第3話「守られる私、そして邂逅」

!?」


 と。


 質問が質問で帰ってきた。


 バネでも使ったように、その人が身体を反らせてこっちに来た。着地点が相当至近距離で、その――いや、あの、顔が近い。いまだかつて異性の顔がここまで近くに位置していたことはない。


「うひゃあ!」


 自分の喉から変な声が出て、今度こそ飛びのいた。今なら立ち幅跳びの記録が伸びそうである。少し離れることによって、不思議人間(やはり薬師院高校の生徒だったらしい)の全貌が露わになった。


 青年というよりは、少年。いや、中性的な顔立ちというのだろうか。肌の色は白目で、まつげが長い。木や葉っぱ、頬には無数の擦過傷が付いているけれど、整った容姿は隠せない。恵まれやがってという気持ちを無理やり押し込めた。


「ああ、でも、両足で立てているってことは大丈夫だね! 良かった。怪我はなさそうだ、安心安心」


 そう言って、にっこりと彼は笑った。意図の分からない笑顔って怖いな。


「……あの、えっと?」


「あ。ごめんね急に。ぼうっとしてたのかな、。結果、僕が轢かれたみたいになっちゃったけど。大丈夫だから。この通りピンピンしているしね」


「……」


 どうやら私は轢かれかけたらしい。成程、だからあの中年婆は、私に対して怒っていたのか。得心がいった。ついつい思い詰め過ぎて、周囲への配慮が疎かになっていた。


 が。


 ここで私に生まれた気持ちは、そんな安堵と反省のようなものではなかった。


 どうして邪魔したのか。


 彼が邪魔しなければ、ごく自然に、怪我をすることができたのに。縦しんば死ななかったとしても、その怪我が死にたい遠因になるやもしれなかったというのに。


 どうして助けた。


 今、死ねたよな?


 無関係で、しかも善人の彼に対して、あろうことか私は怒りを覚えていたのだ。


 苛立つ。


 ヘラヘラ笑いやがって、生きていることが誰しも楽しいとでも思っているのか。助けた自分に酔ってでもいるのか。人の弱さに漬け込んで楽しいのだろう。人助けは娯楽と同じなんだよね? こんな純粋な笑顔を見て、何考えてるんだろうな、私は。気持ち悪い、同情などされてたまるか。


 強く、強くそう思って、思い込んで、私は答えた。


「あの、ありがとう」


「いやあ、そんな。君が無事ならいいよ。感謝されるようなことじゃ――」


 ないから。


 しかし彼の言葉はその先続かなかった。


 どろり。


 という音こそしなかったけれど。


 聞こえた気がして。


 彼の額の上。


 眼の横から。


 血が溢れてきた。


「あ」


 五十音の一音目は、私か彼か、どちらが発した音が分からなかった。


 笑顔の高校生は、そのまま道路に頭から卒倒した。


「え、ええ……ちょ、ちょっと、大丈夫?」


 もう一度駆け寄る。


 頭、頭の怪我って、大丈夫なのか。


 揺さぶって――いや。揺さぶらない方が良いのか。何度か呼びかけて、大きめに話しかけてみるけれど応答がない。うつ伏せだから、眼の状態が分からない。


 どうしよう。


 あれ――これ、ヤバいんじゃないか。


 今更のように、背中に汗がじんわりとにじむ。何今焦り始めてるんだ。余裕ぶって怒ってる暇ないだろ。この人、私の代わりに吹っ飛ばされたんだった。ここで死なれたら、どうなる。人を死なせて、それでヘラヘラ生きるのか、ヤバい。死ぬ? 死ぬのか、この人。目の前で勝手に人が死ぬのは気分が悪い。いや、ずっと死にたいって思っていたじゃないか。毎日日課のように念じて、ノート一頁に希死念慮をぶつける習慣があるだろう。死なんて怖くないはずだ。怖かったら自殺なんかできない。


 なのに――それなのに、どうして私は。


 こんなにも震えている。




「あー。またか。本当際限ないっていうか、馬鹿だよね、ひびき。そこの子。この馬鹿が勝手に助けちゃって。死にたかったんでしょ?」




 と。


 来た道の後ろから、一人。今度は女子の声だった。


 目の位置は私より少し低めで、背筋が真っ直ぐ伸びている。髪の毛を一つ結びにして、額には釣り目、というか、まるで反抗するような眼球が二つくっついている。いい意味でも悪い意味でも、今倒れた男の子とは正反対――いや、違う、鏡映しのようだと、直感的にそう思った。何故かその言葉を聞いて、落ち着いた。


「救急車は呼んどいた。状況説明は宜しくね。この近くだと反芻はんすう病院だと思う。わたし先に行ってるから」


「え、ちょ――」


 答えを待たずに、その子はすたすたと歩いて行ってしまった。


 こうして――などという接続詞でまとめられる程、まとまってもいないけれど、にとにかく、こうして。


 薬師院高校に入学して半年、10月の秋。


 青山あおやまりんと、緋野ひのひびき、そして私、室原蘭。


 2人と私は、出会った。




(続)

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