獄楽浄土
朋峰
第1話
ホラー映画が好きだ。このクソみたいな世の中の理不尽さに嫌気がさしている時に観ると、それを上回る理不尽さで人が死んでいくから、胸がすっとする。ざまあみろ、とまで思う。
ひとり、またひとりと泣き叫んで死んでいく。ざまあみろ。最初に死ぬ人間というのはだいたいどうしようもないクズだから、なおさら気持ちいい。生き残るのは主人公だけか、あるいはその恋人くらいだ。
だけど生き残ってしまった主人公たちはきっとこれから安心して夜を過ごすことなんてできない。だってあんなひどい目に遭って、命からがら逃げ切ったのだ。殺されるよりももっとひどいことかもしれない。いわゆる生き地獄ってやつだ。生き残った罪悪感と、また狙われるかもしれない恐怖。
「だからね、結局サクッと死んでる奴らのが幸せなのかもなって思うわけ」
「そんなひねくれた視点でホラー映画を観たことないわ」
あたしの言葉を聞いて、目の前に座っている西森が片眉をあげた。器用だ。ひねくれた視点と言われたのが納得いかず、あたしは首を傾げる。
「そう?」
「高田、ストレスたまってんの?」
「え、なんで」
「思考が過激なんだよなあ」
理解できないとでも言いたげに西森が顔をしかめた。彼女は昔から少し冷めたところがある。大学からの友人で、今年でお互い二七になるからもう九年の付き合いになる。
「クソみたいなやつらが死んでいくの、気持ちいいじゃん」
「はぁ・・・・・・」
自分の主張を聞いてもらって満足したので、コップに残っていたホッピーを飲み干す。うるさい居酒屋で声を張り上げてもう一杯注文した。
すると店員からの注目だけじゃなくて、周りからの視線も感じる。大声が原因ってわけじゃない。
あたしと目の前の彼女の、居酒屋には似つかわしくない格好が原因だろう。
「酒頼むだけで注目されるじゃん」
そう言って西森がつまらなそうにハイボールを飲んだ。あたしはげらげら笑った。
「いいじゃん、いいじゃん。こんないい女二人がバッチバチにおしゃれして飲んでんだから。あったりまえでしょ」
「場違いってことだよ」
大衆居酒屋にドレスを着た女がふたり。西森は色味を抑えた紫色のAラインのドレス。髪もアップにしていつもよりグッと大人っぽくなっている。あたしは黒のレースをあしらえたドレス。あるいは喪服か。
彼女の言うとおり、かなり場違いだ。周りではおじさんたちがジョッキビールを掲げて、この店名物のモツ煮をつついている。店内は壁の至る所にシミのついたメニューの札が貼られていて、昭和の飲み屋という感じだった。
「こんな着飾ることなんてないからさあ、楽しいじゃん」
あたしたちふたりは結婚式の帰りだった。食事は出たし、酒も軽く飲んできた。でも二次会はお断りした。義務は果たしたのだ。
「まあ、確かに失恋した帰りに気取って洒落たところで飲みたくないな」
西森のため息。そう、あたしたちはふたりとも失恋した。正確にはもうずっと前からだけど。
今日はあたしたちふたりの好きな人の結婚式だった。新郎新婦。あたしは新郎、彼女は新婦。お互いに叶わない恋に傷口に塩を塗るように、結婚式に出てきたのだ。
「だからこれでいいじゃん。あとは帰ってホラー映画観れば完璧だよ」
「ホラー映画あんま観ないし。怖くないの?」
「馬鹿だな、そこが気持ちいいんじゃん。世の中の人たちはみんな、お化け屋敷行ったりジェットコースターに乗ったりするでしょ。それと一緒。刺激ってやつ」
「それって一種の自傷行為だよね」
「ちょっと、人を危ないやつみたいにいうのやめてくれない。ストレス発散と同じでしょ」
「やっぱストレスたまってんじゃん」
「そりゃそうでしょ。・・・・・・でも今は発散よりも、いっそホラー映画みたいな悲惨な目にあいたいかもなあ」
「自傷行為だ。まあ、わかるけど」
打ちのめされているとき、いっそのこと金槌で取り返しのつかないくらい殴られてしまいたい。もう立ち上がることのないように、諦められるように。心をへし折ってほしい。そのほうがずっと清々しい気がする。
やってきたホッピーの瓶と焼酎の入ったジョッキを受け取る。お酒を作りながら、ため息をつく。諦めなければいけない現実と、諦めきれない感情の狭間であたしはごくごくと酒をあおった。どん、とジョッキを机に置いてイスの背もたれに体重を預けた。
「あーあ。なんかさあ、マジなんなの。彩菜ちゃん、めっちゃかわいいじゃん」
「だろ、彩菜めっちゃきれいだったわ」
西森があたしの嘆きに真面目な顔して頷くもんだから、顔を上げて唸る。
「はー? そんなこと言ったら昌也だってかっこよかったわ」
「いやほんと、非の打ち所ないひとだよね。顔も良ければ良いところに勤めているし。思わずあいつんとこの平均年収調べたわ」
「意外と浅ましいことすんね」
「うっさい、言うな。惨めになるでしょ」
ため息をついた西森。でも昌也の良いところはお金があるところじゃない。昌也は優しくて、のんびりして、目の前のひとに敬意を払えるひとだ。だからあたしも好きだった。ていうか正直、今も好きだ。でもあんなに幸せそうな顔、初めて見た。その視線の先には当たり前のように新婦がいた。どうやっても敵わない。つけいる隙なんてない。そう思い知らされた。頬杖をついて、小さく呟く。
「なんも言えないよねー。認めたくないけど」
認めたくないけど、あんなに幸せそうな顔を見せられたら、なにも言えない。
「いや、あんたに認める権利なにもないけどな」
「うるせ」
ホッピーを一気に飲み干す。そんなもので心は埋められないけれど、酒は心によく効く。
「まあ、もうお互いどうしようもないんだから。諦めるしかないよ」
西森の言葉にあたしはイスの背もたれに寄りかかって笑う。
「よっく言うよ。十年以上好きだったくせに。そんな簡単にできるわけ?」
西森と、新婦の彩菜ちゃんは高校からの付き合いだという。あたしと西森は大学で同じ学部で出会って仲良くなり、西森の紹介で違う学部だった彩菜ちゃんと出会った。そして昌也ともその頃に出会ったのだ。
「高田のが傷が癒えるの早いかもね。大学に入ってからだもんね」
「こういうのは時間じゃありませんー」
「高田が言い出したんでしょ。まあでも、私は執念深いからそんな簡単に諦められないかも」
「やだ怖いじゃん。犯罪に走らないでよ」
「ははは」
不穏な笑い方だ。敗北者の酒はなにをどうしたってつまらないからとがめる気にもならなかった。
あたしはさっきからラインに来る結婚式の写真を見たくなくて、スマホをテーブルの上に裏返したままだった。きっと今頃インスタの更新もたくさん上がっているだろう。
お互いに慰めの言葉も言いあきた。だって、九年だ。彼女たちと出会って、好きという気持ちを押さえ続けて、今日という日まで来てしまった。もうこれ以上、きっとなにもできない。なにもない。彼女の言うとおり、忘れるしかできない。
「そうね、お互い新しいひと見つけようよ」
あたしのその言葉に、西森が鼻で笑った。
「高田はそれが良いと思うよ」
暗に自分はできないとでも言うかのようで、気に食わなくて噛みついた。
「なんだよ、西森だって新しい恋したらいいじゃん」
そう言うと、西森は横目であたしを見つめてきた。思ったより鋭い視線で、たじろいでしまう。
「こっちはさ、相手が好きになってくれる確率が低いんだよ」
「べつに、相手が好きになるかどうかと恋は関係ないじゃん」
言い切れる勇気がなくて語尾は萎んでいった。一応西森には届いたらしく、彼女はにが笑いを見せた。
「そうしたらこうなるんでしょ。地獄じゃん」
意地悪な笑い方だ。でもあたしに意地悪をしているというより、自分自身へ向けた笑いだった。あたしが何も言い返せないでいると、西森のハイボールの氷が溶けて少し動いた。返事をせかされているような気分になって、思わず早口で言い返した。
「だったら、レズと恋愛したらいいじゃん」
言ってしまってからハッとして顔を上げた。
目の前の西森は怒りもせずに、微笑んでいた。さっきの意地悪な笑い方でも、にが笑いでもなく、優しくあたしを見つめていた。
「ご、ごめん」
なんとか声を絞り出すと彼女は首を横に振った。
「気にしないで。あんたが正しいよ」
ハイボールを飲み干した西森は気にしていないかのように、大声でおかわりを頼んだ。そしてあたしに向き直って言った。
「私は地獄、わりと好きだよ。そっちのがリアルだしね」
さっきまでの悲しい気持ちが萎んで、罪悪感が心を染めていくので洗い流すように残りの酒を飲み干す。
嘘の天国、本当の地獄。西森はきっと後者を選ぶ人なんだろう。
そのままあたしたちふたりは、他愛ない話をしていたけれど、ふたりともなんとなくもう結婚式については口に出さなくなった。そして存分に酔っ払って「じゃあね、高田」「うん、じゃあ」と駅で別れた。
それからあたしが西森ともう一度会ったのは、一週間後、あたしの夢の中だった。
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