松嶋家住宅の保存に寄せて

山猫拳

 ―箱―

 はこ。竹で作った入れ物。

 車の荷物を入れる部分。

 ひさし。母屋の脇にある部屋。

          ―――漢字辞典 (kanjitisiki.com) より



 私が女学校を卒業して嫁ぐまでのあいだ暮らしたあの家には、数えきれないほどの思い出があるが、今でも時々思い返す不可解ふかかいな出来事について残しておきたい。


 当時はアメリカとの戦争が始まる前で、私は十三~四くらいの年齢だった。松嶋家は江戸の頃から続く船問屋ふなどんやで、最も隆盛りゅうせいを極めていた明治の初め、先々代が家族のために当時は珍しい洋館のモチーフを取り入れて建てた邸宅である。


 日本家屋風の門を入ると熊笹や、桜・柿などの木が周りをぐるりと囲む黒板塀くろいたべいにそって植わっている。左手の奥に進むと、石積いしづみの塀があり、中央がアーチ状に開いている塀付へいつき門が見える。


 その向こうに私たちが暮らす邸宅があった。


 塀付き門から玄関までは、鏡餅かがみもちの様な白い飛石とびいしが五つほど列を為す。玄関をおおひさしそばに、小学生くらいの背丈せたけほどもある大きな白い飾り石があり、来訪者らいほうしゃの目を良くいた。


 一階は昔ながらの和風建築、玄関の両脇には木肌きはだの目が美しい二本の柱。その上に鼠色ねずみいろの瓦を乗せた切妻きりづまひさしがぐいとせり出している。破風はふには波間を飛び交う二羽の鳥が彫られた懸魚げぎょ


 対して二階の壁は、西洋の石積いしづみをした白い漆喰しっくいで囲まれている。生まれた時からこの家に親しんでいる私にとってはこれが普通の家の造りであった。


 父は良く漆喰細工しっくいざいくの美しさを私たちに語っていた。龍や虎や雀に牡丹ぼたん、様々な細工が天井や壁や欄間らんまに施されていた。私は母屋の正面廊下の奥壁にある、二羽の雀が飛び交う絵柄の細工さいくが可愛らしくて好きだった。


 家族全員が暮らす母屋と、その脇の奥まったところに小さな離れがあった。離れは白い漆喰壁しっくいかべ臙脂色えんじいろかわらの美しい建屋たてやであったが、物置ものおきとして使っているだけだった。普段は入ってはいけないと家人にきつく言われていたので、聞き分けの良いお嬢様だった私は、近寄ることはなかった。


 家にはいつも人の出入りが多く、また家族も多くいたので滅多めったに一人きりになることはなかった。恐らくあの時が、初めてだったのではないだろうか。夏祭りの奉納か何かの話をするとかで、祖父母と両親が呼ばれ、私一人が留守番することになった。


 といっても夕暮れ前の一時間か二時間程度のものだ。普段なら三つ上の姉がいるのだが、前日からお友達の家にお呼ばれして不在であり、本当に私一人きりになっていた。



 皆が出掛けてしばらくのち、居間の窓から何気なく空を見た。少し前まで晴れていた空が、どんよりと鈍色にびいろになって垂れ下がっている。私は外に干したままの運動靴が心配になった。


 当時はまだ珍しい綿とゴムで作られた運動靴を朝のうちに洗って、玄関脇の飾り石に立てかけて干しておいたのだ。私は家の中に取り込んでおこうと、外に出た。もうほとんど渇いて、夕陽に照らされている運動靴を胸に抱えて、飾り石の向こうに目を遣ると、白い漆喰しっくいの離れが見える。


 いつもならば思いもつかないのだが、私一人きりという解放感からか、私は離れに近づいてその造りをしげしげとながめた。櫛型くしがたのガラス欄干らんかんがついた洋風の窓が二つほどあったが、二つとも漆喰細工しっくいざいくにガラスがはめ込んであるだけで本当の窓ではなく、中の様子は見えなかった。


 離れの周りをぐるりと一周して、正面の黒板くろいたの引き戸まで戻って来た。すると、中から『ドスン』と、大きなものが落ちるような音がした。


 何か大きな動物でも住み着いているのではないかと、ぎょっとした。てんとかいたちとかが蔵の中に住み着いて中の着物を駄目だめにしてしまったなんて話を耳にすることもある。


 もしそうならば、父に教えなくてはと思い、私は引き戸をトントントンと叩いてみた。動物ならば驚いて走ったり鳴いたりして音を立てると思った。しかし、中から聞こえてきたのは人の声だった。


「……こっちへ……お願い」

 苦しそうなか細い女の声だった。物置として使っているはずではなかったのか。それとも誰かをかくまっているのだろうか。


「あの……だれかいますか?」

 私は、再び引き戸を叩いて、今度は声を掛けてみた。

「良かった……喉がかわいて、苦しいの。お願い、戸を開けてもらえない?」


 はっきりと、けれど細い女の声が返って来た。私は慌てて引き戸に手を掛けて引いたが一向いっこうに動かない。


「建付けが悪いの……少し持ち上げるようにして、引いてみて」


 中から弱々しい声で指示が来る。私は運動靴を足元に置いて、両手を引き戸の取手に掛けて少し持ち上げた。そのまま左に力を入れるとわずかに動き始めた。


「何をしている! 離れには近ずくなと言っているだろう!」


 突然後ろから腕をつかまれて、怒鳴られた。私は引き戸から手を離し、振り返る。白い髭に紺色の着物、黒いステッキを持った老人が、恐ろしい形相で私をめつけていた。


 私はパニックになり、足元に置いた運動靴を急いで抱え、「ごめんなさい」と小さな声で叫び、一目散いちもくさんに玄関に走って内から鍵を閉めた。老人は知らない人だった。


 私は居間に戻ると、部屋の端に固めてあった、座布団ざぶとんに頭を突っ込んでぶるぶると震えて耳をふさいでいた。か細い女の声がまだ聞こえてくるようだった。


 どれくらいそうしていたのか分からないが、私には永遠に近いような長い長い時間に感じられた。しかし実際には二~三十分程度だったのだろう。玄関の扉をガタガタと揺らす音がして、母の私を呼ぶ声が聞こえた。


 私は脱兎だっとのごとく玄関に走り、鍵を開けて母に飛びついた。母に留守番中に起きたことを話そうとしたが、私の額に手を当てた母が、私に熱があると言い出した。


 そう言われて我に返ると、確かに身体がだるく母にしがみついてやっと立っているような状態だった。


 その頃、タチの悪い風邪かぜが流行っていた。今でいうインフルエンザだと思うが、私はすぐさま二階の一室に隔離かくりされた。熱は三日程続いた。


 ようやく体を起こせるようになって、部屋を見渡した。私は部屋の壁に飾られている写真を見て驚いた。あの時、私を叱責しっせきした老人の写真がその中に在った。この家を建てた先々代だった。


 私は母にあの日の出来事を話した。母はひいおじい様が守ってくれたのかもしれないと言った。あの離れは、かつてひいおじい様がおめかけをしていた女性のために建てた住まいだったということだ。


 もちろん今は誰も住んではいない。


 以降、松嶋家を出るまで私は二度とあの離れに近づくことはなく、この話も二度としなかったので、本当のことを聞く機会を持てなかったが、今でも夏の夕立ゆうだちが来そうな暮れにふと思い出すことがある。


 了

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

松嶋家住宅の保存に寄せて 山猫拳 @Yamaneco-Ken

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ