ライムグリーンの風

三谷朱花@【E-39】文フリ東京38

ライムグリーンの風

「あー。カッコいい。」


 はぁ、とため息をついてそのバイクを見つめる。

 Ninjaと言えば、ライムグリーンだよなー。

 この何とも言えない派手なグリーンが、滅茶苦茶カッコいいんだよー。

 現行のはもっとメタリックだけど、やっぱり俺は前のグリーンが好きだなー。

 うんうん、やっぱりコレ、カッコいいよなー。しかも900とか。あー。俺せいぜい400しか乗れないからなー。やっぱ大型免許取ろうかな…。はぁ、いいなー。


「俺のバイクに何か文句あるのかよ。」


 ドスの効いた声にびくりとなる。

 ギギギ、と振り向けば、俺より頭一つ大きいジーンズにライダースジャケットを羽織った俺より10は上の男が、メットを2つ持って立っている。多分、女どもに言わせるとイケメンだろう。イケメンなだけじゃなくてこのNinjaも持ってるとか、天は二物を与えるんだな…。


「いえ。文句じゃなくて、滅茶苦茶カッコいいなーって見てただけです。」


 その不機嫌さに滅茶苦茶ビビりながらも、誤解のないように訂正をする。


「カッコいい?」


 訝しそうなその返事に、俺は答えを間違ったんだろうかと思う。どう考えても、このライダースジャケットを羽織った男がこのバイクの持ち主だと思うんだけど? 


「ええ。俺、このライムグリーンのNinjaに憧れてて!」

「へー。どこがいいの?」


 ニコリともせず冷めたようなその言葉に、俺の背中に冷や汗がだらりと流れ落ちる。

 もうすっかり涼しくなったのにおかしいな? 何で汗が流れるんだろうなー。


「どこって…この存在ですかね。それにこのグリーンの色がいいんですよ。現行のより断然俺はこっちが好きです。」


 顔に無理やり笑顔を張り付けつつ、俺は説明にもならない説明をする。ああ、自分の語彙のなさに勉強以外で困るときが来るとか思わなかった!


「…そうか。この色好きか。」

「いい色ですよ。Ninjaと言えば、この色ですから!」


 これには力が入る。俺のNinjaへのあこがれは、この色からだったからだ。


「これに乗りたいか?」

「乗れるなら乗りたいですよ! でも、俺まだ大型免許持ってないんで、乗りたくても乗れそうにないです。」


 はぁ、とため息をつけば、頭上でクスリと男が笑った。

 どうやら、誤解は解けたらしいとわかって、心の底からほっとする。


「乗りたいなら、乗せるぞ。」


 思いがけない言葉に、俺はパッと顔を見上げる。


「乗せてくれるんですか!?」


 俺の勢いに、男がニヤリと笑う。


「どこに連れて行かれてもいいならな。」

「…あー。帰り公共交通機関で自力で帰れるところにしてもらえれば文句はないです。」

「お前、考えナシだって言われないか?」

「…まあ、よく言われますけど、でもこのNinjaに乗せてもらえるなら、それくらい別にいいです!」


 男がクククと笑い出す。


「ここには戻ってきてやるよ。ここにバイク置いてるんだろ?」

「えーっと、俺は自転車できてるんで。」


 男が眉をしかめて首をかしげる。


「何でバイク置き場に来てるんだよ。」


 まあ、完全に不審者だよなー、と自分でもわかってて苦笑してしまう。


「眺めるの好きなんですよ。まだバイク買う金が貯まってないんで、バイク見て自分を奮い立たせるって言うか。」

「そうか。何買う気なんだ?」

「Ninjaの250、しかも中古です。でも、このNinja見て今貯めてるお金で大型取ろうか迷ってました。」

「そんなことやってたら、ますます買うの遠のくだろ。」

「いやでも、憧れが目の前にあったら、やっぱり。」


 ハハハ、と力なく笑えば、男がメットの一つを俺に渡してきた。


「それMだけど、お前なら入るだろ。」


 まあ、俺は男にしては小さめだけどさ。そうだよ、入るよ。いや、でも、今メットを持ってるってことは?


「これ、誰かが使う予定じゃないんですか?」

「あ、大丈夫。あの女、この色が気持ち悪いとか言うから置いてきた。」


 どうやら男は痴話げんかの最中らしい。


「…それ、大丈夫ですか。後で彼女さんに怒られるんじゃないですか。」

「もう振ってきたから。人の愛車に文句言う女なんて付き合う価値もねぇ。」


 うーん。完全にNinjaに負けたね、彼女さん。いや、元彼女さん。


「まあ、このきれいな車体に文句言ったらダメですね。」


 それはダメ絶対! って感じだ。


「だろ。だからいいんだよ。」

「はあ。じゃあ、ありがたくお借りします。」

「後ろに乗ったことは?」

「えーっと初めてです。」

「ま、免許持ってるなら大丈夫だろ。」


 俺がこくんと頷くと、男が、あ、と声を漏らした。


「お前、ヤローか。」


 何を今更。


「確かに作りは小さいですけどね! それ以外に見えたら眼科行った方がいいですよね。」


 正真正銘男だけど?


「ヤロー乗せる気とか無かったんだけどな。…乗ったら…いいやおまえ小さいから何か不安だから腰に手を回せよ。」


 なるほど。確かに密着して後ろに乗せるなら女に限りたい。気持ちは分かる。


「えーっと、わかりました。」


 自分で運転したことはあっても、人の運転するバイクに乗るなんて初めてで緊張する。


「そんなに緊張すんなよ。乗り方わかってんだからさ。」

「いえ。人のに乗るの初めてなんで。」

「ま、何かあったらその時はその時だな。この選択をした自分を恨め。」


 果たしてこの人に命を預けていいんだろうか。


「わかったな。」

「…はい。」


 Ninjaに乗りたい欲求に勝るものはないし、同じNinja好きに悪い人はいない…と思おう。


「彼女にも同じこと言うんですか?」

「まさか。」


 だよねー。


「そんなこと言おうもんなら喧嘩だろ。めんどくせー。」


 …基本、同じこと思ってるわけか。


「私とバイクどっちが好きなの、とか抜かしたら迷わずバイクだけどな。」


 ぶれない! この人ぶれない!


「彼女できてもすぐ別れるんじゃないですか?」

「よく分かるな。」

「ついてける人が多くは無さそうなんで。」


 バイク優先を理解してくれる彼女は一握りだろう。


「最初はな理解してるふりするんだよな。でもダメだな。俺がツーリング行くって言うと、誰と? とか始まって。一人で乗るとか言っても信じてもらえないし。」


 うーん。イケメンでこのバイク買えるくらいの甲斐性があれば、誰かに取られたくないって思うのも仕方ないかもな。だって、年齢的にも結婚相手にピッタリな頃合いだろ。

 俺みたいに学生じゃないし。


「ま、お前はそんなこと言わないからいいな。」

「言う理由が見当たらないんですけど。」


 俺、ノーマル。それにたまたまバイクに乗せてもらえることになっただけ。




 エンジンをふかす音に、緊張が走る。

 ぎゅっとその腰をつかむ手に力を入れれば、前の気配がクスリと笑った気がした。…何せ、人の後ろに乗ったのは初めてだからね! 緊張するのも仕方ないだろ!


 滑らかに滑り出したバイクに、俺は前の男に身をゆだねることにする。俺にできることはそれしかないから。

 道路に出ると、バイクは迷うことなく直線を進んでいく。どんどんスピードがあがり加速する感覚と鼻に届く排気ガスのにおいに、興奮が高まっていく。

 そこかしこで吐かれる排気ガスのにおいなど、本当なら不快なにおいのはずなのに、そのにおいさえも今の俺には興奮を呼び起こすトリガーになる。


 カーブを曲がる。体重の乗せ方は、考えなくても体が勝手に動いてくれた。またストレートに戻ってバイクと一体になって体が起こされる。

 最初はしがみつくことに意識が向いていた体が、そのスピードを体感する方に興味を向ける。

 丁度、車の数がそれほど多くないこの道は、バイクがその動きを鈍らせることなく、スピードに乗って行ける。

 そのスピード感に恍惚とした気持ちよさを感じる。

 だからバイクに乗りたかったんだと、俺の体が言っている。


 本当は自分がそのハンドルを操りたくはあるけど、この背中の後ろでも、俺が求めていたものは十分に感じられる。

 そして、その余裕が、このハンドルを握る男の運転技術にあると言うことも、嫌でもわかる。こいつは上手い。あんなことを言っていたけど、きっとこの男は同乗者の命を大事に思っているんだろう。

 俺はぎゅっと体を密着させると、完全に男に身をまかせそのスピード感に酔いしれることにした。




「流石に免許取ってるだけあるな。体重移動がベストタイミングだった。」


 たどり着いたのは大きな橋のたもと。海辺に工場の明かりが煌々と光っている。バイクを止めた男は自販機でコーヒーを買うと俺に投げてよこす。


「おほめにいただき光栄です。」


 あったかいコーヒーを受け取って、ペコリと小さくお辞儀する。これだけの運転技術がある男に褒められたのだ。嬉しくないわけがない。


「あれだな。何の知識も技能もない女を乗せてるより、よっぽど楽しいな。」

「たぶん自分が思う通りにマシンが動くからじゃないですか。」


 俺は貰ったコーヒーの缶を開けずにコロコロと手の内で転がす。その温かさが肌寒い季節に暖かい。


「そうだろうな。」

「だから一人で走る方が楽しいんじゃないんですか。」


 男がプルタブを開けて俺を見た。


「まあ、それはあるな。でも、女を乗せるのもそれなりの楽しみはあるんだよ。」

「何ですか。」


 コクリとコーヒーを飲んだ男が、ニヤリと笑う。


「密着するから、その後の楽しみを想像できる。」

「…運転中にそれは辞めたほうがいいんじゃないですか。」

「お前、男のくせにこの楽しみが分かんないわけ?」

「…いや、わかんないわけじゃないですけど、バイク乗ってるときに思うこととしては何か不謹慎です。」

「お前、潔癖だな。何? 童貞なの?」

「童貞じゃありませんけど、バイクに対する憧れが高まってる俺に、そんな下世話な話聞かせないでください。」

「童貞じゃないなら付き合えよ。」


 その当然だろうとでも言いたそうな物言いに、俺はため息をつく。


「初対面の人と素面でする話とは思えないんですけど。」

「そうか? 俺の職場じゃ素面でもっと下世話な話するぜ。」

「…どんな職場ですか。」


 呆れてまたため息をつけば、男が俺の頭をぐしゃぐしゃとかき回す。


「お子ちゃまにはわかんないだろうな。」

「お子ちゃまにはわかりそうにありませんよ。」


 ようやくコーヒーのプルトップを開けると、俺はコーヒーを流し込む。

 お子ちゃまにはまだブラックは早かったようですよ。苦い。


                                                                                                          

 男はまた同じ道をたどって元いたショッピングモールの駐車場まで送ってくれた。

 そして結局、名前も交わさぬまま、俺たちは別れた。




 寒空の中、橋の欄干に体をもたれかけさせて、白い息を空に飛ばす。

 立ち上がる白を眺めながら、俺は空を見上げた。

 ああ、空は広いし青いし、雲は変わらず白い。

 なのに何で俺はこうやってくさくさした気分でいるんだろうと、ポエマーみたいなことを思いながら空を眺める。

 ひとえに、俺の今の立場だと、逃げようがない状況だからなんだけど。


「おい。」


 ふいにかけられた声に、振り向く。


「自殺すんなよ。」


 ニヤリと笑うその男は、俺を2か月ほど前にNinjaに乗せてくれたあの男で、またがってるバイクは相変わらずライムグリーンのNinjaだった。

 なるほど。俺の着ている格好は、2か月前に着ていたちょっと変わったカーキ色のジーンズで、もしかしなくてもこの色が男の記憶を刺激して俺に声を掛けたのかもしれない。


「自殺なんかしませんよ。」

「そんなところで体をもたれかけさせてたら、自殺願望があるって思ってもおかしくないだろ。」

「気分転換に川を覗いてただけなんですけどね。」


 俺の言葉に、男が呆れた表情になる。


「寒空の中出てこなくても、他に気分転換の方法あるだろう。」

「うち、すぐそこなんで、散歩してただけですよ。」

「…何で気分転換してんだよ。」

「受験生なんで。国試が迫ってるんですよ。」

「へー。何の国試?」

「放射線技師ってわかります?」

「あー。わかるわかる。お前、その学校行ってんの?」

「そうですよ。」

「そっか。そんな時期か。」

「そうなんです。」

「何? 模試の結果が散々だとか?」

「いや、そこまでひどくはないですよ。勉強だけする日々につかれてるくらいで。」

「気分転換に連れてってやろうか?」

「えーっと…。」


 それはまたNinjaに乗せてくれるってことなんだと思ったけど、この間みたいに気軽な気分では返事ができなかった。多分、精神的には追い詰められているのだ。実は決まった就職先が、放射線技師の世界では有名な人がいる職場で、俺と同じ学校の成績優秀者二人で通った二次試験で、なぜか俺だけが受かってしまったのだ。どこをどうすればあいつじゃなくて俺を選ぶのかそれが分からなくて、国試をもし落ちてしまったら、という気持ちと相まって俺に相当のプレッシャーを与えている。


「そもそも、集中力がどれくらい続くか知ってるか? 1時間くらいドライブ行ったって落ちやしねーよ。」

「簡単に言ってくれますね。」

「俺、もっと難しい試験受けたから。大丈夫だって。ほら、乗れよ。」


 もっと難しい試験、という言葉に、少しだけ後押しされる。


「メット、ないじゃないですか。」

「あー。ないな。」

「…家から持ってきます。ついでにジャケット着て来ます。これじゃ寒いし。」

「何だよ。Ninja買ったのかよ。」

「まだです。気分上げるために、他のグッズから揃えてるだけです。」


 ククク、と笑われてムッとするけど、仕方ない。Ninjaはまだお預けだから。

 俺が家からヘルメットを持ってジャケットを着てくると、上から目線的に男にうんうん、と頷かれた。


「似合ってる。」

「どうも。」

「さ、乗れよ。きっちり1時間で帰ってきてやるから。」

「お願いします。」


 俺が前のようにがっしりと男の腰をつかむと、男がクスリと笑った。

 何だよ笑うなよ。この間みたいに、一体化して俺もライムグリーンの風になりたいだけなんだから。




「お疲れ。」

「ありがとうございました。」


 バイクから降りてメットを外せば、男がメットをつけたまま、クスリと笑う。


「ほら、死にそうな顔じゃなくなった。さっきの顔だと、自殺したいのか、って本気で言いたくなったぞ。」

「だから、死ぬつもりはないですって。でも、いい気分転換になりました。ありがとうございます。」

「お前、この曜日のこの時間はいつも家で勉強するのか?」

「えーっと、そうですね。学校はほとんど行かないですから。」

「じゃ、もしまたタイミングがあったら、乗せてやるよ。」

「え? ここ通るんですか?」

「たまにな。だから、今日は本当に偶然会えたんだろ。で、乗るの? 乗らないの?」


 既にとりこになっている自信がある俺は、迷わず頷いた。


「お願いします。」

「素直でよろしい。で、国試はいつだっけ?」

「2月の下旬です。」

「あと2か月か。ま、タイミングあったら、だから。俺が来なくても怒るなよ。」

「当たり前です。あまり期待しないで待ってます。」

「そうして。俺も急に来れなくなることもあったりするから。じゃーな。」


 手を軽く挙げた男は、颯爽とバイクで消えていった。まだ俺の目の前にはライムグリーンの残像が残っているような気がする。

 いい気分転換だった。

 それに、男とまた名前を交わさなかったことに、何だか笑えて来る。

 名前も知らないのに、この曜日のこの時間に会う約束をしていて、それを楽しみにしているなんて、本当におかしいことだらけだけど、名前も知らない関係が、ものすごく気安くて、気分転換にはちょうどいい。




 ****




「来週、国試だろ。勉強するだけやってるんだから、大丈夫だよ。」


 いつもの1時間ドライブが終わってメットを外すと、同じようにメットを外した男が俺にいつもの皮肉気な笑いじゃなくて、ニコリと笑いかける。


「ニヤリって笑われないと落ち着かないとか、俺かなり不味いことになってますね!」


 なんだかんだ言って、毎週ドライブしてたわけで、この男のニヤリと笑う笑顔がかなり普通になっていた。


「お前、何気に俺を馬鹿にしてるだろ。」

「してないです! 感謝してます! 助かりました!」

「だろ。感謝しろ。」

「本当にありがとうございました。」


 ぺこりと頭を下げて頭を上げると、男が困ったみたいに笑っていた。


「今日が最後みたいな感じだな。」

「…えーっと、実はそうかもしれなくて。」

「そうなのか?」

「来週から、案外この曜日予定が詰まってて。…俺、県外に就職するんで、友達と会ったりとかあって…。」


 男が軽く目を見開く。


「そうか。県外に行くのか。…まあ、県内だけが就職先ってわけじゃないもんな。」

「あの、3月の3週目って、来れますか? 最後なんで、何かお礼をしようと思ってるんですけど。」

「あー。お礼とかいいって。俺もお前とドライブ行くの楽しかったし。それに3月の3週目はちょっと無理。」

「あー。ダメですか。…あの、名前とか、連絡先とか…。」


 実は今の今まで、結局名前は交わしてないのだ。


「また次に偶然に会ったら教えるわ。」

「それ…かなりゼロに近い低い確率じゃないですか!」

「ま、それも運命ってことだろ。」

「でも。」

「いいのいいの。俺も本気でお前とドライブするの楽しかったし。あー。お前が女なら連絡先交換してもいいけどな。」

「俺男なんで!」

「だろ。だから対象外! いいんだよ。お前はちょっと気分転換ができて、俺もそれが楽しかった。それだけ。」


 この男、何て男前な…。イケメンの上に男前とか…。この男モテるんだろうな。


「次会ったら、絶対お礼しますから!」

「おー。楽しみにしとく。」


 男はメットをかぶると、いつものように颯爽と去っていった。

 ああ、俺もあんな男になりたい。


 本当は、3月の3週目には大型バイクの免許が取れる予定なのだ。だからお礼の気持ちと、免許を男に見せたかったんだ。…たぶん、男に一緒に喜んでもらいたかったんだろうな、と思う。


 男との不思議な交流は、始まった時と同じように、唐突に終わった。




 ****




 今日は放射線科のスタッフルームがいやにざわざわしている。放射線科の新しい医師が赴任してくるらしいってことと、その医師をちらりと見た人間がイケメンだったと騒いでいたからだ。だからざわざわしているのは主に女ども。男連中は特には楽しみなことなんてない。


 でも、おれは今日は滅茶苦茶機嫌がいい。なぜなら。

 昨日ようやく念願のNinjaを手に入れたからだ。残念ながら900なんて手に入れられそうにはなくて、650を買った。無借金経営を目指しているので、就職してから2年間貯めたお金で! 流石に貯金ゼロにするわけにはいかないから、余分な分を貯まるのを待ってたら時間がかかった。でも、あのライムグリーンにこだわったから、中古でいいやつを探しててタイミング的にも今が丁度良かったんだと思う。ほとんど走らせてなかったマシンだったらしく、状態はすこぶる良かった。だから、金額もそれなりに高かったけど。


 でも、念願のバイクが手に入れられたから、俺は上機嫌。ついでに、このバイクを話のタネに、いいなー、と思っている同期入職のナースを誘ってみようかと思っている。とりあえず、俺がバイクが欲しいという話をしてたら、乗ってみたいと言ってくれてたから、感触は十分だ。


「何、木下も新しいドクター来るの楽しみなの?」


 俺が嬉しそうにしているのが分かったらしい同期の葉山が声を掛けてくる。


「イケメンが来るのに、何で俺が楽しみにしなきゃいけないんだよ。」


 下手したら、狙ってるナースがそっちに靡くかもしれないのに!


「えー。ほら、“受け”としてはさ。」


 あー、出た。葉山は見た目はそこそこなのに、非常に残念なことに腐女子というやつで、なぜか俺をその妄想に引き込んでしまっているという、ものすごくメンドクサイ奴だ! 俺の背が低くてひょろいからって、勝手に役割与えんな!


「…あのな、何度も言うけど、俺をそう言う対象に仕立て上げるな!」

「えー。だって、今度来るドクターイケメンなんでしょ。イケメンと子犬のカップルとか、めっちゃおいしいじゃん!」

「おいしくない!」


 俺が何度も言っているのに、葉山には全く通じてない。俺の言葉なんて完全スルーだ。

 同じく同期で仲がいいあのナースにも、その話をしてるんじゃないかって、気が気じゃない。でも、今のところ実害はなさそうだと思っている。ナースも俺に脈ありと感じられるからだ。


「謙遜しなくてもいいんだよ。」

「謙遜なんてしてねーよ! 生暖かい目で見るなよ! 最近本気でその気があるのかって、マジな顔して先輩に質問されただろ! 本気でやめろよ!」

「…そうやって反応するから面白くって辞められないんだよねぇ。」


 葉山の言葉に、俺はがっくりと肩を落とす。…そうかよ。俺のせいかよ。


「ね、イケメンでも色んな種類があるでしょ? どんなタイプのイケメンがいいの?」


 そう言いながら、そんな話題振って来るなよ!


「イケメンにタイプなんてねーよ。」 


 ふと、あの男の顔を思い出す。いや、タイプじゃねーよ?


「おお。イケメンなら何でもアリか。」

「…そう言う意味じゃねーし! …いいや俺、葉山とは業務の話以外しないから!」


 ムー、と俺が押し黙ると、葉山が肩をすくめた。

 もうお前と雑談なんてしないから! お前と話すと全部俺が哀しい話になるから!


「先生、どうぞ。」


 課長に連れられて入ってきた医師に、放射線科がざわめく。

 確かにイケメン。

 でも俺は他の理由で驚きで目を見開く。

 科の面々に目を走らせていた医師と目が合って、医師も目を見開く。

 こんな偶然ってあるんだ。…というか、道理で900なんて買えるわけだよ。医師なら金持ってんよなー。


「今日からお世話になります。蓼原たではらです。よろしくお願いします。」


 ぺこりと挨拶する蓼原先生に、我々も頭を下げる。

 偶然って本当にあるんだな。自分でもびっくりしてる。まさか県外で就職した先で、あのバイクに乗せてくれてた男と会うとか思ってもなかった。

 …あとできっと偶然だなって話になるんだろうな、と思いながら、俺は業務に入るためにスタッフルームを出ようとした。

 が、その腕をつかまれてぎょっとする。


「えーっと、何ですか?」


 勿論俺の腕をつかんだのは、蓼原先生だった。


「お前のせいで、俺の婚期逃しまくってるんだけど。」


 あの蓼原先生! それは完全に葉山に誤解を生む表現ですし、意味が分かりません!


「な、責任とってくれるんだろ?」

「責任って?!」

 俺、何かした?

「おまえを後ろに乗せるのが楽しすぎて、誰も乗せられなくなったんだよ。」


 おおう。そうか、あのドライブ楽しんでもらえてたのか。それには何だか嬉しい気持ちになる。


「子犬攻め美味しい!」


 ちらっと聞こえて来たその声は、間違いなく葉山だ。誤解だ誤解! 


「で、責任とってもらえるんだよな?」

「もう後ろには乗りませんよ! ツーリングになら一緒に行きますから!」


 ツーリング、ってところに力を入れた。葉山聞いてるか!? その言葉に蓼原先生がニヤリと笑う。


「やっぱり、あの駐車場のNinja、おまえのか?」

「そうです! 丁度昨日納車だったんです!」

「タイミングいいな。運命かもな、俺たち。」


 運命。確かにそう言うものはあるのかもしれない。


「子犬攻め、運命…素敵。」


 どうやら葉山は肝心な言葉を聞き飛ばして、自分の脳に楽しい単語のみ抜き出してしまったらしい。…これ、まずい。


「葉山、お前…。」

「まだ俺と話してる最中だろ。」


 葉山を注意しようとしたのに、完全に逆効果だ。

 きゃー、と小さな悲鳴が漏れて、俺たちの周りがやや騒然となる。

 俺、男なのに男に顎クイされてる。


「アリよ。」


 葉山よ。ナシだよ!

 …詰んだ。もう詰んだ。

 折角ライムグリーンの風を操れる立場になったのに。

 俺の楽しいタンデムライフは、この職場じゃきっと来ない。 

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