心はシュレーディンガーの猫のように

鶴亀 誠

心はシュレーディンガーの猫のように

シュレーディンガーの猫:

 シュレーディンガーが行った量子力学の思考実験。

 猫が箱の中に、ある装置とともに入れられている。その装置は50%の確率で毒ガスを放出する。箱の外からは、猫の状態は確率でしか知ることができない。観測するまでは、猫は生きている状態と死んでいる状態が重なり合った不可思議な状態にある、というもの。

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 クラスメートの佐藤が死んだ。春休みの直前だった。早咲きの桜が咲き始めていた。



 いじめが原因で自殺した。それは、佐藤が遺した手紙からわかったらしい。

 でも、それが誰に宛てたものなのか、どんな内容なのかは僕たちには詳しく明かされなかった。


 ただ、いじめの主犯は、同じくクラスメートの小林。

 彼は、事件の後学校に来なくなっていた。彼が先生から手紙のようなものを渡されているのを見たという生徒もいるらしい。


 僕たちは、正直驚いた。彼らがそこまで深刻な関係だとは皆まるで思っていなかったのだ。


 最初は、皆陰で噂話ばかりしていた。根も葉もない噂が飛び交った。なぜか泣くやつもいた。クラス全体が暗かった。


 でも1週間がたつと、クラスはもとに戻っていた。皆忘れてしまったみたいだった。


 ただ、先生によってクラス全員での話し合いだけは行われていて、それだけが佐藤が死んだことの証みたいだった。


 その日も、話し合いは行われたけど特にどうということもなく、先生の自己満足で完結しているような気がした。


 僕は、高橋と一緒に帰り道を歩いた。高橋とは去年から知り合ったのだが、気が合うのでよく一緒にいる。


 「そういえば、高橋は小林から何か聞いてないの?」


 高橋は、小林とは部活が同じでそこそこ仲も良かったはずだ。

 しかし、高橋は少し考え事をするように黙り、やがて口を開いた。


 「まるで『シュレーディンガーの猫』みたいだな」


 『シュレーディンガーの猫』。以前高橋が言っていた。高橋はそういうのが好きなのだ。


「佐藤は小林からいじめを受けていた。


 でも、佐藤がいじめられていることも、佐藤がどんな気持ちかも、誰もわからなかった。わかろうとしなかった。知ろうとしなかった。


 結局、親御さんがその役目を負った。手紙を見つけることによってね。


 そして、佐藤は自殺してしまうほど苦しんでいたことが分かった。遅すぎたね」


 高橋は一言一言をしっかりと、ゆっくり力を込めて言った。その言葉は、僕の心に重く響いた。

 高橋は遠くを見る目をしていた。


「つまり、心も体という箱の中にあるんだ。


 そしてそれは観測――要するに自ら知ろうとしなければわからない。


 知るまでは、相手がどんな気持ちなのかは想像するしかない。無限の可能性があって、定まっていないんだ」


 僕は黙った。沈黙が僕らの間を流れた。

 突然、高橋が言った。


「でも、本当にわからないものだね。手紙の内容は、ひたすらに佐藤が謝っているものだったらしい」


「え?」


 僕は思わず聞き返す。


「佐藤は小林にいじめられて死んだんだろ。なんでそんなことを、誰に書くんだよ」


 困惑して少し興奮気味に言う。すると、高橋は静かに言った。


「たとえば小林は昔佐藤にいじめられていて、それをずっと恨んでいた、なんてね」

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