箱 独り言ちる

平田陽炎

第1話

 輪廻転生という言葉は我々のためにあるのだと感じる、など言うのは十年早いだろう。私が人に使用されるのは未だ百回にも満たない。私の隣でカッターナイフによる切開を受け、夏服を摘出されたコイツは、もう千回は同じ作業を経験しているであろう大ベテランだ。カッターの持ち主は次に私を切り開く。鋭利な刃が守衛のガムテープを容易く割いて、パカリと蓋が開けられれば、臓物たる古新聞で覆われた食器はたちまちに摘出される。痛みなどない。在るのはただの空間でしかなかった一部屋が、不完全ではあるが着実に、住居へと様変わりする過程であった。


 腹と言うべきか背と言うべきかは定かではないが、いずれにせよ、臓器たる荷物が無くなってしまえば我々はただ内に空間を持て余すだけの物体へと変わる。部屋というものに良く似ていると常々思う。部屋は箱だ。机や椅子、テレビ、食器棚、書斎等々のものがなければ部屋というものは扉や窓という蓋がついただけの箱の成り果てる。その箱に意味はなく、空気を飼うだけの虚ろな物体だ。要は役割がない。


 我々もまた然り。モノを内に入れることによって初めて意味を成す。玩具が入れば「玩具用」、夏服が入れば「夏服コーデ」みたいに、内側に入るモノによって役割が変わる。そして内側のモノが取り去らわれればそれは空箱という役割のない物体へと変わる。名の通り、内に含むのは空気だけである。


 そしていつも通り、我々は乱暴に平たくされるのだ。最初に切開を受けた部分を腹と仮定すると、我々は次に背を切開され、結果として胴に穴が開く。これによってもう空気すら含むことのできないただの段ボールへと様変わりする。そのまま、文字通り人の手で圧縮されれば、我々はほぼほぼ二次元上の物体だ。箱として完全に死んだのである。


 幸運なことに、死体となった後で良いものが見れた。部屋の中に、一つの役目を終えた二人の夫婦と、一人の未来ある男がいた。男は、夫婦に感謝を告げて、独り未来への第一歩を踏み出すことを告げる。夫婦は、いつか来ることは分かっていたとはいえ、息子とのしばしの別れを惜しみ涙する。


「辛いときはいつでも帰ってきていいから」


「うん、頑張るよ、俺」


 その言葉は部屋の中に溶けていった。四年間、もしかすれば六年間使われるであろうこの部屋が、今度もまた人一人の人生を見守るという生を始めた瞬間だった。

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