ギフト


「こんな会社辞めてやらあ!」

紙ナプキンに<辞表>と書きなぐり部長に叩きつけると、さすがに場のバカ騒ぎが止んだ。

しかしもう遅い。酒の席とはいえあれだけコケにされて黙っていられるものか。

そのまま背広をひっつかんで店の外へ飛び出し、行くあてもなく歩き続けた。

アルコールの回った体ではすぐに疲れてしまい、適当なフェンスに腰をおろす。

頬を撫でる風は冷たくて、そこでようやく正気に戻る。

酔った勢いで、なんということをしてしまったのか。

後悔するがどうにもならない。

頭を抱えながら、つい先ほどのことを回想した。


「では、プロジェクトの完遂を祝って、乾杯!」

「乾杯!!」

問題が多発した本プロジェクトもようやく終了となり、部長をはじめとするプロジェクトメンバーが全員参加しての飲み会が始まった。

始めは和気あいあいと、くだらない雑談に乗せて互いの働きを労っていたものだが、酒が入ると余計なことを言い出す奴がいるのは世の常で、部長がメンバーの失敗を酒の肴にし始めた。

いまやり玉に上げられているのは、そろそろ中堅といって差支えない年齢の5年目の坂井だ。

人当たりは良いのだが、どうにもいい加減で付和雷同なところがあり、正直なところあまり好きではなかった。

「本当にオマエはオッチョコチョイだよなぁ坂井。ほら、あの時も、一年目の新人でもしないようなミスをしやがって」

今も部長の言葉にへらへらしながら

「いやぁ、本当にご迷惑をおかけしました」

などとぺこぺこしている。

情けない、男ならガツンと言ってやれよ、そんな風に思いながらビールを飲んでいると、思わぬ流れで矛先が来た。

「まったく、オマエと柳川は我がプロジェクトの二大お荷物君だな、ハッハッ」

待て、何故そこで唐突に俺の名前が出てくる。

しかもさらに悪いことに、同席していた女社員共が坂井の肩を持ち始めた。

「やだ部長、坂井君はいてくれるだけでいいのよ、こんなにイケメンなんだから!」

「そうですよ部長、彼がいるのといないのとじゃ、女性社員のモチベが全然違うんですから!」

「坂井君は挨拶だってめちゃくちゃ爽やかで、他のプロジェクトの子がわざわざ『おはよう』を言われるために会いに来るくらいなんですよ!」

「仕事は同じくらいできなくても、仕事以外の所で貢献してくれてるんだからいいんです!」

「そうかそうか、柳川は若くもイケメンでもないし、確かに坂井のほうが何倍もマシだよな。おい柳川、せめてその辛気臭い顔だけでもどうにかならんか? ん?」

こちらも大人なのだから、「またまた部長、きつい冗談はやめてくださいよ、ははは」なんて流すことが出来た……シラフなら。

「うっせえな、この顔は生まれつきなんだよ、文句あんのか」

厭味ったらしい部長、へらへらした後輩、頭の空っぽな女ども、うなづくしかできない他の同僚、もううんざりだ。

「柳川、貴様、上司に向かって何て言い草だ! そんなだからいつまでたっても一人だけヒラなんだよ!」

痛いところを突かれた。同期で役職持ちでないのは自分だけだ。

「ああそうだよ! どうせ俺は新人レベルの仕事しかできない後輩にすら劣るクズだよ! そんなら俺が居なくても何の問題もないよな、あ?」

「き、貴様、いい加減に……」

なおも文句を言ってこようとする部長を凄みを聞かせてをにらみつける。

そして、冒頭のあのシーンにつながるのであった。


やっぱり、思い返すと自分のほうが悪かったような気がする。

勢いとはいえ辞表を叩きつけたのだ、明日会社に行ったときにどんな嫌味を言われるものか。

いや、もしかしたら本気ととられて、俺の席がないかもしれない。

どんどん気が重くなってくる。

体が震えた。寒い。

背広だけは持ってきたものの、預けていた鞄とコートは置いてきてしまった。

帰ろうにも、定期も財布もコートの中だし、タクシーを拾ったところで家の鍵も鞄の中だから意味がない。

かといって、酔いも覚めてしまった今、さすがに飲み会の場に戻る勇気はなかった。

夜風は身に染みるが、仕方ない。飲み会が終わるくらいまでここで時間をつぶして、みんながいなくなったころに忘れ物をした体で店に取りに戻ろう。

しかし、今は何時だろうか。まだ飲み会が始まって一時間も経っていなかった気がする。

となると、終わるまであと二時間近く待たなければならないのか。

悪いことは重なるもので、携帯も鞄の中だし腕時計もコートの中だ。せめて携帯だけでもズボンのポケットに入れていればよかった。


と、目の前に影が落ちた。

見上げると、坂井が立っていた。鞄とコートを持っている。

「追いかけてきてくれたのか」

少し震えた声で問うと、坂井はいつものへらへら顔でコートを差し出してきた。

「柳川さん急に出ていっちゃったから、みんなビックリしてましたよ」

「それは悪かったが……あんなこと言われて黙っていられるか」

「そうですよね。柳川さん、何年もずっと会社のためを思って、他の人が嫌がるようなうまみの少ない作業とか面倒な作業を引き受けてくれているのに、俺なんかと比較されて馬鹿にされちゃ怒りたくもなりますよね」

俺がコートに袖を通し終わったタイミングで、鞄を手渡してくる。

「でも俺、そんな縁の下の力持ちって感じの柳川さんを尊敬しているんですよ。部長もちょっと言い過ぎたって反省して、『次の査定は色を付けないと行かんなあ』なんておっしゃっていたし、ここは私の顔に免じて部長を許してやってくださいよ!」

冗談めかして片目を閉じて腰を落とす坂井に、俺はお約束のようにツッコミを入れた。

「なんでお前に免じて部長を許すんだよ。立場がめちゃくちゃじゃないか」

「まあまあ。あ、これ、忘れないうちにお渡ししておきます」

坂井が渡してきたのは、紙ナプキンだった。何とか<辞表>と読めなくもない線がペンで書きつけてある。

「こんなのじゃ辞められないでしょうけど、一応」

「ああ、ありがとう」

自分の間抜けさが形になって表れているようで、受け取るのも情けなかったが、無視するわけにもいかず受け取った。そのままコートのポケットに押し込む。

「今日は結構飲んでいらっしゃるようですから、タクシーでお帰りのほうがいいですよ」

道路に出て早速タクシーを止める。この時間にこんな中途半端な場所ではなかなか空車は少ないはずなのだが、坂井はものの5分としないうちにタクシーを拾うことに成功した。

「私は二次会まで行こうと思っているんでこれで失礼しますけど、柳川さん、ちゃんと明日来てくださいね。じゃないと私の渾身のギャグが無駄になっちゃいますから」

どうやら、俺のフォローのために、何かひとネタやらかしたらしい。

「ああ。今日はその、すまなかったな。いろいろとありがとう」

普段は後輩に頭を下げるなんてなんとなく屈辱的に感じていたのだが、今日は素直に感謝の気持ちが口をついて出た。

「はい、お気をつけて」

タクシーが目の前に停車する。

「あ、忘れるところでした。柳川さん、これ、この間のお礼です」

乗り込もうとしたところに紙袋を押し付けられる。

何のお礼なのか問いただそうとしたが、その時にはもうタクシーは発車してしまった。


薄暗い車内で紙袋を開くと、出てきたのは美しい装丁の外国の絵本だった。

あいつ、なんでこんなものを……

疑問に思ったが、すぐに思い出した。

先々月、彼に初めての子供が生まれ、俺はそんな状態でありながら仕事が忙しくて遅くまで家に帰れない彼の心境を思い、また彼の奥さんと娘さんにも申し訳ないという思いから、部署の出産祝いとは別に誕生プレゼントを送っていたのだ。

そうはいっても子供向けのプレゼントなんて何を送ればいいのかわからない。

そこで二人で出張に出たある日、思い切って本人に、出産祝いに欲しいものはないかと直接聞いたのだ。

坂井は遠慮して断ったが、俺があまりに強引なことに諦めたのか、子供向けの絵本が欲しいと答え、そのままランチのついでに本屋まで足を延ばすことになった。

その時、定番の子供向け絵本のコーナーの隣に、外国本のコーナーがあり、そこにその本があった。

翻訳本ではないから、何が書いてあるかは当時読めなかった。実を言えば今だって怪しい。

それでも、日本の絵本にはない美しい絵柄に夢中になって、毎日飽きもせずに眺めていた、お気に入りの一冊だった。

そんな話を、少しだけした。それを坂井は覚えていた。


彼が女性社員にもてる本当の理由がわかった気がした。

若い、イケメン、優しい、爽やか……それも確かにそうなのだろう。

だがそれ以上に、細やかな気遣いや思いやり、そういったものが彼の行動の根底にあったのだ。

だからみんな、知らず知らずのうちに、彼に惹かれていくのだ。

この本だってそうだ。お礼なんて言いながら、定番の絵本と輸入物の絵本じゃ値段からして何倍も違うのに。


うむ、負けた、負けたよ。彼は確かにイイ男だ。


大判の絵本を抱えて、俺は何年かぶりにボロボロ泣いた。

俺を乗せたタクシーは、静かに深夜の街を走り抜けていった。





投稿日時:2013年09月28日 01:03

お題/条件:「絵本」「魅力的な男性とは?」 この2つのお題に沿った内容

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る