【16】
霞ヶ関、警視庁本庁舎。
<植物様物体及び液状物体対策本部付緊急対策室>となった大会議室には、各方面から召集されたメンバーが続々と到着していた。その数は既に30人を超え、室内は熱気と喧騒で溢れている。
そんな中で大蝶斉天(おうちょうなりたか)は、一人涼しげな顔で正面右側に設置されたデスクに陣取り、思い思いの席に着いたメンバーの様子を見渡している。彼の後ろには部下である土岐恭介(とききょうすけ)と斯波蘭香(しばらんか)が、いずれも無表情で控えていた。
大蝶と二人の部下は、内閣官房所属の情報分析官である。本来なら内閣府本庁舎内に設置された<対策本部>に張り付いている筈なのだが、前線指揮の名目で大蝶が<緊急対策室>なるものの設置を官房長官にねじ込み、さらに<本部>からの雑音を避ける目的で、少し離れた警視庁庁舎内の会議室を、前線基地として無理矢理抑えてしまったのだ。霞が関の縦割りルールの強固な壁を難なく破壊し、このような理不尽極まりないシステムを短時間で作り上げたのは、大蝶の超人的な調整力のなせる技と言えるだろう。こうなると、彼が首相を初めとする現職閣僚と各省庁の事務次官全員の弱みを握っているという、霞が関界隈で実(まこと)しやかに流布する都市伝説が、俄然真実味を帯びて来る。
その時対策室内の喧噪を破って、自衛隊の迷彩服姿の5人が入って来た。先頭に立つ巨漢は志賀武史(しがたけふみ)二等陸佐、大蝶や伊野慧吾(いのけいご)とは大学以来の腐れ縁の仲だ。大蝶の姿を認めた志賀は、部下らしい4人を入口付近で待機させ、ずかずかと大股で近づいてきた。そして、
「上官から、兵隊どもを連れてここに行けって言われて来たんだがよ。いったいお前、どんな手品使いやがったんだ?俺らが戦闘服着て、集団で霞が関界隈をうろちょろしてたら物騒だろうがよ?クーデターか何かと間違えられるぞ」
と、大蝶を見下ろしながら言う。口元に笑いを浮かべたその表情は、言葉とは裏腹に状況を楽しんでいるようにも見える。
「ああ志賀君、ご苦労さん。分かってると思うけど、緊急事態なんだよね。だから来てもらったんだけど」
「答えになってねえぞ」
「ああ、<対策本部>は内閣府の方にあるんだけどね。こっちは前線基地で、こんな状況だから、すぐに対応できる戦力が必要でしょ?だから気心知れた志賀君と伊野君の協力を得たいということで、上と交渉して承認をもらったという訳さ」
「何が交渉だよ。どうせ何か卑怯な手を使ったんじゃねえのか?それにしても伊野まで巻き込まれたってわけか。まあ、お前がこの会議室を占拠してる以上、奴が関わってるのは、予想は出来るがな」
志賀は鼻を鳴らしながらそう言った。大蝶はその様子を、ニコニコとした表情で見上げている。後に控える部下二人は無表情のままだ。その時誰かが電源を入れたらしく、会議室に設置された大型テレビの画面に、どこかの喧噪が映し出された。背景の建物の外観から、警視庁前のようだった。
「政府や警察の対応が、果たして適切だったのか――」
民法の報道番組でよく見かけるレポーターが、カメラに向かってそう言った途端、横から延びてきた手が彼の肩を掴み、画面の外に引きずり出した。それをすかさずカメラが追う。そこにはレポーターを真正面から睨めつけている伊野慧吾(いのけいご)の姿があった。
「現在江東区管内の深川、城東の両署で連絡の取れない警官の人数約250名。その内、警邏担当者は128名。いずれも管内の交番で勤務中だった。その大部分が市民の避難誘導のために、最後まで現場で踏ん張っていたと想定されている。残念ながら警視庁としては、彼らの生存の可能性について悲観的にならざるを得ない。そして既に17名の死亡が確認されているにも拘らず、我々は彼等の遺骸すら回収することが出来ない。その状況を踏まえた上で、貴方が現時点での警察の対応について、テレビを通じて疑問を投げかけることが、果たして適切だと思われるのか、お答え頂きたい」
伊野は静かな、しかし断固とした口調でレポーターに質した。
「な、何を仰ってるんですか?貴方は一体誰なんですか?」
「伊野警視長です。亡くなった警察官たちの対応が不適切だったと言われるなら、明確な根拠を示して頂きたい」
「な、なにも私は、亡くなった警官の対応が不適切だったとは言っていませんよ」
「では、警視庁の対応の、どの部分が不適切だと思われるのか」
「どの部分と言われても。私は不適切だと断言している訳じゃない。適切だったのかどうか疑問を感じただけで…」
「どの対応に疑問を感じられたのか。そもそも貴方は、我々がどの様な対応を取ったかご存じなのか」
伊野は断固として引き下がらない。レポーターは次第にしどろもどろになって来た。
「伊野の奴、マジで切れてやがるな。あのレポーター、殺されるんじゃねえか?」
そのやり取りを見ていた志賀が、さも面白そうに言った。
「その前に誰か止めるんじゃないの」
こちらは詰まらなさそうに大蝶が返す。彼の予想した通り、周囲にいた警官が伊野をレポーターから引き離すと、三人掛かりで連れ去って行った。残されたレポーターは我に返ると、
「警察による言論弾圧だ」
といった意味の言葉を、カメラに向かって喚き始めた。
「うるせえから、テレビ切っとけよ」
志賀の低くドスの効いた声が響き、誰かが慌ててスウィッチを切ると、室内が一瞬しんとなる。そこへドアを荒々しく開き、伊野がドカドカと靴音を鳴らすようにして入って来た。そして大蝶に向かって開口一番、
「斉天(なりたか)、てめえ!一体どういうつもりだ!」
と志賀とは別種の迫力で迫る。大蝶に掴み掛らんばかりの勢いだ。それでも当の内閣情報分析官は動じる様子もない。横に立った志賀も、にやけた表情を浮かべて二人を見下ろしている。
大蝶は伊野に向かって、
「ここを、あの水流対策の前線基地にするんだよ。入口に貼ってあったでしょう?」
と涼しい顔で返した。
「あの<植物なんちゃら緊急対策室>ってえ能書きは見たよ。だがな、何でここなんだ?霞が関に対策本部があるだろうが!」
「俺もそこが訊きてえ。それに表のあの能書きはセンスなさ過ぎるぞ。もうちょっとましな名前に出来なかったのか?」
激高する伊野に、志賀が同調して言った。
「あれは元の名前が<植物様物体及び液状物体対策本部>だから、仕方ないでしょう。大体役人が考えることだから、所詮あんなもんだし。あれ考えるのに、数人掛かりで2時間も掛けたらしいよ。相変わらず馬鹿だよねえ」
大蝶は自分も役人であることを棚に上げて、そう言い切る。
「それにね。<対策本部>には首相初め、各省の大臣や事務方のトップや都知事までが犇(ひし)めいていて、どう考えても身動き取れない状態でさ。僕が見かねて、フットワークの軽い前線基地を設置することを提案したのさ」
いけしゃあしゃあと言う大蝶に、
「そんなこと、連中がよく認めたもんだな」
と、志賀が返す。
「そこは志賀君。何かあった時の責任を引き受けるということで、納得してもらったのさ。そこがあの方々の急所だからね」
「つまり、何かあった時は俺らの責任になるってことか?てめえ、よくも勝手に巻き込んでくれたな!」
大蝶の説明に、伊野が怒りを込めて言い返す。
「伊野君。どっちにしろ君は、巻き込まれざるを得ないと思うよ?その時、<本部>からのピント外れな指示が来たら、ストレス溜まるんじゃないかな。だからここに前線基地を置いて、身動きが取れやすいようにしたという訳さ。そこを理解してほしいね」
更に何か言いかける伊野を制して、今度は志賀が言った。
「警視庁はそうかも知れんが、俺ら自衛隊の出番はまだ先だろう。違うか?」
「それはそうだけど、出番を待ってたら間違いなく手遅れになるよ。そうなってから駆り出されたら、いきなり玉砕モードだよね。志賀君もそう思うでしょ?」
大蝶の鉄壁の屁理屈に閉口した二人は、グッとなって黙り込んだ。
「まあ自衛隊の出番もそう遠くなさそうだけど、その前に米軍が動きそうなんだよね」
「それは信憑性のある情報なのか?」
志賀が一転して険しい表情で大蝶に質す。
「かなりね。どうも相当きな臭い状況になってきているみたいだ。本部の方も頭を抱えてるよ。でも、いきなり都心部に爆撃なんかされたら堪ったもんじゃないから、結構抵抗してるようだけどね」
「当たり前だろう。まだ相当な数の民間人が取り残されてるんだぞ」
それを聞いた伊野の表情も益々険しくなる。
「そうだよね。だから、あれの発生源を特定して、戦闘機がピンポイントで攻撃するという線で押し合ってるらしいよ。今のところ他に落としどころが見つからないらしい」
「何でいきなりアメリカが出て来るんだ?志賀、何か心当たりあるか?」
「あり得ないことじゃねえな。あれを放置しとくと、都内や関東圏の米軍施設に被害が及ぶ可能性があるからな。それを未然に防ごうって魂胆じゃねえのかな」
「けっ!こっちの事情はお構いなしか」
そう言って伊野は、文字通り苦虫を噛み潰したような表情を浮かべる。
その時だった。
「先輩方、お揃いで」
三人の会話に、白衣を纏った貧相な男が割り込んで来た。大蝶たちの東大時代の後輩で、現在母校で助教をしている国友遍人(くにともあまね)という男だった。
それを見た伊野は、いきなり男の胸倉を掴むと、
「この変態!何で、てめえがここにいやがるんだ?」
と凄みのある声で怒鳴りつける。志賀は大蝶に向かって、
「おい、このカス呼んだなあ、お前か?」
と不快極まりない表情で訊く。それに対して大蝶は、
「その便所虫は一応、専門家の一人として呼んだんだよ。有名どころは殆どが<対策本部>の方に行ってるんで、残り滓ということ。まあ役に立たなかったら、あれを捕獲するの時の生餌にでも使えばいいでしょう」
と、涼しい顔で吐き捨てた。
「生餌ですかあ?相変わらず酷い扱いですねえ」
へこたれずに、へらへら笑いを浮かべて返す国友の左頬に、伊野のビンタが炸裂した。しかし国友は、よろけてその場に尻餅をつきながらも、
「伊野先輩のビンタは久々です」
と、まったく気にする様子もない。さらにエキサイトしそうな伊野を、横から志賀が止めた。
「止めとけよ、伊野。このカスに何言っても無駄なのは、お前もよく知ってるだろう」
そう言いながら、国友の肩に軽く蹴りを入れるのも忘れない。
「便所虫はあっちに行って、仕事してなさい。結果が出なかったら、生餌だよ。分かってるよね?」
大蝶の言葉にへらへらと頷くと、国友は会議室から出て行こうとした。そして扉の前で三人に振り向くと、にやけ顔で会釈する。その舐めた態度にカチンときた伊野が、手近にあったキューブ型の卓上時計を投げつけた。しかし時計は惜しくも外れ、壁に当たって大きな音を立てただけだった。その音に会議室内が一瞬静まり返っったが、伊野が辺りを睥睨(へいげい)したので、室内は一瞬にして静まり返る。そのどさくさに国友はドアの向こうに姿を消していた。
***
「まあ便所虫のことは置いといて、話を続けよう」
大蝶はそう言いながら、何事もなかったように話を戻した。
「そう言えば大蝶よ。お前さっき、あれを捕獲するとか言ってなかったか?」
冷静になった伊野がそう訊くと、志賀も続けた。
「俺にもそう聞こえたぞ。あんなのをどうやって捕まえようってんだ?お前また、無茶苦茶なこと考えてねえか?」
不信感丸出しの二人に対して、大蝶は涼しげな顔で答えた。
「あれに対応するにしても、今我々には材料が少なすぎると思わない?とにかくあれの正体を知っておかないと、対策の立てようもないよね?」
彼の問いかけに、伊野と志賀は不承不承ながら頷く。それは事実だったからだ。その反応に満足げな笑みを浮かべると、大蝶は続けた。
「とにかく今我々の急務はあれの正体を知ることで、そのためにはあれを捕獲して調べる必要がある。ここまでは論理的に何ら矛盾はないと思うけど」
「だから、どうやってあれを捕獲するんだよ?その方法があるのかって訊いてんだ。あれは相当以上に厄介だぞ。そもそも、噴き出した水がどういう仕組みで方向を変えて、元の場所に戻るんだ?あの水自体が生物ってことなのか?」
伊野は苛立たし気に返したが、それ手で制して大蝶は続ける。
「あれの運動の仕組みについては、全く謎だね。<本部>に集められた専門家も頭を抱えているよ。今唯一分かっていることは、あれがガラスや、プラスチックなどの合成樹脂を溶かすことが出来ないということなんだよ。溶かすというのが当たっているかどうか、分からないけどね」
「ガラスとプラスチックだと?」
「そう。あれが人を襲う瞬間の映像を、この二人に一つ一つ細部まで検討させたんだよ」
そう言いながら大蝶は、後に控える二人の部下を振り向きもせず指さした。
「相変わらず部下をこき使ってやがるな。で?」
「あれが通った後には人間どころか、金属も残らず消滅してるんだよね。ところが映像を目一杯拡大して精査したら、ガラスとかプラスチック製のものは原型をそのまま留めてたんだよ」
「本当かよ?」
伊野が疑わし気に言うと、
「例えば自動車の車体は消滅しているのに、フロントガラスだけは原型のまま残っていたり。人間は服まで消えているのに、眼鏡だけ原型のまま残ってるとかね。直接現物を回収したわけじゃないが、おそらく間違いないと思うよ」
と大蝶が断定した。
「で、ガラスやプラスチックが溶けないから何なんだよ?」
今度は志賀が口を挿んだ。
「一つは、あれをガラスやプラスチック製の容器に入れて、持ち帰ることが出来るということ」
「ちょっと待て。どうやってあんなのを容れ物に入れるんだ?現実味がなさ過ぎるだろうがよ」
伊野の反論に、大蝶は即座に返した。
「液体窒素を掛けて一時的に凍らせればいいんだよ。そして突起物と水の一部をサンプルとして回収する。簡単じゃない」
「お前な!適当なこと言ってんじゃねえぞ。あれに近づいたら、あっという間に襲われて終わりだろうが!どうやってあれに接近して、回収するってんだ?」
「そこだよ、伊野君。あれに関してもう一つ推察できることがある」
その言葉に、伊野は疑わしげな表情で大蝶を見るが、彼はお構いなしで、自説を繰り広げた。
「あれは対象物の発する熱を感知して、襲ってるんじゃないかと思われるんだよ」
「どういうことだ?」
「志賀君。伊野君もこれから映像を見せるから、意見を聞かせて欲しいんだけど」
そう言いながら大蝶は部下に目で合図した。それを受けて斯波蘭香という女性の部下がパソコンを操作し、現場の映像を大型のスクリーンに映写する。画面にはまだ水流が噴出する前の、突起物の映像が映し出された。路上に配置されている監視カメラの映像らしいが、少し離れた場所から録画されたもののようだ。
突起物は巨大化した筍の様な形状で、白と薄紫と茶褐色が混ざり合った斑模様をしている。画面左上の時刻表示では早朝の6時を過ぎていたが、辺りに人通りはないようだ。その時突起物の先端からいきなり水流が噴き出し、上空で方向を変えると背後の建物に向かって伸びて行った。水流の先は建物の壁で止まり、数秒後に画面を巻き戻す様にして元の突起物に吸い込まれていく。斯波はそこで映像を止めた。前もって大蝶から指示されていたようだ。
「今のはどういうことだ?何でいきなり建物の壁を攻撃したんだ?」
「壁というよりは、そこにあったものだね。斯波、巻き戻しなさい」
斯波は指示に従って画像を少し巻き戻して静止させた。そして建物の壁の部分をズームアップする。
「何だあれは?」
「エアコンの室外機だよ。大型の。調べてみたらあの建物は運送会社の事務所で、トラックのターミナルと隣接しているから、周りに他の建物はないらしい。その会社に問い合わせてみたら、毎日朝の6時頃に当番の事務職員が出社するそうだ」
「それで?」
志賀が短く訊く。
「おそらくその社員がエアコンのスイッチを入れたんだろうね。そして室外機の温度が上がった」
「それだけで温度に反応すると決めつけるのは、ちょっと穿ち過ぎじゃないか?」
伊野が異論を挿んだ。
「そうかも知れないけど、可能性としては一番高いと思うね」
「根拠は?」
伊野が更に突っ込む。
「状況から推測したとしか言いようがないね。あれが突然室外機を攻撃したのは何かそこに変化があったはずだよ。そうでなければ、もっと前に攻撃していてもおかしくない。室外機に起きる変化といえば起動か停止だろう。それに伴って発生するのは」
「熱ってことか。しかし音という線も考えられるぞ」
大蝶言葉を引き取って、志賀が推論を口にした。伊野は黙考している。
「確かに音ということも考えられるが、あの建物の近くには永代通りがあるから、音に反応するのであれば、そこを走る自動車の音に反応してもおかしくないんじゃないかな」
大蝶の言葉に志賀も考え込んだ。それを見た大蝶は、話の主導権を握ったことを確信したように続ける。
「まあ、根拠と言えるのはさっきの室外機だけじゃないんだよね。この二人に他に似たような画像がないか調べさせたんだよ。そしたらね、室外機の映像程明確じゃなかったんだけど、屋外に駐車してた無人の自動車だとか、工場のトタン屋根だとかも、突然襲撃されてるんだよね。それも複数個所で」
大蝶の言葉に志賀と伊野は首を傾げる。
「つまり、日が昇り始めて、車やトタン屋根が過熱されて、表面温度が上昇したところを攻撃したと推測したんだよ」
「それは飛躍しすぎだろう。いくら何でも」
伊野が反論するが、大蝶はめげない。
「それ以外にね、あれに襲撃されたと推測される行方不明者のデータを調べたら、面白い結果が出てるんだよね」
そこまで言って言葉を切る大蝶に、伊野が苛立って、
「ドヤ顔してねえで、さっさとその先を言えよ」
と、急かす。大蝶はにやりと笑うと説明を続けた。
「まず行方不明者が襲撃されたと想定される時間帯に、偏りが認められたんだ。つまり、多くが早朝か、夜間に失踪している。それに日中に失踪したと思われる場合は、近隣に運河など、大量の水が存在するケースが多い。スーパーマーケットのトイレというケースもあったね」
伊野と加賀は二人そろって、それがどうした――という顔をしる。
「分からないかなあ。今言ったケースは、いずれも周辺の気温より、体温の方が高いと考えられるケースなんだよ。そして先程例に挙げた、空調の室外機などのケースを加味すると、おのずと結論が得られると思うんだ」
「相変わらず勿体ぶった野郎だな。その結論てのをさっさと言えよ。時間が惜しいだろうが」
伊野の言葉に、にやりとした顔で大蝶は答える。
「つまり、あれは周囲の大気温との差で、ターゲットを検知してるんじゃないかということだよ。大気温より高い熱量を発している物を、攻撃するんじゃないかとね。まあ、どう見てもあれに、それ程高度な感知機能があるとは思えないしね」
その答えを聞いても、伊野はまだ半信半疑だ。
「お前の言いたいことは分からんでもないが、やっぱり根拠としては弱いと思うがな」
そのやり取りを黙って聞いていた加賀が、徐(おもむろ)に口を開いた。
「で、あれが熱を感知して攻撃するとして、どうやってサンプルとやらを回収しようってんだ?」
「そこなんだけどね。ちょっと地図を見ながら話そうか」
そう言って大蝶は、斯波に目で合図した。斯波はパソコンを捜査し、スクリーンに平面図を映し出す。
「これは永代橋周辺の地図なんだけど、あれの先端は現在隅田川の東岸まで伸びてきている。その一つは丁度、永代橋の手前付近にあるのが確認されているんだ」
大蝶はその地点を、レーザーポインターで指しながら説明した。
「我々にとって幸いなことは、先端付近であれの密度が疎になっていることなんだよ」
伊野と志賀が揃って、どういうことだ?――という表情をした。
「あれはね、衛星写真で見ると木場公園付近を起点にして、放射状に伸びていることが分かった。360°全方向にね。もちろん地上部分に出ている、あの突起物の位置からの推測なんだけど。突起物は地上に点々と顔を出しているが、地下で繋がっていると考えられる。そして放射状に伸びる一方で、中心に近い部分から分岐が生じて、徐々に網の目状に広がっているようなんだ。だから中心の木場公園に近い程、あれは密になっている」
「しかし先端はそうでもないってことか」
志賀が画面を見て考えながら呟いた。大蝶はそれに頷くと話を続けた。
「特に最先端では横の繋がりがない上に、両隣の放射線状の突起物同士は数十メートル離れているんだ。そして同じ放射線上にある一つ前の突起物との間隔も、10メートル以上はあるんだよ」
「つまり相手にするのは一番手前の一つだけということか。しかしその向こう側の奴が攻撃して来ない保証はないぞ」
「それについては対策を考えてある。最近実用化が進んでるドローンを飛ばして陽動するつもりだ」
「だがよ。例え一つだとしても、相当手ごわいぞ。どうやってあの水流を抑え込むんだ?」
それまで黙って二人の会話を聞いていた伊野が口を挿んだ。
「液体窒素を大量に噴霧して、周辺の温度を一時的に下げようと思う。さっき言ったように、あれはターゲットの熱を感知して攻撃すると思われるから、逆に周辺の温度を下げならば接近すれば、攻撃を抑えられるんじゃないかな。しかも液体だから、さっきも言ったように液体窒素を噴射して、凍結させることも可能なんじゃないかと考えたんだよね」
伊野と志賀は再び沈黙し、考え込んだ。大蝶も二人の様子を黙って見ている。
「つまりこういうことか?液体窒素をばら撒きながら永代橋を渡ってあれに近づく。そしてあれに液体窒素を振りかけて、削り取ってくる。だが人力であれを削れるかどうか分からんぞ」
しばらく考えた後、志賀が言った。口調は懐疑的だが、実現の可能性がなくもないと考え始めたようだ。
「大型のショベルカーを用意しようと思ってる。幸い大通り沿いだしね。それから、役に立つかどうか分からないけど、強化プラスチック製の盾を今作らせてるよ」
「で、その盾持って行くのが、俺の部隊ってわけか。近代装備の軍隊としては情けねえ限りだな」
「志賀君、軍隊という名称はNGね。君たちはあくまでも自衛隊」
「一々うるせえな。そんなこたあ分かってるよ。だが大蝶よ、俺も俺の隊も、お前の命令じゃ動けねえぞ。まさか指揮系統までお前が分捕って来たわけじゃあるまいしよ」
「さすがの僕でも、そこまでは無理だったね。その代わり官房長官経由で総理から命令を出してもらうことになってる。もうすぐ君の上官から命令が出ると思うよ」
「相変わらず手回しのいい奴だな、お前は」
「それから、今回は災害出動という名目だから、武器の携行はなしね」
「手ぶらで行けってか?まったくお前の無茶振りには往生するぜ。まあ通常兵器じゃ、あれには屁のツッパリにもならんだろうけどな」
大蝶は自分の思惑通りに運んだらしく、莞爾とした笑みを浮かべて志賀を見た。
「こっちに役割はあんのか?」
その時まで黙って二人の会話を聞いていた伊野が、大蝶に向かって言った。
「ああ、警視庁には今のところ出ばってもらうことはないけど、サンプルを回収した後に科捜研を使わせてもらおうと思ってる」
しゃあしゃあと言う大蝶に、伊野は呆れ顔で言った。
「結局また、お前のペースかよ。まったく」
隣の志賀も、伊野に同調するように首を左右に振った。
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