箱の中を覗いて

譚月遊生季

箱の中を覗いて

 ガキの頃、正義の味方に憧れてた。

 

 ウチは貧乏だったから、ビデオやらゲームやら贅沢なもんは何にもなくて、やっすい箱みたいな形のテレビで子ども向けのヒーロー番組ばっか見てたんだ。

 時々映らなくなるのを叩いて何とかして、たまーに大事なところを見逃して情けなく泣きべそかいたりして、それでもその時間が一番楽しかったよ。

 身体がでかくなったら金かせぎを手伝わなきゃならなくて、テレビを見る時間もなくなっちまったからな。


 せめてもの憂さ晴らしに、学校では「悪者」をぶちのめしてヒーロー気取りだった。 

 ……で、最初にブタ箱にぶち込まれた時に気付いたよ。


 ああ、おれ、悪者の側だったんだ。


 って。


 それまでは殴ってて来るうちの親父のことを正義漢だと思ってたし、おれにあれ買ってこいこれ売って来いって命令してくるお袋をデキる女だと思ってた。

 おれにとってはその日常が当たり前だったんだよ。そうじゃなかったって気付いた時が、一番怖かったし辛かった。


 今思えば、あそこが引き返すチャンスだった。

 おれは間違ってた。今度こそ真っ当に生きようって腹ぁくくるべきだった。

 でも、人間って弱いもんで、結局楽な方に流れちまう。「先達せんだつ」が良い話を持ってきたら、それに飛びついちまうもんだ。

 だから、ダメになっちまったんだろうな。


 ごめんなお嬢ちゃん。怖かったろ。

 他の怖いおじさんはおれが何とかするから、さっさと逃げな。交番に飛び込んだら、いくら筋もんでも手出しできなくなる。もう少しの辛抱しんぼうだ。

 血が出てる? なぁに、気にすんな。こんな時ぐらい、ヒーロー気取りにさせてくれ。……謝んなくていいよ。謝るのはおれの方だ。


 ……ああ、そうだ。ひとつだけ言わせてくれ。

 道端みちばたの花を踏み潰す趣味、アレやめた方がいいぜ。

 なんで知ってるって? ……まあ、その、あれだ。気に入ってたんだよ、コンビニ前のチューリップ……それだけだ。


 ほら、行けよ。走れって。……走れっつってんだろ!

 ……よし、行ったか。

 ああ、アニキ。すんません。おれ、今日で足洗います。……地獄で今までのこと詫びてくるんで、付き合ってもらいますよ──!



 

 ***




 私の家族は忙しくて、お父さんもお母さんもずっと働きに出ていた。家に帰れば、食材と謝罪の手紙と、申し訳程度ていどのお土産が置いてある。……それが、私の日常だった。

 学校では「暗い」って理由でいじめられたし、友達もいなかったから、溜まったストレスは道端の花を踏み潰して発散していた。


 家に帰れば、レンジでチンしたご飯とタッパーのおかずをひとりきりで食べる日々。

 暇を持て余してテレビを見るたびに、嫌いな番組が増えて行った。子ども向けのヒーローものは、特に嫌いだ。

 彼らの語る理想なんて、薄っぺらい綺麗事にしか見えないから。


 怖いおじさん達に声をかけられて車に連れ込まれた時、私は両親の顔を思い出して「ざまぁみろ」と思った。

 私が無惨に死ねば、両親は今までの行いを、私に向き合ってこなかったことを悔いるだろうと……恐怖よりも、腐った日常の終わりを喜んだ。

 でも、服に手をかけられた時、気が付いた。

 ずっと「今よりもっと酷いことなんてない」って思って生きていたけれど、そんなことは、何も知らないから想像できていないだけで、怖いおじさん達が並んでこっちを見ているだけで心臓が縮み上がる気持ちになって、私は武術も何もできないし武器なんてもちろん持っていなくて、これから何をされるか分からないってだけでこんなにも震えが止まらなくて……


 次の瞬間。

 急ブレーキの音がしたかと思えば、身体ががくんと揺れて、銃声が響いて、目の前に血飛沫しぶきが散った。

 運転席にいた人が、肩で息をして、煙の立ち上る銃口を後部座席に向けているのが見えた。

 銃を持った手は震えていたけれど、躊躇ためらいも間違いなくあったけれど、次の銃弾が別の男の頭を撃ち抜くのに、そう時間はかからなかった。


 その後は、何が起きたのか分からないままに、手を引かれて逃げ出していた。


「ガキの頃、正義の味方に憧れてた」──


 その人は、あちこちから血を垂れ流しながら、自分の話をした。上の空で聞いていたけれど、何となく、思った。

 ああ、この人。

 私なんかよりずっと、良い人だ。


 交番に駆け込んで、警察に保護されて、お父さんとお母さんが泣きながら迎えに来て、気が付いたら私もわんわん泣いていた。


 私を助けてくれたお兄さんがどうなったのかは、分からない。

 私たちはそのまま住んでいた街を引っ越して、また、ほとんど変わらない日常に戻った。


 ……いいや、少しだけではあるけれど、変わったことはある。

 

 お父さんとお母さんは、少しだけ時間を作るようになってくれた。

 相変わらずクラスで浮きはするけれど、今のところはいじめられるまでにはなっていない。

 

 そして何より、私は、道端の花を踏み潰すのをやめた。


 進学しても、就職しても、お兄さんの行方ゆくえがわかることはなかった。

 それでも、テレビでヒーロー番組をやっているのを見るたび、お兄さんの言葉を思い出す。


「やっすい箱みたいな形のテレビで子ども向けのヒーロー番組ばっか見てたんだ」──

 

 悪者のの中で生まれたお兄さんは、ずっと悪者の世界に囚われていた。

 あんなにヒーローに憧れていたのに。

 あんなに、正義の心を忘れずにいたのに。


 ……私はやっぱり、テレビが嫌いだ。

 嫌いなのに、ヒーロー番組だけは、どうしても目を離すことができない。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

箱の中を覗いて 譚月遊生季 @under_moon

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ