第2話 またきてね
草薙さんは、一体どんな方なんだろう。
よくよく考えれば、コロナのせいでいつもマスクをしているためか、その素顔すら見たことがない。年齢は私より下かと思うが、二十代なのか……?
だいぶ若く見える。
年の差――
この年になって、果たして自分が若い人とまともに付き合えるのかわからない。恋愛なんて、社会人になってから久しくしていない。
平たく言えば、自信がない。
「これ今日中にまとめること出来ますか?」
「え、これってだいぶ前に報告しましたが……」
「まあ、そうなんですけど、役員から急にきて。頼みますよ、今日中にできるでしょ?」
「まあ、はあ」
「いけます? それでは宜しくお願いします。明日の朝には確認しますから」
「明日? 役員の報告はいつですか?」
「えっと……来週かな」
「それでは、今日中じゃなくてもいいんじゃないですか?」
「いやいや、それは僕が困るから。ちゃんとまとめられているか管理職として確認しないとだめじゃない? ちゃんと役割があるからさ、頼みますよ」
最近、社内でこんなやりとりばかりだ。なんでもかんでも、私に振ればいいと思ってる節がある。上司は使えないし、下は責任がないから全然育ってないし、いつまで経っても現状から抜け出せないし。
ないし、ないし、で日は落ちる。
最近入った若い子は飲み会なんだとさ。私の背中に軽い会釈をして、そのまま感謝することなく会社を出る。君らの仕事を肩代わりしているのは私なんだけど、という叫びは、温い空調にかき消された。私に温かいのは便座だけ。便通だけいいのがせめてもの救いだが――
一体、私は何のために働いているのか……
それに。
こういう時は決まって嫌なことが起きる。
偉そうな得意先と接待した時に財布を落としたり、査定の時に限って後輩のミスを責任転嫁されたり。
もう、慣れっこなんだが――
「あ、迎えにきてくれたんだ」
「タイミングよく会社から帰れたから、たまにはね」
見たくない光景を目にしてしまった。
「よかった~。今日、仕事帰りにセール品を沢山買ったから、結構荷物重たかったのよね」
「あ、俺、持つよ。重っ」
「ありがとう。助かる~」
草薙さんが笑っている。
レジで私に向けるような可愛らしい笑顔で、知らない男と親し気に手を繋いでいる。親しい関係でしかありえない阿吽の呼吸で、寄り添い、目を合わせて、同じ歩幅で。
閉店間際にモリモリフーズに駆け込んだのはいいけど、結局買い物はできず、関係を深めることすらできないまま草薙さんに振られてしまった。
なんのために残務を自宅に持ち帰ってまで、モリモリフーズまで走ったのか。こんなことなら、会社で資料を片付ければよかった。草薙さんに癒されるどころか、立ち直れないぐらいのダメージをくらったじゃないか。
へなへなとその場に崩れ落ちる――わけにはいかない。
心身ともにダメージを負いながら、適当に座れそうな駐車場の路肩に腰を落とした。
「お客さん、もう閉店ですよ」
見上げると見知った顔がそこにあった。
「ここ、駐車場だから危ないわよ」
「えっと……あなたは徳梅さん……ですか?」
徳梅さんは顔を顰める。
「なんで、あなた私の名前を知ってるの?」
「え、いや、その」えっと、なんて答えればいい。「だって徳梅さんって有名じゃないですか。本も出してるし、そのネームプレートも」
「ネームプレートお?」
「いや、その、レジでお会計の時に貴女の胸元にある――」
「胸?」
「いやいや誤解ですよ。たまたまネームプレートを見ただけですから、そんなに怪しまないでください」
「……」
一段と表情が険しくなる。腕を組み、仁王立ちだ。
この人……怖い。
春遠い寒空の下、膠着状態は続く。
暫し蛇に睨まれた蛙状態であったが、徳梅さんは憐れむような目つきで、こう言った。
「あなた、草薙さんに気があったんでしょ」
思わず噴き出す。
「いや、え? 何を突然」
「それぐらいわかるわよ。案外、店員ってお客さんのことよく観察しているからね。レジの時に毎回、草薙さんに話しかけてるし、私の名前まで確認するぐらいだし」
「いや、あの、それは」
ああああああ、穴があったら突っ込みたい(私が)!
「人様の恋愛にいちいち口出しはしないけど、草薙さんは人妻だから諦めなさい」
「人妻……ですか」
「ええそうよ。流石にあなた、草薙さんに気があるのバレバレだったから、いつか忠告しようと思ってたのよ。少なくとも彼女はだめ。独身にいきなさい」
「はあ、ありがとうございます」
ビシッと切って捨てられ、気が抜けてしまった。そして、自分でもよくわからない乾いた笑いが漏れた。
「何、笑ってるの」
「いや、なんだか自分が滑稽で笑えてきました」
「滑稽?」
「ええ、だめですね私は。草薙さんに癒しを求めていたのは事実なんですが、彼女とどうこうしたいなんて大それたことは思っていませんでした」
この言葉を皮切りに、何故か徳梅さんに溜まりに溜まった鬱屈とした日々をつらつらと吐露してしまった。
毎日がままならない。
つまらない。
ずっと下を向いていたので、徳梅さんは、この告白にどう思って聞いてくれたのかはわからない。いきなり、全く親しくもないおじさんの愚痴を、延々と聞かされるとは思ってなかっただろう。
自分でも思う。
どうかしている。
「いきなりすいま――」
見上げると、徳梅さんはいなかった。
ひゅーと虚しい風が吹く。
「そりゃそっか。傍から見れば気持ち悪いおじさんだもんな」
再び下を向き、くくくと笑ってしまう。
もう帰るか、風邪引いたら資料が間に合わないし。
重い腰を上げて、モリモリフーズに背を向けて歩き出す。
「ねえ、待ってよ」
振り返ると、モリモリフーズの従業員出入り口から徳梅さんがゆっくりと近づいてきた。どうやら、私が延々と愚痴ってる間、徳梅さんは事務所に戻っていたらしい。てゆうか、どんだけ私は延々と愚痴り続けたんだ。
そのまま私はぽかんと立ち止まる。一体、何の用だろう。
再び向かい合った私たち。
徳梅さんはバッグから一本のビンを取り出した。
「これあげるわ」
それはどこにでもある栄養ドリンクだった。
「えっと……」
「あなた病気よ。自分じゃ気付いてないかもしれないけど」
「病気……ですか」
「それ飲んで。メーカーからもらった試供品だけどね」
「はあ」
「とりあえず飲んで。効くから」
「治りますかね」
徳梅さんはにっこり微笑む。
「もちろん。病は気からってね」
言われるがまま、蓋を開けて一気に飲み干す。何度も飲んだことがある味だったが、不思議と甘みと酸味が体の隅々まで行き渡り、なんだか効いた気がした。
「今度、うちの店でOTCやることになったのよ」
「OTC……?」
「ああ、OTCって一般用医薬品ってことね。食品売り場を一部改装するわけ。まあ、色々とやるし薬だけじゃなくてこういうのも売ってるから、また来てよ」
「わ、わかりました」
「じゃあ、よろしくね」
そう言って、徳梅さんは綺麗な黒髪を靡かせて立ち去る……かと思いきや、2,3歩離れたあと、思い出したように振り返る。
「あなた、あんまり人の胸ばかり見てたら出禁にするから。そういうのバレてるから」
「あ、いや」
「わかった?」
「は、はい」
徳梅さん、すいません。
ネームプレートで誤解を与えたようですが、正直、あなたの胸は愛想ともども0過ぎて、見ていませんでした。
了
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