第26歩 スーパーな人
いつものように終業時刻を知らせるチャイムが鳴ると、ビルからは次々と人が流れ出していく。
その流れの先頭に朝日課長と木下次長がいる。
2人とも今日はリュックを背負っている。
駅へ向かいながら何やら楽しそうな2人を見つけ、南方は話しかけてみた。
「先輩!お疲れ様です。」
南方はやや体育会系の高校出身の木下次長の10年後輩で、出身高校が同じと分かったその日から木下次長を「先輩」と呼んでいる。
「みなちゃん、おつかれさま。」
「南方くん、定時でちゃんと終わってえらいね。」
「朝日課長、ありがとうございます!」と、体の真横に伸ばした腕をまっすぐに緊張させて、南方は腰から頭を下げる。
がくんと体が折れても視線は残したまま、膝がピンと伸びていて、周囲の人がチラチラと面白そうに視線を送りながら通り過ぎる。
南方は入社当初、真面目さが悪い方に出てしまい、先輩よりも早く帰ることができずにいた。
そのため連日残業となり、社内では珍しく月残業が5時間を超え続けた。
5時間、22日で割れば1日で15分程度で、世間ならホワイト扱いかもしれないが、「無駄な残業ブラックのもと」を掲げる社内ではなかなかの問題とされてしまい、部署丸ごとが教育と仕事の管理を疑われる大騒ぎになったのだ。
それ以来南方は、定時退社をするたびに褒められるようになり、もう何年も朝日課長との先ほどのやり取りをつづけている。
そんな南方には夢があった。
あこがれの先輩である木下次長に、「みなちゃん、飲みに行こーや」と誘われることである。
しかしながら木下次長は自分の直属の部下以外は誘わないし、高校の後輩というだけで酒席に誘うことが何らかのハラスメントにあたると考えているのでこれまで一度も、ランチ以外には誘われなかった。
「先輩、今日は、リュックサックですね。」
何とかしてこのあとの予定に混ざりたい南方は突破口を探している。
「これ?着替え」
と、答えたのは朝日課長で、人の良さそうな垂れ目を細めて肩をもちあげている。
「今からねー、いいとこ行くから」
「いいとこ?」
「朝日、みなちゃんは迷惑かもしれんからやめろ」
「えー、いいよね?」
話が見えないが、飛び込むしかない。
「はい!いいです!」
わけもわからず同意してみる。
背中がピンと伸びたまま前のめりになった南方は今にもダンスパフォーマンスを始めそうなほど斜めになって固まっている。
「ほなおいで」
「あ、南方くん奥さんいたっけ?」
「いません!」
「その他その、なんか浮気を疑われる、そういう相手は?」
「恋人?ってことですか?」
「あ、そうだね、そう言えばいいのか。」
「います!」
「じゃあその人に、今から仕事帰りにスーパー銭湯に行きます。いい匂いさせて帰りますって伝えておいてね。」
なるほど、いや、疑われるか?まあそうか?でも匂いなんかで気付くものなのか?と一瞬不思議に感じたまだそういうことを疑われたことのない南方だったが、とりあえず従うことにする。
「スーパー銭湯ですか?」
「そう、たのしいよ」
「スーパー銭湯で飲むビール、うまいでー」
南方はこころの中で飛び上がった。
これは念願の!
「みなちゃん、ビールいける?」
「いけます!」
「それ以前に、裸の付き合いとかいやじゃない?」
「大丈夫です!銭湯も好きです!」
「ハラスメントじゃない?」
「ないです!むしろ誘っていただけて光栄です。」
それを聞いてうれしそうな朝日課長と木下次長。
しかし2人の後ろを歩く南方はもっとうれしかった。
歩いているのに小走りで、体が揺れている。
「ちなみに、先輩、課長、お二人はスーパー銭湯絡みで浮気を疑われたんですか?」
と、軽い気持ちで聞いたら、2人が同時に振り返る。
「いい、南方くん、結婚したらね、浮気を疑わせることさえ罪だから」
「不安にさせる=有罪、覚えておくように」
2人に植え付けられた底しれぬ何かを垣間見て、南方は今夜2人が酔って口にするであろう話が今から待ちきれなかった。
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