11月21日晴れ

 佐野有沙が、目的地に辿り着いたのは集合時間のほんの五分ほど前のことだった。有沙は黒いジャケットに灰色のシャツ、赤いロングスカートといった出で立ちでバスから降りる。彼女が山奥にある旅館前へと姿を現したのは夕方五時半ほどのこと。玄関口に立っていた女将に招待状を渡し、通された場所は宴会場だった。

 そこには既に有沙以外、四人の男女が和気藹々とした様子でそれぞれ雑談に興じていた。男性が三人に女性が一人。彼らも皆、例の招待状が送られてきた当選者たち、なのだろう。

 招待状──有沙のもとに、この温泉宿の宿泊券が届いたのはつい先週のことだ。いつものように大学から帰ってきて、マンションの集合ポストを開けると、入っていたものがそれだった。

 『此の度、境目旅館建立五十周年記念キャンペーン、食事付き宿泊券プレゼントにご応募ありがとう御座います。本キャンペーンにて、佐野有沙様がご当選なさいましたことをお知らせ致します。同封しました招待券をお持ちの上、是非、境目旅館へお越しくださいませ。

 ※尚、道中の交通費及び雑費につきましては証明書類をお持ち頂ければ、立て替え致しますのでご留意のほど、お願い致します。

 スタッフ一同、心よりご来館お待ちしております。』

 駅前のお兄さんからもらったティッシュ、その裏面にあったのが今回のキャンペーンに関する応募要項だ。家に持ち帰り、調べてみればこの温泉、なんとタトゥーOKだというではないか。

 日々の生活に疲れていた有沙はこれも何かの縁かと思うことにして、試しに応募葉書きを送ってみる事にしたのだ。──それがまさか、当たるとは思いもしなかったが。

 とまれ、そんなこんなで有沙がやってきた境目旅館の宴会場。そこにいた四人は有沙の存在に気が付くと、明らかな好奇の目を向けてくる。

 嫌な感じはしないまでも偶然、居合わせただけの人間にそこまで注意を払うものだろうか──? 

 有沙が思考を巡らせていると、パンク系ファッションに身を包んだ男が有沙へと近づいてくる。顔には女々しい男の歌で有名な某アーティストのドラムみたいなメイクをしていて、一度見たら忘れられなさそうだ。その顔がずいと近付くので有沙は二、三の後退を余儀なくされた。

 「君も旅館の宿泊客? 例のほら、キャンペーンのやつや」

 一見して関わり合いになりたくないタイプの男だ。有沙は声を詰まらせながらも必死に応答する。

 「そ、そうです……けど君も、ってことはみなさんも? 」 

 「そうそう。俺らも。で、もしかして、どっかにタトゥー入れてたりする? 」

 「タトゥー、ですか? 確かに入れてますけど、あの、それが何か? 」

 「ああ、やっぱりな! どうにもここにいる全員、タトゥー入れてる人間ばっかで。もしかしたら今回の当選者全員タトゥー入ってるんじゃないかー! って、あの人が言うもんでさ」

 そう言って、パンク系男が指さしたのは部屋の真ん中に堂々と座るふくよかな二十代と思しき女性だった。金銀の装飾で身を包み、五指には宝石を用いた指輪を嵌めていた。

 「だって、そうでございましょう? ここにいる五人中五人がタトゥーを刻んでいて、今さっき確認したあなたを加えれば六人。これだけの偶然が重なれば、それは必然と捉えることもできましょう。そして、これは私たちを嵌めるための罠であり、悪魔の儀式が今夜にでも……! 」

 「あぁ、なんかオカルトにハマってるみたいでな、あの人。確かにタトゥー入れた人間がこんだけ何の示し合わせもなしに集まるっていうんは不思議や。けど、ここタトゥーOKの旅館やし。考えすぎや思うんやけどなぁ」

 頭を掻くパンク系男。有沙もそんな彼に続き、女性の暴走に呆れ驚きながらも確かに不思議なこともあるものだと思う。

 「そうそう、俺は在原兼人言うんよ。在原業平はんの在原に、兼ねる人と書いて、兼人。ほんでもって、あっこのオカルトかぶれは後藤愛子はん。あとは……」

 他の来客たちを紹介しようとするパンク系男もとい、在原の言葉が途切れる。宴会場の襖を開け、新たな来館客が現れたのだ。有沙の近くに立っていた在原は、有沙に「ちょっと堪忍な」と手刀を切りながら言い残すと、新たな客人のもとへと近づいていった。

 新人は大柄な体躯の男性で、端正な顔立ちのハンサム。この男性とパンク系男との間に二三、言葉のやり取りがあった。次いで関西訛りを扱う在原の「やっぱりなぁ! 」という得心のいった声が挙がる。宴会場にいた皆の目が一斉に其方へ向く。

 全員が全員、彼らの会話を聞いていたのだろう。当然、有沙含め、彼らの疑問は新人の身体に刻まれるタトゥーの有無である。しかし、事情を飲み込めない男性は在原に疑問を呈する。

 「ああ、それはなぁ──」

 中東系のハンサムへと在原が現状を説明し始める。途端、ハンサムの顔が訝しげな顔に変わる。彼らの会話は長引きそうだ。

 放置された有沙は改めて宴会場を見渡す。

 長机が四つ、畳の敷かれた室内に等間隔に並んでいる。入り口のすぐ近くでは在原とハンサムが立ち話をしていて、一番奥の机で男性が二人、楽しげに話し合っていた。どちらもスーツに身を包んでおり、休暇というよりも仕事に来たような格好だ。

 愛子は有沙が来たときと同じく真ん中に座り、何やら祈りの言葉を捧げていた。

 そうして、室内を観察する有沙に近づく影があった。

 「こんばんは」

 有沙が振り返ると、そこに居たのは黒いパーカーに黒いズボンで身を包んだ丸眼鏡の女性だった。歳の頃は二十を超えるか超えないか。少女にも見える、あどけなさを残した外見やこてんと首を傾げた仕草は有沙にどこか小動物を連想させる。

 先程、愛子が『あなたを含めて六人』と言っていた最後の一人だ。ハンカチを肩から掛けた鞄に仕舞おうとしていることから見て、トイレから帰ってきた所といった具合だろう。

 「さ、佐野有沙と言います。……えっと、あなたは?」

 「鹿野まやです」 

 有沙に名を訪ねられ、言葉少なに名前を告げる。元々口数の少ない方なのだろう。

 そう思いつつ、有沙は重ねて問い掛ける。

 「まやって……摩耶山の摩耶?」

 「そうよ」

 「なるほど。なんだか聞き覚えのある、お名前で親近感が湧きますね」有沙が笑って言った。

「芸能人にも居ますからね。そのせいですよ、きっと」鹿野はそう言って、有沙を見つめていた。

 一行は旅館へ来るまでの疲れを癒そうという在原の提案に乗り、男女に別れ、温泉へと向かった。

 大浴場は暖簾を潜った先、脱衣所の更に奥の引き戸を開けた向こうにあった。

 有沙が扉を開けると湯煙が外へと逃げていく。その白煙に乗って、微かに硫黄の匂いが鼻をついた。所謂、硫黄泉というやつだろうか。

 「この辺一体、今じゃ静かなものだけど、火山灰で凄かったらしいわよ」

 その言葉に有沙が振り返ると愛子がタオルを手に立っていた。その後ろには鹿野の姿も認められた。

 「ご、ごめんなさい」有沙は自分が入り口を塞いでいることに気づき、慌てて脇に飛び退く。

 「大袈裟ね、有沙ちゃんったら。誰も退けだなんて言ってないわよ」それだけ返すと愛子は有沙の横をすり抜け、一足先にシャワーへと向かっていってしまった。

 あとに残った鹿野と顔を見合わせ、それもそうかと気を持ち直す。どうにも長年の接客業が身に沁みてしまっているらしい。

 浴場へと一歩踏み出し、中を覗えばガラス張りの外に一面の紅が広がっていた。

 境目旅館の名物、華景窓である。山中深くの断崖絶壁に建つ、ここ境目旅館では覗きを心配する必要もなく、紅く染まった山々を一望する事ができた。

 手早く身体を清め、温泉へと足から浸かっていく。そうして、天然の岩石をくり抜いて作られたであろう、浴槽の壁面に背を預ける。自然と有沙の口から呼気が漏れた。

 「有沙ちゃんのタトゥーは孔雀なのね。派手だけど、私のには劣るわね」 

 心地良い湯加減に目を細めていた有沙。彼女に愛子から声が掛かる。

 有沙が隣に顔を向けると、がっしりとした肩から腕にかけて大口を開けた虎の彫り物を目にすることができた。その絢爛豪華な見た目には威圧感さえ覚える。

 「立派なタトゥーですね。アクセサリーがお好きなようですけど、これもファッションの一環ですか? 」

 「ええ。艶やかな毛並みと力強く靭やかな筋肉。これこそまさに自然の美というものでございましょう」

 「それは……えぇ。とても良いと思います」

 オホホと聞こえてきそうなほどの上機嫌。彼女は自らのタトゥーに誇りを持っているのだろう。

 皮下組織へと直接塗料を注射し、形作られるタトゥーは刻み込んだ人間にとって、様々な意味を持つ。ある者は己の功績を称え、ある者は愛する人の名を刻み、またある者は誓いをそこに込める。

 かく言う有沙にとっても自らの背中でその飾り羽を大きく開いた孔雀はファッション以上に大きな意味を持っているのだった。

「鹿野さんはそれ、狼ですか?」有沙は対岸を背にする鹿野の脹脛を指しながら言う。そこに描かれているのは月に向かって吼える四足獣だった。

 彼女の持つ小動物じみた雰囲気に反して、雄々しさを感じさせるこのタトゥーはどうにもちぐはぐして、有沙の目には映った。

 「そう。これ、狼。妹がね、タトゥーアーティストだったの。それで『練習がてら彫らせてよ』なんて言うもんだから仕方なくね。おかげでこういう所でもないと温泉にも浸かれなくなっちゃって」苦笑交じりに鹿野が答える。彼女の瞳に何か一瞬、仄暗いものが過ぎったように有沙には見えた。

 そこからは華景窓から見える絶景を死ぬまでに見ておきたかったのだという鹿野の話や愛子がタトゥーを入れることになった経緯について各々の口から話される事となった。有沙自身は特段、身の上話をする気にもなれず、二人の話に時折、相槌を打ちながら山の上にいても、山の下にいても結局やっている事は変わらないなと苦笑する。

 「それにしても、不思議よねぇ。自己申告とはいえ、この旅館に集まった人間全員がタトゥーを入れているなんて。こんな偶然あり得るとお思い?」

 やがて、三人の話題は七人の客たちがもつ奇妙な一致へと移り変わっていく。

 有沙がこの旅館に来て初めて耳にしたその情報は愛子に言わせてみれば、偶然ではなく必然。それも恐ろしい悪魔の生贄としての印なのだという。

 「確かに、集まった人間が一見して見えない共通点を持っているというのは『そして誰もいなくなった』みたいで少し引っかかるかも」顎に手を置き、鹿野が言う。

 有沙は頷き、愛子に同意を求めるべくそちらへと視線をやるが数拍、奇妙な間があった。

 そして、ようやく彼女が口を開けると驚きの言葉が飛び出してくるのだった。

 「『そして誰もいなくなった』って? 」

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