箱入り男子 [KAC20243]

蒼井アリス

#1 「あんた誰?」


「凄いホコリね」

 マスクを着けた母の声はくぐもってよく聞こえなかった。

「何?」

 僕は大声で聞き返す。

「ホコリが凄いからちゃんとマスク着けておきなさいよ」

 今度はちゃんと聞き取れた。

 僕はポケットからマスクを取り出して言われたとおりに着けて薄暗い蔵の中に入った。


 よく晴れた土曜日、僕は母の実家の蔵の中にいた。


 母の実家は由緒正しい血筋らしいが、特に裕福なわけでもなく祖父は普通のサラリーマンだった。その一人娘である母もサラリーマンの父と結婚した普通のおばちゃんだ。ただ、広い土地と古い家屋、そして今では珍しい白漆喰の蔵が母の実家にはある。


 毎年恒例の虫干し。今日都合のつく男手は僕一人。ということで僕は母に無理やりここに連行された。

 この蔵には大きなものはあまりないが、古い書物がたくさんある。ご先祖様は学者か研究者だったようだが、和綴じ書物の内容は達筆すぎて読めやしない。


 高齢だがまだまだ元気な祖母、僕より力があるのではないかと思うほど力持ちの母、そして唯一の男手の僕。三人でひたすら書物を運び出し、風を通すように並べていく。


 本を並べ終わり一息ついていると、蔵の奥の棚にキラリと光る何かが目に留まった。近づいて手に取ってみると螺鈿細工の小さな箱だった。

 手のひらほどの大きさのその箱はホコリを被って薄汚れているはずなのに、螺鈿の細工がキラキラと輝いているように見えた。


 僕はその箱を祖母のところに持って行き、「おばあちゃん、この箱なに?」と聞いてみた。

「ああそれね。昔からあるけど中身は空よ。特に高価なものでもないしね」

 僕がその箱を大切そうに眺めていると、祖母が「欲しいのなら持っていきなさい」と言ってくれた。

「いいの? じゃあもらう」

 僕はホコリだらけのその箱を新聞紙でくるんでバッグの中に放り込んだ。


    ****


 虫干しも無事に終わり帰宅する頃には、僕はバッグの中の箱のことをすっかり忘れてしまっていた。

 自分の部屋に入るなり床にバッグを放り投げ、階下から聞こえてくる母の「お茶を入れたから降りといで」の声に呼ばれて部屋を出てしまった。

 それからしばらくは一階のリビングでテレビを観たりゲームをしたりして時間を過ごし、二階の自分の部屋に戻ってきたのは夜中過ぎだった。


 ドアを開け電気を点けようとスイッチに手をかけたが、その手が止まった。

「なんか光ってないか?」

 まだ電気を点けていないのに部屋の中が妙に明るい。光源は僕のバッグ。

 最初はスマホがバッグの中で光っているのかと思ったがその考えは一瞬で消えた。スマホは自分の手の中にある。


 恐る恐るバッグに近づくと、その光はまるで呼吸をするように明るさが変化した。

 バッグを開けてみると、光っていたのは新聞紙にくるまれたあの螺鈿細工の箱だった。


「年代物の箱だと思ってたけどまさかLED付きなのか? ちょっとガッカリだな」

 でも祖母はこの箱は昔からあったと言っていた。祖母の言う昔はおそらく数十年前。そんな昔にここまで精巧なLED装飾はなかったはず。


 僕はバッグから新聞紙の包を取り出し、中を開いた。

 螺鈿の部分が光り、明るさが一定の間隔で変化している。箱の蓋を開け、中をいろいろと調べてみたけどLEDの配線も基盤もバッテリーも何もない。なのに今も光っている。青白く呼吸するように光っている。


「まさか最先端の技術を詰め込んだガジェット? エイリアンのアーティファクト?……ハハハ、そんな訳ないか」

 僕は自分の突拍子もない発想に苦笑しながら箱を机の上に置いた。すると、今まで規則的に淡く変化していた光が一気に強烈な光に変わった。


「まぶしっ」

 思わず目をつぶった。


 ――「おい」


 聞き慣れない男の声が聞こえてきた。


「えっ?」


 驚いて目を開けると、平安時代の貴族の衣装を着けた長髪の美しい男が目の前にいた。


「何これ? ホログラム?」


 その男は箱から放射されている青白い光の中に浮かんでいた。


「ほろぐ…らむ? 何だそれは?」

「空中に立体画像を映し出すことだよ、聞いたことない?……てか、あんた誰?」

「私はお前の先祖に仕えていた式神だ」

 ホログラムの男が答える。

「式神? いやいやいや、小説じゃあるまいし何の冗談だよ」

「冗談ではない」

「だっておばあちゃんは何でもないただの箱って言ってたし」

「霊力のない者には私の声は聞こえないし、姿も見えない」

「僕は霊力なんてないよ」

「自分で気づいてないだけだ。お前の先祖は力の強い陰陽師だったが、時代とともに陰陽師は必要とされなくなり、一族には霊力の弱い者しか生まれなくなった。私の存在は忘れ去られ、孤独な長い時間が流れた。そして二十年前、お前が生まれた。お前は霊力の強い先祖返りだ。お前が生まれた瞬間を今でも覚えておるぞ。お前の強い霊力が箱の中で眠っていた私にまで届いたからな」

「ますます小説っぽくなってきたな。僕の先祖が陰陽師? ありえない。疲れてるのかな。幻覚かな。よし、もう寝よう」


 僕はこのホログラム男を無視してベッドに潜り込み、頭から布団を被った。


「おい……おい……おいと言うておるのに。寝ておるのか? こら、起きんか」

「うるさいよ、眠れないじゃないか」

 僕は布団を被ったまま答える。

「久しぶりの話相手じゃ、今夜は寝かさんぞ」

「『今夜は寝かさん』って発情したエロおやじみたいなセリフを吐くな。話は明日聞くから今夜は寝かせてくれ」


 このあとすぐに僕は寝落ちしてしまった。


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