13-2-16 安楽カウチ探偵・空木奈帆の事件ノート
【ID】
第13回/第二会場/No.16
【結果】
たぶん前回の「缶詰の中で生まれ育った僕たちは、およそ愛というものを知らない」と同じくらいの得票
【あらすじ】
安楽椅子探偵:現場に赴くなど能動的に情報収集をせず、室内にいたまま他者から与えられた情報のみを頼りに事件を推理する探偵。
カウチポテト(couch potato):ソファーに座り込んだまま動かず、テレビなどを見てだらだらと過ごす人を揶揄した俗語。「カウチソファに転がるジャガイモのよう」であることから。
すなわち「安楽カウチ探偵」とは、現場も見なければ推理もしない、プー太郎のことを指す。
確かに私は家のソファから一歩も動かないし、生活力はないに等しい。けれど私には旦那がいる。感覚と頭脳を共有し、事件の真相を暴くパートナーが。
私たちは、二人合わせてはじめて探偵だ――
【余談】
前回参加作が読者を絶望に陥れるものだったので、落差が凄まじいのですが、今回はミステリで参加しました。「安楽椅子探偵」は名探偵コナンの毛利のおじさんだったり、謎解きはディナーのあとでであったりと、幾度も登場するもので、実際に現場に赴いているわけでもないのに、聞いた情報だけで事件を解決してしまうその姿には魅せられますよね。ただ、単に安楽椅子探偵を出すだけではつまらなかったので、もはや推理すらしない探偵を出したらどうだろう、と考えて書いたのがこちらの作品でした。推理ものと言えば聞こえはいいですが、夫婦で協力して事件にぶつかっていく、というのが主題なので実は推理ものではないかもしれません。それから本作品はミステリよりもサスペンスに分類されるらしく、推理ジャンルの難しさを改めて実感しました。
ちなみに、連作短編という形で続きを書こうとしたのですが、2023年に無理そうだということで断念しました。もし続きを書いてくれるという物好きな方がおられましたら、ぜひご連絡ください。
【本文】
安楽カウチ探偵、という言葉がある。
現場に赴くこともなく、推理もしない探偵。とどのつまり、プー太郎、プー子というやつである。あるいは働く気もないからニートかもしれない。
「今日の晩、何がいい?」
「なんでもいいー」
「ぼんやりでもいいから言ってほしい」
「豚肉か牛肉か鶏肉」
「よかった。ウサギ肉って言われたらどうしようかと」
私はいったん座れば離れられないソファに沈み込みながら、晩ご飯の希望を言う。何一つおかずの候補は絞れていないのに、旦那は納得した顔をしてキッチンに戻っていった。
「今日も何とか、平和に終わりそうだね」
「まー……そんなに毎日毎日、殺人やら強盗やら起こっても嫌でしょ」
「そうなんだけどね。あれだけ毎日のように事件があった後、一週間音沙汰がないと、やっぱりもやもやするというか」
うちの旦那はマイペースな男だ。私の体調が悪いとかで不機嫌でも、彼と話しているといつの間にか彼のペースに飲み込まれて、気づけば自分のことなどどうでもよくなってしまっている。思えば、彼に初めて会った時からそうだった。
「……っ!」
「……まさか」
「間違いない……『臭い』がする」
「はあ……分かった。鶏肉と野菜は出しといたから、あとの支度は頼んだよ」
「えぇーっ」
「そんなこと言っても。君は外に出ないだろ?」
「出ない。絶対嫌。100億積まれてもヤダ」
「でしょ? じゃあ、行ってくるから」
「ふぁーい……」
コートを着てそそくさと玄関を出る旦那を見送りながら、私はとびきり大きなあくびをする。思い切り背伸びもして肩もパキポキといわせながら、キッチンに立つ。
「うげー……」
あからさまに嫌な声を私は出す。お腹は空いた。ご飯を食べたい。ちなみにお米は旦那が炊いてくれた。だが私はお肉のパックを開け、野菜と炒め、味付けも考えなければならない。そんな芸当、私にできるだろうか?何せ、これから晩ご飯の支度をする、という時に「こんな事態」になったのは初めてなのだ。
「ぐぅ……あぁっ」
案の定、パックを開けるのに失敗。攻撃を受けた怪獣のようなうめき声を出して、私は鶏肉をぶちまけた。
「きゃっ」
鶏肉の収拾がついたと思ったら、今度はキャベツを切る時に一緒に軽く指を切ってしまった。もう散々だ。ご飯の用意をするのは私には向いていない。というより、一人で生きるのも向いていない。大学時代に身につけたはずの一人暮らしの生活力は、全てこの世のどこかに置いてきた。探すこともできない。
「もーいいや」
このまま一人で頑張って支度を続けるより、旦那にはさっさと用事を終わらせてもらって、旦那に代わってもらう方がいい。大惨事になる予感しかしない。ここで死ぬよりましだ。ソファに寝転び直し、どうやって時間をつぶそうか考え始めたその時。
『とりあえず着いたよ。どの方角?』
「あ、うーん……南南東」
『難しいな……とりあえずそっちに行けばいい?』
「うん、結構、血が流れてる……注意して」
『ってことは他殺?』
「だと思う。自殺の時の『臭い』は……しない」
旦那特有の「臭い」が私の鼻の奥につん、と感じられた。目を閉じると、ぼんやりと旦那の見ている景色が私のまぶたの裏にも映り込む。私が事件の「臭い」を感じた時、旦那はいったん歩いて五分のコンビニの前に行き、それから私の指示を仰ぐことになっている。私は確かな感覚とともに、旦那に伝えた。
『すぐ答えたってことは……晩ご飯の用意、してないね』
「やっぱり向いてないんだと思う」
『すぐ解決しないかもしれないけど。いいの?』
「がまんするー」
旦那は着実に現場に近づいているようで、私の感じる血の「臭い」もだんだん濃くなってくる。ただの鉄のようではなく、もっと強い刺激があって、できれば今後の人生でもう嗅ぎたくない臭い。だが他殺の事件があるたびにこの臭いがするから、きっと私は一生この辛い臭いと付き合っていかなければならない。
『どう? まだ?』
「ちょっと待って……」
旦那としてはだいぶ現場まで近づいたらしい。私は旦那と視覚を共有して、その精度をさらに上げる。目は充血するし、やりすぎると目から血が出てくるから、ここぞという時にしか使えない。
「うん、そこの角曲がって……そう、そのアパートの二階の、一番奥の部屋」
そこまで伝えて、私はいったん視界共有をやめる。頭がくらっとしたからだ。念を使って旦那と話をするだけなら、そこまで私の負担にはならない。
『ひっ……』
「どうかした?」
『やばいな、かなり血が流れてる……奈帆は気分悪くない? 大丈夫?』
「こっちはまあ、何とか……それより、周りに気をつけて」
『分かってる』
殺人のような派手な犯罪であるほど、犯人が様子見に舞い戻ってくる確率は高いという。バレてはいないか、あるいはすでに警察が到着していたとしても、どこまで進展しているかを確かめたくなるらしい。事件の第一発見者がまず疑われるのも、そこからきているのだろう。もし犯人と旦那が鉢合わせでもしたら。凶器でも持っていれば、旦那も無傷では済まないだろう。
『とりあえず、警察に連絡はした。見た感じ……お腹を一突きで刺殺、かな』
「包丁とか?」
『……うん。キッチンの包丁が一本、なくなってる。おそらく持ち去られてるだろうね』
「……ダメ、そこの臭いが濃すぎてよく分かんない。先に推理をお願い」
『分かったよ』
私は目を閉じ、じっとその時を待つ。すぐに身体に力が入らなくなり、意識だけが覚醒している状態となる。
『君の頭脳を借りるよ。奈帆』
「早く終わらせてよ。お腹空いた」
『はいはい』
傷口の形、凶器の大きさ。残った所持品から背景の推測。追加で見つけられそうな証拠品の予想と捜索。犯人がとるであろう次の行動、さらにその先の考え。それら全てを同時並行で考え、頭の中で組み立て直す。通報を受けた警察官が出動し、遠くからサイレンが聞こえてくるころには、それらの作業はすべて終わっている。あとは、むせ返りそうなこの血の臭いを頭の中からリセットするだけ。そうすれば、犯人は「犯罪を犯した者からしかしない臭い」からたどることができる。
「ああ……またあなたですか」
『あとはお任せします。僕は犯人を追います』
すでに警察が保管するべき証拠品の数々の陳列は終わっている。さらに予測したこと、犯人の候補などを挙げたリストも同時にため息をついた中年刑事に渡す。旦那が走り出してくれた。
『どう、臭いは? 薄くなってきた?』
「……分かる! その道を直進した先のコンビニに……!」
「臭い」を感じ取るのは私の仕事。足を使って追いかけるのは旦那の仕事だ。生ゴミに似たその不快な「臭い」は、現場に着くとさらに濃さを増した。一番奥の惣菜パンのコーナーで物色している、ニット帽をかぶった男が犯人だと突き止めた。
「お前は……!」
『はあっ』
ここで旦那が力で負けることはない。仮に凶器を持っていたとしても、柔道有段者の彼は犯人が手を動かす前に大外刈おおそとがりで床に叩きつける。唐突な衝撃を与えられた相手は大抵一発で意識を飛ばす。強引ではあるが、今のところ私たちが関わった事件は全てこの形で解決している。
『終わったよ。あとはこいつを警察に引き渡して、帰宅だ』
「ありがと、ご苦労様。じゃあご飯を……」
『はいはい』
私が中高と首席で卒業し、日本最高峰と名高い帝都大法学部に入学、二年生で司法試験に受かり首席で早期卒業していたころは、まさか自分がこんな人生を送ることになるとは思っていなかった。検察官として働いていた半年の間、旦那に会うことがなければ。私はきっと、真面目で融通の利かない女のままだった。
「ただいま」
「おかえりー」
「そんな急かす目で見ないで。僕にも休憩させてよ」
私は旦那と感覚を共有して、
――私たちは夫婦二人揃ってはじめて、「安楽カウチ探偵」だ。
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