青色の邂逅

小狸

まえおき

 高校時代の室原むろはららんは、無気力であった。


 両親共に過干渉でありながら仲が異常に悪い、そんな歪曲した家庭で育った彼女は、心身ともに崩壊寸前であった。


 気絶するまで勉強をさせられながら、同時に溺愛という名目の監視と監禁。その中で自我を保ちながら、進学校である私立薬師院やくしいん高等学校への入学が決まった時、こう思った。


 この辛い経験には、意味があったのだ――と。


 無論、意味などない。


 しかしそうでも思わなければ、己を保ち、立つことすらままならなかった。


 自分の異常な状況を受け入れようとした。


 辛いことがあるから、幸せなことを掴むことができる。


 崖際で奮い立たせながら、泣きながら笑って生きるしかなかった。


 全く違う両親の願望を叶えつつ、普通に生きるためには。


 だからこそ、高校進学を境に、彼女の心は折れた。


 前述の通り、彼女が進学したのは私立高校で、しかも全国有数の進学校である。

 これだけ見れば、鬼才現る! 私立高校での下剋上! 世の中への復讐! のような主題の物語が展開されるかもしれないけれど、現実はもっと、である。


 そういう私立の進学校に進む生徒の家庭は、ほとんどがしているのだ。



 家庭内での所得を始め、親との健全な仲、恵まれた容姿、落ち着いた風貌――親の代からなるようにそうなった人々。残念ながら今の世は平等ではない。子にとって親というものの存在は、ほとんど世界に近い。


 入学してしばらくして、蘭は言葉を失った。


 周りの生徒が、


 


 自分が毎日鏡の前で練習するような作り笑顔でなく、楽しく笑っている。


 幸せなふりをするのではなく、本当に幸せに生きている。


 家庭内に不和などなく、大した障害もなく、ここまで生きてきている。


 大変なことがあっても、周りの人々とそれを乗り越えて、健全に生きている。


 普通に生きている。普通に生きている。普通に生きている。普通に生きている。普通に生きている。普通に生きている。普通に生きている。普通に生きている。普通に生きている。普通に生きている。普通に生きている。普通に生きている。普通に生きている。普通に生きている。普通に生きている。普通に生きている。普通に生きている。普通に生きている。普通に生きている。普通に生きている。普通に生きている。普通に生きている。普通に生きている。普通に生きている。普通に生きている。普通に生きている。普通に生きている。普通に生きている。普通に生きている。普通に生きている。普通に生きている。普通に生きている。普通に生きている。普通に生きている。普通に生きている。普通に生きている。普通に生きている。普通に生きている。普通に生きている。普通に生きている。普通に生きている。普通に生きている!!!!!!!!!!!!!!!!


 今まで正当化してきた、蘭が受けて――そして耐えてきた痛みは平等ではなかった。


 痛みも苦しみも苦みもなく、周りにいた人々はにこにこ幸せそうに、自分よりも高いところにいる。


 痛さと苦しさと辛さと、人生の苦痛という苦痛全てを統合してやっと手に入れた境地を、同級生は当たり前みたいに持っている。


 


 彼女は、壊れた。


 全てどうでも良くなった。


 親に何を言われても、頭にもやが掛かったように脳が拒絶していた。


 真面目に生きることが馬鹿らしくなった。


 勉強も、元来の生真面目さが幸いしてギリギリ続けていたけれど、学校で口を開くこともなくなった。親に怒られない程度に勉強をし、消化試合的に毎日を過ごす。


 本来であれば家庭でそんな様子を見れば、親が不安に思い、気付くというのが関の山ではあるけれど、残念ながら蘭の両親にそんな節度はない。


 従順になった我が娘に歓喜するだけであった。


 唯一の救いは、入学と同時に、蘭は高校近くに下宿することになったということだろう。


 あのまま家に居続ければ、精神が崩壊し廃人となるまで、彼女は生き続ければならなかった。


 否。


 だからと言って、救われるわけではない。


 親元を離れて「さあ、前を向いて生きていこう!」と思える程、室原蘭に生きる気力は残っていなかった。


 そして何より悲劇的なのは、蘭にはその衝動を御するだけの理性があったということである。


 理性だ。


 故に解っていた。この場では誰一人として、自分の苦悶を理解されないだろうということ。そして、このまま自分が成人し社会人となれば、まずもってまともな大人になることはできないだろうということに。


 きっと幸せな人達の足を引っ張る、最悪の人間になってしまう。


 その前に。


 人に迷惑をかける前に。


 早く。




 




 そう思うようになった。


 自分は死ぬべきなんだ――それでも自殺という手をすぐに選択しなかった、彼女の心中は、なかなかどうして分からない。


 誰にも理解されないまま、ずるずると、仕方なく。


 死ななければいけないけれど、生きている。


 それが、高校時代の室原蘭の人生観であった。


 あるいは死生観か。




(続)

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