第31歩 お弁当の日

赤いペイズリーのバンダナに包まれたお弁当箱は、蓋を開けると保冷剤の効果でひんやりしていた。

木下次長は今日、愛妻弁当持参の日だ。

木下夫妻は週に一度だけ、お弁当を持って通勤する。

週替わりで交互に作るので、だいたい月に2回、おかげで今のところは負担も感じず飽きもしていない。

休憩室のレンジでうっかりミニトマトごと温めてしまったこと以外は完璧なお昼だと木下次長は満足していた。

しかも妻は個包装のクッキーを2つ、つけてくれていた。

バニラ味とチョコ味。

木下次長はついついニヤニヤとする。

大きめのおにぎり、甘い卵焼き、カニの形のウインナー、ひじき、切り干し大根、アスパラベーコン、ミニトマト、ブロッコリー、きんぴらごぼう、唐揚げ。

どうだ、この完璧な愛妻弁当!と言いたくなる。

「あ、お茶お茶ー」と、立ち上がってお茶を入れに行くとき、木下次長は少しでも人の目に触れてほしくて蓋を開けたまま席を離れた。

休憩室には他にも何人かお弁当仲間がいて、あとは買ってきたものを食べている人、カップ麺を食べている人、ミニキッチンで調理する人もいる。

木下次長は一人でテーブルを占領していたが、もちろん同席は大歓迎なので、知った顔があればどんどん声を掛ける。

「お!オレも今日弁当!一緒に食べよーや」とか、「一人?こっちのテーブル空いてるよ」とか。

こうして何人かに見せびらかしながらお弁当を食べるのが木下次長の楽しみなのだ。

別にそこまでうらやましいほどではないが、部下たちはちゃんと意図をくんであげる。

「次長!もしかして愛妻弁当ですかー?」

「奥さんに愛されてますね」

「おかずたくさんですね」

木下次長は普段、そこまで面倒な上司ではないが、こと家族のこととなるとやや自慢したがる傾向がある。

ニヤニヤが止まらない次長。

「あー、オレこんな弁当食べれて、楽しい仲間もいて、今日が一番幸せ」

木下次長は月に2回、愛妻弁当の日には必ずそう口にする。


月の4回のお弁当の日のうちの2回、木下次長が自分で作ったお弁当の日は少し様子が違う。

木下次長は朝日課長の分もお弁当を作る。

そしてそれを持って食堂へ行き、食堂のカウンターに座って食べる。

食堂のスタッフに、「あら、今日はガパオ?次長さん、どんどん腕が上がりますね」などと褒めてもらうためだ。

このときの次長はなぜか褒められると黙ってしまい、そそくさと食べ終わるなりお弁当箱を鞄へと仕舞い込むとコーヒーを淹れるために席を立つ。

朝日課長によれば、それは照れすぎて変になるという謎の木下次長のバグらしい。

どうやら40を超えてもなお自我と戦わないといけないのだと、こうして部下たちは学ぶことになる。


さて、今日もどうやらお弁当の日、木下次長のカバンの中でカチャカチャとお箸が弾んでいる。

「朝日ー、おはよう!」

いつもに増して明るい声の木下次長が、朝日課長の肩を軽く叩いて、ビルの中へとずんずんと歩いていく。

お昼休みまであと3時間10分。


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