目的地の雑居ビル、そのエントランスは自動ドアだが開ける事が出来ない。この辺り一帯が停電しているのか、それともこのビルの電気系統が丸ごとダメになっているのか。

「ここは自動ドアが駄目でも裏口から入れる」と聞いていたのでその通りにビルの裏側に回る。

 非常口もなかなか開かなかったが、巴が鉄パイプで鍵穴の辺りをぶん殴るとあっさりと壊れた。鉄パイプの先は、ついさっき倒したゾンビの血がまだ付着したままだ。

「セキュリティガバガバじゃん」

 巴が独り言のようにそう口にすると、昭夫が「俺もそう思う」と即座に返して来る。

 このビルのには小さな会社が2軒入っている。その片方、ドアに「株式会社オオクラ」と描かれている方が昭夫の会社の関連会社だった。先ずそこに行けば失踪人の手がかりが掴めるはずだ、というのが会社の見解だった。

 このビルに来る前にもうひとつ、取引先のひとつだと言う大きな会社も偵察して来た。芸能事務所らしい。丁度通り道に近かったからなのだが、そこは1階だけ確認した。扉に「このビルは全員避難完了済みです 6月6日」と殴り書きされた紙がガムテープで張り付けられていたので無駄足を踏まずに済んだ。そのため早急に撤収して最初の目的地であるこの雑居ビルに走った。


 地上に出てからここに辿りつくまでに巴と昭夫は5体から6体程度のゾンビを倒した。

 あれはゾンビとしか形容せざるを得ない物体だった。

 それをゲームのように順番に倒しながら、何故ここの地域が封鎖されたのか漠然と理解した。

 早い段階での避難誘導と封鎖が成功したため、恐らくこの地域に残っていた人間が少なかった。だからゾンビの数は都心の割には少ない。しかしまだ全てを駆逐したわけでもなく、そして何か理由があってまだ封鎖が解けずにいるのだろう。素人でもその程度の推理は出来た。


 この2階に目的の人物がいるなら………ゾンビになってなければいいけど。


 ドアの鍵を確認し、巴と昭夫は目を合わせ頷き合う。昭夫が勢いをつけて蹴り上げ、そのドアを開け放つ。

 その瞬間、巴は背後から羽交い絞めにされた。余りに急な事に声が出ない上、鉄パイプも落としてしまった。危うく足の甲に当たる所だった、危なかった。

 これは頭突きするしかない

 そう即座に判断するより早く、投げ飛ばされるようにして部屋に押し込まれた。よろけて倒れると、頭の上でドアが閉まる音がした。

 巴が瞬きをしながら顔を上げると、昭夫がドアの方に向かって銃を構えている。

 ドアの前に立っていたのはついさっき外で見かけた迷彩服の男だった。彼もまた銃を昭夫に向けている。今巴を部屋に押し込んだのもこの男だ。咄嗟の反応を見て、巴がゾンビかどうか即座に判断したのだろう。

「………俺とこの女はこのビルに人を探しに来ただけだ」

 昭夫の声は落ち着いていた。10秒程の沈黙の後、迷彩服はゆっくり銃を下ろす。昭夫もそれに倣った。巴は見上げたその迷彩服の男に見覚えがあった。


「カサネだ」


 迷彩服は一瞬汚物を見るような視線で巴を一瞥すると無言で奥の部屋に向かって歩き出す。

「………誰?」

 昭夫のその問いに「アイドルだよ」と巴は早口で答える。

「ちなみに私がキャバクラで殴った上客な」

「マジかよ」

 苦笑いする昭夫に手を借りて巴は立ち上がり、そのカサネの背中を視線で追う。迷彩服ことカサネは「室内で短時間ならガスマスクは外しても大丈夫だ」と言って、奥に続くドアを開ける。その通りにこちらが素顔を晒すと、彼はこちらに向かって手招きしてきた。

「あんたらが探してるのはこの人達かな」

 カサネは奥の倉庫のような部屋の更に奥を指差した。

 そこにあっさりと探し人はいた。

 探し人は怪我しているようで、おんぼろのソファにしなだれかかっていた。そしてその隣には見知らぬ少女が座っている。

「京田、お前どうしたんだよ………」

 昭夫はその痛々しい姿を見て弱々しくそう吐き出す事しか出来ず、その一方で京田、と呼ばれたその男は弱々しく手を振った。筋骨隆々の昭夫とは対照的な、細く白く巴が軽く殴っただけでもぶっ倒れそうな優男だった。

「………ゾンビ化はしてないの?」

 後方から巴がそう聞くと、見知らぬ少女はこちらを睨み付け「この人は大丈夫だよ」と早口で返してきた。敢えて少女、とは言ったがフリルのついたTシャツのせいでそう見えるだけで、実際は成人済みのようにも見える。

「このフリル女は俺のストーカー、ストーカーの連れのこの男はなんなのか未だにわからない。名前がリュウ、って事しか知らない。一晩ひたすら詰めてものらりくらり交わしやがる」

 カサネはうんざりした顔で近くにあった事務用の椅子に座る。

「それでこいつのお友達らしいあんたらも何者なの、そっちの鉄パイプ女は俺の事知ってるみたいだけど」

 その問い掛けに先ず昭夫が「俺はその男の、ちなみにそいつの名前は京田竜一って言うんだけど、そいつの同僚で会社の社長の指示で助けに来た」と答え、巴は「私はこの大男の手下です」と続けた。カサネは再び訝し気な眼を巴に向ける。

「ちなみに私はキャバクラで働いてた時にあんたに平手打ちしたことがある」

 そこまで口走ってようやくカサネの目の色が変わった。

「………歌舞伎町の女か」

「はい、そうです」

 巴が笑顔で敬礼すると、カサネは足元に落ちていたゴミを巴に向かって蹴飛ばして来た。フリルの女が「カサネ、止めて」と弱々しく言うが、カサネの耳には恐らくその声は届いていない。カサネは敢えて彼女を見ないようにしている、と感じた。

「あんたらが助けに来た、って事は封鎖の外に出られる、って事?」

 カサネの質問に昭夫と巴は同時に頷く。

「俺達は水道工事のフリして地下に潜って地下水路を歩いて内側まで来た。どこかの地下に潜ればどこかの外に出られるはずだ」

 その昭夫の言葉に今度は巴が続ける。

「ただカサネさんは正しく検問を通っても大丈夫なんじゃないかな、ネットニュースで見たけど事務所のセキュリティシステムが解けなくて軟禁されてただけなんでしょ。有名人だし本来なら保護される立場だと思うけど」

 2人揃って馬鹿正直にそう答えると、カサネは舌打ちと共に京田とフリル女を睨み付ける。

「お前らやっぱり嘘ついてたんだな、検問の自衛隊もゾンビ化してて東京全体が麻痺しつつあるから今はここから動かない方が良いとかなんとか言いやがって」


 カサネは6月1日、事務所で起きた事件を理由に事務所の地下に逃げ込んだ。しかしその直後の飛行機事故を受け、事務所社屋の鉄の防犯システムが発動し、外に出る事が出来なくなった。最低限の電力供給は確保されていたため、地下からの配信という形で外とのつながりを保つ事は出来ていた。その後、外に出られる目処が付いたのだが、京田とフリルに誘拐された。迷彩の上着は元々京田の物だったのだが、カサネが外に食料を探しに行く際に借りたのだそうだ。とは言え余り遠出は出来ず、その成果はぶっ壊れた自販機を叩いたら出て来たミネラルウォーターとお茶、計4本だけ。


「とりあえず全員ゾンビになってないなら外に連れて帰りたい。見た限り飛行機事故の後始末も全然進んでないし、いつまでもここにはいられないでしょ」

 巴がそう言うと、京田とフリル女は黙り込む。カサネだけがはっきり「外に出たい」と答えた。


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