第5話 食事と部屋と…


「いくらなんでも少なすぎるだろう」

「す、すみません……」

「謝らなくていいから、もっと食え」

「でも、これ以上は本当に……」


 夕食時、リディアはナイフやフォークの使用経験はあるものの、マナーには全く自信がないと言いながら席に着いた。

 公けの場ではないのだから好きに食べるよう伝えれば、安心したように食事をはじめたまではよかったのだが。

 まさか、スープとサラダだけで腹がいっぱいになったなどと言うとは。

 メインの肉には全く手をつけていない。


「お嬢様、お肉は苦手ですか?別のものにいたします?」


 ミアが声をかけるが、リディアはふるふると首をふる。


「ち、ちがうんです、本当にお腹いっぱいで……」


 メイドにも敬語か……

 食べる量が少ないこととあわせて思わずため息が出る。

 するとリディアがびくっと震え、それを落ち着かせるためかルイスがリディアに近づく。


「お嬢様、でしたらデザートはいかがですか?何か召し上がりたいものがございましたら、厨房に伝えて参りますが」


 しかし、リディアはまた首をふり、俯いて両手を握りしめている。

 このままでは泣かせてしまうかもしれない。

 だが、昼間もせいぜいスープとフルーツしか食べていないという。

 あまりにも少なすぎる。


「食べたいものを何でも言え。可能な限り準備させる」

「本当に何も……」

「はぁ……まったく。向こうではいったいどういう食生活だったんだ」


 呆れたように言ったこの一言を、俺はすぐに後悔した。

 リディアがカタカタと震え出す。

 先ほどまでとは明らかに様子が違うのは一目瞭然だった。


「リディア……?」

「ごめんなさい、ごめんなさい……っ!!」

「お嬢様!!」


 ミアが慌ててリディアに手を伸ばす。

 だが、その手が触れた瞬間、悲鳴のような声があがり、リディアがその手から逃れようしバランスを崩す。

 椅子から転げ落ちそうなところを、咄嗟にルイスが支えたが、それがさらにリディアの震えを大きくし、錯乱させているようだ。


「もう、いや……っ、ゆるして、ごめんなさい……」

「落ち着け、リディア」

「いやっ、たすけて……」


 ルイスに支えられている状態で暴れまわり、再び椅子から落ちてしまいそうなリディアを椅子からおろし自分の方に引き寄せる。

 すると今度は俺から逃れるように泣きながら暴れまわるが、それを力で抑え込んで抱きしめるとようやく少し落ち着いてきた。


「大丈夫だ、何もしない」

「あ、わたし……」

「大丈夫、大丈夫だ」

「ごめん、なさい……」

「謝らなくていい」


 大丈夫だ、とぽんぽんと背中を叩いてやると、リディアはようやく落ち着いた。


「ルイス、リディアの部屋は?」

「はい、準備できております」

「そうか」


 ルイスの返事をきいて、俺はリディアを抱き上げた。

 抵抗されるかと思ったが、先ほど暴れたのを気にしているのか大人しくしている。


「部屋の準備ができたようだ、見に行ってみよう」

「え、でも、侯爵様、お食事は……」

「あとで食べるから気にしなくていい」

「でも、あたたかいうちに……」

「冷めてしまったら、あたためなおしてから召し上がっていただくので、大丈夫ですよ」

「何も心配しなくていい、大丈夫だから」


 ルイスの助け船もあり、リディアはようやく納得してこくんと頷いた。

 少し気分を変える意味でも、場所を変えた方がいいだろう。

 ようやく準備ができた自分の部屋でも見れば、多少気分も落ち着くかもしれない。


「あ、あの、私自分で歩けます……っ」


 リディアがそう言い出したのは、部屋の近くまでたどり着いてのことだった。

 ようやく我に返ったのかもしれない。


「あと少しだ、このままでいいだろう」

「あ、う……」


 リディアは困ったように視線をうろうろさせ、恥ずかしそうに顔を伏せる。

 まるで全身で恥ずかしい、と訴えているようだ。


「ほら、ついたぞ」


 扉を開ければ、元はシンプルな客間だったのが嘘のようにかわいらしい部屋で、正直なところ俺も驚くほどだった。

 壁紙に、家具に、装飾に、ルイスのやつ、随分と頑張ったようだ。


「うわぁ、すごい、お姫様のお部屋みたい!」


 ようやく明るくなった表情に安堵しつつ、俺はリディアをソファへとおろしてやった。

 次いで隣に腰掛ける。


「お姫様の部屋か、ぴったりじゃないか」

「へ……?」

「おまえも、お姫様なんだろ?」

「ええっ!?ち、ちがいます!!」

「そいつが言ってたぞ」


 ペンダントを指さしてやれば、リディアがハッとする。


「あ、あれは違うんです!!」

「どう違うんだ?」

「その、私の父は魔力がとても強くて、それこそ私が生まれるまでは世界一の魔術師と呼ばれるくらいで!」


 リディアが生まれるまで。

 つまり、リディアは生まれながらに、世界最強と言われた父を超えてしまっていたということか。

 聞こうかとも思ったが、話の腰を折ってしまいそうなのでやめた。


「だから魔術師たちの中で、帝王だの皇帝だのって呼ばれてしまっていて……」

「なるほど、その娘だから姫か。安易だな」

「そうです、だから特にお姫様らしいことは何も。魔法以外はだいたい何やってもダメでしたし……」

「魔法には相当自信がありそうだな」

「その、魔力だけは強かったですから……」


 そりゃあ世界最強と言われた父親の魔力を超える魔力をもって生まれたとしたら、自分より魔法が使える人間にはあまりお目にかかれなかっただろう。

 経験の長い術師の方が知識は豊富だったかもしれないが、多少学べば術は簡単に習得できるだろうことは容易に想像できる。

 だが、そこまで強かっただろうリディアの魔力は、今はそれほど強く感じられない。

 数年、数十年と戻らないのではあれば、苦労しそうだ。


「魔力の回復はどうだったんだ?元々遅い方なのか?」

「いえ、そんなことはないです。魔力を使いすぎて疲れた時はなかなか回復しないこともありましたけど、基本的には早い方だったと思います」

「それなのにこっちでは遅いのか」

「ここは私が生まれた世界ではないですから。この世界にとって、私も、私の魔力も異物でしかありませんから」

「なら、ずっと回復は遅いままなのか?」


 1度魔力を消費するたびに、毎回数十年単位で回復を待たなければならないと考えるとゾッとする。


「いえ、徐々に魔力がこの世界に馴染むことで、回復も早くなるかと」

「馴染む?」

「はい。たとえば本来そこにあるはずのない石が置かれていたとします。最初は誰もがその石に違和感を持つでしょう。でも、その石がずっとそこにあり続けると、人々はいつしかその石があることが当たり前になるんです。そうやって世界に馴染んでいくんです」

「つまり、おまえも長くこの世界にいることで、世界にとっていることが当たり前になっていく、というわけか」

「はい。まぁ、それがいつ頃になるかはわかりませんし、元の世界ほどの回復速度までには、おそらくなれないとは思いますが」


 そこまでわかっている上で世界を渡る決断をしたのか。

 どんな場所へ飛ばされるかさえ、わからないというのに。

 それほどまでに前の世界が嫌だったのか、そう言いかけてやめた。

 また、錯乱させてしまいかねない気がした。

 父親の話や、魔法の話は平然とする。

 その一方で向こうの世界の思い出したくない話もあるのだろう。

 気づいたら、リディアを引き寄せて抱きしめていた。


「侯爵様?あの……」


 この世界では好きなことをたくさんして、幸せに過ごせたらいいと思う。

 そして、好きなものもたくさん食べて、大きく……


「やはり、まずは食べる量を増やさないとな」

「えっと、あの、今日はもう……」


 困ったように、リディアが俺を見ている。

 確かに今日はほとんど寝てばかりだったし、あまり食べられないのも無理はないかもしれない。


「ただでさえあまり食べられないのに、なんでスープとサラダにしか手をつけなかったんだ」


 せめてメインの肉や、パン等、他に選択肢はいくらでもあっただろうに。

 だいたい、昼間もほぼスープだっただろうに。


「スープ、とてもおいしくて……その、ごめんなさい」

「スープが好きなのか?」

「はい!あたたかくて、おいしいです!」


 嬉しそうににこにこと笑っている。

 いや、肉だって冷めてはいなかっただろうに。

 もう少し具だくさんで、食べ応えのありそうなスープを用意させるか。


「まるで温かいから、おいしいと言ってるようだな」

「はい!あたたかいと、おいしいです!!」


 否定はしないのか。

 まさか、味は二の次か?

 シェフが聞いたらさぞ悲しむであろう。


「温かいものがいいなら、朝食は焼きたてのパンを準備させよう」

「え?」

「きっと気に入るはずだ、だからしっかり食べろ」

「は、はいっ」

「あとはそうだな、身体を動かした方が腹も減るだろう。明日から約束通り剣術の訓練もしてみるか」

「いいんですか!?」

「ああ」


 よほど嬉しいのだな、と一目でわかる喜び方に苦笑する。

 剣術の訓練が嬉しい女とは、随分と珍しいやつだ。


「変わってるな、おまえ」

「え?」


 きょとんとするリディア。

 それがまたおもしろくて、くしゃくしゃと頭を撫でているとノックが聞こえた。

 すると、リディアが慌てて走り出そうとするので腕を引く。


「わざわざ扉まで行かなくても、ここから返事をすれば聞こえる」


 リディアにそう言って、少し大きな声で入るように伝えれば扉をあけてミアが入って来る。

 ほら、聞こえただろう、というようにリディアを見れば、どこか恥ずかしそうだ。

 おそらく、先ほど走って扉を開けた時のことでも思い出したのだろう。

 その様子に笑いだしたくなるのを必死で耐えた。




「お嬢様、よろしければこちらを」


 ミアが持ってきたものは、ガラスコップに入った、おそらくは飲み物。

 なんともいえない色をしていて、それをリディアに飲ませるのはさすがに憚られる。

 リディアが安易に受け取らないよう、自分に引き寄せることで両腕を拘束する。


「ちょっと待て。なんだそれは」

「野菜ジュースです!」


 名前からしても、あまりおいしそうな印象を受けない。

 入っているものが野菜ならば、身体にはいいだろう。

 あまり食べられなかったリディアの健康を案じて準備しただろうことはわかる。

 とはいえ、そんなまずそうなものを無理して飲ませなくても、明日から食事量を増やせば解決する話だ。


「下げろ、見るに耐えん」

「いえ!確かに見た目は悪いんですが、味は大丈夫です!シェフが新鮮な果物等も使って、ちゃんと味を調整してくれています!」

「…………」

「私も味見しました!さっぱりしていて飲みやすいので、食欲のないお嬢様でもきっと召し上がることができます!」


 睨みをきかせても、引き下がる様子はない。

 ルイスはなかなか度胸があるメイドをリディアに選んだようだ。

 人選は悪くないが、こればかりは……

 そう思っているのに、リディアはコップに手を伸ばそうとしている。


「おい」

「飲んでみたいな、と。ダメでしょうか……?」

「…………好きにしろ」


 思わずため息が出た。

 どうしてそんなに飲みたがるのか全く理解できないが、リディアは嬉しそうにガラスコップを受け取った。

 そして大事そうに両手で抱えて、なんの躊躇もなく口元へと運んでいく。

 こくり、と飲み込む音がした。


「大丈夫か?」

「はい!さっぱりしてて飲みやすいですし、とってもおいしいです!」


 リディアはそう言うと、またこくこくと野菜ジュースを飲む。


「侯爵様も飲みますか?」

「いや、俺はいい」


 飲みかけのガラスコップを差し出してくるのを、顔を背けて押し返した。

 リディアは気に入ったようだが、見た目からして飲んでみる気にはなれない。

 見ているだけで気分が下がりそうな俺とは対象的に、ミアはおいしいと言われたことで非常に嬉しそうである。


「気に入っていただけてよかったです!お嬢様さえよろしければ、毎日お作りします、とシェフが」

「本当ですか!?」


 待て、それは嬉しいのか。

 リディアはパッと目を輝かせているが。

 毎日このなんとも言えない色の飲み物を見るかと思うだけで、こちらは気分が下降しそうなのだが。


「シェフに伝えろ、もう少しましな見た目にしない限り、リディアに出すことは許可しない、と」

「わ、私なら大丈夫ですよ!このままでも、おいしいですし!」

「見ているこっちが、大丈夫ではない」

「でしたら、今後は侯爵様に見えないところで……」

「そういう問題ではない。とにかく伝えろ、いいな」


 ミアを睨みつけると、今度は効き目があったようだ。

 必死に何度も頷いている。


「で、では、私はこれで……っ」

「いや、ここにいろ。俺が出る」


 バツが悪そうに立ち去ろうとするミアを引き留めて、立ち上がる。


「明日にしっかり備えておけよ」

「はい!!」


 剣術のことだとわかったのだろう。

 とても楽しみにしているのがよくわかる。

 リディアとミアが会話している様子を背中に感じながら、俺はリディアの部屋をあとにした。

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