トラック

@ku-ro-usagi

読み切り

運送の事務で働いてるよ

この業界にしては珍しくとても穏やかなおじさん上司のDさんと

もう1人パートさんがいる

事務は3人だけで回してる小さな会社

最近パートさんが腰痛を訴えていて

新しい人を募集しようかなんて話も出てきている

Dさんは私が入社した時からもう事務の人だったんだけど

実は運転手をやっていたんだって

それで

小さい会社だから

たまに人手なかったり

お使いなどね

代わりにトラックにも乗る羽目になるのだけど

必ず私なの

営業車の時は勿論

役に立つかなって暇な時に大型免許取ってたからさ

でも私がどうしても無理なときも

Dさんは出ない

っていうかそもそも通勤もバスでしてる

臨時だったり真夜中にどうしてもの時は

近くに住む運転手さんの自家用車についでに乗っけて来てもらっている

どうしてか

ある時から

Dさんをトラックに乗せると会社が廃業してしまうって

乗らせてもらえなくなったんだって


そのある時って言うのが

高校生の女の子が

Dさんが運転するトラックの前に飛び出してきた時

他の運転手さんからの通報もあってあとで分かったんだけど

Dさんの前にも何度か飛び出して轢かれることを試してたけど

他の運転手さんは飛び出してきた女の子の目の前で

ギリギリで停まれたんだって

でも

Dさんの時はギリギリまで街路樹に隠れられてて

飛び出してきた時はもう到底停まれる距離じゃなくて

女の子は見事に空高く吹っ飛んで

民家の駐車場の車のフロントガラスにドーンッと突っ込んだ

そしてきっと

その彼女の望んだ通りに即死

彼女に突っ込まれたご近所さんは気の毒でしかないけどね

それで

たまたまだいぶ先に走っていて彼女からの難を逃れた人が

違う会社のトラック運転手で知り合いだったんだって

その人は

女の子が飛び出してきたことを通報するか迷い

でもとりあえず積み荷を時間までに届けないといけないって

荷物を下ろしてから警察に連絡したんだって

他の運転手にも注意を促して欲しいって意味で

そしたら

『あぁ、その子ならもう死んだから大丈夫ですよ』

言い方よ

でも警察の人には

なんてことない日常茶飯事なんだろうからね


それでね

Dさんは

妻子持ちなんだけど

ずっと昔

出会い系

当時はテレクラで

若い女の子と会ってたんだって

金銭援助の

若い子って言うか高校生が好きだったみたいで

それで

お金を渡して抱いた女の子が

その子だったんだって

飛び出してきたその子ね

それは本当にただの酷い悪意の塊みたいな偶然だったんだけども


Dさんはその子と一緒にいる時に

仕事を聞かれて答えたら

「人を跳ねたことはあるか」

って聞かれたんだって

自分はないけれどと

仲間から聞いた話を教えてあげたんだって

まるで寝物語みたいにね

あまり大きな声では言えないけど

物によっては飛び出してきた人間の命より積み荷の方が遥かに大事とかね

だから

「ブレーキ踏むな」

なんて言われる場合もあるの(一部ね一部)

それでも

人には心があるでしょ

無意識にもう反射的にブレーキを踏むけど

積み荷が重い程ブレーキも当然効きにくい

だから高確率で飛び出してきた人を跳ね飛ばしてしまうし

即死率が高い事とかも

Dさんは怖がらせるつもりで話していたけど

女の子はすごく真剣に聞いてたんだって

それで

その後に

起きた出来事がそれ

女の子が飛び出してきて跳ね飛ばすなんて

ほんの一瞬の出来事なのに

Dさんには

女の子が街路樹から飛び出してトラックの真っ正直に立って

こちらを見上げてきた姿はずっとスローモーションだったって

靡く髪も

吐き出す息の白さも

女の子の瞬きする瞳の睫毛に

降り始めた雪がふわりと落ちる瞬間すら見えたって

本当にDさんが抱いた女の子かはわからない

でもおじさんにはそう見えて

きっと

本当に

そうだったんだと思う

Dさんは慌てながらも警察に

後は会社と届け先に電話したら

届け先の人は到着が遅れることにただ溜め息吐いてたって

仕事だもんね

そんなもの

Dさんはその日は

遅れて荷物を届けて仕事場の駐車場まで乗って

駐車場に停めてある自分の車とトラックを入れ替えて普通に帰ったんだって

家族には事故のことは話さなかった

気分のいい話でもないし

自分のしていることの後ろめたさもあったからと

でも翌日から

「またですか?」

って言われるほどに乗るトラックの大小の故障が起こり

別のトラックに乗っても駄目

「Dさんが乗るたびにうちは赤字になってしまう」

って軽口ではなく言われるようになった

結局

Dさんはトラックを降りて事務所の事務に収まった

「転職は、考えなかったんですか?」

「家族には勧められたよ、そんなの会社の言い掛かりだって

他の会社に移れって

運転手はもうあの当時から人手不足が囁かれていたからね

受け入れてくれる所は何ヵ所もあったよ

でも何となく

他に移っても同じ気がしてね

狭い業界だから噂もすぐに広まる

それで仕事がなくなるよりは

このままこの会社にいさせてもらおうと思ってね」

当然給料は下がったけれど

仕方ないとDさん

そのうち通勤で乗ってる車も

乗るたびにエンジンが掛かりにくくなったり

バッテリーは勿論

電気系等の不具合が頻発し

車ごとお祓いをしてもらったりもしたけれど

駄目だったそう


そんな話をしてくれているDさんがいるのは

病院のベッドの上

一週間前

Dさんと時間差で取っている昼休みが終わった頃

Dさんの高校生の娘さんが学校で倒れて病院へ運ばれた

と連絡があったんだ

事務所には私とDさんしかおらず

私が送ると職場が空になってしまうため

タクシーを呼びますと言ったのに

Dさんは私の制止も聞かずに会社のバンに乗って

娘さんの運ばれた病院へ着く前に意識を失い

目の前で信号待ちしていたトラックに追突

Dさんも病院へ運ばれた

娘さんは盲腸で命に別状はなかったって

ベッドの上のDさんは頭に包帯を巻いている

エアバッグが仕事をしてくれて大事には至らなかったけれど

まだ精密検査が残っていると言う

確かに運転中に意識を失くしたのだ

そんなDさんは

自分の過去のこと

車に乗れなくなった経緯を

ただ淡々と話してくれた

けれど

それは多分もう仕事場に来る気がないからなんだろうね

赤裸々な過去の話

私が座る椅子の後ろのカーテン越しからは

隣のおじいさんの低い鼾が聞こえてくる

Dさんはただニコニコしたまま教えてくれる

「意識を失う前に、声がしたんだよ」

声?

「あの子の、あの子たちの、一緒に来て、こっちに来てって声が」

それは

「可愛い声なんだ、声だけじゃない、吐息も、喘ぎも、汗の甘さも」


あぁ

Dさんは

壊れてしまったんだと思った

でも

それは違うこともすぐに解った

Dさんは元々壊れていて

ただそれを

ずっと

うまく隠していただけなのだ


Dさんが居なくなり

仕事場は予想以上にてんてこ舞いになった

事務所の大惨事な現状を知ったパートさんが腰痛を抱えながらも来てくれ

新しい人が入り

運転手が足りずにずっとトラックに乗っていた専務が事務所に戻ってきた

儲けにならない付き合いだけの仕事を

それを切っ掛けに社長がやっと切ってくたから

仕事の合間を縫ってDさんの見舞いに行ってきたという専務の表情は苦く

「ちょっと、その、強めに頭でも打っちまったみたいだな……」

私と新しく入った若い事務員さんの顔を見て言葉を濁す程度には

「もう、見舞いには行かなくていいよ」

と、やんわりと遠回しに言われる程度には

あれから更に症状は悪化しているらしい

なのに

それなのに

Dさんは病院から半ば追い出される形で退院になったと社長から聞いた


トラックだけに限らず

「当たり人」

はいて

長年運転手の仕事をしていても

一生に一度も人を跳ねることがない人もいれば

またかと言われるくらい飛び出される人もいる

その一度で仕事を降りてしまう人もいれば

仕事を続けてくれる人もいる

でも

仕事を降りてしまう人が悪いわけでは決してない

ただ飛び出してくる人間が悪いだけ

相手の人生をも巻き込んで変えてしまうのだから



自宅で介護をされていたDさんが

奥さんに首を絞められて亡くなったと知らされたのは

それから一ヶ月後の

今年初めての雪の降った

とても寒い日だった






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