第2話
「さてさて、まずはすぐに出迎えられなかった俺の非礼を詫びようか。すまなかったな、うちの連中が君を弄んだみたいで。手を出すなとは言ってるんだけども」
やれやれと肩を竦めているが、おれとしては何が何だかさっぱりだ。
訳知り顔でなにやら呟かれたって何にも分かりゃしない。
ともかく、この男性の登場により襖の向こうは廊下に戻ったということだけは理解できるぐらいか。
「あの、あなたが椿凛世さんですか」
「いかにも!そうだぞ、俺が天才作家の椿凛世だ」
「……は、はぁ」
そのふざけた名乗りによって、知的そうな印象が途端に吹き飛んだ。
男性……椿さんは胸を張って宣言したが、天才を自称するやつが天才なわけがあるか。
どうにも胡散臭い男だ。
「おれ、御厨って言います。文楽社の朝凪宗一から頼まれて伺いました」
「そうかそうか。よろしく、新人くん」
「原稿を受け取ってもよろしいでしょうか」
「や、それはよろしくないなぁ」
椿さんはにこにこ笑ったままそう言い返してきた。
手のひら返しが速すぎる。
なるほど、朝凪さんが苦労する相手だと言うのが少しづつ見えてきたかもしれない。
「まさか、出来てないと」
おれが平坦にそう問えば、椿さんは元気よく頷く。
「そのまさかだね。いやあ、参ったな。全然思いつかなくて、原稿は真っ白さ。もうちょっと締め切りを伸ばしてもらってもいいかい?朝凪ならいつも承諾してくれるはずだよ」
「締め切りを伸ばすのは三度目と聞いていますが」
椿さんは黙り、一瞬考える素振りをした。
おれが何も知らないも思って騙すつもりだったのだろう。そうはさせるか。
「おっと。そりゃあおかしいな。俺の中じゃあまだ今回は一度も締め切りを伸ばしてもらった覚えはないんだが」
「忘れたんですか。大丈夫ですよ、朝凪さんからは確認済なんで」
「またあいつはいらんことを」
椿さんがぼそっと呟いた言葉は聞き逃さなかった。
はーっと息を吐いてから、椿さんはわざとらしくにこりと笑う。
「ね、新人くん。君はまだ不慣れだから分からないだろうけど、こういう時って普通は良いって言ってくれるものなんだよ」
人の良さそうな明るい笑顔は胡散臭さに拍車をかけるだけだった。
「いや、あの、おれのこと騙して丸め込もうと
してますよね」
もはや隠すつもりもない椿さんに、おれは疑いを込めた視線を向けながらそう言う。
「してないしてない。あ、そうだ。君ってお酒好き?もし良かったらちょっと呑んでかない?ちょうどいい酒があるんだよね」
「おれ仕事中なんで」
「そんなこと言わずにさ、せっかくこんなとこまで来てくれたんだし」
椿さんにはおれを酒が飲める歳に見えるのか、というのは置いておいてなんなんだこの絡み方は。
正直うざったい。
「やめてくださいよ、そういうの困ります」
「まあまあそう言わずに」
「だからそういうのはほんとに……ひっ!」
誰も触れていないのにバンっと音を立てて向かい側の戸が勝手に開き、おれは唖然とした。
その後、何かが走るどたどたとした足音のようなものが聞こえてくるも、誰かが向かってくることはない。
誰もいないはず。
だけど、そこにいる。
馬鹿馬鹿しいが直感的にそう感じた。
喋る猫に変な女性に、次は幽霊とでも言うのか。
おれはすっかり言葉を失ってしまった。
静寂が背筋を震わすようで、真昼なのに目の前が真っ暗になってくらくらするうな気分に襲われて。
正直に言うともう帰りたい。
「な、なぁ椿さん!どうなってんだよこの家は……!?」
締め切り云々の前にこれを聞くべきだった。
もはや目の前にいる椿凛世の存在すら疑いたくなる。
ところが、口調も取り繕わず焦るおれとは正反対に椿さんはのんびりと口を開く。
「あれ、もしかして知らない?久良木町十三丁目の幽霊屋敷って」
「え」
幽霊屋敷。確かに彼はそう言った。住所も間違いなくここのものだ。
初めて聞いたぞ、そんな話。
「それは、どういう……」
「この家、幽霊とかもののけの類が住み着いているんだよ。俺が移り住むずっと前から」
「は……?本気で言ってんのかよ、それ」
おれはその冗談に対して笑うこともできず、言葉遣いさえも忘れてしまった。
「あはは、そう怖い顔しないでよ。君、この辺りのことにはあまり詳しくないみたいだね」
「まあ……久良木町には今日初めて来ました」
「やっぱりね。この屋敷は何十年も前に建てられたんだけど、ある時から幽霊が出るようになったって騒がれるようになってね。殺された女中が化けて出るだとか、人を喰う鬼が住んでるだとか。前の家主はそれで気を病んでこの家を取り壊そうってんだから、破格の値段で売ってもらったんだよ」
「化け物がいるかもしれない家を、わざわざ?」
「そう。だって面白いだろ」
上機嫌に椿さんはそう言った。
「おもしろ、い」
「うん。めちゃくちゃ面白いじゃないか。魑魅魍魎の住んでる物件なんて滅多にないだろう。創作意欲が湧くこと間違いなしだぞ」
そうだ、椿凛世の作品は怪奇小説だった。
怪奇・幻想・惨劇。
この妙な家は彼の作風にはぴったりだと思うが、だからといって共感はできない。
「じゃあ、外にいた猫とさっきの女性は」
「ご想像の通りだよ。や、絹子さんも普段は悪い人じゃないんだけどね、久々のお客人だったからかなぁ。多分君が普通の人間だと思って期待してみたら朝凪の名前を出されたもんだからガッカリしちゃったんだと思う。すまなかったね、怖がらせてしまって」
彼女は絹子さんと言うらしい。
たしかに朝凪さんの名前を出した途端に怒ってしまったが、おれが出版社の人だとそんなに都合が悪いのだろうか。
何か嫌な思い出でもあるんだろう。なんだか申し訳ない。
だがそれより先に訂正しておかねばならないことがある。
「別に怖くなかったんでいいです。そもそもおれは幽霊とかそういうの信じてないんで」
「おやあ、そう来たか」
椿さんは特に気分を悪くした様子はなかったが、むしろ興味津々と言った様子で深掘りしようとしてきた。
「ここに来てからもう既に君はいくつかの奇怪な現象を目の当たりにしたと思うのだけれど、それでも?」
「それでも。おれは信じてないんで」
「じゃあ今目の前で誰も触ってないのに勝手に戸が開いたのは?」
「さあ、おれには分かりかねます。家主はあんたなんだから、おれに聞かれたって」
「わあ、意外と強情だね。なにか理由でもあるのかい?」
「それは…………」
椿さんの視線がおれに刺さる。
だってその存在を認めてしまえば、おれは、おれの過去は。
そう言いかけて、初対面の人相手に話すことじゃなかったと口ごもる。
なかなか答えないおれに、椿さんは無理に聞き出すことはせず諦めてくれたようだった。
「まあいいや、とりあえず今は『いる』って言う体で話を進めさせてもらうね。俺は執筆するにあたって毎度実際に怪奇現象を体験し、それを脚色することを基本にしているんだけど」
「実際に怪奇現象を体験?」
「そうそう。怪奇現象とか怪異の情報を集めて現地に行って調査したり、記録するんだよ」
「意味がわからん……いや、いい。おれはもう何も聞かないんで続けてください」
とても正気とは思えない発言におれはもう突っ込むのを諦めた。
そもそもこの人の話は最初からさっぱり理解不能なところがある。もうこうなればとにかく聞くしかないだろう。
「それでね。この家はそういった面で大いに役に立つわけでもあって、俺はここに住んでるっていうわけさ」
「ちょっと待て、執筆に役立つならなんであんた今締め切りに間に合ってないんだよ」
黙るつもりがつい口を挟んでしまった。
「そりゃあ、そういう時もあるだろう。俺は人間だし」
「つまり」
「ネタ切れだよ、小鞠くん」
「ここに住んでる意味なくねぇか」
「いやいや、創作意欲以外にも毎日霊的なものに触れているおかげで目利きもできるようになるんだよ。怪異の生態についても詳しくなれるし」
「バケモノの目利きなんかできる方がおかしいだろうが」
「君意外と容赦ないねぇ」
なぜか椿さんは楽しそうにくすくす笑う。
気が抜けそうだ。
「で、結局原稿はどうすると」
おれが仕切り直すようにわざと強くそう言えば、椿さんはうんと大きく頷く。
「ごめん、もうちょっと待ってください」
素晴らしいぐらいに潔い。
両手を合わせてぺこぺこ謝られたってなんの可愛げも無いし、じゃあ待ってあげようかな、なんて気にもならない。申し訳ないが。
だが、おれには今の話で引っかかる箇所があった。
それこそ、今現在のおれが抱える問題を二つとも解決してくれそうなものを。
「……あんたの話からすると、話の元になりそうな怪奇現象があればいいんだよな」
「まあね。でもありきたりなものは目新しさがないし、もう過去作で使ったものとかはちょっと扱いづらいんだよね。いや、そこは俺の腕次第なんだろうけどさ」
「ひとつ、聞いてもらえませんか」
ぶつぶつ呟く椿さんをおれは遮る。
「おや、どうした改まって」
椿さんは驚いた様子だ。
おれが何を言い出すのか、わくわくしているようにも見える。
しかし先程怪異を信じないと啖呵をきった手前言いづらい話ではあるので、まだおれは迷ってしまう。
本当にこの男に話すべきなのか。
言った所で解決できるとは限らないし、無駄足になるかもしれない。
だが、もしこの男の手を借りることができれば少しでも道は開けるのではないか。
「実は……いややっぱりだめた」
「なになに、気になるじゃないか。話してご覧よ」
やっぱり椿さんはぐいぐい来た。
思わせぶりなことを言ったおれも悪かったが、その瞳でじっと見つめられるとどうにもおれは勝てそうな気がしない。
切れ長の目がおれを射抜くように見つめ、微笑みをたたえる口元は妖艶にさえ思える。
この男は作家で霊能力者とかじゃない。頼ったってどうしようも無い。
それでも……。
おれは少しの間迷った挙句、結局口を開いた。
「このところ、おれの家の周りになんかいるんです」
「なんか、とは」
「夜中に誰かの名前を呼びながら青白い顔の女が徘徊してる。これがどうにもうるさくて近所迷惑なんですよ。おれは信じちゃいないけど、巷じゃ怨霊だとか言われてる」
女性の怨霊が毎晩『コウイチ』という人の名を呼びながらゆっくりと町内を巡っているのだ。
明け方になれば消えるらしいが、激しい土砂降りの雨夜だろうが毎晩決まったように外からは女性の声が聞こえてくる。
「へぇ。女性の姿をした、人のようで人でないなにかということか。怨み、未練か。どちらにせよ、それって幽霊より生きてる人間の方が怖くないかい?」
「ま、まあそりゃたしかに……」
生きてる人間が毎晩徘徊してる方が断然事件性が高いとは、言われてみればそうだ。
幽霊より人の方が恐ろしい。その点についてはおれは同意できる。
「というかピンと来たんだけど、その話って三滝坂の怪異だよね。ちょっと前から話題になってる。俺が何日か張り込んでみた時には会えなかったし気配もなかったんだけどなぁ」
その通り。
三滝坂という場所にある格安のボロボロなアパートにおれは住んでいる。
ちょこちょこ噂になっちゃいたのは知っていたが、やはり椿さんも調査済みだったらしい。
だが、椿さんの調査が全てではない。
「椿さんは遭遇しなかっただけで確実にいるんだ、その女性は」
「根拠は?」
「おれの部屋に毎晩来る。数時間徘徊した後、最後におれの部屋の前に来て喚くんですよ、『出てきて』って。黙ってるとそのうちに消えるんですけどうるさくてかなわない」
椿さんが会えずとも、おれは毎晩会っているに等しい状態になっている。
その上、おれの部屋の扉をドンドンと叩くのだ。
ただでさえガタついているのにこれ以上壊れては困るとしか言えない。
「君、怨まれてないかい?」
「いいや、それはありえません。おれはその女性と面識もなければその人が呼ぶコウイチとかいう名前に聞き覚えもない」
「朝凪には相談したの?」
「してません。したら絶対に心配される」
その上引っ越しまで提案してきそうだし、なんなら勝手に物件探しもしそうなぐらいまである。
朝凪さんに大切にされているんだと自惚れているわけではない。
おれを子供扱いする朝凪さんは、とにかくおれの私生活に関して心配でたまらないのだとよく言われるのだ。
まともな飯は食べているのかだとか、夜はちゃんと眠れるかだとか、困ったことがあれば呼べだとか。
おれはあの人のなんなんだろうか。
とりあえず、すきま風が吹くぼろアパートに住んでいると白状すれば面倒なことになるのは間違いなしだ。
「三滝坂の怪異が本物だったら俺より朝凪の方が使えると思うんだが、君がそう言うならまあいいさ」
椿さんがすっと立ち上がる。
「行こうか。俺の原稿が何文字増えるか楽しみだね」
その輝かしい笑顔に、なんでもいいから全部埋めろと言いたくなった。
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