人形物語(抄)

千田美咲

1 コーヒーブレイク

 マリーはコーヒーを注ぎながら、自分自身の手首をぼんやりとながめていた。手入れのゆきとどいた滑らかな球体に、しなやかな手がついている。

 流行が過ぎ去ったいまとなっては、球体関節人形がつくられることは、ほとんどなくなってしまった。マリー以外の人形たちは、ことごとく最新式の身体に乗り換えていった。

 ここ十数年で生まれてきている人形は、人間の筋組織によせた人工繊維がつかわれた人間そっくりの活人形ばかりである。いまマリーにコーヒーを注文した人形にしても、そのような活人形のうちのひとりだった。少年型の活人形はコーヒーの取っ手に指をかけると、マリーにかるく会釈した。無理になでつけられた白髪が、活人形の子供っぽさを助長していた。

「どうも。ありがとうございます」

「いえいえ。とんでもないです。あと、伝票はここに置いておくので」

 机のすみに置かれた伝票を見て、活人形はあからさまに眉をひそめた。

「これをどうすればいいんですか」

「飲み終わったらカウンターに持ってきてください。そこでお会計をするので」

 おさない口元に近づけられたコーヒーカップが、ふたたび受け皿に置かれた。活人形は口をゆがめた。

「このお店は回線につながってないんですか」

「つながってはいます。しかし、紙幣をつかうのがここのルールなんですよ。すいません。わたしが決めたわけではないので」

 そう言うと、マリーはうすい笑みをうかべた。どこかぎこちないものだった。

「もし紙幣を持っていないんでしたらおっしゃってください。両替もできますから」

 ふたたびマリーの顔はもとの無表情にもどった。マリーは最低限のコミュニケーションをとるために、顔の部分だけ活人形のものに取りかえているのだった。

「それじゃあ、あとで両替おねがいします」

 活人形はタメ息をついた。

「それにしても紙幣なんてデータとしては知っていましたけど、実物が見れるなんて……」

「ほかの地域ではまだつかわれている場所もあるみたいですよ。気になるのでしたら貨幣なんかも見せてあげられます」

 活人形は笑った。

「ほかの地域、ですか。というと、あのだだっぴろい砂漠の向こうということになりますが」

「そうです。たまに向こうからやって来るじゃないですか。そういうのに詳しい人たちが」

「キャラバンの人形たちですか」

「そうそう」

 するとマリーはソムリエエプロンをはためかせながらカウンターまで走っていき、壁に立てかけてあった重厚なアルバムを持ち上げた。それから床で波打っているパイプをまたぎながら戻ってくると、抱えていたアルバムを机に勢いよくひろげた。活人形はすばやくコーヒーカップを手前に引きよせた。

「危ないですよ。コーヒーが入っているのに」

「大丈夫大丈夫」

 声こそ明るかったものの、あいかわらずマリーの表情は変わらなかった。

 ひろげられたアルバムには、これまで町にやって来たキャラバンたちとの記念写真が何十枚もとじられていた。

「これってニーロクさんですよね。最近来た……」

「そう、ニーロク。久しぶりに来てくれたのよね。まえに来たのは四三年前だったんですよ。これはそのときの写真」

「そうなんですか。てっきり最近撮ったものかと」

 写真にうつっている風景は、いまでも昔とほとんど変わっていなかった。変わったところがあるとすれば、二人のうしろに生えているおおきな桜の木ぐらいだろう。その木は、いまではすでに斬り倒されて、より品種改良されたものに置き換えられていた。

「いまも昔も変わらないようですね。ニーロクさんの蛇腹式関節も、お姉さんの球体関節も。四三年前といったら、活人形のプロトタイプもつくられていなかったはずなのに」

 マリーは口元をおさえて笑った。

「まあ、わたしに関しては顔は違うんですけどね。たぶんニーロクも見た目こそそんなに変わっていないけれど、中身はけっこう部品を交換しているんじゃないかしら」

 マリーは目線を窓に移した。薄汚れたガラス窓の遥か向こうで灰色の煙がのぼっていた。人形製造工場から出たものだ。工場自体は手前の木々で隠されているため、まるで山火事のように見えた。

 今日も今日とて活人形が工場で生産されている。ひとりとして同じ人形はつくられない。活人形たちから工場に送られてくるフィードバックによって、毎日すこしずつ改良されたものが生産されつづけているからだ。もっとも、なにを良しとし、なにを悪しとするかの基準は、工場で働いている者のほかはだれも知らない。

 マリーは活人形に目線をもどした。

「失礼ですが、あなたはおいくつなんですか」

「二一」

 活人形は元気よく言った。

「そうですか。まだまだこれからってとこですね」

「お姉さんは?」

「二三五。おぼえているかぎりは、まあ、そんなかんじです。あと、そのまえの記憶が一回整理されているから、もうすこしはあるんじゃないかしら」

 活人形は気恥ずかしげに頭を掻いた。 

「おばあちゃんじゃないですか」

 マリーの声のトーンが一段と低くなった。

「ちゃんとメンテナンスをしているって言ってほしいわね。人形におばあちゃんもお姉さんもないですよ。一度つくられれば、動かなくなるまで年をとっていく。そういうものなんです」

「ふうん。いつまでこのお店をつづけるつもりですか」

「わかりません。なにもなければ、このまま店は開けているでしょう。カフェじゃないときはリサイクルショップをやってるし。そっちはそれなりに忙しいんですよ」

「じゃあいつもは賑わっているんですね」

「いや……」とマリーは顔をかたむけた。「ほとんどの人形たちは、いらなくなったものを持ってくるだけで、コーヒーを飲んではくれないんです。みんな忙しいのね。あなたのようなコーヒーを飲みに来てくれる人は、年に三、四人ってところかしら」

 活人形は頬杖をついてマリーを見上げると、ちいさなタメ息をついた。どうやら、このタメ息は、つくられたあとについた癖のようだった。工場がこんな行動をあえてプログラムする理由がない。

「そういえば、あなたはなんていうんですか。せっかくだし、きいておきたいんだけど」

「わたしですか。回線からコードを読み取れませんか」

「店の回線はつながっているけど、わたしはつながっていないの。だから口頭でおねがいします」

 活人形はなれないようすで口元をうごかした。

「タツヒコです」

「いまどき珍しい名前ね」 

「大昔の人形博士からとったのだそうです。お姉さんもどうです。おごりますから、せっかくなら一緒に飲みましょうよ。ほかにお客さんも来ないみたいですし。動いてばかりじゃ関節にわるいんじゃないですか」

 マリーの肩がガクリと下がった。球体どうしがぶつかり合う音がする。

「ごめんなさい。わたしのような旧い世代の人形はあなたみたいに飲食はできないのよ」

 タツヒコは拍子がぬけたような顔をした。

「じゃあなんでいままでコーヒーなんか入れてこれたんですか。活人形がつくられるまではだれも飲めなかったということなのに」

 マリーの表情が暗くなった。顔をかたむけているせいで陰影が生まれ、とても寂しげに見えた。

「ちょっと前までは人間たちがよくここに遊びに来ていたんですよ。わたしたちはかれらにコーヒーを入れてあげていたの」

 タツヒコはコーヒーを一気に飲み干した。

「人間が来ていたんですか。それはすごいな。でも、いまどき人間がこんな辺鄙なところまで来れるとは思いませんが」

「そう。いまとなっては議会が許可をするはずがないものね。そのせいで人間の住んでいる区域は完全に見世物小屋ってかんじだけど。あれじゃ動物園よ」

「人形は自由に出入りできるのに、人間はあそこから出れないんですからね」

 タツヒコは気まずげにマリーから眼をそらした。人間が見世物化していったのは、人間そっくりの活人形が生まれてからのことだった。

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