開けられなかった箱

高麗楼*鶏林書笈

 花々が咲き誇るうららかな春の日、王宮広間では国王夫妻及び王族、臣下たち等が見守る中、少年が高僧によって剃髪されていた。

「確かに上の王子さまは、優秀で穏やかな方ゆえ仏の御弟子になるに相応しい方だが…」

「人々のためには俗世で王になりなっていただきたい方だね」

「ああ、だが、それは無理ってもんだ」

 官吏たちがあれこれ言い合っている間に少年の髪は全て落とされ僧の姿になった。

 実はこの少年、王の第一子だった。本来ならば王の後継者としては王太子に立てられるのだが、生母の身分が低かったため王位継承権がないのである。

 ここ新羅の王室では、母親が王族か上級貴族でない限り王にはなれないのであった。

 少年の母親は国王付きの侍女だった。働き者で熱心な仏教信者の彼女を王は寵愛した。このことで彼女は驕らず身の程をわきまえているためか、王后にも可愛がられた。

 こんな母親の影響のせいか、少年も幼い頃から仏の教えに馴染み、熱心に学んだ。そんな息子に父王は高僧を家庭教師につけた。

 彼は勤勉で気立がよく両親はもとより義母にあたる王后にも孝行を尽くした。おかげで国王夫妻から愛され、また周囲の人々からも慈しまれた。

 王の子息でありながら母親の身分ゆえ政事には携われない彼の将来をどうすべきか、王も王后もあれこれ思案した。僧にするのがいいのではないだろうか、本人も仏弟子になることを望んでいるだろう。仏教信徒である生母もこれに賛成した。

 こうして第一王子は仏門入りしたのであった。


 出家した王子は心地という法名を得て中岳で修行に励んだ。

 数年経ったある日、俗離山に滞在している永深という僧が師である真表律師の御骨で作った御札を使って果訂法会を開くことを知り、心地も参席したく思い旅立った。

 だが、期日に間に合わなかったため参加が許されなかった。

 心地は参加出来なかった他の信者と同じように庭に座り地面を叩きながら仏に懺悔して福を願う懺礼という儀式を行った。

 懺礼は七日間行われたが最終日に雪が降った。だが、心地の周りだけは積もらなかった。

 この様子を見た主催者は、心地は大変な人物に違いないと思い堂内に入るように促した。

 だが、彼は断り、体調を崩したので休みたいといって粗末な部屋に入って行った。そして、法会が行われている御堂に向かって礼拝すると、肘と額から血が流れ、かつて真表律師が仙渓山で修行していた時と同じことが起こったのだった。

 その夜から毎日地蔵が現われて彼を労った。

 法会が終わり、心地の体調も回復したので中岳に帰ることになった。

 帰りの道中、衽(おくみ)に御札が二枚挟まっているのに気が付いた。

 驚いた心地は俗離山に戻り、永深のもとに行って御札をみせた。

「御札は箱にいれて保管してあるはず」

と言いながら箱の包みを解いて蓋を開けてみると、空だった。

 永深は御札を受け取ると箱に入れ幾重にもしっかりと包んだ。

 心地は辞して山を下りると、また衽に先程の御札が挟まっていた。

 再度、永深のもとを訪ね御札を見せた。前回と同じく箱を確認すると中は空だった。

「この御札はあなた様に御縁があるようです。お持ち下され」

 こう言いながら永深は心地に御札を与えた。

 彼は札を大切に頂いて中岳に戻った。

 すると中岳の山神が正戒を求めに二人の子供を連れてやって来た。心地はそれに応じ、その後三人に

「この御札を祀る場所を探すために山の頂に登るので一緒に来てくれ」

と誘った。

 四人が山頂に立つと風が吹いてきて御札の一枚が飛ばされてしまった。

 一同が後を追っていくと泉の中に落ちた。

 心地はそこが適地なのだろうと考え、御堂を建てて二枚の御札を安置した。

 その後、心地は山神と別れ、居所の庵に戻り、仏道に励むのだった。


 それから数十年の歳月が流れた。

 朝廷では王が何人も変わり、心地の異母弟が即位した。

 新羅の国運は既に傾き始めたようで、各地で反乱が起こり、世の中は騒然とした。

 不安定な日々の中で、年配者はかつて出家した王の異母兄である心地を思い出した。

「慈悲深く、賢いあの方が王位に着くべきだったのではないか」

 現王に対する失望から出た言葉だった。

 そうしたある日、一人の青年武人が心地の庵を訪ねてきた。

 王建と名乗った青年は

「民のために王になっていただけませんか」

と言った。これに対し心地は

「私は世間知らずの修行者です。政事など出来ません」

と答えた。

「そうですか」

 青年は爽やかな笑顔で応じた。こうなることは予想していたのだ。

「では、これをお納めください。もし民を思い、王位に就く決心をされた時、開けて下さい」

 青年は小箱を渡して去って行った。

―孤雲先生に書いていただいた政務に関する書が入っているのだが、和尚さまは恐らく開けられることはないだろう。

 山を下りながら彼はこう思うのだった。

 彼の予想通り、心地は生涯箱を開けることはなかった。

 

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開けられなかった箱 高麗楼*鶏林書笈 @keirin_syokyu

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