簡単なお仕事

かわしマン

簡単なお仕事

「すごく簡単で儲かる仕事があるんだけどやらないか?」

 西新宿の焼肉屋で五年ぶりに会った酒巻は、焼きあがった牛タンをレモン汁に浸しながらそう言った。

「なんだよそれ。もしかしてマルチ商法か?」

 突然連絡してきては、詳細を明かさずにとりあえず会ってくれと一点ばりだった酒巻に、俺は若干の不信感を抱きながらそう言葉を返した。

 

 酒巻とは大学時代にアルバイトしていたファストフード店で一緒に働いていた。同い年で映画や音楽の趣味が合ったこともあって、仕事終わりによく飲みに行く仲だった。だが就職してからは自然と疎遠になっていた。バンドマンだった酒巻は就職せず、バンド活動優先のためにフリーターになった。

 よく飲みに行っていたあの頃から、酒巻には全幅の信頼を置くことはやめておいたほうが良いと心の底で俺は思っていた。

 金にルーズであちこちから借金をしていたし、俺も何度か貸したことがある。ちゃんと返済はするのだが、借金をする事に悪びれる様子をまったく見せず、それどころか金を貸すことをこちらが渋ると、明らかに不機嫌な態度を見せるようなやつだった。

 そんな調子なので、友人は少なかった。俺が唯一の友人と言ってもよかった。

 そんな酒巻の持ってくる儲け話しなどロクでもないに決まっている。


「マルチ?そんなもんに俺がはまると思うか?」

「じゃあどんな仕事なんだよ」

「お前の家に段ボール箱がひとつ届く。それを一晩保管した後、指定の住所にそれを送るだけ。それでお前の口座に五十万入金だ」


 三日後、俺の部屋に段ボール箱が届けられた。

 B5用紙くらいのサイズで深さは二十センチほどの小さな茶色い段ボール箱だった。透明のテープでがっちりと封がされている。そしてとても軽い。中には何も入っていないような手応えだ。

 上部には宅配便業者の伝票が貼られていた。依頼主は酒巻になっている。

 この伝票を剥がして、上から新たに伝票を張り付けるのだ。

 送り先の住所は酒巻からのメールに書かれていた。東京から遠く離れた鹿児島である。名前から察するに男性であろう。この人も酒巻の知り合いだという。

 いったいこの段ボール箱は何なのだろう。興味は尽きないが、消して中身を見てはいけないという事だった。


 とにかく怪しい。段ボール箱をリレーしていく。それに何の意味があるのか。もしかしたら犯罪に巻き込まれているのかもしれない。危険な匂いがする。それでも一晩で五十万は魅力的だった。付き合っている彼女の誕生日が近いのだ。五十万あれば彼女が目を輝かせるプレゼントを買える。


 俺は段ボール箱をテレビとソファーの間にある小さなテーブルの上に置いた。

 夕飯を食べ、入浴してベッドに入り、二十三時に就寝した。


 カタカタカタカタカタカタカタカタカタカタ───


 物音で目が覚めた。


 ベッドから身を起こす。

 暗がりの中、テーブルの上の段ボール箱が小刻みに震えてテーブルの天板に底を打ち付けていた。

 周囲を見渡す。震えているのは段ボール箱だけだ。地震ではない。

 段ボール箱は震えを止めない。俺はそれをただ唖然として眺めることしか出来なかった。


 しばらくするとカタカタカタという音に別の音が混ざりはじめた。


 ヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒ───


 上ずった声の不気味な人の笑い声だった。ずっと聞いていると頭がおかしくなりそうな声だった。俺は布団を頭から被ると耳を両手で押さえながら、段ボール箱が沈黙するのをひたすら待った。


 気づくと朝だった。段ボール箱は何事もなかったかのようにテーブルの上でおとなしくじっとしていた。

 それがかえって不気味だった。得体が知れないこんな物は一刻も早くこの部屋から追い出したい。

 急いで支度をすると、俺は通勤経路にあるコンビニで段ボール箱を次の人へと送った。朝の忙しい時間帯に、時間を取る宅配便の手続きをするのは、後ろで会計待ちをしている他の客や店員から白い目で見られたが、そんな事はお構い無しだった。


 会社に着き仕事を始めると、次第に夜中見た段ボール箱の事は夢だったんじゃないかと思い始めていた。

 それは自分の心を守るための本能的な防御反応だと自分でも分かっていた。


 昼休み、酒巻から電話があった。


「送ったか?」

「ちゃんと送ったよ」

「そうかお疲れ様。鹿児島に箱が届いたのが確認され次第、五十万振り込まれると思う」


 酒巻の声は妙に明るかった。機嫌が随分と良さそうだった。それが俺には引っ掛かった。


「酒巻、あの段ボール箱なんなんだよ。全部じゃなくてもいいからあれがなんなのか教えてくれないか?」

「気にするなよ。気にしなければ大丈夫さ。何事も気にしないことが大事なんだ。気の持ちようさ」


 俺の視界の端で、細長くうにょうにょとしたミミズのような何かが蠢いた。

 そして、それがワイシャツの襟の隙間から背中へと入り込んだのが分かった。

 

 電話の向こうで酒巻の上機嫌な声が聞こえた。


「箱の中身は、あぁなんだっけ?名前忘れたけど、新種のウイルスだよ。どっかの国が開発した。凄い勢いで常に増殖しているんだ。一晩そのウイルスを吸い込み続けると、あぁなんだっけ?名前忘れたけど変な病気になるらしい。段ボールに見えないくらいの小さな穴が開いてたのさ。俺たちは治験者だ。実験台とも言うな。でも気にしなければ大丈夫。気の持ちようさ。俺も背中がヌルヌルしてるけどもう慣れたよ」


 俺の背中でヌルヌルした何かが這いずり回っているのが分かる。手で背中をまさぐるが何もいない。ただ自分の固い背中があるだけだ。

 俺は気が変になりそうなのを必死で堪えながら、電話の向こうの酒巻に向かって叫んだ。


「ウイルス?じゃあ、あの夜中に見た段ボール箱の震えと不気味な笑い声はなんなんだよ!ウイルスが暴れて笑うのかよ!」

 

 酒巻は鼻で笑ったあとこう言った。

「それはたぶんただの夢だ。いや。というより、せん妄か」


 俺はもう夜中の時点で発症していたようだ。


「三ヶ月後にお前の所に学者さんが来るからよろしくな」


 そう言うと酒巻は電話を切った。



 




 

 






 


 

 

 


 

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