今日の天気は雪が降る真夏日
――北海道は晴れのち曇りになるでしょう。
長い廊下を歩いているとどこからか聞こえてきた天気予報。ラジオの音だと思うけど、どこの病室から聞こえてきたのかはわからない。
白い廊下。並んだ病室。僕はそこを歩いていく。手には彼女が好きなコンビニのプリンの入ったビニール袋。彼女はホイップクリームがいっぱいにのっているものが好きだ。
402と札のかけられた病室。その下にそこに入院している人たちの名前がある。
彼女の名前をその中で確認する。
――「木下 三月(みつき)」。
僕はいつも病室の前で一度立ち止まって深呼吸する。病室に入った時に明るくする準備をする癖がついた。すうはあと息を整えて足を踏み入れる。
大部屋の中にはベッドが並んでいる。彼女の場所は奥の窓際だ。
そこに彼女はいた。黒髪を一つにまとめて窓の外を見ている。
立ち止まりそうになる。
でも僕は足を前に出していった。
「三月起きてたんだ」
彼女が振り返った。大きな瞳に僕を映して、ぱっと笑う。
「翔太!」
彼女は僕を歓迎するように両手を広げて、そしてそのままその小さな手のひらを並べて突き出した。僕は苦笑して袋からプリンを出して渡す。
「やった! ありがと! 食べていい?」
「いいよ」
僕は喜んでいる彼女を見ながら近くにあった丸椅子を引き寄せて座った。
痩せたかな。そう心の奥底で思ったことは口にも表情にも出さない。ただぺりぺりとプリンの蓋を外している彼女を見て笑う。
窓の外はいい陽気だった。春の日差しは優しい気がする。遠くに桜の色が見える。
気が付くと三月は僕を見ている。
「翔太はお花見いったの? 今年」
「……いや、行ってないよ」
「そっか。私もいけてないしなぁ」
冗談にしては面白くないから笑わなかった。彼女はプラスチックの小さなスプーンを取り出してプリンを見つめている。
「食べないの?」
「っ……食べるよ。ね、翔太。ちょっとだけ遊びに付き合ってくれない?」
「遊び? なんかプリンでも使ってゲームをするの?」
「プリンは関係ないかな。こっち来て」
三月の言われるままに少しだけベッドへ近づく。彼女は不意に僕の手を握った。どきりとしたけど、それを顔に出したくなかった。三月は僕に顔を近づけて小さな声で言う。
「さっき翔太が来るまで外を見ていたんだ。この病室からは遠くに昔よく行った公園が見えるよね。あそこに行きたいなぁって」
「元気になれば……いけるよ」
「今行きたいな」
「今は……無理だろ」
「だからさ……ただの遊びだって、ごっこ遊び」
「ごっこ遊びって」
「翔太と行ったつもりで話ができたらなって。変だと思うけど、少しだけ付き合ってくれないかな」
僕の手を握る三月の手が、気持ちが伝えてくるようにぎゅっと指を絡めてくる。
「――ああ、いいよ」
僕はそういった。三月は顔を上げて「あんがと」って言って笑った。白い歯を見せて。
彼女はそのまま言葉を紡いだ。なんとなく僕は目を閉じた。
握り合った手の温かさだけを感じる。そこに三月の小さな声がする。
「丘の上の公園は大きな駐車場があって。そこにお父さんの車で行くの。黒いワンボックスで翔太もついてすぐに飛び出して行って」
「子供みたいだね」
「いいじゃん、わたしもそれについていく。公園の中はもう桜が満開で大勢の人がいて……お花見の場所を探すんだけどなかなかなくて」
「……じゃあ、僕が探すから三月はベンチに座ってたら……痛っ」
少しだけつねられた。
「ついていくにきまってるじゃん。翔太なら座れればどこでもいいって感じの場所をとってきそう」
否定できないな。そう口にはしなかった。ただ三月と桜の咲いた公園の中を歩く姿を想像した。目閉じているのになんとなく三月が笑っていることだけが思い浮かんだ。不意に悲しくなって、そう思われないように僕からも話した。
「桜の前で手をつないで見上げたりしそうだね」
大きな、きれいな桜の前で三月と手をつないで見上げる。そんな風景が心に浮かんだ。
「……」
「三月?」
「あ、いや、そうだね。……ねえ、翔太。もう少し別のところにも行かない?」
「別のところ? どこ?」
「……海とか」
いきなり全然違うところだなと笑ってしまう。
「ワープするみたいだな」
「いいじゃん、しゅばーんって! 公園から夏の海へダイブ! シュノーケルつけて透明な海の中を泳ぐの。魚とかウミヘビとかと」
「……沖縄にでも旅行に行くの?」
「そう! 沖縄行きたいな!」
三月はさらにいう。
「白い砂浜でパラソルを立てるんだけど翔太は失敗して」
「なんで僕はそんなのばっかりなんだよ」
いうとくすくすと三月はした。
「私はおなかが減ったから海の家に大盛の焼きそばを買いに行くの。そうだ翔太は私の水着の色は何がいい?」
「……い、いろ?」
「そう。何がいいかなぁ。ねえ」
「し、白とかでいいじゃない」
「ふーん? ビキニ?」
「…………ふ、普通のでいいだろ」
「じゃあ白のビキニで。あ、でも恥ずかしいから上着は着よっと。ちゃんと前は閉めますんで、残念でした」
「残念じゃないけど」
僕はそう精いっぱいの反撃をした。なんで想像のお出かけで恥ずかしくならないといけないのかと理不尽にも思うけど、三月は楽しそうだった。
「めちゃくちゃ暑い日。真夏日だから早くパラソルを立てて! って急かしたあと焼きそばを二人で食べてから海で遊ぶの、波が冷たくてビーチサンダルで波打ち際を走って……砂が指の間に挟まってきもちわるいの」
「生々しい話……。じゃあ僕ははだしでいいよ」
「はいてきなよ、足がやけどしちゃうよ?」
「僕は男だから平気だよ」
「じゃあ、水を掬って翔太にぶつける。ばしゃーんって」
「やったらやりかえす! 僕も思いっきりぶつける」
「逃げてやる」
「追いかける」
それから二人で笑う。病室のほかの人に迷惑にならないようにひそやかに。
「プールの後は水族館だね。翔太の奢り」
「ぷーる? 海でしょ」
「……海の後にプールに行ったってことでウォータースライダーに蹴落としてやるからね!」
「ひどい」
「……水族館は意外とお客さんが少ない日でラッキーって私は喜ぶの。大きな水槽に少し暗い部屋。いろんな魚の泳いでいる中で私と翔太は並んでみている。静かだね」
「……そうだね」
「ほら、鯨だよ」
大きな水槽に鯨。とんでもない水族館に連れてこられたものだと僕は思った。ただ僕は三月の手を握ったままいう。
「あの鯨はゆっくり泳いでいくんだね。海底に来たみたいなすごい光景だよ」
「うん」
「三月?」
三月は少しの間黙っていた。
「……ううん。次はどこにいこっか。翔太はどこかに行きたいところはある?」
「行く場所。……学校。あ、ごめん」
「……いいよ。そうだね。学校行きたいなぁ。勉強はあんまり好きくないけど……。翔太去年さ、雪が降った日に校庭で雪をぶつけ合ったじゃん」
「あったあった」
朝は晴れていたのに途中から大雪になって午後の授業が中止になった。早めに帰れるとはしゃいでいたら三月が雪玉をぶつけてきたんだ。
白い世界ってくらいに雪の降る中、三月は両手を腰に当ててにやりとしてる。さっき僕に当てた雪玉は顔にクリーンヒットした。
想像の中の三月が笑っている。
「一緒に帰ろ?」
「え?」
僕は目を開けた。目の前の三月が僕を見ていて、少しだけ潤んだ瞳を隠すように彼女は笑った。
「あの時そういった気がする」
「そう……そうだったね。雪合戦するにはちょっとやばめの雪だったしね。……三月」
「何?」
「一緒に帰ろう」
「…………そうだね、うん」
三月は一度視線を落としてぽつりと言う。
「頑張る」
僕はもう一度三月の手を握った。彼女も握り返してくる。三月は一度外を見る。晴れている。
「いい天気だね」
僕が言う。
「そうかな?」
三月が言った。彼女はさらに続けた。
「今日の天気は雪が降る真夏日……。いろんなところに翔太と行けて楽しかった」
短編のごった煮 @hori2
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