青い狼 ※モンゴル・歴史

 白い草原が広がっている。


 すべてを凍てつかせるような風が降り積もった雪を霧のように巻き上げ、世界を白に溶かしていく。


 ここはどうだろうか、男は歩きながらぼんやりと考えた。固まった泥が顔にへばりつき。手には何も持っていない。ただ、男の服には固まりきった血がついている。


 意識は朦朧としていた。


 すでに馬もなく。武器もない。


 戦に敗れた男は歩き続けていた。


 静かな世界で雪を踏む音だけが彼の耳に届く、それ以外何もない。


 男の歩みはだんだんと遅くなっていく。荒い息は白く立ち上る。彼の目の前にはただただ無限の白だけがある。


 男は倒れた。足をもつれさせたのではない。ただ、力尽きるように雪の中に倒れこんだ。


 強烈な睡魔が彼を包み込み、それにあらがおうと腕に力を込めて体をなんとか起こそうとする。顔を上げた男の目に「それ」は映った。


 雪の中に一頭の狼がいた。


 灰色の毛並み。青い瞳を持つ狼はじつと男を見ていた。


 男はなんとか体を起こして、膝をついたまま狼に向かい合う。


 狼は彼の部族の始祖であった。それは神にすら等しい。


 もはや行く当てもない彼を迎えに来た天の使者。男はそう強く思った。


「さあ、連れていけ」


 狼に向かってつぶやく。生きるすべはもうない。ここで朽ちていくのであれば、あの狼に葬られることが幸せだとすら思えた。


 狼が近づく。


 男は目をつぶって自らの終わりを待つ。


 瞼の裏に浮かぶのは今までのこと。奪われた妻。親友。裏切り、戦い。酒宴。父。懐かしく彼は思う。


 狼のうなり声が静かに近づく。


 男は片手を強く握った。その時、ふと不思議に思う。


「まだ、生きたいのか?」


 固く握った右手。意識すらも超えた何かに男は問いかけた。すべてを終える今に、自らを動かそうとする何かを感じた。それが自分の意思なのか、それ以上のものかはわからない。


 狼がとびかかる。


 男は抵抗した。白い歯で男の喉を食い破ろうとする獣が覆いかぶさる。男は握りしめた手を狼に打ち付ける。


 わずかに狼の態勢が崩れた。


 その瞬間男はすべての意識を失いそうになった。なにも考えず、ただ獣のように吠えた。そして逆に狼にとびかかり、そののどに喰いついた。


 必死に抵抗する狼を押さえつけるような気持ちは男にはなかった。ただ、喰い殺すという意思が彼を動かした。


 紅い血が雪を溶かす。


 狼の喉を喰いちぎる音がする。


 男は血を口元から滴らせて叫んだ。言葉ではない。ただ雪を降らせる天に向かって声を上げた。


 血だまりを消そうとする雪の中。男は確信した。狼を喰い殺した自分こそが狼なのだということを彼は思った。


 天に叫ぶ


「俺は。テムジンだ!」


 彼の名は天に、白くとけていく

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