを……!?」


 おじ様に問いかけようとした侯爵様の声を遮って、ブリジット様がすごい勢いでおじ様に詰め寄る。

 思わず離れようとしたけれど、私の手は未だおじ様に繋がれている状態でそれは叶わなかった。


「落ち着きなさい、ブリジット。リディアが選んだのは君だから」


 ね?と同意を求められ、こくこくと頷く。

 すると、ブリジット様の表情がパッと明るくなる。


「本当?本当なのね?」


 ブリジット様はおじ様と繋がれていた私の手をわざわざ引き離し、その手を両手で握りしめながら何度も聞いてくる。

 私はそれに答えるように、必死で何度も頷いた。


「嬉しいわ!!」


 そう言ってブリジット様にきつくきつく抱きしめられる視界の端に、少し驚いた表情の侯爵様が見えた。


「というか、お兄様はもう呼び捨てですの?」

「ああ、そうだよ。それにリディアにはおじ様と呼ばれている!」


 なぜだかおじ様はとっても得意気だ。

 それくらい、なんでもないことなのに。


「もうすぐ、正式にリディアの伯父にもなるわけだしね」


 そうか、ブリジット様の娘になると、おじ様は伯父様になるのか。

 こうしてこの世界で家族が増えていくのだと思うと、嬉しい。


「ずるいわ、お兄様ばっかり!」

「そうだよね、選ばれたのは僕たちなのにね」


 いつの間にか、ブリジット様のすぐ傍にパトリック様もいらっしゃった。


「だから、僕らもリディアって呼んでいいかな?」

「も、もちろんです!」

「まぁっ、嬉しいわ、とっても!」


 ブリジット様がますますぎゅうぎゅうと私を抱きしめて、隣でパトリック様がにこにこと笑っていらっしゃる。

 なんだか、それだけですごく幸せな気分だ。


「ところで、向こうの世界のご両親はなんてお呼びしていたの?」

「えっと、お父様、お母様、と……」

「だったら、僕らは別の呼び方がいいね」


 そう言われてハッとした。

 おじ様がおっしゃっていたのはこのことか。

 確かにこれから私の親となってくださるお二人を呼ぶには、パトリック様、ブリジット様では他人行儀だったかもしれない。


「パパ、ママ、はどうだろう?」

「それ、素敵だわ!!」


 ブリジット様が、私を抱きしめていた腕を緩めて少し離れた。

 どう?と二人分の視線が私に向けられる。

 呼んだことのない呼び名に、少しだけドキドキする。


「えっと、パパ、ママ……」

「きゃー!なんて素敵なの!!」

「ああ、嬉しいな」


 今度は二人揃って私を抱きしめる。

 勢いにまかせてぎゅーっと私を抱きしめるママ。

 そのママごと優しく包み込むように抱きしめるパパ。

 新しい世界でできた、新しい両親のぬくもり。

 とてもとても幸せだった。

 ふと顔をあげると、また侯爵様が見えて目があう。

 すると、侯爵様はまるでこの状況を祝福するかのように、優しく微笑んでくれた。

 侯爵様も喜んでくれているのだと思うと、また嬉しくなった。


「じゃあジーク、親子になった記念ってことで、リディアは1ヶ月くらいはうちで過ごしてもいいわよね?」

「へ……?」

「1週間が限度だと、何度もお伝えしたはずです」

「え?ええ??」

「もうっ、ケチなんだからっ」


 腕を組んでぷんぷんと怒っている様子のママと、ちょっと呆れたような侯爵様。

 私はわけがわからなくて、2人を交互に見る。


「リディア、不安なら無理して行く必要はない。ずっとここに居ても、何の問題もない」

「ちょっと!まるで、うちに来るのがすごく恐ろしいことみたいに言わないでちょうだい!」

「別にそういう意味ではありません。ただ、無理強いしない約束のはずです」


 なんだかお二人のやり取りを見てると、つい笑ってしまった。

 隣でパパも、困ったねなんて言いながら、一緒に笑ってくれる。


「僕たちも無理強いする気はないんだよ。でもせっかく親子になったんだし、少しくらいは同じ家で生活してみるのも、悪くないとは思わないかい?」


 優しい優しいパパの問いかけ。

 確かにそうだ、戸籍に入って、家族になって、はい終わり、なんてよくない。

 あたたかく迎えてくれるお二人に応えられるように、私もちゃんと娘になる努力をしなくては。

 それに、おそらくお二人の家は、これから私にとって実家と呼ぶべき家となるはずだ。

 どういうところか、ちゃんと見ておきたいという気持ちもある。

 ずっとこの家と離れるとなると、とても寂しいけれど、1週間くらいなら……


「私、行ってみたいです、お二人のおうち!」

「これからは、リディアのおうちでもあるんだよ」

「嬉しいわ!すぐにリディアのお部屋、準備してこなきゃ!」


 優しく頭を撫でてくれるパパとは対照的に、ママはよし!と気合いを入れている。

 それから私がおうちで生活できる準備が整ったら、あらためてお迎えに来てもらえることになった。




「よかったのか?無理は、してないのか?」


 パパとママいったん自分たちのお邸に戻ってしまって、おじ様も久々に邸の中を見てまわられるそうで。

 お部屋には私と侯爵様の2人だけが残ることになった。


「パパとママのおうちで過ごすことですか?」


 パパは私のおうちでもある、とも言ってくれたけれど。

 まだ見たことのないそのおうちを、自分の家だというのはちょっと憚られた。


「ああ、それもある」


 それも……他にも、何かあるんだろうか。


「侯爵様はお嫌でしたか?私がお二人の家に行くの……」

「いや、おまえが無理していないのなら……」


 そこまで言って、なぜか侯爵様は言葉を止めてしまった。

 何か考えているような表情の後、少しだけ困った表情になる。


「違うな。しばらく居ないのは、やはり寂しいな」

「えっ」


 侯爵様がそんな風に仰るだなんて、驚きだった。

 同時に、私が居ないと寂しいと仰ってくださるのが、嬉しいと思ってしまう自分もいる。


「あ、あの、でも、おうち、ここから近いそうで……」


 さっきママが言っていた、パパとママが普段生活している首都のおうちは、ここから馬車に乗ればすぐのお近くなのだと。

 だから、この侯爵様のお邸で何かあったら、いつでも家出していらっしゃい、なんて笑いながら。

 そもそも私にとっての実家がパパとママの家の方になるのだから、家出という表現が正しいのかはわからないけれど。


「知っている。叔母上の家にも時折行っていたからな」

「私、行かない方がいいでしょうか?」


 もし侯爵様がどうしてもお嫌だと感じるのであれば、それを振り切ってまで行こうとは思わない。


「そんなことはない、行ってみたいと思ったのなら、行ってみるべきだ」


 侯爵様の手が優しく私の頭を撫でてくれる。

 さっき、パパに撫でられたときとはちょっと違う、優しくてあたたかいけれど、少しドキドキもする。


「ただ、俺が寂しいと感じているだけだ、気にする必要はない」

「わ、私もっ!私も、寂しいです……!でも、その、少しだけだから……」

「そうか……では、帰りを待っている。早く帰って来い」


 ふわりと侯爵様が笑う。

 早く、と言われても、期間は決まっているけれど。

 それでも、私は侯爵様の言葉に頷いた。


「おまえがここに居たいと望む限り、ここもおまえの家だ」

「嬉しいです……っ」


 ちゃんとここが帰ってくる場所なんだと、そう言ってもらえている気がした。


「父上とは、どんな話を?」

「えっと、温室に行って……」

「温室……」


 侯爵様は顎に手をあて、何か考え込むような仕草になった。

 温室に何か気になることがあっただろうか、と様子を伺っていると続きを促される。


「それから……侯爵様のお話をしました」

「俺の?」

「はい、侯爵様が私のことをお手紙に書いてくださった話とか……」

「なっ!?い、いや、続けろ」


 珍しく、侯爵様が動揺していらっしゃるようだ。


「あとは、ママのお話とか……他にもいろいろと。おじ様とお話したおかげで、パパとママの娘にって思えたんです」

「父上に言われて、無理したわけではないんだな?」


 他にあった、無理してないかどうかの確認はこれだったのか。


「違います、ちゃんと自分でそうしたいって思いました」

「そうか、ならいい」


 本当に侯爵様はいつもすごく私のことを気にして、気づかってくださる。

 こんなにお優しい侯爵様に出会えて、本当に幸せだと思った。


「話は、それだけだったか?その……母上の話は、出なかったか?」

「あ……ちょっとだけ。おじ様から見ると、私は侯爵様のお母様の生まれ変わりで、間違いないと」

「やはり、その話は出たか。何か嫌な思いはしなかったか?」

「いえ、特に……」


 抱きしめさせてほしいと言われたことは、言った方がいいのだろうか。

 あと、おそらく少しだけ、泣いていらっしゃったかもしれないことも……


「父は爵位を俺に譲って領地に引きこもってからは、領地からはおろか、領地の邸からもほとんど出なくなってしまって……」

「そう、だったんですか」


 それなら、今日ここにいたのはとてもすごいことなのではないだろうか。


「ただ、おまえが生まれ変わりかもしれないと伝えれば、もしかしたら出てくるかもしれないと思った」

「あ……なるほど」


 そういえば、侯爵様から聞いていたとおじ様もおっしゃっていた気がする。


「すまない、父上を外に出すためにおまえを利用した形になった」

「いえ、気にしてません。おじ様がそれでお外に出られるようになるなら、それは私にとってもすごくいいことです!」


 そういえば、私に侯爵様のお母様の生まれ変わりの可能性もあるという話をした時、侯爵様は嬉しそうだった気がする。

 もしかしたらその時から、いつかこの話をおじ様にして、ここに来てもらおうと考えていらしたのかもしれない。


「そう言ってくれると助かる。だが、本当に嫌なことは何もなかったのか?」


 正直に言っていいんだぞ、と侯爵様が私の両肩をがしっと掴む。

 私は本当に何もなかったと伝わるように、必死で首を横にふった。

 すると、安心したように、侯爵様が息を吐いた。


「ただ、素敵だなって思っただけです、おじ様と侯爵様のお母様の関係」

「そうか、ならよかった」






 ***


「本当にいい子だね、リディアは」


 リディアと別れて、執務室で溜まっていた仕事を片づけている時だった。

 久々に来たから邸を見てまわると行っていた父上が、一通り見まわって暇になったのか執務室を訪ねてきた。


「母上に似てるから、ですか?」

「同じなのは魂だけだ。後は全くの別人だよ、私もわかっている」


 あれはアーシェではない、と父上は呟いた。

 確かに容姿は全然違う、性格はもっとだ。


「それでも、会えて嬉しかったよ。アーシェの魂にも、それからリディアにも」

「リディアに何もしていませんよね?」


 父は非常に穏やかな表情で話している。

 リディアも特に何かあった様子はなかった。

 それでも、確かめずにはいられなかった。

 リディアを使って父上を呼び出したのは、他でもない俺自身だというのに。


「抱きしめさせてもらったよ」

「は?」

「彼女は嫌な顔一つせず、アーシェの代わりとして、ただじっとしていてくれた」

「なっ!?」


 思わず大きな音を立てて机を叩いて、立ち上がった。

 そんな話はリディアからは聞いていない。

 リディアは、何もなかったと言っていたのだから。

 だが、これは、果たして何もなかったと言っていいのだろうか。

 身代わりにされたリディアは、傷ついていないのだろうか。

 そう考えているだけで、怒りが沸々と湧き上がる。

 こういったことが起きる可能性があるとわかっていながら、リディアを利用した俺も、当然悪いのだけれど。


「おかげで、吹っ切れたよ」

「え?」


 父上が穏やかな表情で思わぬことを言うものだから、先ほどの怒りが一瞬で吹き飛んだ。

 この人は母上の最期を看取ることができなかったことを、おそらく一生悔いて生きていくのだろうと思っていたから。


「もちろん、アーシェのことを忘れるわけではない。大切な思い出として胸にしまっておく。だが、いつまでも自分を責めて後悔し続けるだけなのは、やめようと思ったんだ」

「そう思えたのが、リディアのおかげだと?」

「ああ。それと、リディアに会わせてくれたおまえのおかげだよ、ジーク」

「……っ」


 ありがとう、と思わぬ感謝の言葉を告げられ、少し動揺する。


「全ておまえに押し付けてしまって、本当にすまなかったな」

「いえ、爵位を継ぐと決めたのは、俺自身ですから」


 母上が亡くなった後、すでに冷たくなってしまった母上を見つめる父上は、心身ともに憔悴しきっていた。

 この帝国の侯爵であり、そして中央騎士団の団長という立場であったが故に、最愛の人の最期に立ち会えなかった。

 その事実が父上を苦しめる中で、父上にその立場を続けさせるのは、あまりにも酷だと思ったのだ。

 幸いなことに俺は成人の儀もすませ、爵位を継げる年齢でもあった。

 だから、自分が全てを受け継ぐことで、少しでも父上の心が軽くなればと思った、ただそれだけだった。

 本当にありがとう、と再度父上からのお礼の言葉が聞こえた。

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