空へと還す『箱出い思』
たっきゅん
『箱出い思』
母の旧姓での名前に赤ペンで線を引く。名簿が全て赤線が引かれて名前が消されたことを確認して箱の中に入れ、母が大切に保管していた大きな箱の蓋を戻した。
「思い出箱……、このタイムカプセルは空に還さなきゃね……」
達筆な筆で書かれた〝箱出い思〟という文字、そしてその下には母の母校の名前が刻まれていた。これはお婆ちゃんたちが作ったタイムカプセル。そして、さきほどの赤線を引いたのは出席名簿だ。
「お疲れ様。―――お母さん、いえ〝渡部千代子〟さん」
何年、何十年もの年月が経ち、その名簿から名前はどんどんと消されていった。そして、最後の一人である私の母がその箱を保管していたのだが、ついに寿命で先月亡くなってしまった。そして、遺品整理の時に私はこの箱の存在を知ったのだ。
「お母さん、泣いてるの?」
「いえ、大丈夫よ。ちょっと―――今日は花粉がひどいわね」
その箱に入っていた母の日記、いえ千代さんの日記には私の母としてのあの人ではなく、一人の女性としての〝渡部千代子〟としての人生が記されていた。そして、箱に詰め込まれたノートや日記帳とも呼べない黄ばんで乱雑に押し込まれた紙束には今よりももっと昔、私の知らない千代子さんの思い出が詰め込まれていた。
「ちょっと春恵、この箱を燃やしたいの。手伝ってもらっていいかしら」
私たちは箱を解体して細かくし、ビニール類が使われていないのを確認して雑草と一緒に焼却するために自宅の裏まで運びました。
「これ、お婆ちゃんの日記?」
「そうね。それを空に還そうと思うの」
私の言葉を聞いて娘の春恵は日記を捲るが母の文字は娘に読めないほど崩してあり読むのを断念したようだ。
「なに……このミミズの這ったような文字」
「あはは。お母さんの余所行きじゃない文字を読めるのはこの世で私とお爺ちゃんくらいなもんよ」
そして雑草が燃えて炎が大きくなったところで渡部千代さんの日記を投げ入れた。立ち上がる煙は空を目指して昇っていく。母の還った空へと目掛けて昇っていく。
「ありがとう、春恵。あとはお母さんが見ておくから先に家に入っていていいわよ」
「はーい。あ、そういえばお父さんがたい焼き食べたくなったから買ってくるって言って出掛けてたよ。一緒に食べようって言ってたから、帰ってきたら食べようね」
走り去る娘の背中を見送った私は燃え盛る炎を燃え尽きるまで見つめ続けた。
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