第2話

 ギラギラと照りつける太陽が、レースのカーテンを突き破って私の身体を突き刺してくる。汗で身体がじっとりと濡れていて、ああなんだもう朝が来たのかと、憂鬱な気持ちで起き上がった。


 さすがに気持ち悪かったので軽くシャワーを浴びてから、朝の支度を済ませて家を出た。休みたい気分でいっぱいだし、なんなら永遠に寝ていたかったけど、学校には行かなくちゃいけないし。


 まだ朝なのにバカみたいに暑い通学路は、蜃気楼みたいに揺らめいていた。そこを同じようにゆらゆらした私が、背筋を曲げてひた歩く。そんな私を、同じ制服を着た男女がさっきから何人も楽しげに談笑しながら颯爽と追い越していく。暑いねー、なんて口では文句を言いつつも、笑顔を絶やしていない。まったく、何が楽しいんだか。私には親の仇みたいに見えるこの景色も、彼ら彼女らにとってはまったく別のものに見えているのかもしれない。頬を伝って顎まで辿りついた汗が落下し、アスファルトを濡らした。シャワー浴びた意味、なかったな。


 学校についた私は廊下の途中にある自販機でスポーツドリンクを買ってから、自分の教室に向かった。一番前の廊下側という教室で最も落ち着かない席が、私の席だ。席に座った私は、ガバガバと樽でも満たすみたいに一気に買ったばかりのスポドリを流し込んで、そのまま突っ伏した。無駄に早く目覚めたので、始業時間までは少し余裕があった。陰キャが寝たふりをしていると思われそうだなと思ったけれど、まぁかまうことはない。大体似たようなものだろう。


 しばらくそうしていると、やがてチャイムが鳴り、担任が入ってきた。「おーい、席につけー」なんてお決まりの言葉を吐くと、ささーっと虫でも捌けるみたいにみんなが席に戻っていく。合わせて私も身を起こした。


 教壇に立った担任は私たちを見渡すと、おもむろに「今日からこのクラスに転校生が来ることになった」と告げた。ざわつく教室。体育会系陽キャが「先生! 男ー? 女ー?」などと騒がしくするが、先生はそれを黙殺して廊下に声をかけた。


「いいぞー。入ってこい」


 ガラッと扉が開かれる。リノリウムの廊下から板張りの教室へ、真新しい上履きが一歩足を踏み入れた。そのまま足から順に上へと視線を移していき、顔に辿りつく。脳に電流が走った。


「絢ちゃん!?」


 急に大声を上げた私に教室中の視線が突き刺さるけれど、本当にどうでもいい。え、なんで絢ちゃんが転校してきたの? まさか夢? そんな絢ちゃんはまさか私がいるとは思わなかったのか、びくんっと数センチくらい飛び上がって身を縮こまらせた。まるで猫みたいですごく可愛くて、やっぱり本物だって確信出来たもんだから、嬉しくなった。


「なんだ、お前ら知り合いか?」


 担任が訊ねてくる。おろおろしている(可愛い)絢ちゃんに代わって、私が「はい! 絢ちゃんと私は恋人同士なんです!」と大きな声で教えてあげると、教室中がどっと沸いた。うるさいなぁと顔を顰めたくなるけれど、まぁ仕方ないよね。だってこういうことは早めに教えておかないと、勘違いした誰かが絢ちゃんに告白しちゃうかもしれないし。そんなぽっと出のヤツが私たちの間に割り込めるわけは絶対にないんだけれど、叶わない恋をしちゃうのも可愛そうだって思うから、これはもうただの善意で、親切で、気遣いだと思う。


 とはいえいつまでもそうしているわけにもいかず、大声で教室を静めた担任は絢ちゃんに教壇に立つように促した。絢ちゃんはしどろもどろになりながらも


「小杉絢です……」


 と消え入りそうな可愛い声で自己紹介した。普通ならここで質問タイムが始まるんだろうけれど、さっきの喧噪で時間がなくなったらしく、すぐに絢ちゃんは席に着かされることになった。担任は「まぁよくわからんが知り合いならちょうどいいだろ」と私の隣の席に絢ちゃんを配置した。元々いた子は絢ちゃんが座る予定だった一番後ろの席に移動することになったけれど、喜んでいたからWin-Winだよね!


 ホームルームが終わった瞬間、教室中の人たちが、私と絢ちゃんのところへ殺到した。「どこから来たの?」とか「何でこの時期に転校?」とか月並みな質問もあるけれど、「春日さんと恋人って本当?」とか「だからこの学校に転校してきたの?」とかまで訊いているもんだから、絢ちゃんは目に見えて困っていた。イラッときた私は、猛禽類みたいな目で群がっている連中を一睨みすると、立ち上がって「絢ちゃん、行こう」と手を引いて廊下に出た。


 やいのやいの言っている教室を背中に、私と絢ちゃんは廊下を突き進む。「あの」とか「その」とか絢ちゃんの声が聞こえるけれど、今止まったらまた捕まっちゃうし、そうしたら絢ちゃんが困ってしまうので、あとで謝ればいいやととりあえず無視した。そのうちチャイムが鳴って絢ちゃんの足が一瞬止まったけれど、ちょっと強引に引っ張って、階段を登り、屋上にでるドアの前の謎スペースに辿りついて、ようやく私たちは腰を落ち着けられた。


「ふーっ。ようやく落ち着けたね、絢ちゃん!」


 私が声をかけると、絢ちゃんはきょろきょろと階段の下と私に視線を行ったり来たりさせていた。授業が始まっていることでも気にしているのだろうか。しょうがないなぁ、絢ちゃん真面目だからな、とやっぱり現実で会う絢ちゃんも素敵だなって再認識した。


「あの……」


 絢ちゃんがピンクでうるうるってした小さな唇を開いたり閉じたりする。いつものことながらとっても可愛いんだけど、それっきり言葉が出てこないので、私は絢ちゃんが言いたかったであろうことを代弁した。


「もう、絢ちゃんったら水臭いな。転校してくるなら教えてくれればよかったのに」

「そ、それ! それ、なんですけど――」

「いつもみたいにタメ語でいいよ。私たちの仲でしょ」


 何か話そうとした絢ちゃんの機先を意図せず制したような形になってしまって、絢ちゃんがまたもごもごしてしまった。衝撃で忘れかけていたけれど、そういえば絢ちゃんは転校したてなんだから緊張しているだろうし、配慮が足りなかったかもしれない。だけどそれなら私とこうして二人になれたんだから、教室あんなところにいるよりはずっと落ち着けるだろうし、むしろファインプレーじゃない?

 と、そんなことを考えていると、絢ちゃんがようやく意を決したように言った。


「あなた……誰なの?」

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