その箱はそうして意味を持つ

バレンタインのお話です

正月が過ぎると、街中のハート率が爆上がりする。

右を向いても左を向いても、カラフルでキュートで中には豪奢なハートが散りばめられており、その傍には必ず「バレンタイン」の六文字が踊っている。


チョコは嫌いじゃない。むしろ好きな方だ。今だってほら、おおよそ自分には似合わない巷で人気のねこのキャラクターが描かれたかわいらしいパッケージを手に取って、連れて帰るか否かを逡巡しているし。


だけど生まれて十六年、一度も母さん以外からチョコをもらったことはない。それどころか、女子にはだいたい怖いと評される。この歳にして別に運動が出来るわけではないのに、190センチもある身体が恨めしい。


それでも、たくさんのチョコが所狭しと並ぶこの季節のことは嫌いではない。

箱を持つ手にすこし力を込めて、やっぱり連れて帰ろうと決めたときだった。


「あ、にゃんかわのチョコ!」


ふいに後ろから声が聞こえた。慌てて箱から手を離すと、ころん、とチョコが落ちそうになる。


「わ。大丈夫ですか? すみません」


何も悪くないであろうその人はそう口にすると、おれの落としかけたにゃんかわのパッケージチョコを寸での所で受け止めた。


「……え、あれ?」


「あ、ありがとうござ、すま、すみません!」


どもりながらもなんとか礼だけを口にして、そのまま売り場を去ろうとした。だが、なぜか体が前に進まない。その場にとどめられている理由をレイコンマ遅れて、理解した。


声の主が腕を掴んでいたのだ。


「え。あの、えと……」


戸惑いが言語を失ってただ口から出てきた。


「あの、待って。新川くん、しんかわくんだよねっ? わたし、平井。同じクラスの平井あかり。ねぇ、にゃんかわすきなの? これ、にゃんかわのバレンタイン限定チョコだよね?」


対する相手はするすると言葉を紡いできた。尤も情報量があまりに多すぎて、正直なところ何ひとつ答えられそうにないが。物理的な理由などなく動けなくなる。


平井あかり。もちろん知っている。身長が低くて少しぽっちゃりしている明るくて柔和な雰囲気の少女だ。

身長が高く体格もゴツめの自分とはまるで正反対だなと思ったことはあるし、小さくて可愛いなと思ったこともあるけれど。それだけだし、それ以上何かを思ったこともない。


そんな彼女がなぜ、自分の腕を掴んだままでにゃんかわバレンタイン限定パッケージチョコについて頬を赤らめて話しているのか。


さっぱり分からなかった。


「あの、平井さん……う、うで……その」


しどろもどろになりながら、そう口にする。自分もきっと目の前の平井さんみたいに顔が真っ赤に違いない。


「うわっ、わわっ、ごめん。ごめんね!」


平井さんは小さなふわふわの手をぱっと離すと、後ろに飛びながら下がる。なんだか小動物みたいだ。


「あの、わたし、うれしくてつい……」


少し距離を置いた場所で俯いたまま、平井さんはそうつぶやいた。


「え、うれしい? え、えぇと」


何に対して言っているのか考えて、


「あ、あぁ。にゃんかわのチョコ。売り切れてなくてってこと……かな」


そりゃあそうだよななんて少し落胆しながら、苦笑した。


しかし、平井さんは首を左右に振ると、ちがう! と短くも強い言葉を発した。


「……違ってその。違わなくて、あの。あのね、いつも助けてくれてありがとう。わたしその、いつもね、小さいから新川くんが上のもの取ってくれたり、上の方の字を消してくれるの本当に嬉しくて有難くて……ええっと、そのぉだから、うれしかったのはね、休日にばったり新川くんに会ったことだよ……!」


文脈こそぐちゃぐちゃだったが、今まで誰にもらった言葉よりも、胸にすとんと落ちていくのが分かった。


「あの、そうだ! 新川くん、わたしが買ってもいいかな……これ」


ぼんやりと余韻に浸っていると、平井さんが言った。先ほどまで自分が手にしていたにゃんかわのチョコを手に耳まで真っ赤だ。


これはもう、自惚れではないだろう。どう返事すればいいか分からずに、こくんと頷くに留める。


ぱあっと平井さんの顔が明るくなって、レジの方へと駆けてゆく。


残された自分と大量のにゃんかわのパッケージとを交互に見やる。よく見ると箱の裏に「メッセージ ずっとすきでしたバージョン」と書かれていた。


なるほど。このあとに箱から飛び出すであろう出来事を想像して、同じものを返そうと、心に誓った。


おわり

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