【01】

【01-1】

1999年7月某日の夜、<それ>は東京に飛来した。

その時刻、東京湾岸区域の至る所で、多くの人が夜空を流れる眩いオレンジ色の火球を目撃していた。その少女も千葉県浦安市にある自宅マンションのベランダから、夜空を流れ行く火球を見上げていた一人だった。


少女の名は蘆田光(あしだひかる)、近隣の公立小学校に通う3年生だった。夏休みに入って間もないその日、苦手の算数の宿題と格闘した末に、ようやく母と約束していたノルマを終えた光が、ベッドに潜り込もうとした矢先だった。突然胸が苦しくなり、こめかみに痛みが走った。


――何か来る!

そんな直感が脳裏を電流のように駆け抜け、続いて漠然とした不安が込み上げて来たので、光は思わず胸の辺りを抑えた。


そういうことは幼い頃から時折あったことだったのだが、彼女が不安を覚えたのは、それが大抵、あまり良くない出来事の前触れだったからだ。ある時は彼女を可愛がってくれていた祖父の、突然の死の前触れだった。またある時は、親しい友達が学校の雲梯から落ちて、大怪我をしたのだった。


部屋を出た光はリビングを駆け抜けると、東京湾に面したベランダに飛び出した。

「光ちゃん、どうしたの?」

母の驚いた様な声が彼女の背中を追って来る。


ベランダから夜空を見上げた光の目に、空を覆った分厚い雲間を切り裂くようにして走る、眩いオレンジ色の光が飛び込んで来た。一瞬それは、稲妻のように見えた。その日は一日中降ったり止んだりの天気で、関東地方では夜半から翌日の明け方にかけ、強い降りが予想されていたからだ。


しかしそのオレンジ色の物体は、やがて雲間から飛び出すと、東京湾へと墜ちて行った。その一部始終を目で追っていた光は、何故だか急に体中に緊張感が走るのを感じ、知らず知らずのうちに歯を食いしばり、両手を固く握りしめていた。


リビングからベランダに顔を覗かせた母が、

「光ちゃん、どうしたの?大丈夫?」

と声を掛ける。すると光の体から力が抜け、代わりに涙が溢れだしてきた。


驚いた母は、

「どうしたの?大丈夫?」

と言って、再度娘を気遣った。


「大丈夫。何でもない」

光は母にそう言うと、涙をぬぐった。そして、

「大丈夫だよ。もう寝る」

と、なおも心配げな表情の母に言いおき、自分の部屋に駆け込んだ。そしてそのままベッドに飛び込むと、タオルケットを頭から被る。


――あれは何だったんだろう?ただの流れ星?

――それなのに何で、あんな嫌な気持ちになったんだろう?


光はベッドの中で考え込んだが、答えは出て来ない。況してや、それから17年の歳月を経た後、自分がその夜に目撃した物体と直接向き合うことになるとは、9歳の少女に予測出来るはずもなかった。


【01-2】

その日、蘆田光が目撃した物体は、荒川河口から2km程南、葛西海浜公園付近の東京湾に落下した。その物体の正体は、<ソミョル>と名付けられた、ある種の生物兵器だった。


<ソミョル>は今から5億年以上前、地球の地質史上ではカンブリア紀と呼ばれる時代に、天の川銀河ペルセウス腕辺境部にある小さな惑星に設置されたものだった。


<ソミョル>をその惑星に設置したのは、ペルセウス腕よりも内側の、サジタリウス腕外縁部にあったコジェと呼ばれる惑星の住人たちだった。彼らはその時点で既に、現代の地球人とは比べ物にならない程の、高度な科学技術を所持していた。


しかしその頃、彼らの母星である惑星コジェは、天体としての終末期に達しようとしていたのだ。その終末の兆候を察知した惑星コジェの住人達は、新たな移住先を求め、銀河系の辺縁部にまで探索の手を伸ばしていたのだった。


そして<ソミョル>が設置された小惑星は、その候補地の一つだった。小惑星を訪れた探索者たちは、そこに知的生命体と呼べるレベルまで進化した生物が存在しないことを確かめると、直ちに<ソミョル>を起動させ母星へと帰還した。


兵器としての<ソミョル>の目的は、惑星上の生命の浄化だった。そして起動した<ソミョル>は、自身に組み込まれたプログラムに忠実に従って活動を開始した。<ソミョル>の活動は、自身の成長という一点に集約されていた。


<ソミョル>は成長の過程で、周囲のあらゆる生命体を分解吸収し、それを養分として更に成長するサイクルを繰り返すのだ。その成長は、周囲のあらゆる生命体を消滅させるまで続く。


<ソミョル>自身には他の生命体を分解するという機能はなかったのだが、周囲の環境に合わせて<共生体>を造り出すことが出来た。そしてその<共生体>を利用して、あらゆる生命体を分解し、成長のための養分として吸収するのだった。


<ソミョル>は<共生体>から受け取った養分を元に、休むことなく成長し続けた。やがて惑星全体を覆いつくすまでに成長し、そして停止した。そのことは、惑星上の生命体が全て食い尽くされたことを意味していた。

もはや惑星上には、<ソミョル>と<共生体>以外の生命体は存在しなくなり、移住先としての地均しが完了したのだった。


しかし<ソミョル>を設置した惑星コジェの住人が、再びその小惑星を訪れることはなかった。皮肉なことに彼らは、その時既に滅亡してしまっていたからだ。


ペルセウス腕内縁部にあったコジェの植民惑星に派遣された軍が、意図せずにコジェや途中の経由地に持ち帰った微生物が致死性の変異を遂げ、急速に蔓延したことが滅亡の原因だった。その微生物は当初いかなる毒性も有していないと判断されたため、人々の注意を引かずそのまま放置された。


その微生物は極めて短期間に増殖し、人々の体内に取り込まれていった。コジェ人たちにとって不幸だったのは、その微生物が彼らの体内で特定の生体成分と反応することで、致命的な毒性を獲得したことだった。


彼等がそのことに気付いた時には、既に人口の99%以上が感染していた。そして彼等は、なす術もなく死滅という運命を迎えることになったのだ。そのことは地球人の宗教的な観点からは、移住先となる他星の生命を滅ぼし尽くしたことの因果応報と言えなくもなかった。


自身を設置した者たちが滅亡してしまった結果、<ソミョル>は自身と<共生体>以外の生命体が存在しなくなった惑星上で、ただ静止し続けることになった。しかしそれは、活動の停止ではなく中断、つまり周囲に生命反応を感知した場合に、すぐに活動を再開する状態だった。

<ソミョル>は、活動中止のコードが入力されない限り、その活動を停止することがないように設計されていたからだ。


それから数百万年が経過した時、<ソミョル>にとっての静寂の時間は唐突な終焉を迎えることになった。他の天体との衝突によって、小惑星が破壊されてしまったからだ。


<ソミョル>は、粉々になって飛び散る無数の星の破片と共に、宇宙空間へと射出された。爆発の衝撃によって、惑星表面を覆いつくしていた<ソミョル>の大部分は破壊され、宇宙空間へと飛び散って行った。しかしその核の部分は、惑星を破壊する程の衝撃によっても、いかなるダメージも受けなかったのだった。


それが以後5億年もの長きに渡る、漂流の始まりだった。

<ソミョル>は固有の運動機能を持たなかった。ただ外部から加えられる力によって与えられるベクトルに従い、ひたすら宇宙空間を漂流し続けることになったの。


5億年もの間、<ソミョル>が一度も他の天体に漂着せずに地球に到達したことは、奇跡的な確率の出来事であったが、そのことは逆に、地球上の生物にとっては最悪の結果となってしまった。


宇宙空間を漂流する間、生命活動の大部分を休止していた<ソミョル>は、東京湾の海底に到達するや否や速やかに再起動した。周囲に濃厚な生体反応を検知したからだった。<ソミョル>が成長を開始するためには、周囲の環境に適合する<共生体>を作り出す必要があったが、そのために必要な素材は周囲にふんだんに存在していた。


<ソミョル>は自身に備わった原子レベルでの物質変換機能を駆使して、<共生体>の作成を開始した。それから17年もの間、無数とも言える試行錯誤を繰り返した末に、<ソミョル>は遂に現在の環境に対応する、最適な<共生体>の作成に成功したのだった。


<共生体>は、早速周囲を漂う微小な生命体を分解しながら増殖し始めた。丁度その時、大きな質量を持つ物体が接近して来た。

<ソミョル>と<共生体>は、攻撃の対象物を周囲の環境と対象が発する熱量との差として感知することが出来た。


接近する物体が発する大きな熱量を感知した<共生体>は、速やかにその物体を攻撃する。

そして<共生体>は、その物体のかなりの部分を分解し、<ソミョル>に供給した。遂に<ソミョル>は、成長という自身に備わったプログラムの、初期のプロセスを実行するために必要な養分を獲得したのだった。


やがて<ソミョル>は一つの方向に向かって、ゆっくりと外殻を伸ばし始めた。

その方向に、より多くの熱量を感知したからだ。

現在<ソミョル>がいる場所には、そのような熱量を発する物体の密度が疎(まばら)であった。

<ソミョル>が定着し、本格的な成長を開始する場所としては適切ではなかったのだ。


<ソミョル>は<共生体>の力を借りて、自身が定着するために最適な場所を求めて、伸びゆく自身の外殻に沿ってゆっくりと移動を開始した。

遥か昔、遥か彼方の惑星に、異星人たちが新たな居場所を求めて設置した生物兵器<ソミョル>が、今地球人類に滅亡という運命を突き付けようとしていた。

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