朝倉霊能事務所はメイド付き


 雑居ビルの古ぼけた看板に『朝倉霊能事務所』と書いているのを見かけたある人がいました。


 霊能と聞くとふふふと笑ってしまうかもしれません。でも、その人はとても困っていました。


 雑居ビルの薄暗い階段を上るのはよれよれのスーツを着た中年の男性です。彼は朝倉霊能事務所の前に来るとノックをしました。普段あんまり運動をしないからでしょうかね、階段で疲れたのか苦しそうに息をしています。


 ガチャリと扉が開くとそこにはきれいな女の子が立っていました。きれいに整った短い髪にどことなく冷たさを感じさせる瞳。それに黒を基調としたメイド服……わかります、男性はあっけにとられています。


「あ、なたが朝倉……先生? ですか」


 ふるふるとメイドの女性が首を振ります。彼女は自分を指さして小さな声で『……比奈』」と言いました。それでメイドさんは中に彼を誘います。


「おや、お客さんですか?」


 中は狭く奥に机とその前に応接用のソファー。あとは何かの資料のファイルが積まれています。ブラインドのかかった窓の前で優雅にコーヒーを飲んでいる人こそ朝倉さんでした。


 朝倉さんは振り返ります。美形でした。黒髪の艶やかで瞳の大きなボーイッシュ。実は女性ですが、朝倉さんはそんなことは言わずにやってきた男性に座るように促します。彼女は黒のスーツに黒のネクタイをつけています。細い体のラインにぴったりでとてもスタイリッシュって感じですね。


 メイドの比奈さんは部屋の隅に立っています。


 男性は戸惑いながらもソファーに腰を下ろして、そして言いました。


「あ、朝倉先生助けてください! 私の家が、買ったばかりなんですが、大変なんです」

「まず落ち着きましょう。……まだクライアントのお名前も聞いていません」

「あ、あ、あ私は、井上と言います。その、こんなことを相談するのはどうかと思いますが、霊が出るんです。幽霊に毎日悩まされていて、あああ」

「OK。深呼吸をしてください。そしてゆっくりでかまいませんので何があったのかを話をしてください」


 井上さんは大きく深呼吸をしました。朝倉さんはしばらく待ってから言いました。


「ずいぶん慌てておられるようですね。事務所に入ってきたときも。井上さん、それで私に何を依頼しに来られたのですが?」

「あ、あの。私は――」


 それから井上さんは話をしてくれました。最近中古の家を買ったとのことですが、その家はどうやら心霊物件。毎日毎日何らかの怪奇現象に悩まされているそうです。


「最初は気のせいと思ったんですよ。しかし、先生。毎日聞こえるんですとんとんとんとんって壁を叩く音が……階段を誰かが上ってきて、見に行くと誰もいないんです……。妻も子供も参っています。中古と言ってもそれなりに金がかかって引っ越しもできない……! じょ、除霊を頼めますか?」

「ふむ」


 朝倉さんは少し考えるように目を閉じました。整った顔立ちには雰囲気があります。彼女は目を開きます。ゆっくりと。


「わかりました井上さん。あなたの自宅にお邪魔していいですか? いきなり除霊になるかはわかりませんが……まずは現地を見てみないことには」

「ええ、ええ。もちろんです」

「それに私もただでは動けない、費用のお話にもなりますが」


 そういって朝倉さんは費用について懇切丁寧に説明をしています。比奈さんは後ろでじっと見ていますね。……しばらくして話がまとまったようです。できるだけ早くに解決することで費用を圧縮するってことになったそうです。


 ということで本日井上さんのお家にお泊りになりました。朝倉さんは準備をして井上さんと外に出ます。



「それじゃあ先生、よろしくお願いします」


 二階建ての中古住宅は意外ときれいですね。その家の前にタクシーが止まっていて井上さんご夫婦とお子さんが乗っています。井上さんはタクシーの窓から朝倉さんに対して念入りにお願いをしているようです。


「ええ、もちろん。お任せください」


 朝倉さんは笑顔です。彼女の後ろには比奈さんもいます。しばらくするとタクシーは去っていきます。


 もう夕暮れ時、これから幽霊が出るような時間になりますね。朝倉さんは問題の物件に振り返りました。両手を腰に当ててそれから言います。


「こわひ……」


 朝倉さんは一人になった途端に門に手をついていいます。


「なんで、なんでみんなでホテルいくの? ……私がここに泊まるのおかしくない? こわいこいわこわい」


 比奈さんはぽんと朝倉さんの肩に手を置いてあげます。そうです、実はこの朝倉さんはとてもびびりなのです。高校卒業後に霊が見えるなどと言ってしまい、そのルックスと冗談で霊関係の仕事を始めてしまいました。見えるといってもちょっとです。


「うう、うう」


 朝倉さんは意を決してなのか、でも少し肩を落として玄関を開きます。家の中の電機は全部消されています。薄暗いというより奥の方が真っ暗に見えました。二階にあがる階段はさらに暗く、じとっとしている気がします。その上には女の子が立っています。


「!!?」


 朝倉さんはもう一度見ました。誰もいませんね。気のせいでした。彼女はとにかく家の中に上がるとぎし……と床が鳴ります。それで背に冷たい何かが流れます。


 朝倉さんがまずやったのは家中の電気をつけました。それとリビングのテレビをつけておきます。それで幾分ほっとしてから手鞄の中からいろんなものをだします。お札だとかお経の書かれた巻物だとか……そういうものです。比奈さんはテレビを見ているようですね。


「今日は泊りになるし……家族の方に怪しまれないように下手に家具には触らないようにしないと」


 朝倉さんの言葉に比奈さんはこくりとうなずきました。その時、廊下でとーんとんとんって音がしました、びくって体を震わせた朝倉さんが向かうと廊下に小さなボールが落ちていました。スーパーボールというのでしょうか、なんでそれが落ちているのかわかりません。


「どこから来たんだ?」


 朝倉さんと比奈さんがそれを見ているとぱちんと廊下の電気が落ちました。


「ひっ」


 朝倉さんはビビっている間に比奈さんが電気をつけます。冷静沈着なメイドさんです。


「ひえ!?」


 朝倉さんはそれでもビビりました。


「な、なんでいきなり消えたの?」


 奇妙なことですが朝倉さんはリビングに戻りました。テレビがついてる空間に来ると安心しますよね。朝倉さんはほっとしてから「ブレーカーかな」と言いました。


 夜は更けていきます。朝倉さんはカップラーメンをすすりながらテレビを見ています。比奈さんがそばに来て『調査……しなくていいの?』と言いますが、なかなか動きません。やっと動き出したのは10時を過ぎていました。


 朝倉さんはお札を手に家の中を見て回ります。比奈さんも一緒について回ります。


「やっぱりさっきの女の子は見間違いじゃないですよね」


 脂汗を流しながら言います。朝倉さんはひとつひとつ部屋を見て回りました。何もないようです。それにほっとしていました。彼女ははあと息を吐いて、一度顔を洗おうと洗面台にやってきました。大きな鏡がある洗面台です。後ろは曇りガラスのお風呂ですね。


 ぱしゃぱしゃと顔を洗います。朝倉さんはどうしたものかと思いつつずっとテレビの音を聞いていました。音量を大きくしているのでどこにいても聞こえるようにしています。


 顔を上げた時、鏡に映りました。後ろのお風呂場、曇りガラスの向こう側に、女の子の影がありました。赤いワンピースのの女の子、もちろん曇りガラスですからその顔はわかりません。


「!!!!!!????」


 朝倉さんは振り返ります。お風呂には誰もいません。ドアを恐る恐る開けてみても誰もいませんでした。電気をつけて中に入ってみてもやはり誰もいません。


「……!」


 青ざめた顔をしてる朝倉さんの肩を比奈さんがぽんぽんと叩きます。それで朝倉さんは振り返ってお風呂場を出ていこうとしたときにそれを踏みました。髪の毛の塊が足元にありました。女性のものでしょうか? くろぐろとした長い髪が絡み合っています。


「ひ、ひい」


 慌ててリビングに避難する朝倉さん。テレビの前に来て一息つきます。廊下でかつんかつんと何が叩かれる音がしましたが、さすがに見に行かないようで比奈さんがそれを起こるようにくいくいと手を引っ張ります。


「しごと……しごと」


 朝倉さんはそう言って廊下に出ます、しんとしています。あれ? と朝倉さんは思いました、テレビの音が聞こえません、リビングに戻ると映像は流れているのに音が消えていました。リモコンで消音になっているかみてみてもそうではありません。


 テレビが消えて


 リビングの電気が点滅しました。すぐに戻ります。


「え。え?」


 朝倉さんはお札を手にしています。部屋の隅にぼうと黒い何かがありました。それは輪郭をもっていない黒い何かです。ゆっくりとそれが近づいてきました。朝倉さんは霊が見えますから、それが普通じゃないってわかりました。


 朝倉さんはその場にしりもちをついて泣いていました。


「もうやだぁ」


 凛々しい顔が涙にぬれます。どう考えてもこの仕事に向いていませんが黒い影がだんだんと近づいてきます。その闇の中でくすくすと笑う赤い口がありました。それは女の子の顔になっていきます。顔の半分がやけどの痕でしょうか……そんな子がそこにいました。


 朝倉さんはマジ泣きしながらお札を持って気絶してしまいました。


 霊の女の子はその姿を見て笑っています。その彼女の胸倉を比奈さんがつかみました。


『…………』


 幽霊にメンチを切る比奈さん顔は怖いです。もともときれいな顔立ちなのでとてもこわいですね。


 それに対して霊の女の子が何か言っています。聞き取れませんが、恨み言でしょうか?


『あ?』


 その比奈さんの一言で女の子も黙ってしまいました。いろんなこと言ってたと思いますが一文字で黙らせるのはすごいですね。あ、比奈さんのつかんでいた女の子が消えていきます。ああ、こんなのでいいのでしょうか?


☆☆


「いやぁ、ありがとうございます。朝倉先生。あれから怪奇現象はなくなりましたよ」


 朗らかな顔で井上さんが事務所にやってきました。どうやらあれから自宅で霊は出ないようですね。朝倉先生はコーヒーを優雅に飲んでいます。こういうところに昔演劇部に入っていたことが生かされるのですね。


「それはなによりでした。なかなか強力な霊でしたよ」


 その後ろで比奈さんがはぁとため息をついています。メイド服の彼女は朝倉さんを見て苦笑しています。井上さんはそんな比奈さんを見て言います。


「本当にありがとうございます。そちらのお嬢さんも本当に今回は助かりました」

「…………どこ見ているんですか?」


 朝倉さんが井上さんに言います。井上さんはえっ? と言って比奈さんを見ました。


 黒髪のメイドさんは唇の前に人差し指を立てます。片目をウインクしたときに、その頬が透けてみました、一瞬半分だけ骸骨に見えましたが、今はなんてことないかわいらしいいつもの比奈さんです。


 井上さんの顔が青ざめました。朝倉さんは聞きます。


「井上さん? どこを見ていったんですか?」

「い、いえいえいえ。はは」


 井上さんが振り返りました。


「そちらの人に言ったんですよ」


 おや


 私も見えているんですね?


 ふふふ。そうですかぁ。朝倉さんは困惑してますね。


「い、井上さん。この事務所には私一人ですが?」

「……え? でもそこに、あ、いえ。なんでもありません」

「な、なんですか一体」

「急用を思い出しました。これにて失礼いたします。これは代金です」

「あ、ちょ、ちょっと井上さん!?」


 井上さんはそう言って慌てて出て行ってしまいました。あらあら。


 あ、いつの間にか比奈さん、いや比奈ちゃんが私の横に来てくれています。いえーい。今回の仕事もうまくいきましたねー。そうハイタッチをしちゃいます。


「なに。なんなの? 何の話?」


 朝倉さんが右往左往しているのを見ながら私と比奈さんと新しくやってきた赤いワンピースの女の子の三人でにこにこ見ています。よーし、これからもがんばりましょうね。朝倉さん?


「ぞ、ぞくってした」


 風邪かしら? ちゃんと元気にしてね。

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