【09】
「グエン君、日本に来て何年だっけ?」
木村準一は助手席に座ったグエン・リンフェンに訊いた後、
――前にも訊いたっけな?
と思った。最近どうも物忘れが激しい。
「1年7か月です」
グエンはニコニコしながら、おそらく何回目かの木村の問いに、嫌がる素振りも見せずに答える。彼はヴェトナムからの技能研修生で、日常会話もかなり達者だ。少なくとも、現場での仕事上のやり取りに殆ど支障はない。木村は自分の息子とあまり年の違わない、このヴェトナム人青年を結構気に入っていたし、可愛がってもいた。世間には酷い扱いを受けている、海外からの技能研修生が多いらしいということはニュースで見聞きしていた。しかし木村が勤める会社では、少なくとも彼が知る範囲では、そのような処遇は受けていないように思われる。だからと言ってグエンが十分な収入を得ているとは思われず、日々の生活は決して楽ではないだろうことは、木村にも容易に想像ができた。それでもグエン青年は、いつも明るい表情で働いていたし、仕事に取り組む姿勢も真摯そのものだった。
――必死なんだろうな。
彼と一緒に仕事をするたびに、木村はそう思う。金を貯めて故郷に帰るためなのか、技術を学んで帰国後に生かしたいのか、あるいはその両方なのか。いずれにせよ木村はこの青年が嫌いではなかったし、一緒に仕事をしていてもまったく苦になることはなかった。同僚の中には彼に対してきつく当たったり、仕事ぶりについて文句を言う者もいた。しかしそれに対して、彼は一度も反抗的な素振りを見せたことがない。多少理不尽な物言いをされても、じっと我慢している様子だった。そういう現場に行き会うと、
「もう、いい加減にしてやれよ」
と、木村はつい口を挿んでしまう。そういうこともあってか、彼は最近木村の現場に回されることが多くなっていた。
永代通りを北向きに右折してしばらく行くと、目的の現場に到着した。
「暑っちいな、しかし」
工事用の軽トラックから降りた木村はカンカン照りの空を見上げ、心底うんざりした声で言った。車を降りた途端に、少し太りぎみの全身から止めどもなく汗が噴き出して来る。
彼の会社は住宅用の水道管工事や、役所からの上下水道の保守点検等の業務を請け負う、日本中どこにでもありそうな零細企業だった。今回の様な下水道の点検作業は、いつもなら定期的に行われる点検・補修や、異臭などの苦情があった場合、あるいは災害後の復旧などがメインなのだ。しかし今回は、何故か警察からの依頼ということだった。
――何で警察が?
そう思って社長に訊いてみたが、首をひねるだけで捗々しい解答は返って来なかった。下請けの小さな会社では、お上の意向など知らされないのかも知れない。
現場にはすでに小柄な年配の男と、まるまると太った中年の男が到着していた。二人とも警備員の制服を着ている。
「O警備の人?」
70歳をいくつも超えていそうな小柄な男が、木村の問い掛けに、愛想笑いを浮かべながら頷いた。太った方は不愛想な表情のままだ。
――自分と一緒で、暑くて機嫌が悪いのだろう。
木村は勝手にそう決めつけると、
「じゃあさ、今から機材下ろすからさ、うちの若い子と一緒に、道にコーンとバリケ並べてくんない?」
と頼む。そして、
「グエン君さあ、機材下ろして」
と、同乗して来た研修生に声をかけた。
「木村さん、わかりました。全部降ろしますね」
グエンは元気な声で答えると、荷台から手際よく機材を下ろし始める。木村の下について4、5か月になるので、仕事の呼吸はすでに飲みこめ来ているようだ。
「よろしく」と、グエンに返した木村は、強い日差しの照り返しにうんざりしながら、10m程向こうに立っている三人に近づいた。1人は顔見知りの下水道局の田中という職員、あとの二人は見ない顔だった。
近づいて誰にともなく会釈すると、
「あんたT社の人?名前何だったっけ?」
と、田中が横柄な口調で訊いた。木村は以前から、業者に対する見下したような田中の態度が気に食わない。
――どうせ憶える気もないだろうが。
心の中で田中を罵りながら、
「どうも、T水道工事社の木村です」
と、田中の隣に立った二人に向かって自己紹介した。一人は小柄な50がらみの中年男、もう一人は細身の神経質そうな顔をした30歳くらいの男だった。二人とも白っぽいシャツと、地味な色のスラックスを身に着けている。
「私は深川署の高橋、こっちは岡村です。今日は暑いのにご苦労さんだね」
中年の方が黒い手帳をかざしながら如才なさげな口調で言った。どうやら現場を確認に来た刑事のようだ。そう思って見ると、二人とも何だか目つきが鋭い感じがするのだから不思議だ。
「それで今日は?」
木村が高橋と名乗った刑事に訊くと、田中が少しむっとした顔で割り込んで来た。
「今日はね、このマンホールから下の下水道を調べることになってるの。この刑事さんたちが。あんた会社から聞いてないの?」
「刑事さんたちが下に潜るんですか?」
田中を無視して訊くと、
「ええ、申し訳ないが、私とこの岡村も一緒に降りたいんだよ」
という柔らかい言葉とは裏腹に、厳格そうな表情が返って来た。横に立った若い方の刑事も一切言葉は発しないが、表情は真剣そのものである。そうすると木村としては、何故警官が下水道を調べなければならないかという理由を聞き出すタイミングを逸してしまった。仕方なく、
「解りました。ほんじゃあ、今マンホールの蓋開けますんで」
と、足元を指さす。マンホールの蓋は23区のどこでも目にする、桜の花と銀杏の葉とゆりかもめがデザインされたものだ。サイズは色々だが、ここのマンホールは人間が入れる大きさだった。
「グエン君、道具運んできて」
車の脇で佇んでいたヴェトナム人研修生に指示すると、勤勉な彼はすでに道具を積み終えていた台車を押し、すぐにマンホールの傍まで運んで来る。
――最近、テ キパキとしてきやがったな。
そう感心しつつ道具を選んだ木村は、マンホールの蓋に開いた穴に差し込むと、手際よく持ち上げて蓋を穴から完全にずらす。マンホールからは下水道に続く立坑が見えた。この現場は初めてだが、覗いて見ると結構な深さがあり、底ははっきりと見えなかった。
「さってと。じゃあ降りますか。私が最初に降りて下から声掛けますんで、順番に降りて来て下さい。警備の人、交通整理頼んだよ」
最後は警備員に向かって声を掛けると、木村は立坑の壁に取り付けられた鉄製の梯子を伝って、暗い穴の中へと降りて行った。7、8mの高さを降りると、直径が2m程の下水管に到達した。持参した照明器具を、壁面を通る細いパイプに掛けると、管内は少し明るくなった。
「それじゃあ、1人降りて来て下さい。くれぐれも気を付けて」
木村が上に向かって呼ぶと、誰かが梯子を伝って降りて来る音がする。やがて年配の方の刑事が姿を見せた。グエンが渡したらしい会社のヘルメットを被り、足には黒い長靴を履いている。こちらは自分で用意したもののようだ。木村が、「次どうぞ」と合図すると、今度は若い方の刑事が降りて来た。そして下に着いた途端、悪臭に顔を顰める。高橋と名乗った年配の刑事は、下水管の先に懐中電灯を向けると、灯りの位置を動かしながら様子を確認し始めた。それに習う様に岡村の方は反対方向を懐中電灯で照らし始める。
すると上からグエンが降りて来て、
「何か手伝うことありますか?」
と訊いた。どうやら田中は降りて来ないらしい。下水道局が発注する保守点検作業の時は、監督義務があるので嫌々ながらも下水道に入るのだが、今日は管轄外ということなのだろう。現金なものである。
高橋に向かって
「何か手伝うことありますかね?」
と訊くと、
「この先はどうなってるの?」
と質問が返って来た。
「この先ですか?ずっと行くと本管に繋がってます。その先は処理場ですね」
すると高橋は、
「じゃあ、こっち側は?」
と、今度は反対方向を指して訊いてきた。
「そっちは行き止まりですよ」
そう答えながら高橋の指す方向に目を向けると、グエンが下水管の底を見ながら、いぶかし気にしている。
「グエン君、どうかした?」
「木村さん、これ何ですかね?」
木村の問いにグエンは、底にたまった水を指しながら訊き返してきた。近づいた木村が底を見ると、確かに黒っぽいものが管の底に沿って横たわっていた。
――何だろう?そう思い、その場にしゃがんで見ると、それは何か管の様なものだった。
「どうしたの?何かあったの?」
気づくと背後から、二人の刑事が木村の肩越しに水底を覗いていた。
「ちょっと待って下さいね」
そう断って、木村は腰に差した工具を取り出しすと、管の様なものを摘まみ上げ、足元に引っ張り寄せた。その際に一部が千切れて水に落ちてしまう。
「何ですかね、これ?」
「植物、かな?」
木村が引き上げた管の様なものの一部を持ち上げてみせると、高橋と岡村はめいめいに口にした。二人とも訝し気な表情を浮かべている。
「こういうのって、下水管の中に普通に転がってるの?」
高橋が訊いてきたので、
「いやあ、こんなのは見たことないなあ。初めてですよ」
と、木村は返した。実際こんなものを見たことも、同僚から耳にしたこともなかったからだ。
「これ、結構先まで続いてますよね。ところどころ切れてますけど」岡村が言った。
「どこまで続いてるんだろう?岡村君、そっち見て来てくれない?俺はこっちの方調べてみるわ」
高橋の指示に、「了解です」と言って片手を挙げた岡村は、水底を確認しながら歩いて行った。それを確認すると、岡村も反対方向に向かって歩き始める。
その後姿を見送りながら、木村とグエンは管の様なものをしげしげと観察してみた。
実際それは管らしく、中が空洞になっていて、水が少し溜まっているようだった。
「これ何でしょうね?大きなホースみたいですけど」
「そうだなあ。でも何か植物みたいだしな。何か最近ニュースでやってる、外来種とかいうやつかなあ」
「はあ」
結局それが何かという結論は出ないまま、二人の会話は途切れた。そして気がつくと、暑さで作業着まで汗が染みてきている。管内は外より少しはましといっても、やはり暑い。
「警察の人は?どこ行ったの?」
その時突然背後から声が掛かったので、木村とグエンは驚いて、同時に声の方に振り向いた。そこには、いつの間にか降りて来たらしい田中の姿があった。
「刑事さんたちは二手に分かれて、この先を調べに行きましたよ」
「二手にって、あんたらは何でぼおっと突っ立ってるの?あの人らに何かあったら、責任問題になるでしょうが」
尊大な下水道局員の偉そうな言いように、木村は腹を立て言い返した。
「別に一緒に来てくれとは言われてないんで」
しかし木村の反論を遮って、田中は木村とグエンを睨みつけながら言った。
「いいから、つべこべ言ってないで探しに行きなさいよ」
険悪な雰囲気になって来たのを察したグエンが、
「木村さん、僕はこっちに行きますから、木村さんはあっちをお願いします」
と割って入り、木村の顔を見て微かに首を横に振った。その顔が、止めときましょう――と言っている。
木村は小さく溜息をついて、
「じゃあグエン君、そっち頼むわ」
と言うと、田中のことは無視を決め込み、岡村が向かった方へと歩き始めた。グエンも黙って反対方向に向かう。
――馬鹿相手に腹立ててもしゃあないわな。社長にクレームが行っても気の毒だしな。
歩いているうちに、田中に対する腹立ちも少し収まって来た。しばらく歩くと、下水道管の行き止まりの所まで来た。見れば、岡村刑事がしゃがみ込んで底に溜まった水の中を覗きこんでいる。
「刑事さん、何かありましたか?」
声を掛けると、岡村刑事はこちらに顔を向けて立ち上がり、木村に手招きした。木村が近づくと、
「さっきの管なんですがね、ここの底の方に続いてるみたいなんですよ。さっきの道具で引っ張り上げてもらえませんかね?」
と、若い刑事は下水道の行き止まりにある水溜りを指さしながら言った。その場所はかなり深くなっているようだ。木村が覗き込むと、確かに管の様なものは下水道管から下に向かって伸びている様子だ。腰のベルトに掛けた道具を抜き、管に引っ掛けて持ち上げようとしたが、かなりの重量がある。
「大分と水を吸い込んでますね。無理に引っ張ると、さっきみたいに切れそうですけど。いいですかね?」
木村が言うと岡村は少し考え、
「ちょっと待って下さい。高橋さんと相談してからにします」
と言った。その時、来た方向から「ザザッ」という大きな音がする。何か水の流れるような音だったが、それはすぐに止んだ。二人は一瞬首をかしげたが、無言で肯きあうと元の場所に戻って行った。
***
立坑のところまで戻って来ると、向こう側からグエンと高橋が歩いて来るのが見える。田中はその場におらず、どうやら外に出たらしい。
岡村は高橋に近づいて行って、小声で話し始めた。グエンは高橋から離れて木村の方に来ると、
「木村さん、何かありましたか?」
と訊いてきた。
「そっちは?」
逆に木村が訊くとグエンは、
「かなり先まで行ったんですけど、さっきの管はずっと続いているみたいでした」
と首を傾げながら答えた。
「そうか、そんな遠くまで続いてたんか。こっちもね、行き止まりの所まで行って、水溜りの底の方まで伸びてるみたいなんだよね」
言いながら木村は、背中にうすら寒さを憶えた。グエンも困ったような表情を浮かべている。すると話し合いが終わったらしく、高橋が近づいてきて言った。
「今日は一旦これで上がることにします。それから、明日改めて来たいんですけど、そちらの都合の方はどうですかね?」
「明日っすか?他の予定入っちゃってるんですよね。シフト変更できるかなあ?まあどっちにせよ、さっきの下水道局の人から会社の方に正式に依頼してもらう必要があるんですけどね」
「ああそう。じゃあ外でさっきの、ええと、田中さんだったっけ?あの人に言えばいいのね?」
「そうです。さっきまで、ここにいたんですがね。上がっちゃったみたいですね」
「解りました。それでもう一つお願いがあるんだけど」
「なんでしょう?」
「さっき拾い上げたそれね」
高橋は管の切れ端を指して言った。
「持って帰りたいんだけど。何か入れる物ないかな?」
そう言われて木村は少し考えたが、
「ポリ袋でよかったら、車にありますよ。いいですかね?」
と返した。
「ああ、それお願いします」
「じゃあ、グエン君。車から厚めのポリ袋持って来て」
「解りました」と言って、グエンはきびきびとした動作で立坑の梯子を上り始めた。
「ありがとね」
高橋がその背中に声を掛ける。
――田中なんかより、よっぽど出来たおっさんだな。
木村は心中で思いながら高橋を見た。5分もしないうちに、グエンが取って返して来て、手に持った袋を木村に手渡しながら言った。
「この大きさでいいですか?念のためにワンサイズ小さいのも持ってきましたけど」
「こっちでいいんじゃないかな」
そう言って大きい方の袋を受け取った木村は、下に置いた管を拾い上げると、ポリ袋に入れ口を縛った。そうしておいて高橋に、
「刑事さん、これでいいですかね?」
と確認する。刑事は頷くと、「ありがとう」と言いながら袋を受け取ろうとした。しかし、
「危ないんで、上まで持っていきますわ」
という木村の返事に、
「じゃあ、頼みます」
と素直に引き下がった。
4人が梯子を上って外に出ると、先程にも増して強い日差しが照りつけていた。木村は手早くマンホールの蓋を元に戻すと、立ち上がって額の汗を拭う。そして辺りを見回すと、その時になって田中がいないことに気づいた。
二人の刑事も気づいたらしく、
「あの下水道局の人、帰っちゃったのかな?」
と不審げに顔を見合わせる。
「グエン君、さっき上がって来た時に、田中さんいた?」
「多分、いらっしゃらなかったと思います」
「おっちゃんたち、さっきここにいた下水道局の人、どこにいったか知らない?」
木村は二人の警備員にも確認したが、両方とも首を横に振る。
「多分さっき下に降りたっきり、上がって来てないんじゃないかなあ?」
太った方がもう一人に確認するように言うと、年配の警備員も何回も首を縦に振って肯定した。
「上がって来てないって、そんなわけないでしょう」
「本当だって。俺らマンホールの両方に立って警備してたから、出て来て他所に行ったんなら気づかないわけないって」
太った警備員は少し憤慨して、そう言った。年配の方も肯いて同調する。
「いやあ、でもさあ。僕らもしたで二手に分かれて合流したんだからさあ、途中ですれ違ってたら、気づかないわけないって」
「そう言われてもなあ」
太った警備員は、なおも不満げに言う。その時、
「田中さん、上がって来てないの?」
と高橋が訊いてきた。そして木村の返事を待たず岡村の方を向くと、なにやら深刻な表情で頷きあった。そして、
「あの、悪いだけど、もう一回下に行っていいかな?」
と、深刻な顔を崩さずに言う。木村はその圧力に押され、「いいですよ」と答えると、再度マンホールの蓋を引き上げた。
「じゃあさ、私と岡村君と、もう1人下に降りて、1人は上に残って欲しいんだけど。」
高橋がそう言うので木村は、
「グエン君、上で待機して。もし田中さんが戻ってきたら、知らせて」
と指示を残し、再び立坑を降りて行った。二人の刑事も彼に続く。
「木村さん、ここに残ってもらえる。私らはもう一度様子を見に行って帰ってくるから」
下に降りて来た高橋はそう言い残すと、先程の方向に歩いて行った。歩きながら下水管の壁や、底の水を懐中電灯で照らして確認しているようだ。岡村の方も反対方向に歩きながら同じように周囲を確認している。やがて二人の姿が見えなくなると、木村は深い溜息をついて独り言ちた。
「途中に隠れるところはなかったけどなあ。反対側は行ってないから分からんけど。管の底も、この深さじゃあ、落ちて溺れてるなんてことはないだろうしなあ」
そもそも田中が姿を隠す理由などない。仮に何かそうしなければならない事情があったにせよ、わざわざ下水管に降りて来る必要などなく、外で警備員に一声かけて、どこかに行ってしまえば済むことだった。かと言って、外の警備員たちが見逃しているとも思えなかった。二人のあの立ち位置では見逃しようがない。二人で示し合わせてサボりに行っていたと考えられなくもないが、そこまで疑い出したら切りがない。
「まったく、どこ行っちゃったんだろうなあ」
しばらくすると先に岡村が戻って来た。一人で戻ってきたところをみると、田中はいなかったようだが、若い刑事の深刻な様子に、つい声を掛けそびれてしまった。少し気まずい雰囲気になったところに、高橋が首を振りながら戻って来た。そして岡村が同じように首を横に振るのを見ると、考え込むような仕草で立ち止まってしまった。年配の刑事は暫くの間そうしていたが、やがて思い直したように顔を上げると、
「ありがとう。ご苦労さんだったね」
と木村を労った。そして岡村に向かって、「戻ろうか」と声を掛けると、先に梯子を上り始める。最後にマンホールから出た木村は、
「もう閉めちゃっていいですか?」
と、刑事たちに確認した。高橋が頷いたので、蓋を戻す。
やはり外にも田中の姿はなかった。高橋がグエンに確認したが、
「田中さんは戻って来られていません」
という、はきはきとした返事が返って来ただけだった。高橋は岡村と小声で何事か相談していたが、やがて木村に向かって、
「今日はこれで引き上げることにします。ご苦労さんでした」と丁寧に言った。
「じゃあ、僕らは後かたずけして帰りますんで」
木村の返事に二人は、同時に会釈を返してきた。その時グエンが、
「刑事さん、これ忘れ物です」
と言いながら、下で回収した管を入れたポリ袋を差し出した。それを受け取った岡村は、「ありがとう」と生真面目に礼を言う。
――結構いい奴そうだな。
木村はそんなことを思いながら、刑事たちがセダンに乗り込んで現場を後にするのを見送った木村は、帰って社長に何て報告しよう――と漠然とした不安を拭いきれずに思った。
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