今宵一番熱い箱
寄鍋一人
堕ちる
気づけば夢中で暴れていた。外の寒さなどまるでなかったかのように、
知り合いが新しくバンドにハマったらしく、少ししてからそのバンドを勧めてきた。
新しい界隈に足を踏み入れるのは勇気がいる。ましてやそのバンドのファンはほとんどが異性で、ほとんどが自分の性格とは真逆のような人たちらしい。そんなところに入り込むには恐怖さえある。
最初はやんわりと断り続けていた。
知り合いとは曲の好みが似ていたし、好きな仕草や言動――いわゆる刺さるツボも似ていた、というのもある。
ライブに一回行ってしまったらハマっちゃうんだろうな、と薄々感じていた。それを向こうも分かっているから勧めてきたのだろう。
元々趣味にはお金と時間を使いがちで、ハマってしまったら消費がさらに加速してしまう。それは知り合いも同じで、実際にライブの遠征やグッズ購入で消費が加速していたのだ。
だからなおさら手が出せなかった。
だが知り合いの布教は止まらない。
「チケット二枚取っておくから一日目だけでも来て」
と、半ば強引に遠征に連れていかれた。二日連続の公演だったがさすがに譲歩の余地はあったらしく、せめて一日だけということになった。
迎えたライブ当日。寒空の中、会場前の公園で開場を待つ。
パッと見で同性は片手で数えるほどもいない。それに知り合いは同じライブに参加する別の知り合いと話していて、正直居心地は良くなかった。
というより、新しい界隈へ飛び込むという緊張や恐怖の方が勝っていたかもしれない。気温が低いのも相まって、体はブルブルと震えていた。
知り合いからライブ中のルールは教わっていて何となく知っている。
それによれば、入る順番はあるものの見る位置は自由。ただし前の方は古参や見本になれる人が行くらしい。曲に合わせて踊れる人は前に行き、初心者や自信のない人は後ろで学ぶ。そういうルールだそうだ。
当然知り合いは前に行ってしまうので、後方で一人そわそわと開演を待つしかない。
初めてのバンドのライブ、初めての
そしてついに始まったライブ。
会場内に爆音が鳴り響き、バンドのメンバーが叫ぶ。
「お前ら、暴れる準備はできてるか!!」
「「ウェーーーイ!!!」」
「声が小せぇんじゃねぇのか!!」
「「ウェーーーーーーイ!!!!!!」」
ボーカルが煽る。観客が手を高く上げて返す。それが数回繰り返された後、曲が流れ始める。
演奏中の彼らは輝いていた。
ボーカルは歌半分と煽り半分といった感じで観客を巻き込むのが非常に上手い。声、表情、言葉遣い、自分の体。それらを巧みに使って煽っていく。
周りの楽器隊は動き回りながら演奏や表情で魅せ、時折観客を指さして煽っていく。
煽られた観客は煽られた分、いや、おそらくそれ以上に叫び暴れるのだ。
ボーカルの煽りは続く。
「お前ら、頭で来い」
頭で暴れろ、つまりはヘッドバンギング、ヘドバンだ。
観客は無心で頭を振り続ける。下手したら首の筋でもやってしまうんじゃないなというくらい、激しく狂う。髪の毛は舞うし、顔がどうなっていようと気にしない。
ヘドバンが終わると一斉に髪を整えるのもまた、初心者からすれば異様な光景だった。
ただ確実に言えるのは、この箱の中にいる誰もが楽しそうだということ。演者も観客もみな幸せそうに暴れている。
その熱気にやられたのかもしれない。気づけば一緒になって頭を振っていた。
暴れない方が悪目立ちすると初心者ながらに思っていた。だがそれ以上に、暴れないとつまらないと思ってしまったのだ。
会場のボルテージが上がれば今度はボーカルが観客の元へと飛び出してきた。
間隙を縫うこともあれば、観客の上を渡り歩くこともある。観客はそれがさも当然のように、ボーカルの下に入り落ちないように支えた。
そんなときでもボーカルはカリスマ性の塊だった。
「ようこそ!」
歌いながらやってきて初めての人だと気づいたのか、ニコニコと手を繋いできたのだ。
そんな芸当、観客をくまなく覚えていないとできない。
なるほど、これがファンが集う理由か。
恋ではないがたしかに、堕ちる音がした。
あっという間だった。楽しかった、疲れた、その感想しかない。
身体はまだ熱く、外の寒さはあまり感じない。
「どう? ハマった?」
「うーん、どうだろう」
嘘だ。もう堕ちている。曲の好みやツボが同じなのだ。ハマらないわけがない。
叫んだり頭を振って暴れたりする究極の非日常はもはや麻薬のようなもので、もっと暴れたいと思えるほど。
「グッズは何買うの?」
「Tシャツだけでいいかな」
「えー、タオルとかは?」
「どうしようかな」
最後の足掻きを見せるが、物販の列に並んでいる時点で分かりきっている。Tシャツはもちろんライブ中に使うタオルも、当日の衣装で撮られた写真も買った。
「明日も来る?」
「うーん、行こうかな……」
元々一日目だけのつもりだったが、楽しかったしグッズは買ったし、悪足掻きなんてやめよう。
どうやら当日券があるらしい。一番後ろでもいいから暴れよう。
夜ご飯を食べながら疲弊した体に鞭を打ち、そう腹を括った。
次の日、初めから躊躇うことなく暴れる。
演者も観客も相変わらず輝いていた。まだぎこちないが、自分もその輝きの一部になれた気がした。
今宵一番熱い箱 寄鍋一人 @nabeu
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