首領は貴方を抱きしめたい

坂井そら

第一話 首領について

「きみのことを、ぎゅっと抱きしめてもいいかな?」

 暖かい日差しが降り注ぐ、近所の公園でのことだ。

 彼女は、初対面のぼくに向かってそう言ってきた。

 ぼくは特にイヤでもなかったので、「うん」と素直にうなずく。

「ありがとう!」

 そのままあっという間に彼女の膝の上。当時7歳だったとはいえ、軽々と持ち上げられてしまった。

「かわいい~」

 そして彼女は、ぼくの背中に胸を押し付けながら、全力で抱きしめてきた。


 これが10年前のこと。

 首領とぼくの出会いだった。

 







「よし! まずは自己紹介だね!」

 ぼくを膝の上に乗せながら、彼女は意気揚々と話し始めた。

 抱きしめる腕の力は、だいぶ緩めてくれている。

「私は悪の帝王! 闇の支配者! 恐怖の……首領だぁ!」

 右手を高く上げ、自信満々にそう言った。

 ぼくはそれに対して。

「そうなんだ」

 納得してそう返す。

 我ながら、いくら7歳だったとはいえ、驚くほどに純粋だったのだなと思う。

 怪しさもなにも、特に感じていなかったのだから。


 寒い季節と暑い季節の真ん中の時期。

 ただただ暖かさを楽しめる、優しい日の光がいっぱいの頃。

 ぼくの家から歩いて10分ほどのこの公園には、色んな花がたくさん咲いていた。

 そんな花たちに誘われ、ぼくはよく一人で、公園へ遊びに出かけていた。

 両親からすれば少し心配だったろうが、同年代の男児と比べて落ち着いた雰囲気を持っていたぼくに対するある程度の信頼から、許容されていたのだろう。

 日曜日、ぼくはいつも通り公園に行き、そこで首領と出会った。

 首領は公園の端にある、木の下の長椅子に腰掛け、なんだか楽しそうな表情で、そこに居た。


 彼女の詳しい年齢は分からない。20代ぐらいに見えた。

 黒く、長い髪。腰まであるそれは、不思議なほど印象に残っている。

 夜空を思い出させる、綺麗さだった。

 顔は、確かに美人だったが、だからといって絶世だったわけでもない。

 優しくてみんなに好かれるお姉さん、そんな感じの顔だった。

 ああそれから、あの時の首領は白のセーターに黒のズボンを着ていたと思う。シンプルな服装だった。

 

「首領、ってなに?」

 ぼくは彼女にそう聞いた。

「よくぞ聞いてくれました。私は数多の次元にその手を伸ばし、己の思うがままに闇を拡張する存在。恐るべき怪人たちを生み出し、その地に住まう者たちを恐怖のどん底に叩き落としてきた! 暗黒に属する者たちの王、大いなる支配者!」

「ふうん。えらいの?」

「もちろん! えらい! ……まあ、けれども」

 けれども?

「いやあ……まあ……。ヒーローには負けることもあるんだよね」

 頭を掻きながら、なんだか恥ずかしそうだ。


 首領は話を続ける。

「私たちのような悪党が悪事をはたらくと、かならずヒーローが出て来るんだ。こればかりは仕方ない。だって悪いことをしたら、怒られるものだからね。ヒーローと戦えば、そうだね、勝ったり負けたりが半分ずつ、ってところかな」

「首領はヒーローが怖いの?」

「そうだね……友達のように思う時もあるけれど……いやこれはあの子たちに失礼かな。うん、やりたいことをヒーローに止められる時があるから、怖いというよりかは、困る、だろうね」

 ヒーローのために困るときもある、まあお互い様だけど。首領はそう話をまとめた。


「じゃあ、いまヒーローに見つかったらどうするの? やりたいことが邪魔されちゃう」

「それはたぶん大丈夫。こっちの地球では私、あまり知られてはいないから」

「こっちの地球って?」

「この宇宙の中での地球だね。宇宙は一つだけじゃないんだ。数えきれないほどたくさんある。その宇宙一つ一つに地球か、もしくは地球に似た場所がある。ここまで、分かるかな?」

「うん、分かると思う。国がいっぱいあるみたいに、宇宙もいっぱい、ってこと?」

「かしこい~」

 首領はわしゃわしゃと僕の頭を撫でた。力一杯に撫でた。


「私はいろんな宇宙を旅してきた。いろんな子たちに会ってきた」

 頭を撫で終わると、首領は声のトーンを落ち着いたものに変えた。

 目を細め、遠くを見つめている。


「高校でいじめられていた男の子がいた。一度自殺したんだけれど、異世界に転生することが出来て、そこで自分の体を竜に変える方法を見つけた。元居た世界に戻った竜は、いじめっ子たちを喰い殺した」

 一呼吸おいて。


「ものを壊すことが好きな子がいた。その子は自分がどこまで、ものを壊せるか試したがっていた。偶然超能力を手に入れると、どんどんその力を自分で改良して強化していった。もちろん、周りは彼を止めようとした。だけど、最後に彼は地球ごと自爆したよ」

 一呼吸おいて。


「ある男の子が好きな女の子がいた。その女の子は男の子の一番になりたかった。だけど、そのやり方が分からないから、考えて考えて、必死に考えて。そして答えを見つけた。女の子は男の子の脳に侵入して融合した」

 一呼吸おいて。

 首領は、ぼくに言った。


「みんな、間違った存在だよね」

 ぼくを抱きしめる腕の力が、少しだけ強くなった。


「その子にとってどれだけ重要なことでも、どれだけ大切なことでも、世界はそれを否定するしかない時もある。邪悪であると、判断するしかない時もある。そして、判断された存在は……戦うしかない。非はこちら側にある以上、言い訳はできない。だから、戦って、戦って、戦って……勝つか負けるかは、さっきも言ったけれども、半々かな」

「間違っている人たちのことを、首領はどう思っているの?」

「共にいたいと、私は想っているよ」

 

 よし、次はきみの自己紹介!

 そう言って、首領は唐突に話を変えた。ぼくに話すよう促す。

 そういえば、ぼくの番がまだだった。

「ぼくはさっきまで散歩の途中だったんだ」

 ぼくの名前、年齢、行っている小学校のことなどを話す。

「勉強はどんな感じなの?」

「テストはよく百点をとってる」

「かしこい~」

 頭をわしゃわしゃ。またやられてしまった。

「家族とは仲良くしてる?」

「仲良くしてると、思う」

 父と母、そして妹がいることを話した。

「家族は大切?」

「会っている時間が多いから、特別なんだと思う。たぶん」

 あとは、好きな食べ物とか、好きなアニメとか。

 7歳児の自己紹介なんて、まあこんな程度だ。

「そっかそっか! ふむふむふむ!」

 それでも、首領は楽しそうに、聞いてくれていた。


「自己紹介ありがとう! じゃあお礼に、一つ魔法を見せてあげようかな」

「魔法?」

「さあ、私の手のひらをよーく見ていて」

 首領は右の手のひらを、ぼくの顔に近づけた。

「タネも仕掛けもありません」

「手品なの?」

 いやいや違う、と首領は微笑んだ。

「きみのための、魔法だよ」

 ボワ! 


「わあ」

「もう少し驚いてくれてもいいのに~」

 光、そして火。

 首領の手のひらから、突然、炎が生まれた。

 火球、と言えばいいのだろうか。直径10センチほどの火の玉が、そこにあった。

 もちろんマッチもライターも使っていないだろう。ぼくの鼻先で、視界一杯に、それは踊るように回転を始めていた。


「……?」

 もっと、不思議なことがあると、気づいた。

 熱くない、のだ。

 目の前に小さな火炎があるのに、僕の顔は熱を感じていなかった。

「特別製の火だよ。触ってみる?」

「触れるの? やけどしない?」

「大丈夫。さ、指を出してみて」

 もちろん怖かった。去年誤って触ってしまったヤカンの、数百倍も熱いかもしれない。

 それでも、絶対に触れないと思っていた、火という存在に触れるかもという、好奇心が湧きだす。

 わくわくする思いが、胸に生まれた。左手の人差し指を、炎に差し込む。


「……火がぼくの指を撫でてる」

「少しくすぐったく感じるかな?」

 指を入れると、四方八方に力強く動き回る炎の流れが感じられた。まるで撫でられるような、くすぐられているような。熱さは感じない。

 確かにくすぐったいのかもしれない。しかし、それ以上に。

「おもしろい」

 一気に左こぶし全部を、火球に入れてみた。

 火の玉はそれを待っていたかのように、まるで喜びを表現するかのように、倍ほどの大きさに膨れ上がった。内部の奔流も倍になる。

 風よりも密度の濃い気体が、肌の上で、狂わんばかりに踊り続ける。

 ああ、これはたしかに魔法だ。

 左手が燃えている。それなのに、ぼくはその揺らめくオレンジ色を、ゆっくりと楽しむことができたのだ。


「すごい」

 ぼくはただその一言しか言えなかった。左手を振ると火の粉が舞う。火の粉が口の中に入った。カレーみたいに辛かった。

「からい」

「きみは辛いかー。ケーキみたいに甘いって言う子もいるよ」

 味覚は人それぞれのようだ。

 

 しばらく炎で遊んだ。右手に移してみたり、首領と握手してみたり。

 煙はさすがに煙たかった。

 火球のお手玉は、最初まったく出来なかった。だけど首領に根気強く教えてもらって、なんとか日暮れまでに、三個できるようになった。とても嬉しかった。


「もう夕方だ。かえらないと」

「今日はここまでだね。私はしばらくこの町にいるよ。だからまた公園で会えると思う」

 それじゃあね、と首領はまたぼくを軽々と持ち上げて、膝の上から降ろした。

「首領、今日はありがとう」

「どういたしまして。私も楽しかったよ」

「ねえ首領」

「うん?」

「首領はどうしてこの町に来たの?」

 

 夕日が沈み始める。夜が近づいてくる。

 冷たい風が、さっきまで炎上していた手を撫でた。

 夜は怖いとみんなが言う。だからぼくも早く帰るべきなのだろう。

 けれど、なぜかこの質問だけは、今この時に聞いておきたかったのだ。


「きみと同じだよ」

「どういうこと?」

「私も散歩の途中。散歩の途中にきみと出会ったんだよ。ただ、それだけなんだ」

 












 帰ってからのこと。

 これは、ぼくの盗み聞き。

 お父さんとお母さんによる、今日この町で起こった事件についての会話。


「まったく、えらいことになったな」

「本当にそうね」

「ニュースではまだ焼死体が見つかったとしか言ってない。だけどな、うん。もう町の中じゃ結構うわさになってるよ。火の気のない場所で男が焼け死んだ、って」

「わたしも聞いたけれど、ちょっと信じられない話よね。人が一瞬で炭になっただなんて」


「俺だって何かの間違いだと思ってるよ。でも最初に死体を見つけた奴が言うには、男の悲鳴を聞いて駆けつけたら、被害者は全身黒焦げになっていたって。炎は燃やすものが無くなったから消えていた。死体は文字通り黒い炭にしか見えなかったらしい」

「駆けつけたって、どれくらいの時間がかかっているの?」

「ほんの1分ぐらいらしい。なあ、それだけで人って黒焦げになるもんなのか? おかしいだろ」


「ガソリンとか、油をまんべくなく体にかけたらどうかしら?」

「いや、第一発見者の奴は、油のにおいを感じなかったらしい。油をぶっかけたら、いくらかは体以外の場所に飛び散るはずだろ。でも一切においは周りからしなかったみたいだ」

「火炎放射器を使った、とか?」

「そんな物騒なもの持ってるやつが近づいてきたら、俺だったら尻尾まいてすぐ逃げるよ。馬鹿みたいに目立つよ、そんなの。ただでさえ、現場はそれなりに見通しのいい場所だぜ。そんなとこで派手な犯行をするか?」


「叫んだ人と被害者が違う、はないわね。発見したのなら名乗り出るはずだし、そもそも死体が元々そこにあったはありえない。夕方とはいえそれなりに人の往来がある場所に、焼死体を置くわけがないものね」

「自殺は、ないだろうな。もっと楽な死に方があるだろ」


「なんだか不気味な話ね」

「まったくだ」

「まるで、悪魔が魔法を使ったみたい」

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