女王陛下のセラフィエル ー連合宇宙軍大尉ソーヤ・サクライの護衛レポートー

@kakeohayadori

第1話 『バーティゴブルー 上』

 雲一つない青空だった。さざなみが揺蕩う眼下の海は太陽光の反射が無ければそうとはわからないほどで、この海域を飛ぶパイロットや操舵手に空間識失調、バーティゴをもたらす原因となっていた。


 バーティゴ・ブルー、インド洋沖、セーシェル諸島の南端からさらに二〇〇海里ほど南下したその海域の呼び名だ。


 青と青の狭間と呼ぶべきその海域に遥か上空、大気圏外から航跡雲を引いて落ちる存在が一つ。


 緩やかな曲線を描く円筒形の左右に翼が伸びている。大気圏突入により赤熱化した機首がまるで嘴の様だった。


 特殊軽合金の装甲に焼け爛れた様な傷跡が浮かんでいて、白煙を血潮の様に吐き出している。


「マルビン伍長っ、脱出しろっ!」


 墜落する輸送機の中で、自由落下の重力に揺られながら機体の実現ディスプレイを起動する。最低限の明かりを灯した狭っ苦しいペイロードの内側を映す。


「聞こえているのかマルビンっ!脱出をっ」

『Error, no signals…ガルシア・マルビン伍長を死亡と判断。操作権限をソーヤ・サクライ大尉に移行』


 管制AIの無慈悲な宣告が響く。


「ッ・・・・・爆装解除、投棄の三秒後に緊急展開用の爆発ボルトを起動しろ。それから交戦規定プログラムの停止」

『Caution, permission from an officer with authority above “O3”…』

「承認だっ!良いから早くやれっ!」

『Roger,sir』


 カウントが始まる。無味乾燥なAIの音声に舌打ちをして、手元の液晶パネルを操作する。


「ダイレクトリンク」


 コックピット内の電位接続用の補助アームが動いて、ソーヤをパイロットシートに固定していく。パシッと音がして全身に電流がはしる。慣れない者ならば失禁するほどの痛みをもたらすそれも、ソーヤになんの痛痒ももたらさなかった。


 カウントがゼロになり爆発ボルトが起動する。高度六千フィートの上空で、解ける様にバラバラになった輸送機の内側から白亜の巨人があらわになる。


「ウェイクアップ、セラフィエル」

『Roger,sir』


 それは力強く、敏捷そうな人間の形をしていた。長い脚に引き締まった腰、逞しくマッシブなフォルムを丸みを帯びた装甲板が成している。ヘルメットを被ったパイロットの様な頭部には可動式のセンサー、モノアイが薄く光る。


 背に格納していた三対の反重力翅を展開すると、それはまさしく|守護天使(セラフィエル)の呼び名に恥じない美しさと力強さがあった。


 肩部に翼の生えた狼、ソーヤの属する部隊章だ。


 落ちるセラフィエルを追いかける様に上空から薄紅色の光線が襲いかかる。ソーヤは緊急増速用のブースターを点火して、ヒドラジンの比ではない毒性を撒き散らしながら空を翔け、避けた。


『Caution, アーマロイド、TYPEドミニオン4体』


 上空からセラフィエルに良く似た灰色の、しかし翅も一体少なく幾らか簡素な機体が槍の様に長い銃身を向けていた。

 

 十七年前、クリスマスを目前に控えた二〇〇九年十二月二十日。地球に襲来した人型機械生命体アーマロイドの軍勢は世界各国に攻撃を開始すると、僅か一カ月で地球人口の半分を死に追いやった。


 亜音速で空を舞う身長二十メートルの鋼鉄の巨人達を前に、人類はなすすべもなく家畜の様に屠殺され続ける。人類の兵器は、彼らを前に全くの無力だった。状況が変わり始めたのは、偶然にも巡航ミサイルの爆発に巻き込まれて擱座したアーマロイドの一体をNATO加盟国によって編成された連合軍が鹵獲してからだった。


 分析の結果、やはりアーマロイドは機械そのもので、しかし腹部にはまるで人が乗り込む事を想定された様な空間が存在した。乗り込んだ搭乗者と機体を電位接続し、生身の身体を機械のそれへと拡張したのだ。誰もが可能なものではなかったが、それでも人類側に与するアーマロイド、スレイブジャケットが生まれた瞬間だった。


 世界中で秘密裏に残骸も含めたアーマロイドの回収とスレイブジャケットの建造、そして適正のある者を官民問わず見つけ出す検査が実施された。


 当時、ただの高校生に過ぎなかったソーヤも、そうして選び出された搭乗者の一人だ。


 ヘルメットと一体になった通信機がノイズを拾う。


『あれを凌ぐとは流石だな。開戦初期から戦い続けるエースオブエースの名は伊達ではないか』

「・・・どう言うつもりだ。スペック少尉」

『おお怖っ、つもりも何も見ての通りですよ。大尉殿には死んでいただく』


 発信元は目の前の、管制AIがアーマロイド、つまりは敵と判定した機体から発せられていた。


 静止衛星軌道上に存在する次元転送装置、通称「ゲート」への攻撃作戦の最中だった。これが成功すればアーマロイド軍の補給は滞り、向こう数年は大規模な攻勢を防げる。


 その筈だった。


 しかし、情報部が安全と保証していた宙域には敵艦隊が待ち受けていた。同じ作戦に参加する筈だった仲間の到着も遅れ、じりじりと後退を強いられ地球の重力に捕まってしまった。


 四日に渡る不可解な状況の答え合わせが目の前にあった。


 こめかみをチリチリと、何か嫌な、予感とも呼ぶべきものが襲う。反射的に機体を旋回させる。本来は人を乗せる事を想定していない殺人的なGが肉体を軋ませる。


 ソーヤが、セラフィエルがいた位置を先ほどとは比べ物にならない太さの光線が襲う。


 光線が飛来した方向を見ると、海上に浮かぶ分厚いナイフの様な浮遊母艦の姿があった。展開していた電磁光学迷彩の緞帳が落ちる様に消える。消える。


 連合宇宙軍機動打撃艦隊の旗艦「マルコシアス」だった。


 マルコシアスを護る様に無数の人型機動兵器、しかし、管制AIはアーマロイドと判定する機体が控えていた。


『ソーヤ・サクライ大尉、貴様は殺し過ぎたのだ。彼らを』


 実現ディスプレイに映像通信が入る。小窓の向こうには上官と仰ぐ男が厳しい視線を向けていた。隣に控える副官の女と目が合う。


「シノハラっ!旦那の仇を討つんじゃなかったのかっ!?」


 シノハラと呼ばれた女は唇を噛んで目を逸らした。


『・・・家族が、息子がいるのよ』

『我々は彼らと手を取り合うことにしたのだ』

「なんでこんな事をっ、作戦を成功させて今度こそ人類に平和をもたらすんじゃなかったのかっ!」

『その結果、我らの大半が帰らぬ者となろうとも、か?私たちだって明日が欲しいのさ』

「奴らは人を喰うんだぞっ!」


 アーマロイドは演算リソースの確保の為に人の脳を捕食する。かつて、平和が崩れた学校で見た地獄の様な光景が脳裏をよぎる。恩師や友人らが物言わぬ骸となり、その頭蓋骨を切り開いて脳を回収するスカベンジャーの姿を。


『だからこそ、我々は彼らに一つの条件を出した』


 二人の傍にもう一つの人影があらわれる。


 艶やかな黒髪に白磁の様な肌、淡く光る電子回路の様な紋様が人間味のない美貌に浮かんでいる。首から下を鱗の様なボディスーツで覆っている。


 アーマロイドの中でも七体しか確認されていない指揮官ユニットの内の一体の姿がそこにあった。


『彼らには自治領としていくつかの人類都市を治めてもらう。我々はそれらに干渉しないし、それは彼らにしてもそうだ』

『お前が死んでくれれば、故郷に帰れるんだよ』

『しかし、その前に』


 指揮官ユニットは目を細めて言った。


『兄上の身体を返してもらう』

『生け捕りとなると話が変わってくるが?』

『あの冒涜的存在を無に帰す事が出来れば良い』

『ふむ・・・大尉、裏切り者と罵ってくれて構わんが、どうか人類の平和の為に死んでくれ』


 巫山戯るな。奴らがいる限り平和なんて永遠に訪れない。世界のどこかで人身御供に差し出された誰かが脳を啜られ息絶える。


 そんな世界を許せと、受け入れろと言うのか。


『もっとも、この状況では貴様の方が人類に仇なす裏切り者かも知れんがな』


(本気なのか・・・)


 本気なのだろうなと考える。敵の司令官クラスの乗艦を許し、その軍勢に旗艦を守らせる。残された人類は彼らの行いを受け入れるだろうか。


 冷静に考えて、受け入れるだろうと結論つける。


 それ程までに人類勢力は疲弊し続けていたからだ。


 自身の命すら顧みずアーマロイドとの闘争に明け暮れた、かつての仲間達の多くは既に彼岸を渡った。だからそこ、風前の灯となりつつある人類連合軍の最前線で守護天使の名を冠する機体に乗り続けた。


 みんな死にたい訳ではなかった。だが、自分たちが積み上げた命の石垣の先に平和があると信じて戦い、散っていった。


 その結果がこれか・・・。


「・・・俺が最後か・・・そうか、そうだろうな」


 先に逝った仲間達の記憶が蘇る。


 自分を庇って命を落とした仲間がいた。判断ミスから死なせてしまった部下も、この機体をソーヤに託して爆撃に呑まれた上官も、みんな死んでしまった。


”私の番が来ただけだ。気にする事はないさ・・・”


 誰が言ったのだったか。そして皆がソーヤの顔を覗き込む。


 今度はお前が来るのか?


(・・・いや)


 ソーヤはポツリと機体に呼びかけた。


「・・・セラフィエル、エーテル・リアアクターを起動しろ」

『Roger,sir』


 小窓の向こうで仲間だった二人の顔色が変わる。


 機体が唸り声を挙げる様に震えた。通信をオープン回線に切り替えて言った。


「先に、お前たちの番だ」




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